45.懐かしき地へ
馬車に揺られ、私と殿下はフロイセン王国へとやってきた。
自分でも驚いている。まさか、こんなにも短い期間に、何度も故郷へ戻ってくることになるなんて思わなかったから。
馬車は王都へと入る。昼過ぎの時間、普段なら賑わっているはずの商店街も、あまり活気がなかった。話しには聞いていたけど、感染症はかなり広まっているらしい。
強い感染力があるから、人同士で会うことも控えている状況なのは、街を見渡してすぐに理解した。
「うちの王都より酷い状況だな」
「慣れていないからね。みんな不安なのさ」
その不安の矛先が、聖女であるお姉様に向けられている。
聖女の祈りなら病も吹き飛ばしてくれる。それを知っているが故に、人々は彼女に縋る。
ただし、聖女も同じ人間だ。疲労は溜まるし、何より一人しかない。一日に祈りを捧げられる人数には限りがある。いかにお姉様が毎日頑張ったとしても、感染が広まる速度には敵わない。
今も尚、王都では感染者は増え続けている。
祈りによる治療は、根本的な解決にはならないと、誰もが理解し始めていた。
それでも、縋れるものが近くにあるなら、人は誰だって縋りたくなる。恐怖や不安を目の前にしたら、誰だってそうするはずだ。人の心は……そこまで強くはないから。
「王城についたら、しばらく別行動になる。次に顔を合わせるのは夜になりそうだな」
「はい」
「不安か?」
「少し……でも、頑張ります! そのために戻ってきましたから」
私は不安を拭い去るようにぎゅっと握りこぶしを作り、殿下に安心してもらいたくて、できるだけ明るい笑顔を見せた。
「無理しすぎないようにな? 何度も言うが、一番大切なのは自分の身体だぞ?」
「はい」
馬車が停まり、順番に降りていく。
「それじゃ、俺は国王陛下に挨拶をしないといけない」
「はい」
名残惜しさはあるけれど、夜になればまた顔を見ることができる。それまで私も頑張ろうと、改めて決意する。一人先に王城へと入っていく殿下を見送って、ラインツ王子が私に言う。
「アストレア、君に使ってもらう薬室には僕が案内するよ」
「よろしくお願いします」
ラインツ王子に案内されて、宮廷へと足へ運ぶ。
私のために空いている薬室を解放してくれていたらしい。ラインツ王子は歩きながら、改めて感染症について説明してくれた。
「症状は風邪に近い。ただ、感染力が高くて重症化すると、老人や子供は命の危険もある」
「原因の調査はまだ途中とお聞きしましたが」
「そうだよ。だから今は、効果のある薬を使って、症状を和らげている。僕はそこまで詳しくないから、まとめた資料を部屋に用意してあるよ」
「ありがとうございます」
「感謝はこっちのセリフだよ。君が優しい人でよかった」
ラインツ王子は安堵した横顔を見せる。
国を出て行った私みたいな人間の気持ちを考えてくれる。ラインツ王子も十分に優しい人だと思う。きっと、そういうところがあるから、シルバート殿下も信用しているのだろう。
期待には応えよう。できるだけ早く、人々の心に安心を……。
「――なんで」
「え?」
ふと、声が聞こえた。廊下の曲がり角、私たちが曲がった方とは反対側から、鋭い視線が突き刺さる。その声を聞いて、私は思わず背筋が凍る。ゾクっとして、恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは……。
「お姉様……」
「なんであなたがここにいるのよ? アストレア」
予想よりも早く、私たちは対面してしまった。
いつかは必ず出会ってしまうと覚悟していたけど、こんなにも早いとは思わない。
お姉様は見るからにやつれていた。パーティーで見た時よりもげっそりしているし、目の下にクマができている。あまり睡眠もとれていないのだろう。苦労が全身から滲み出ている。その姿は、とても聖女には見えなかった。
そんな姿を見てしまったせいか。お姉様に対する怯えよりも、同情するような、心配するような気持が先行する。
「答えなさいよ。なんであなたがここにいるの?」
「それは……」
「僕が呼んだんだよ」
「――! ラインツ王子!?」
お姉様は酷く驚いている様子だった。今さらラインツ王子が一緒にいることに気がついたらしい。すぐ隣にいて気づかなかったなんて、よほど疲労しているのだろう。
お姉様は慌てながら、私を睨むように見つめる。どういうことよ、と何度も聞いたセリフが、頭の中に響くようだった。理由を説明するように、ラインツ王子が話し始める。
「ベスティリア王国ではこの時期、感染症が広がりやすくなる。毎年のことだから対処も慣れていると思ってね? 相談しに行ったんだ」
「……それが、どうしてアストレアなのですか?」
「彼女が一番、適任だと思ったからだよ。この状況を改善するためにね」
「――!」
お姉様のプライドが傷つけれらた音が聞こえた。姉妹だから、長い時間を一緒に過ごしてきたからこそわかる。
お姉様はラインツ王子に対しても、ひどく睨むような視線を向けた。
「それは……私では不足だということでしょうか?」
「そうじゃない。君はよく頑張ってくれているよ。たった一人で、大勢の人々を救ってくれている。王子として誇らしい」
「……」
「でも、いつまでも君一人に負担をかけるわけにはいかない。アストレアは薬師でもあり、この国の出身だから、誰よりも国の事情は把握している。だから彼女が適任なんだ」
理屈は通っているはずだ。
私以上に、この国のことを知り、薬師としての知識を持っている人物はベスティリア王国にはいない。もちろん、ラインツ王子の狙いがそれだけじゃないことは理解していた。
お姉様は奇跡を起こす聖女で、私は与える聖女。一緒にいることで、私の力がお姉様の祈りをより強くする。すなわち、私がいなくなる前の状態に、お姉様を戻すことができる。
私が応援に来たところで、すぐに解決する問題でもない。まだしばらくは、お姉様にも頑張ってもらう必要があった。
このまま倒れてしまわぬように、私の存在が彼女を支えるように、お姉様の傍に私を置いておきたかったのだろう。そういう意図もあったから、ラインツ殿下は私に申し訳ないと感じているに違いない。
シルバート殿下も、その狙いには気づいている。その上で、私に決断を委ねてくれた。
この選択は、私自身の意思だ。
「わかってもらえたかな? 君のためでもあるんだよ?」
「……わかりました。祈りの続きがありますので、失礼させていただきます」
「わかった。よろしく頼むよ」
「……アストレア」
「――!」
お姉様は睨むように私を見つめて、小さな声で呟く。
「邪魔だけはしないで」
「……」
お姉様は私たちに背を向けて去っていく。私はお姉様の言葉に答えなかった。お姉様自身、答えを期待していなかったのだろう。
その背中は苛立ちと、少しの寂しさを含んでいた。
「すまなかったね。嫌な思いをさせてしまって」
「い、いえ! お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いいや、君たち姉妹の問題は、この国にとっても重大なことだった。不憫な想いばかりさせて申し訳なかったと思っているよ」
「ラインツ王子……」
「何かあったらすぐ、僕も相談してくれて構わない。この国の王子は僕なんだ。きっと力になれると思うよ」
「ありがとうございます」
「いいさ。無理やり来てもらったようなものだからね? これくらいしないと、シルバートに怒られてしまう」
そう言って優しく笑いながら、ラインツ王子は私を薬室に案内して去っていく。彼も王子としての仕事がたくさんあるはずだ。忙しい中、私のことを頼って遥々隣国まで足を運んでくれた。
その期待に応えられるように頑張ろう。
私は薬室のテーブルに置かれている資料に目を通す。タイミング的にベスティリア王国で流行った感染症と同じものだと予想した。ただ、どうやら症状が少し異なっているようだ。
ベスティリアのものは、腹痛など胃腸に関係する症状が目立っていたのに対して、フロイセン王国で広まっている感染症は、熱発や頭痛が主である。
どちらも風邪で見られる症状ではあるけど、出方が違うことから別の原因だろうと推測した。
そこから先は予測と検証だ。私がこれまで作った薬品、ベスティリア王国で感染症対策に作った新しい薬品も含めて、どれが効果的かを調べていく。
もちろん、私一人の力では解決できない難題だ。宮廷で働くお医者さんや、同じ薬師の方々とも連携して対処する必要がある。
私は皆さんに意見を聞くために部屋を出る。少し不安ではある。私は悪い意味で有名で、シルバート殿下の婚約者になってからも日が浅い。私のことを快く思わない人間だっているはずだ。
聖女でありながら国を抜けた薄情者、なんて思われていたらどうしよう……とか。思いながら足取りが重くなる。やっぱり一人で……ダメだ。
私一人の力なんてたかが知れている。お姉様のように、祈りで奇跡を起こせない私にできることは、みんなと協力して特効薬を作ること。
そのためにここへ来たのだから、今さら怖気づいてどうするの?
「……そうだよね」
頑張ろう。頑張らなくちゃ。
次に殿下と顔を合わせた時に、いい報告ができるように。






