31
リーゼロッテはクリーム色に袖口の広がったドレス、髪をクレメンスに貰ったペールグリーンのリボンで結んでいる姿でパーティー会場にいた。
背後の大きなホールではきらびやかなパーティーが現在も進行中だ。
今日現在、ティモシーの誕生日パーティーが行われているのだ。
もちろん婚約発表もあった。
選ばれたのはレイナだ。
ちらりとホールを見回すと、豪奢なシャンデリアがキラキラと光を弾いて笑いさざめく人達を照らしている。
そこにはジュリアもズールもいない。
ジュリアは校内で大きな攻撃魔法を使ったことで退学となった。
退寮日まで部屋に籠って出てこなかったらしいので、クレメンスに髪を切られたことが余程ショックだったのだろうかと思う。
ズールは家の事情で自主退学ということで学園を去っている。
ネックレスをリーゼロッテに渡しただけならそこまで大きな咎めはなかったけれど、宝物庫から持ち出されたものだと知っていたらしく、それなりに厳しい沙汰が下るらしい。
主犯だったウォルウィッシュ夫人は内密の命令により、戒律の厳しい修道院へ入ったと聞いた。
かなりの温情らしいけれど、最北にある修道院なのでほぼほぼ牢獄みたいなものだ。
贅沢好きには堪えるだろう。
ウォルウィッシュ侯爵は何もしていないけれど自分の妻の犯行なので責任を取り莫大なお金を払ったうえで侯爵の座を退いたと聞いた。
しばらくはクレメンスとユリーアの後見人として、ウォルウィッシュ侯爵の弟が中継ぎをするそうだ。
全部ふんわりとしか結果を知らないのは、クレメンスが詳しくは教えてくれなかったからだった。
「リーゼロッテ嬢」
「殿下」
グラスを片手に挨拶まわりをしていたティモシーが声をかけてきた。
「来てくれてありがとう」
「いいえ、婚約おめでとうございます」
心からの祝福に、ティモシーは苦笑した。
「選べなくてすまないね。君のことはクレメンスと一緒にいる姿から妹みたいに感じていたんだ」
「いもうと」
思わず反芻してしまう。
「だから、つい他の二人より構ってしまった」
苦笑するティモシーの言葉にそれであんなに親し気にしてくれたのかと思い至る。
(そりゃ婚約者になんて選ばれないわ)
なるほどと頷き。
「納得です」
さっぱりと頷いた。
「バラ祭りのことでクレメンスにも誤解させて申し訳なかったよ」
「クレメンス?」
何故ここで幼馴染の名前が出るのだろうと首を傾げると、ティモシーはくすりと小さく笑って声を潜めた。
「『思わせぶりな事をしたのに何故リジーじゃないんです』って言われたよ」
ティモシーの言葉に思わず会場内で挨拶をしているクレメンスへと目線を向けた。
「ホント、過保護なんだから」
嬉しくもあり思わず口元が緩んでしまった。
「私からもいい加減言葉にしろとは言ったけれどね」
なんのことだろうと思いながらも、ティモシーがそれじゃあと離れていくとリーゼロッテはバルコニーへと出た。
よく晴れているので、会場の熱気で火照った体に風が気持ちいい。
ぼんやりとしていると。
「人に酔った?」
リーゼロッテを追いかけてきたクレメンスがバルコニーに姿を現した。
「そんなんじゃないわ、平気よ」
肩越しにクレメンスを見やれば、濃紺の上着に黒いトラウザーズとシックにまとめられた服装だ。
「体が冷えるよ、リジーは風邪に無頓着だから」
言って、クレメンスは上着を脱いでリーゼロッテの肩にかけた。
途端に温かくなった肩に、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「もっと沈んでると思ってた」
婚約者に選ばれなかったことだろう。
そりゃああれだけ婚約者になると息巻いていたのだ。
落ち込んでると思われても仕方ないと思う。
「ううん、スッキリしてる。自分の本当の気持ちがわかったから」
ふふ、と笑って空を見上げれば半月の月がぼんやりと浮かんでいる。
少し雲があるから星は見えにくいが、月だけはちゃんと見える。
「リジー」
呼ばれて横に並んだクレメンスの方を見れば、幼馴染がゆっくりとその場に片膝をついた。
跪いたクレメンスにリーゼロッテが目を丸くすると。
「月が綺麗だね」
「それ……」
いつかの愛してるという言葉を秘めたセリフ。
驚くリーゼロッテに、クレメンスは少し苦笑いをして彼女を見上げた。
「こんな君の状態の時に言うのは卑怯だってわかってるけれど」
一度口をつぐむと、ありったけの想いを言葉に乗せたようにクレメンスは告白した。
「出会った頃から君が好きだ」
思わぬ告白に、リーゼロッテは咄嗟に何も言えなかった。
まさか、好きだと自覚したばかりの相手から愛を告げられるなんて、思ってもみなかったのだ。
「侯爵家の跡取りなら、もっといい家との縁談が来るでしょ。ちゃんとした婚約者として」
愛の告白は嬉しい。
だけど現実なんて優しくない。
クレメンスから目をそらすと、右手が温かいものに包まれた。
それを見下ろすと、クレメンスの手がリーゼロッテの右手を柔らかく握っている。
顔を見やると、悪戯を思いついた子供のような顔で笑っていた。
「ないよそんなの。婿に行く予定だから」
「は?」
「リジーの家に婿入り予定。ご両親にはもう許可を貰ってる」
晴天の霹靂だ。
そもそも嫡男が婿入りってどういうことだ。
リーゼロッテはポカンとまぬけに口を開いた。
「あんた侯爵家は?」
「父は最初から僕に継がせる気はなかった。自分より魔力があって王族付きが約束されてる息子にこれ以上何も与えたくなくて」
「え、じゃああの家どうするの?」
「僕とユリーアが卒業したら、叔父上が中継ぎでなく正式に侯爵となるよ。父はそっちの方がマシみたい。よっぽど僕が嫌いなんだろうね」
「嘘でしょ、最低野郎すぎる」
思った以上に父親がクズだった。
眉間に皺を寄せるリーゼロッテとは対照的に、クレメンスは笑っている。
笑い事じゃない。
「だから、僕も自由にする」
その結果がリーゼロッテに婿入り。
思い切りがよすぎる。
「でもあんたジュリアのことが……あれ?婚約断ってたんだっけ」
「リジー落ち着いて、僕は彼女のことをなんとも思ってない」
「だってミモザのハンカチ、ジュリアが持ってた」
「彼女が?いつも持ち歩いてたら落としたんだ。リジーに言い出せなくて、ごめん」
へにょんと眉を下げたクレメンスに、リーゼロッテは頭の中で思わずジュリアを罵倒していた。
「それはいいけど、あれ燃やされちゃったわよ。ジュリアに」
「え!」
ハンカチの行方を教えてやると、クレメンスは鈍器で頭を殴られたようなショックな顔をしたあとに、眉をキリキリと吊り上げた。
口の中であいつなどと呟いている。
「落ち着きなさい」
ぺしんと目の前の頭を小さく叩いて。
「バラ祭り二人で行ってたじゃない。キスしたんでしょ」
ムッとした声で言うと、驚いたようにクレメンスが声を上げて立ち上がった。
「してないよ!」
「嘘」
「嘘じゃない」
クレメンスが必死に言いつのることに、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「どうしたら信じてくれる?」
眉を下げたクレメンスにリーゼロッテはそうねえと呟いて、目線を向けた。
「私にキスでも出来たらね」
お祭りでもないのに真面目なクレメンスがこんなところで出来ないだろうとツンと顎を上げると、クレメンスが驚いたように息を飲んだ。
その様子に、ほら出来ないじゃないと言いかける。
けれどそれが口から出るより先に肩をそっと掴まれてクレメンスの綺麗な顔が近づき、羽根のように軽く頬へと唇が当てられた。
「へ……」
思ってもみなかった行動に、思わず頬に手を当てクレメンスの顔を見上げる。
そこにはどこか熱を孕んだアメジスト色の眼差しがあった。
「できるよ、リジーにキス」
「ば……ばか!手の甲よ!」
まさか頬にされるとは思わず、一気にリーゼロッテの頬は真っ赤になった。
「え!ご、ごめん!」
リーゼロッテの言葉に一気にクレメンスも動揺してしまうと、パッと勢いよく手を離した。
まさかの勘違いに、うわ、とかごめん、と動揺をしっぱなしのクレメンスに、このお堅い男が慌てるくらいだからジュリアにキスをしたのではないと信じることにした。
「いいわよ、信じるわ」
リーゼロッテの言葉にクレメンスがほっと息を吐く。
けれどどうしてとリーゼロッテは首を傾げた。
「好きじゃないなら、何でわざわざバラ祭りに行ったのよ」
ビシリと指さすと、途端にクレメンスはバツの悪い顔で視線を逸らした。
「誤解させるような行動とってた僕が悪いんだ。それに関しては、彼女にも悪いことをした」
「そういや謝ってたわね」
「リジーが殿下とバラ祭りに行くってなったから、殿下はてっきりリジーを選ぶんだと思って……」
「バラ祭りは行ったけど、髪に挿してもらってないわよ。次の日に他の二人とも時間とるって言ってたし」
「うん、殿下に聞いた」
しゅんと肩を落としたクレメンスに、リーゼロッテは苦笑を浮かべた。
こんな情けない幼馴染を見るのは初めてで、色んなことへの溜飲が下がる気がする。
「あ!もしかしてクッキー受け取らなかった理由も?」
「……うん、リジーから距離を取ろうと思って」
肩を落としたままのクレメンスに、リーゼロッテは呆れたように溜息を吐いた。
「何でわざわざ」
「リジーが殿下に選ばれたあとも幼馴染として傍にいることは、僕には無理だと思ったから」
リーゼロッテはぽかんと口をさっきから開きっぱなしだった。
「それって、私を好きだから?」
「うん、好きな子が他の男と一緒になるのを見るのは、やっぱり辛いよ」
「それでいろいろと小言を言ってたの?」
思い当たり、だから母親のように口うるさくしていたのだろうかと問いかけたけれど。
「小言?」
さっぱり意味がわからないと言うようにクレメンスは首を傾げた。
「化粧するなとか、派手な服着るなとか」
「それは、肌が丈夫じゃないのに化粧したり、普段の淡い色が似合うのに無理に派手なのを着たりするからだよ。殿下は関係ない」
クレメンスの主張に、リーゼロッテは思わず半眼になって幼馴染を見やった。
「つまり小言は素で言ってたのね」
不思議そうに小首を傾げるクレメンスに、ふうとリーゼロッテは肩を降ろして呆れたような口調でそういえばと口を開く
「あんた殿下に何であたしじゃないんだって詰め寄ったそうね」
「僕はリジーの夢が叶うと思ったから身を引いたんだ」
固まってしまったリーゼロッテに、クレメンスは眉を下げて頼りなげな表情を浮かべた。
「王家でも侯爵家でもないけど、王族付きの魔法使いは高給だ。ずっと腕を磨いてその地位を維持し続ける。リジーの安泰を守って見せるよ。だから……僕じゃ駄目かな?」
迷子の子供。
そんな表情だった。
それを見て、じわじわとリーゼロッテの頭に先ほどの告白がようやく届く。
頬が途端に赤くなって、心臓が早鐘を打ち出したことにリーゼロッテは胸を押さえた。
この幼馴染は本当にリーゼロッテのことが好きなのだ。
そう考えると湯気が出そうなほど体まで熱くなる。
父親が何と言おうと嫡男なのだから正当な主張で侯爵家の当主にだってなれるのに、それを蹴ってリーゼロッテに婿入りしたいと願うなんてと、嬉しさとか愛おしさとかがどんどん溢れた。
「あんた……バカねえ」
ドキドキとする胸を押さえたまま、不安そうな表情のクレメンスにリーゼロッテは一歩近づいた。
そしてそっとクレメンスのビスクドールのような頬に触れると、その手にリーゼロッテより大きな手が重ねられる。
「もう一回言って?」
熱を持った眼差しで見つめれば、もう一度跪いたクレメンスが同じように熱を孕んだアメジスト色で見上げてくる。
「月が、綺麗だね」
うれしい。
リーゼロッテの胸の中はその言葉以外なかった。
それでも長年の幼馴染への態度を今さら変えるのも照れくさくて。
「死んでもいいわ」
クレメンスにはわからない意味合いで返事をした。
言われた彼はきょとんと目を丸くしている。
その顔が面白くて、リーゼロッテは身を屈めるとその頬に小さくキスをした。
一気に頬を赤く染めたクレメンスに、してやったりと思う。
今は素直になれないから。
素直に好きだと言えるまで待っていてと思う。
その時は、そう遠くないから。




