35.恋が始まる
「いい加減その手を離したらどうだ? 彼女が困っているだろう?」
「そうかな? 僕には喜んでいるように見えるけど? どうかな? アストレア」
「え、あ、えっと……」
嫌です、とはさすがに言えない。
私はまごまごしながら返答に困る。
すると殿下が呆れながら、少し怒ったような表情で言う。
「俺の婚約者をからかうな。そろそろ本当に怒るぞ」
「おっと、それは嫌だな。僕の親友は怒るとすごく怖いんだ。君も気を付けたほうがいいよ」
そう言いながら王子は私の手をそっと離した。
「安心しろ。俺を怒らせるのは今も昔もお前一人だ」
「光栄だね」
王子はニコッと微笑み、殿下は三度目の呆れた表情の後で微笑む。
なんだか通じ合っているように見える二人。
友人らしいやり取りを前に、フロイセン王国とベスティア王国は、王族同士も仲がいいという話を思い出していた。
どこまで事実か確かめる術がなかったけど、ようやくハッキリする。
「来るならもっと早く教えてくれてくれないと困るぞ」
「ごめんね、急に会いたくなったんだ。婚約を決めたって聞いて、居ても立ってもいられなくてさ」
「お前には婚約前に伝えただろう」
「聞いてたよ? だから自分の眼で確かめたくなったんだよ」
この二人のやり取りは、紛れもなく友人のそれだった。
友人の少ない私でも、二人の仲の良さがわかる。
なぜなら殿下が自然体で接しているから。
特別な瞳のせいで、他人を信用できず、常に一線を引きながら接している殿下が、ラインツ王子の前では気を張っていない。
それがわかったから、あの噂は事実なのだと確信した。
ラインツ王子が私に視線を向ける。
「改めてこんにちは、ラインツ・フロイセンだよ」
「は、初めまして! お会いできて光栄です。ラインツ王子」
「そう固くならなくていいよ。今日はお忍びで、彼の友人として遊びにきただけだからね」
そう言われても、緊張してしまうのは当然だろう。
王子様が二人、目の前にいる。
私だけが場違いみたいで落ち着かない。
「本当に婚約したんだね、シルバート」
「すると話したはずだぞ」
「知っているよ。でもやっぱり意外だなー、君は運命とか筋書きには否定的だったのに。やっぱり君でも運命の人には惹かれるのかな?」
「運命の……?」
「ラインツ、あまりペラペラとしゃべるな」
「おっと、この話はデリケートだったね」
二人だけが理解できる話をされて、私はキョトンと首を傾げる。
運命の人とか、筋書きだとか。
王子は殿下の眼について知っている様子で、そのことについて話しているように聞こえる。
だとしたら運命の人というのは……。
「アストレア、場所を変えよう。ニーナと話して、お茶の用意をしてもらえるか?」
「は、はい」
「もし君が嫌じゃなければ、またあの紅茶を淹れてほしい」
「もちろんです。用意いたします」
疑問は浮かんだけど、殿下に求められた嬉しさで心がいっぱいになった。
それから私は先に書斎を出る。
◇◇◇
「婚約者にお茶の準備をさせてるのかい?」
「彼女が進んでやってくれているんだ。彼女の淹れてくれる紅茶は格別だぞ?」
「へぇ、楽しみだな~ それにしても、随分と仲良くやっているみたいだね」
二人きりになり、ラインツは壁にもたれながら笑みを浮かべる。
「あの子が、君が見た未来で、君が心から愛している相手なんだよね?」
「……そうらしい」
「他人行儀だな」
「実際まだそこまでの関係じゃないからな」
「そうかな? さっき僕が彼女に触れたら、見るからに不機嫌になっていた癖に」
「……」
図星をつかれたシルバートはムスッとして目を背ける。
それが微笑ましくて、ラインツは笑う。
「恋とか愛に興味がない。一生縁がないとか言っていた君が、一人の女性に惹かれ始めている……親友として見守らずにはいられないね」
「余計なことを言わないでくれよ。彼女にはまだ、俺が見た予言のことは伝えていないんだ」
「みたいだね? そんなに恥ずかしいのかい? いいじゃないか、彼女も君のこと、随分と信頼しているように見えたよ」
「そうだろうか」
「わかっている癖に」
ラインツの悪戯な笑顔に、シルバートはため息をこぼす。
彼の持つ特別な眼は、眼帯で隠していても、相手の感情を把握する。
故にわかっている。
アストレアが好意を抱いてくれていることも。
「……彼女はわかりやすいからな」
「そこも魅力的なんだろう?」
「わからない。俺はそういう気持ちには疎い」
「頑固だな~ 認めてしまったらスッキリするのに、いや、恥ずかしがり屋なだけか」
アストレアがシルバートに好意を向けるように、彼もアストレアに惹かれ始めていた。
自覚はしている。
予言で見た自分の未来と、少しずつ表情が重なっていくことに気付いていた。
「……ラインツ」
「なんだい?」
「俺は彼女に……求めてもいいのだろうか」
「いいと思うよ。互いに惹かれ合っているのなら、迷うことなんてないさ」
シルバートが他人との関わりを避ける理由。
嫌な感情が見えてしまい、相手の思惑が見え透いてしまうから……だけではない。
心が見える。
心意が伝わる。
好意も、悪意も、簡単に移り変わることを知っている。
特別な眼を持っている故に、シルバートは関わることを恐れていた。
惹かれているからこそ、好きになった相手に、拒否されてしまうことが怖くて。
「心配いらないよ。君はもう知っているはずだ。君が求める未来は、すぐそこにあるって」
「……ああ」
良くも悪くも、彼の人生は特別な眼に翻弄されていた。
それを疎ましく思ったことは多々ある。
「こんな眼など、捨ててしまいたいと何度も思ったんだがな……今ほど、あってよかったと思うことはないな」
「ははっ、どっちが乙女なのかわからなくなるね」
「……まったくだ」
呆れたようにシルバートが笑う。
彼は思いもよらなかった。
よもや自分が、誰かの思いにドキドキしたり、悩んだりすることに。
彼もまた、恋を始めていた。
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