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朝食の席でクレメンスとティモシーが難しい話を顔を突き合わせてしているのを、リーゼロッテはスープをスプーンでくるくる混ぜながら何とはなしに聞いていた。

小難しい話はリーゼロッテにはわからないので、何となく食堂を見回すと人垣の向こうに食事をしているジュリアを見つけた。

友人はいないのか、一人で食事をしている。

昨日の閉じ込められたことや暴言を思い出すと、ムカムカと腹の内に不快感が渦巻いた。

 食事の手を止めてしまったリーゼロッテに、会話を止めたクレメンスが声をかけてくる。


「どうかした?」

「ちょっと食欲がなくなっただけよ」

「え!」


 リーゼロッテの言葉に、クレメンスが大げさと思えるような声を上げた。


「リジー、熱でもあるの?具合が悪いとか」


 すかさずサッと額に手をやられ、どういう扱いだと憤る。

 ティモシーの手前大丈夫だと言うだけですませたけれど、クレメンスがリーゼロッテの食い意地が張っていると思っていることがよくわかった。

 あながち間違ってはいないけれども。

 結局クレメンスがいらぬ心配をするので食事をすべて胃に収めた。

 食欲がなくなったなどと言っておいて、しっかり完食してしまったのだが。


「じゃあ図書室に行くけど、フラフラせずに部屋に帰るんだよ」

「わかってるわ」


 昨日の倉庫に閉じ込められたことを気にしているのだろう。

 大丈夫だとひらひらと手を振ると、クレメンスとティモシー二人の背中を見送った。

 今二人は後で補講を受ける代わりに授業を特別免除してもらっているらしい。

 リーゼロッテも同じくだ。

 後日補講かあとげんなりするけれど、下手したら死んでいる可能性もあるのだと思うと、無事に戻ったら甘んじて真面目に受けようなどと思っている。

 男子寮へ帰ろうと近道の中庭を突っ切っていると、歩幅が小さくなったせいで歩く距離が伸びたうえに。


「なんか歩きにくいな」


 幼い子供は頭の方が重いこともあり転ばないようにと思うと、歩くのが意外と難しい。


「昨日はそんなでもなかったのに……」


 確実に赤ん坊へと近づいている。

 そのことにリーゼロッテは小さな手を握りしめた。

 ドクドクと心臓が早鐘を打ち出したけれど、それを押さえるようにふうと長い深呼吸をした。


「風邪のひとつもひかないなんて、男性に付きまとう女は図太いのね」


 最近すっかり聞きなれた声に、リーゼロッテは嫌々振り返った。

 そこには思ったとうりジュリアが腕を組んでリーゼロッテを睥睨している。

 関わりたくないんだけどなと思っていると、ジュリアがくすりと笑った。


「あら、顔色が悪い。昨日のは堪えたのかしら?」

「そんなんじゃないわ」


 顔色が悪いのは閉じ込められたからではなく、呪いのせいだ。

 ジュリアに弱みを見せるなんて絶対に嫌だと思う。


「悪いけどクレメンスがすぐに助けに来てくれたから、問題なんてなかったわよ」


 言わない方がいいだろうとは思ったけれど、いい加減ストレスが溜まってきているのだ。

 ジュリアの前で猫をかぶる必要もない。

 皮肉気に笑みを浮かべると、ジュリアが唇を噛んだのがわかった。

 リーゼロッテの言葉と表情に、つかつかと目の前まで来るとジュリアはひゅっと右手を振り上げた。

 殴られる、と思ったのは勘違いだった。

 実際は魔法を使われた。

 ざくりと右頬をかまいたちのようなものが襲い、まろい頬に一筋傷をつけた。

 ちくりと痛みが走った瞬間、バサリとフィッシュボーンに編んであった髪が肩のあたりで切り裂さかれ、パサリと地面に落ちる。


「あの方にふさわしいのは私なの!王子付き候補になるほどの魔力と二属性の魔法、美しい外見。あんたなんか何も持ってないじゃない!もうあの方に近づかないで!この事言いつけたら、次は髪じゃすまないから!」


 言うだけ言って、ジュリアは苦みを含んだ表情のまま去ってしまった。

 残されたリーゼロッテは落ちた髪の毛の束を拾い上げて、小さく溜息を吐く。

 別にクレメンスに言う気はなかったので、髪を捨ててそのまま寮に戻った。

 クレメンスの部屋に戻って姿見を見ると、右頬は小さく血が滲んでいたがごしりと一度拭うと、リーゼロッテは手当する気にもなれずベッドの上に寝転んだ。


「婚約者候補、か」


 クレメンスに婚約者候補がいると知ってから、どうにもその事を考えるともやもやとする。

 実際に婚約しているわけでもないし、聞く限り釣り書きを送っても断られているらしいけれど。

 それでも胸の中がグルグルと渦のようなものを巻いて気持ち悪い。


「私って案外、クレメンスに依存してるのかな」


 考えてみれば自分にはクレメンス以外に特別親しくしている人物はいない。

 その事を考えると、ますます胸が気持ち悪くなった。


「私より先に結婚したら、承知しないんだから」


 ポツリと呟いて、目を閉じる。

 このベッドは小さな頃から慣れ親しんだクレメンスの匂いがする。

 それが今の不安定な状況でも、なんだか安心できてしまい変なのと思いながら、リーゼロッテは意識を手放した。

 それからどのくらい経っただろうか。

 ガシャーンと音がしてリーゼロッテは飛び起きた。


「え!なになに?」


 慌てて辺りを見回すと、部屋の入口に佇んだクレメンスの姿がある。


「なんだクレメンス……って、あー!それ私の昼食よね!」


 気を利かせて持ってきたらしいトレーや食事がクレメンスの足元に落ちているのを見て、リーゼロッテは目を剥いた。

 思わず叫んだが、大股で入ってきたクレメンスにガッと両頬を掴まれる。

 むぎっと変な声が出た。


「誰にやられた!」

「ひぇ」


 見た事のない剣幕で顔を覗き込んでくるクレメンスは、ギラギラとした眼差しだ。

 綺麗な顔に激怒を浮かべているので迫力が半端ない。

 しかしリーゼロッテはジュリアのことを言う気はなかった。


「リジー!」

「たいしたことじゃないし、言う気もないわ」


 キッパリと言い切ったリーゼロッテに、ぐっとクレメンスは顎を引いた。

 リーゼロッテが一度口にした事を曲げた事はない。

 問い詰めても言う気はないのだと気づき、リーゼロッテの頬から手を離してはあと溜息をついた。


「手当はさせてくれ」


 ふわりともう一度頬に触れてくる手を拒まずに、リーゼロッテは小さく目線をそらした。

 淡い光がぽうっとクレメンスの触れた部分に集まり、切れていた皮膚が塞がっていく。


「ありがと、あのさ」


 ハンカチのことが気になって口を開こうとしたけれど、今さら聞いても仕方ないし意味はないと自分の中で結論づけて、結局聞くのをやめた。


「リジー、言う気は……ないんだね」

「ないわ」


 もう一度だけ確認してきたクレメンスに、目をそらしたままリーゼロッテは肯定した。

(弱音は吐かない。他人に殺されたような人間なんだから、今日みたいにいつ何されるかわからない)

 クレメンスが自分を傷つける人間だとは思っていない。

 むしろ味方だと思う。

 それでも。


(信じられるのは自分だけよ)


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