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 朝日の差し込んだ部屋のなか、リーゼロッテはむにゃりと意識を浮上させた。

 ぼんやりする視界で、パチパチとまばたきを繰り返していると頭が冴えてくる。

 横になっている自分の隣にある、クレメンスのビスクドールのような整った寝顔を、リーゼロッテはじっと見つめた。

 その寝顔は、涎が垂れているなんてこともなく少しだけあどけない。


「そういえば、この顔を見飽きたことないな」


 ぷに、と薄い唇を人差し指でつついて悪戯をすれば。


「ん……」


 髪と同じ濃い黒紫の睫毛がふるりと震える。


「リジー?」

「おはよ」


 かすれた寝起きの声に挨拶をすれば、クレメンスが眉をひそめた。


「体の調子は?」

「え?」


 言われてガバリと起き上がると、確かに服がまたひとまわりほど大きくなっている。

 リーゼロッテがひとまわり小さくなったせいだ。


「そういえば、喋りにくい」


 舌足らずになってしまう自分の話し方に、リーゼロッテは呆然としてしまう。

クレメンスがリーゼロッテの右腕を掴んで袖をまくり上げれば。


「花が咲いてる」


 リーゼロッテが呟いた通り、つぼみだった模様のひとつが花開いていた。


「これ、最後どうなるのかしら」


 うっすら背中を震わせたリーゼロッテに、クレメンスは急いでベッドから降りた。


「今日は図書室に籠るよ。リジーは今日は食事をしたらすぐに部屋に帰って。絶対部屋から出ないで。夜になったら一度戻るから」

「う、うん」


 不安そうに頷くリーゼロッテの頭をひと撫でされる。

 一度洗面所に行き急いで身支度を整えたクレメンスが、バサリとローブを羽織りながらベッドに座っているリーゼロッテに跪いてそっと両手を取った。


「かならず呪いを解く方法を探すから」


 祈るようにぎゅっと小さな手を握る体温は、少し低い。


「無理はしないのよ」

「うん、それじゃあ」


 最後にもう一度だけリーゼロッテの手を強く握ると、クレメンスは足早に部屋を出ていった。

 残されたリーゼロッテは先ほどまでクレメンスが寝ていた場所に、ボスリと倒れ込んだ。

 この先自分がどうなるのか怖い。

 けれど、どうしてかクレメンスといると安心出来た。

 今だって、寝乱れたシーツにはクレメンスの匂いが残っている。

 それにスンと鼻を鳴らすと。


「大丈夫、私は大丈夫」


 言い聞かせるように何度も呟いた。

 そのままシーツに残った体温に導かれるようにもう一度眠って、次に目が覚めたのは昼時だった。

 さすがに、くぅとお腹が鳴る。


「お昼食べに行くか」


 少しぶかぶかなオレンジのドレスを着て、髪をクレメンスから貰ったリボンで結び直すと部屋を出て食堂に向かい出した。

 そこではたと気づく。


「クレメンスったら昼ご飯を抜いてないわよね」


 ありえる。

 過保護気味の男がリーゼロッテから丸一日離れると言うのだから、食事も抜きで根を詰める可能性がある。

 だったら持って行ってやるかと、リーゼロッテは食堂で頼んで昼食をバスケットに詰めてもらった。


「まったく、食べなきゃ回る頭も回らないわよ」


 ほてほてと図書室まで歩いて出入口から室内を見た。

 昼休み中だが、人気はあまりない。

 足を踏み入れると書物の独特の匂いが鼻をくすぐって、床に敷かれた赤い絨毯が足音を吸い込んでいく。

 奥まで行くと、本棚に囲まれたテーブルにクレメンスがいたが、一人ではなかった。

 載せられるだけ載せている文献の山が置かれたテーブルについているクレメンス。

 その横に、ジュリアが頬を染めてバスケットを差し出していた。

 顔を上げたクレメンスの表情はここからは見えないが、舞い散る埃が窓辺の光りを弾いて二人を照らしている。

 そして、しなだれかかるようにジュリアがクレメンスを抱きしめた。

恋人同士の仲睦まじげな様子に見える。

リーゼロッテははっと小さく息を飲むとくるりと二人に背中を向けた。

 大股で出入口へと歩いても、絨毯のおかげで足音はしない。

 何故か、ドキドキと胸がざわつくのが自分でも不思議だった。

 思わずせっかく用意したバスケットを見下ろした。


「なによ、気をきかせる必要なんてなかった」


 ポツリと唇を尖らせる。


「そうよね、婚約者候補だもんね。バラ祭りでも……」


 脳裏にはクレメンスがジュリアにバラを挿す姿が焼き付いている。

 どうしてこんなに胸がざわつくのかわからず、リーゼロッテは図書室を出たところで足を止めた。


「なによ……」


 眉を下げて自分の足元を見て、ぼんやりともう一度口の中で呟いた。


「どうしたんだい?」


 聞きなれた声をかけられ顔を上げると、そこにはティモシーが図書室に向かってきたところだった。

 手には古そうな本を何冊も持っている。


「殿下」

「クレメンスに用かい?呼んで来るよ」

「いえ、違います!」


図書室に入ろうとするティモシーに慌てて声を上げる。

 それに不思議そうにティモシーはリーゼロッテの方へ向き直った。

(たしかに、クレメンスに用があると、思われるわよね)

 しかし今は会いたくない。

 リーゼロッテは一度瞬きすると、にっこりと笑みを浮かべティモシーにバスケットを差し出した。


「殿下に、差し入れです」


 言うと、ティモシーは瞳をゆるやかに和ませた。


「そうか、ありがとう。君は大変な時なのに。このあいだ会った時より小さくなっているし。僕も文献を漁っているんだけどね。今日受け取ったものが宝物庫にまつわるものらしいから、手がかりが手に入るかもすれない」

「そうなんですね。私のほうこそお手をわずらわせて、申し訳ありません。」


 バスケットを受け取ったティモシーに、おべっかでなく真剣にリーゼロッテは頭を下げた。

 クレメンスと二人でずっと自分を元に戻す方法を探してくれているのだ。

 ありがたいと心底思っている。


「それじゃあ」


 もう一度ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとしたところで。


「よかったら一緒にどうだい?」

「え!」


 思いもよらない言葉にリーゼロッテは声を上げた。

 またとない絶好のチャンスだ。

 どうしよう、と思ったのはほんの少しだった。


「いえ、私は遠慮いたします」

「そうか、それじゃあ差し入れありがとう」

「はい」


 別れを告げてパタパタとその場を後にする。

 角を曲がったところで立ち止まると、リーゼロッテは長い溜息を吐き出した。


「断っちゃうなんて……」


 せっかくのチャンスだった。

 けれど、どうしてもティモシーにすり寄る気分になれなかった。


「はあ」


 この自分が好機を逃すなんて。


「そういえばお姫様抱っこされたっけ」


 以前図書室でティモシーに抱き留められたことを思い出した。

 思わずスンと虚無顔になってしまう。


「ああいうのは私には向いてないわ」


 乙女心がまったくわからない自覚はあるので、ときめくということもした事がないのだ。

 クレメンスにも抱き上げられたことを思い出し、なんだか胸がざわざわして恥ずかしくなり落ち着かなくなった。


「最近体調悪い気がするな」


なんだか急に気持ちが落ち込んだりしてしまう。 


「クレメンスもあの人お姫様抱っことかするのかな」


 ぽつりと零れた言葉は思わずといった感じで、リーゼロッテは自分で自分の考えにダメージを受けた。

 抱き上げるのはもちろん、甲斐甲斐しく世話をやいている姿だって簡単に想像がついてしまう。


「どうせ私は手のかかる幼馴染で、あっちは可愛い婚約者候補よ」


 幼馴染より婚約者候補の方が大事に決まっている。

 もしかしたら本物の婚約者になるかもしれないのだから。

図書室で見た光景を思い出すと胸がシクシクとした。

 苛立ちでもない。

 どちらかと言えば悲しいとかそういうものだと思う。

けれどリーゼロッテは何故そんな気分になるのかわからなかった。


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