21
しばらく横になっていたが立ち上がる気力がわかなくて、熱い脳内に意識を手放してしまおうと思っていると、窓の方からガッと何かが乗り上げる音がした。
でも、もうどうでもよくてそのまま倒れていると。
「リジー、リジー!」
ぐいと抱き起されたので、ゆっくりと目を開くとそこにはいつになく焦った顔のクレメンスがいる。
パチパチとまばたきをして見上げると、クレメンスの手が額へと当てられた。
「熱があるのに窓を開けたままなんて駄目だよ、いや助かったけど」
いつものお小言に、なんだか安心して我知らず口角が上がる。
「リジー?」
「なんでいるの?」
呼び出そうとしたけれど、結局呼ばなかったのに。
「緊急用の便箋が来たんだよ。インクが落ちてるだけだったから何かあったんだと思って」
インクがつけば自動的に転送される仕組みだったらしい。
よくできているなと思いながらも。
「呼んでないわ」
天邪鬼な意地っ張りが顔を出して、クレメンスの手をぐいとはねのけた。
「リジー」
「勉強で忙しいんでしょ」
言い切ると、クレメンスが小さく眉根を寄せた。
その顔はどこか苦しそうで。
(なんであんたが傷ついた顔してるのよ)
訳が分からない。
「……昼間はごめん、君を傷つけた。謝るから何があったのか教えて」
眉を下げて苦しそうに言うクレメンスに、リーゼロッテは少し溜飲が下がった気分でクレメンスの腕から抜け出て、そのナイトドレスの絡まった小さな体で両手を広げた。
「知らないわ。ネックレスつけたらいきなりこうなったのよ」
「ネックレス?」
リーゼロッテの言葉に下げていた眉を戻して、クレメンスは彼女の胸元で仰々しく光るネックレスに視線をやった。
そして即座に眉を顰める。
「どこで手に入れたの?もの凄く禍々しい魔力を感じるよ」
「ティモシー殿下から貰ったの」
「殿下から?」
ほらとメッセージカードを見せると、それを受け取りクレメンスは目を走らせた。
そしてため息ひとつ。
「リジー……これは殿下からじゃないよ。殿下を装った別の誰かが用意したものだ」
「うっそ」
驚愕の事実に、呆然とリーゼロッテは顔から血の気を引かせた。
「殿下の証印が押されていない。王家の者が用意したものなら証印が押されているはずだ」
「じゃあ、いったい誰が……」
「それはわからないな」
クレメンスがゆるく首を振る。
ズルズルと落ちてくる袖をまくり上げながら、リーゼロッテが溜息をついたときだ。
「リジー、それ」
「え?」
指をさされて右腕を見やると。
「なにこれ」
そこには白い肌に蔓の模様が浮かんでいた。
その蔓にはつぼみが六つと、花が一輪ついている。
「これ、ネックレスのせい?」
「おそらく」
こくりと頷くと、顎に手をやってクレメンスは考えこんだ。
そんな幼馴染を不安そうに見上げると。
「とりあえずここにいるのはマズイ。僕の部屋に行こう」
確かにここでリーゼロッテが見つかれば、大変な騒ぎになるだろう。
こくりと頷くと。
「淑女が男の部屋に来るのは不謹慎だけど、仕方ない」
「あんたお堅いわね……」
クレメンスの言い分に思わず半眼になった。
「と、その前に」
ヒタリと額に手のひらを当てられる。
熱い顔に、クレメンスの体温はいつもより低く感じた。
ぽうと体が淡い光に包まれると、体がスッと楽になった。
どうやら不調を治してくれたらしい。
「あんた熱も治せるのね」
「軽いものならね。重症なのは無理だよ。とりあえず急ごう」
リーゼロッテの事は明日誤魔化すことにしようと言って、クレメンスは小さくなってしまった幼馴染を抱き上げた。
「ちょっ」
「舌を噛むから黙ってて」
言うなりクレメンスは風を操って三階のリーゼロッテの部屋から飛び降りた。
「ひえっ」
思わず首にしがみつくと、紫がかった黒髪が頬に当たる。
その柔らかい髪に思わず体をのけ反らせると、今度は無駄に整った綺麗な顔を間近に見るはめになった。
「うわっ」
こんなに近くで顔を見たのは初めてだ。
「リジー?」
アメジスト色の瞳が不思議そうにリーゼロッテの緑の瞳を覗き込む。
思わずべちんと顔を遠ざけるように、小さな手で頬を押さえつけてしまった。
「何するんだよリジー」
「何でもないわ!いいから早く連れて行って」
何故か熱くなる耳を不思議に思いながら、リーゼロッテはぴしゃりと声を上げていた。
クレメンスの部屋に戻り床に下ろしてもらうと、ようやく顔が離れたと何故か無駄に疲れた気分で安堵した。
きょろりと部屋を見回す。
ベッドに机に姿見と本棚。
「女子寮と変わらないのね」
「そりゃそうだよ」
ぼふりとベッドに腰かけたリーゼロッテは、そのままバタンと後ろに倒れた。
「にしても誰なのよ、こんなもの贈ってきたの」
足をジタジタ動かすと、すかさずはしたないよと声が飛んでくる。
しかし今はやさぐれているので、勘弁してほしい。
けれど、どこかくすぐったい感覚に機嫌がよくなった。
「ところでリジー、その足どうしたの?」
何のことだと言われてクレメンスの視線の先を追いかけると、足先へと注がれていた。
そこには結局靴擦れしてマメの潰れたところにガーゼを貼っているのだ。
「ああ、結局靴擦れしちゃって、転んで膝も怪我するし最悪だったわ」
「膝も怪我してるの?」
眉根を寄せたクレメンスに体を起き上がらせてナイトドレスの裾を少し持ち上げると、ガーゼを貼った両膝が露わになった。
「わっ!はしたないよ」
慌てて顔を逸らすクレメンスに、膝くらいと不思議に思うが制服のスカートも普段の私服もそういえば膝下だったと思い当たる。
「別に膝くらいスカート短かったら出るし」
「そんな短いスカート履くつもりなの!?」
カッとクレメンスの頬に朱が走った。
「駄目だよそんなの!」
いつになく強い口調で言われてしまう。
それにリーゼロッテはひょいと肩をすくめた。
「はいはい足を冷やすとかって言うんでしょ、履かないわよ。持ってないし」
リーゼロッテが言い放つと、クレメンスが小さく口の中でよかったと呟いた。
「とりあえず怪我を治すよ」
「ありがと」
クレメンスの言葉に足と膝のガーゼを外すと、クレメンスが手をかざしてぽうと手の先が光る。
一瞬で治ってしまった怪我に、やはりジュリアとは実力が違うんだなあとマジマジと膝を見ていると。
「早く裾直して」
クレメンスに早口で注意された。
とりあえず言われるままにナイトドレスの裾を直した。
その時トントンとドアがノックされ、ぴしりと二人は固まった。
とりあえずリーゼロッテがどこかに隠れようと立ち上がったのと、返事を待たずに無作法者がドアを開けるのは同時だった。
鍵かけときなさいよ。
思わず心中で罵倒する。
「借りていた本を返しに来たよ、クレメンス」
入ってきた無作法者は、本を片手に持ったティモシーだった。
室内にいるはずのない幼女の姿を目に止めると、おやと眉が上がる。
「殿下、返事を待たずに入るのはやめてください」
「ああ、すまない。つい」
溜息をついたクレメンスに、悪びれることなくティモシーが答える。
「ところでその子は?」
ぎくりとリーゼロッテが身を固くしてクレメンスが口を開きかけたとき、ティモシーがポツリと呟いた。
「そのネックレス……」
「知ってるんですか?」
クレメンスの問いに、ティモシーがこくりと頷いた。
「確か古い本で昔見たな。前時代の物のはずだ」
「前時代……」
今より魔法や魔道具が盛んだったと聞いている。
まさかそんな古い物だとは思わず、リーゼロッテはネックレスを見下ろした。
「体のどこかにつぼみの模様が現れてないかい」
言われてハッと二人はリーゼロッテの右腕に目線をやった。
「これは何なんですか?」
「確か……花が咲くごとに若返るんじゃなかったかな。うろ覚えですまない、でもネックレスは外さない方がいいだろう」
リーゼロッテの問いにティモシーが首をひねりながら、しどろもどろに答える。
「なにぶん子供の頃に読んだ本だったから、あまり覚えていないんだ」
「じゃあもとに戻す方法は」
ごくりと喉を鳴らしたリーゼロッテに、ティモシーがすまなそうに眉を下げて首を振った。
「そんな……」
「殿下、ご多忙とは思いますがネックレスの事が載っていそうな本を確認させていただけないでしょうか」
絶望的に呟いたリーゼロッテの横で、真剣な顔でクレメンスが頭をさげる。
それに慌ててリーゼロッテも頭を下げた。
「ああ、城の者に言って古い文献を運んでくるように言っておこう。大体の本があった場所は覚えているが、どの本だったかまでは曖昧だから探すのは大変だろう。私も手伝うよ」
「はい、お願いします」
「お手を煩わせて申し訳ありません」
二人揃ってぺこりとさらに頭を下げた。
「それにしても」
ティモシーの視線に、ぎくりとリーゼロッテは身をこわばらせた。
もしかしたら、こんな物を贈られるくらい誰かに恨みを買っているかもしれないとわかったら、婚約者候補から外されてしまうかもしれない。
偽名でも言った方がいいかと思ったけれど、それは無駄だった。
「クレメンスの所にいるということは、君はリーゼロッテ嬢かい?」
ほぼ確信している声音だ。
「はい……」
観念して頷くと。
「なるほど」
ティモシーは何やら納得したように頷いている。
何に納得しているのかさっぱりわからないリーゼロッテだ。
「これは殿下の名前で贈られたものです。他の候補者全員にプレゼントが届いてないか確認していただけますか」
「そうなのか。そうだな、何か贈られているかもしれない」
こくりとクレメンスに頷くと、ティモシーはリーゼロッテへと目線をやった。
見上げる形のリーゼロッテは正直、首が痛くて仕方がない。
「しばらくはクレメンスと行動を共にするといい。私がごまかしておくから」
まあそうなるよなと思いながら、リーゼロッテはこくりと頷いた。
「では殿下、お願いいたします」
クレメンスが頭を下げるのに、慌ててリーゼロッテも再び頭を下げる。
「いや、かまわないよ」
ティモシーはじゃあと手を上げると部屋を出て行った。
しんと静まった部屋の中で、ぐうとリーゼロッテのお腹が鳴った。
「お腹すいたの?リジー」
「ああ、うん、そうね」
お菓子を作るために昼食もそこそこに終わらせたし、戻ってからは夕食も食べずに寝ていたのだ。
「あいにく何もないんだけど……」
そこで、あっとクレメンスが気づいたように声を上げた。
「何よ、非常食でもあるの?」
リーゼロッテの問いかけにクレメンスが言いにくそうに、ふいと視線を外してしどろもどろに口を開く。
「昼間のクッキーは?その、僕が受け取らなかったやつ……」
クレメンスの言いにくそうな言葉に、ああとリーゼロッテはあっけらかんと口にした。
「捨てたわよ」
「ええ!」
リーゼロッテの言葉にクレメンスが驚愕の声を上げる。
次いで、サーッと顔色を悪くした。
「僕が受け取らなかったから?」
「まあ、そうね」
何を顔色悪くしているのだろうと不思議にリーゼロッテは思った。
「てっきりリジーが自分で食べると……」
「あんたに作ったんだから、自分で食べるわけないじゃない」
何をおかしなことを言っているんだと思っていると、ガバッと勢いよくクレメンスが頭を下げた。
それに驚いて、リーゼロッテは思わず半歩後ずさる。
「ごめん!せっかく作ったのに受け取らなくて」
ぽかんとリーゼロッテはまぬけな顔で口を半開きにしてしまった。
あれだけはっきり拒絶したのに謝られるなんて、思ってもみなかったからだ。
「いいわよ別に、クッキーのことも覚えてないみたいだし」
肩をすくめたリーゼロッテに、クレメンスが眉をへにょんとさせた。
「……覚えてる」
「へ?」
「覚えてるよ」
今度こそリーゼロッテはあんぐりと口を開いて、まぬけな顔を晒した。
「ごめん」
「何でわざわざ覚えてないなんて言ったのよ」
問いかけると、言いにくいのか言いたくないのか、クレメンスは俯いて視線をリーゼロッテから外した。
「本当にごめん」
理由を言う気はないらしい。
ふうとリーゼロッテは呆れたように息をついて、腰に手を当てた。
「食べたかった?」
弾かれたようにクレメンスが顔を上げた。
一瞬、言おうか言うまいかといったふうに逡巡したけれど。
「食べたかったよ。後悔してる」
ポツンと部屋に呟きが落ちた。
それに留飲が下がって、リーゼロッテはふんと一度鼻を鳴らした。
「ならいいわ」
「……許してくれる?」
おずおずと見てくる幼馴染がちらりと機嫌をうかがってくるのに、リーゼロッテは仕方ないわねと頷いた。
「許すわ」
途端、パアッとクレメンスの顔が輝く。
「ありがとう、リジー!」
よほど嬉しいのか、よかったと安堵の息を吐くクレメンスだ。
(なんだ、虫の居所がわるかっただけなのね)
どうりでと納得した。
「でも、そしたら食べるものは何もないよ。朝まで我慢できる?」
どれだけ食いしん坊と思われているのだろう。
「当たり前じゃない。ちょっと小腹が空いただけよ」
「ならいいけど」
だったらと、クレメンスがおもむろにリーゼロッテを抱き上げてベッドへと下ろした。
「今日はもう寝よう、リジーはベッドを使って」
そっとベッドに下ろされてもそもそとシーツに入ると、リーゼロッテはポンポンと自分の横を叩いた。
「ほら、早く入りなさい」
「……リジー……まさか同じベッドで寝る気かい?」
クレメンスがわなわなと震える唇で問いかけるのに。
「当たり前じゃない」
「ふしだらだ!」
あっけらかんと言い切ったリーゼロッテにクレメンスが言い放つ。
それに、はあ?とリーゼロッテは眉を寄せた。
「何言ってんのよ、床で寝る気?」
「あ、当たり前だろ!」
動揺しているクレメンスの頬は赤くなっている。
「やめてよ気になるから。私だって鬼じゃないのよ、ほら何もしないから」
ぼふぼふぼふと、いささか乱暴に隣を叩く。
それにあ、とかう、とからしくなく動揺しているクレメンスは。
「そんな問題じゃ」
「いいから来る!もう眠いんだから。それに明日からネックレスのことを調べるんだから床で寝て寝不足なんて困るでしょ」
ぼふぼふぼふ。
来るまで寝ないぞという意思表示にさらに隣を叩くと、クレメンスは細く息を吐き出してのろのろとベッドに上がってきた。
「リジーと同衾なんて」
ぼそぼそと悪あがきをするクレメンスに。
「悪かったわね、隣にいるのが私で」
ふいとクレメンスに背中を向けた。
(ジュリアなら嬉しかったんでしょ)
もやもやと胸のなかにドス黒いものが広がっていく。
「そういうわけじゃ……」
クレメンスの言いづらそうな言葉に。
「スケベ」
「リジー!どういう意味っ?」
焦ったようなクレメンスの声が背後から聞こえたけれど、リーゼロッテはさっさと目を閉じて寝たふりをした。




