27.奇跡を呼ぶ香り
こぼさないように慎重に。
ハーブティーの入ったポットと、人数分のティーカップをプレートに乗せて運ぶ。
屋敷に使用人が少なくてよかった。
今の姿を見られたら、きっと何をしているのかと不安がられる。
私はゆっくり、音を立てながら研究室の扉の前に立つ。
「あ……」
ここで両手が塞がり、自分では扉が開けられないことに気付く。
仕方ないので声を少しだけ張って、中にいるニーナに呼びかけることにした。
「ニーナ、ごめんなさい。扉を開けてもらっていいかな?」
「――アストレア様? かしこまりました」
ガチャリと、扉が開く。
「ありがとう」
「お帰りなさいませ――! アストレア様、それは」
「ハーブティー、淹れてきたの」
「アストレア様がですか?」
「うん。ちょうどいい時間だし、少し休憩にしましょう」
驚くニーナにニコリと微笑みかけ、私は研究室の中に入る。
ウィンドロール家での研究室は、いろんな道具とか資料が乱雑に置かれていて、テーブルの上はとても汚かった。
今も資料の数は同じなのに、ちゃんと置き場が確保されている。
すべてニーナが整頓してくれているおかげだ。
私は運んできたポットとティーカップをテーブルの上に置く。
「書斎に行かれたのではなかったのですね」
「うん、ごめんね。これを淹れに行きたかったんだ」
「お茶でしたら、言っていただければ私がご用意させていただきました」
「そう言われると思ったから黙ってたんだ。私が淹れたかったの。頑張ってくれているニーナに飲んでもらいたくて」
と言いながら、少し恥ずかしい。
ニーナはちょっぴり驚いたような顔をしていた。
私はカップにハーブティーを淹れていく。
「この香り……ハーブですか?」
「うん。三種類のハーブを混ぜたもので、疲労回復の効果があるんだ。これを飲むと元気になれて、夜もしっかり眠れるの」
「それをわざわざ、私のために淹れてくださったのですか?」
「えっと、迷惑……だったかな?」
私は不安げに弱々しく尋ねる。
よかれと思ってやったことだけど、もしも迷惑に感じられたら悲しい。
すると、ニーナは優しく微笑んで、嬉しそうに言う。
「いえ、初めてのことで驚きましたが、とても嬉しいです」
「よかった」
心からホッとしている。
「どうぞ」
「ありがとうございます。では一口」
再び緊張する時間がやってくる。
味には自信があるけれど、他人に振舞ったことは一度もなかった。
美味しいと思っているのが自分だけだったらどうしよう。
そんな不安も、ニーナの表情を見て消えていく。
「美味しいです」
二度目の安堵で声が漏れそうになる。
どうやら自分の味覚は信じてもよさそうだ。
誰かに作ったものを振舞うのはドキドキして、心臓に悪い。
その分、喜んでもらえた時の嬉しさも格別だけど。
「本当にアストレア様が淹れてくださったのですか?」
「うん。キッチンの道具を借りて……変だった?」
「いえ、むしろ変なところは一つも。私が淹れるよりも上手くできていると思います」
「そ、そんなことないと思うけど」
さすがに普段からやっている人たちには敵わない。
私のは見様見真似で、誰かに振舞うことなんて考えていなかったから。
手つきだって素人よりちょっぴり上手い程度で、メイドさんや執事さんに比べたら全然、と思っていたけど。
「こんなにも美味しいハーブティーは初めて頂きました。何か特別なハーブを使われたのですか?」
「ううん、普通のハーブだよ。配合も簡単で、それぞれ一対一になるように淹れるだけ。あとは普通の淹れ方と一緒だから」
「そうですか。今度自分でも試してみようと思います。このお茶は十分、お客様にもお出しできるものです」
「そうかな? 覚えていてよかった」
本職の人にも認められるなんて思わなかった。
私の小さな努力が報われた瞬間だ。
「お茶の淹れ方はご自身で勉強なされたのですか?」
「うん。ウィンドロール家で少し、身の回りのことは自分でやらないといけなかったから。お料理とかお菓子作りも少しならできるようになったの」
「素晴らしいですね。私も見習いたいです」
なんだかむず痒い。
褒められ慣れていない私には、ニーナの言葉が全て嬉しくて、恥ずかしさも感じる。
ふと、殿下のことを思い浮かべる。
ニーナにも認めてもらえた。
もし機会があるのなら、殿下にも飲んでもらいたい。
お仕事で忙しく、今は外出されていると知っているのに、なんとなくカップも三つ用意してしまった。
またの機会にしよう。
そう思った時、奇跡のようなことが起こる。
「アストレア、入ってもいいか?」
「殿下? どうぞ!」
殿下の声が聞こえて、思わず身構える。
部屋の扉を開けて中に入ってきたのは、間違いなく殿下だった。
今日は夕方ごろにお帰りになるという話だったのに。
「お邪魔するよ」
「お帰りなさいませ、殿下。お仕事はよろしいのですか?」
「ああ、早く終わった。いい匂いだな」
殿下がハーブティーの香りとポットに気付く。
私が淹れました、と自分がいうのを躊躇って、口元がもぞもぞする。
そんな私に助け舟を出すように、ニーナが口を開く。
「アストレア様が淹れてくださったのです。とても美味しいハーブティーを」
「アストレアが?」
「は、はい。その、もしよければ殿下もお召し上がりになられませんか? 疲労回復の効果があるので、お仕事の疲れも……」
「ああ、ぜひ頂くよ」
「はい!」
さっそくチャンスが巡って来た。
私は用意した三つ目のカップにお茶を注ぐ。
時間もそれほど経っていないからまだ温かい。
「どうぞ」
「ああ」
殿下が私の淹れたハーブティーに口をつける。
それだけのことでドキッとする。
僅かな不安を拭いたくて私はニーナに視線を向ける。
彼女は私の不安を察してか、大丈夫ですよと小声で言ってくれた。
そして一口飲んだ殿下は。
「美味しいな。心も温まるようだ」
「――あ、ありがとうございます!」
嬉しい言葉を口にしてくれた。
おかげで私の心もポカポカと温かくなる。
たかがハーブティーを淹れただけ。
これも以前からやっていたことの一つだけど、こうして努力は芽吹く。
私が積み重ねてきたことは、何も無駄じゃなかったと教えてくれるように。






