24
翌朝、珍しく早朝に目を覚ましたリーゼロッテはふあとあくびをして、隣を見た。
すよすよと眠っている幼馴染の寝顔は無防備だ。
机の上にある時計へ上半身を起こして見やれば、まだ六時。
「もう少し寝れたわね」
思わず唸ったけれど、もう眠れそうになかった。
「散歩にでも行くか」
よいしょっとベッドから降りてこそこそと身支度を整える。
クレメンスを起こすわけにはいかない。
昨日も何冊も本を持ち込んで遅くまで読んでいたようだから。
そっと部屋を出て寮の外へと行くと、んーっと両腕を上に伸ばした。
まだほんのり暗い色の空ともうすぐ梅雨だから冷えた空気。
雲が広がっているので、今日は雨が降るかもしれない。
出てきたついでに部屋へ暇つぶしの物でも取りに行こうかと思い、女子寮の方へと歩き出した。
女子寮へ行く道をショートカットしようと、両の裏手へ続く人気のない道を歩いく。
建物が見えてきたところで、そこに見覚えのある人物が立っていることに気付いた。
そこには黒い髪を巻いた女子生徒。
ジュリア・ラフラガの姿があった。
「うーわー」
見つかりたくない。
思わず眉を顰めてしまう。
けれど寮の玄関に行くにはジュリアのいる場所を通らなければいけないので、彼女が立ち去るまで隠れていようと木の陰にひっそりと身を潜めた。
「朝っぱらから何してるのかしら」
人の事はいえないけれど。
そっと影から視線を向けると、ジュリアは手に持っていた布を睨みつけていた。
その布を見て思わず声が上がりそうになり、慌てて両手で口を押さえる。
ジュリアの手にあったのは、以前リーゼロッテがクレメンスに渡したミモザの刺繡がされたハンカチだった。
見間違えるはずがない。
あの不安を煽るような虫の集合体にしか見えない刺繡は、間違いなくリーゼロッテが刺したものだ。
「なんでジュリアが持ってるの……?」
クレメンスが渡したのだろうか。
でもリーゼロッテのあげたハンカチをわざわざジュリアに渡す理由が見つからない。
悶々としていると、ジュリアがハンカチをぽいと上へ放り投げた。
次の瞬間、風が吹いてハンカチをザクリと切り裂いた。
(ちょっとー!それめっちゃくちゃ苦労したのよー!)
思わず胸中で悲鳴を上げる。
けれどそれだけでは終わらなかった。
切り刻まれたハンカチが地面に落ちる前に炎に包まれ、塵になったのだ。
「こんなみっともない、みずぼらしいもの!」
塵になったハンカチの落ちた場所を更に踏みつける姿に、リーゼロッテはそっと木の陰から元来た道を戻った。
「あれ、かなり頑張ったんだけどな……」
クレメンスだって褒めてくれたのだ。
「いらなくなったのかしら」
ジュリアのみっともない、みずぼらしいという声が耳にこだましてリーゼロッテは眉を下げて息を吐いた。
とぼとぼと男子寮のクレメンスの部屋に戻れば、幼馴染はまだ寝ている。
ベッドに寝ているクレメンスの顔を覗き込んで見れば、綺麗な顔に似合わない隈がうっすらとある。
それを指先でなぞると、クレメンスが小さく身じろいだ。
「ハンカチ、あんたがあげたの?」
小さく呟くけれど、答えはない。
「クレメンスにあげたものだから、どうしようとあんたの勝手よね」
結論はそれだった。
どうして手元に置いてないのか、だとか何故ジュリアが持っているのだとか聞きたかったけれど、知らないふりをしようと決意する。
もう一度寝よう。
目を閉じていれば眠れる筈だとクレメンスの横に潜り込み、彼が目覚めるまでうとうととリーゼロッテは浅い睡眠をとった。
ようやく起きたクレメンスにさも今起きたというふうに装っていると、幼馴染はなんとも言えない顔でリーゼロッテを見下ろした。
「なに?」
「体に違和感や気持ち悪いところはない?」
「平気よ」
心配気な様子は仕方ないかと内心リーゼロッテは嘆息した。
「あんた人に対して過保護気味なの治した方がいいわよ」
「リジーは今いつもとは違う体なんだよ。気を付けるに越したことはない」
はあ、とため息を吐かれる。
自分がそこまで危なっかしく見えるのかと内心プリプリしながら、リーゼロッテは食堂に向かうために部屋のドアを開けた。
部屋の外に一歩を踏み出しかけて。
「うわ」
ふわりと体が浮いた。
リーゼロッテをクレメンスが抱き上げたのだ。
「ひぇ」
そのまま廊下を歩きだしたクレメンスに、リーゼロッテは何だか恥ずかしくなってきた。
抱き上げられたことでクレメンスの背の高さだとか、意外としっかりしている腕だとかに意識がいってしまうので、眉間に皺を寄せてぽかりと目の前の胸を叩く。
びくともしなかったが。
「下ろしなさいよ」
「今のリジーの歩幅に合わせるのは大変だから」
「ぐうっ」
平均よりも長い足を持つクレメンスに言われてしまえば、大人しくなるしかない。
もう一度ぽかりと胸を悔し紛れに叩いたが、吐息で笑い返されただけだった。
食堂に着いて食事を二人揃って食べ始めたが。
「リジーついてる」
口元の食べカスを、横に座ったクレメンスに拭われてリーゼロッテは唇を尖らせた。
「食器が大きくて食べにくいのよ」
「仕方ないよ、子供用はないんだから」
大きなスプーンで四苦八苦している姿をクレメンスが微笑ましそうに、甲斐甲斐しく世話をしていると。
「クレメンス様、ご一緒してもいいでしょうか。あら?」
クレメンスの背後からジュリアがトレーを両手に持って声をかけてきた。
ざわざわとした喧噪のなか、食堂の隅にクレメンスのことを探しに来たのだろう。
彼の返事を聞く前にリーゼロッテの存在に気付いて、ジュリアは片眉を上げた。
「悪いが遠慮してくれ」
はっきりと拒絶の言葉を口にしたクレメンスに、言い方!と思いながらもリーゼロッテは口を挟むことはやめておいた。
意地が悪いが、クレメンスが断ってくれたことにほっとしたからだ。
ジュリアは目に見えて驚いたあと傷ついた表情をしたが、それでも一歩前に踏み出してくる。
「親戚のお嬢様ですか?でしたら私も挨拶を……」
言いかけてジュリアの言葉はすぼまった。
おやと見上げてみると、真っ青な顔でリーゼロッテを見つめている。
「ちょっと待って……!まさかあなた」
大声で口を開いたジュリアに、まさかバレたのかと思い。
「あの」
「君には関係ない。遠慮してくれと言ったはずだ」
大声を上げるのはとリーゼロッテが声をかけるよりも、硬質なクレメンスの返答の方が早かった。
「けど、でも、クレメンス様、その子」
「関係ない、と言ったはずだ」
ジュリアが言いすがろうとしたが、クレメンスはにべもなくバッサリと会話を断ち切った。
この態度はいいのかと思ってしまうと、クレメンスはジュリアを静かに見上げた。
「それから、誤解させる行動をして申し訳なかった。これからは距離を置かせてもらう」
「な、それは……!」
二の句が継げずにジュリアは体を震わせた。
(誤解ってなんだろ)
何かジュリアにしたのだろうかと思いながらさすがに不憫に思いちらりと目線をやると、彼女は青い顔で唇を噛みリーゼロッテを睨みつけていた。
(こわっ)
思わずわずかに体をそらす。
「し、つれい、しました」
ぎこちなく頭を下げるとテーブルから離れていったジュリアに、クレメンスは一瞥もくれない。
「あのさ、あれバレたんじゃない?」
どう見ても自分を見て動揺していたジュリアのことをひそひそと囁くと、クレメンスはそうだねと頷いた。
「まあ王子付き候補になる程度の魔力があるなら、そのネックレスの禍々しさに気付かない方がおかしい。加えて僕が傍にいる女の子なんてリジーしかいないからね。少し考えればわかるよ」
「ふうん」
生返事を返しながら、面倒なことにならなきゃいいなと思いつつリーゼロッテは食事を再開したのだった。




