19
敷地に入ったところでようやくゆっくりとした歩調に戻すと、知っている声が聞こえた。
「わかっているの、ユリーア!」
おやと思って声のする中庭へと続く茂みに目をやると、ウォルウィッシュ夫人とユリーアが立っていた。
バラ祭りの最中で人気のない学園にわざわざ会いにきたのかと思って見ていると。
「候補者はすぐにでも減るのだから、もっと殿下にアピールしなさい!バラ祭りは例のブサイクと一緒に行ってしまったそうじゃない!」
ブサイクとはもしや私のことだろうかと、イラッとしながらもリーゼロッテはウォルウィッシュ夫人のとある言葉に引っ掛かりを感じた。
「減るってレイナ嬢は辞退でもするのかな」
自分が辞退などするはずがないので、消去法でそう考えにいたる。
しかし、ここまできて簡単に辞退するだろうかと疑問が浮かぶ。
「ああ、そうそうあれには近づいてないでしょうね」
「……お兄様には」
「兄なんて言わないでちょうだい、あんな汚らわしい魔性の子共」
ユリーアに皆まで言わせず、ぴしゃりと言い切る。
おそらくクレメンスのことを言っているのだろう。
(汚らわしいって、過激すぎない?)
父親もなかなか苛烈な印象だったけれど、母親も予想通りの気性にリーゼロッテは我知らず眉根を寄せた。
「とにかく殿下をたらし込みなさい!わかったわね!」
言うだけ言うと、ウォルウィッシュ夫人はツンと顎を逸らしてさっさとユリーアを置いて行ってしまった。
残されたユリーアは、いつものお人形のような無表情だけれども。
(なんか、寂しそう)
雰囲気だろうか。
どこか傷ついている印象を感じてしまった。
しばらく立ち尽くしていたけれど、その場を後に歩いて行くユリーアは制服姿だった。
「バラ祭り行かなかったのかな」
友人がいるようにも、一人で祭りを楽しむタイプにも見えないので、おそらく予想は当たっているだろう。
「……私も行かなきゃよかったかな」
我知らずぽろりと零れた言葉に、慌ててリーゼロッテは口を噤んだ。
そして今出た言葉を飲み込むように息を吸って心を落ち着ける。
「ダメダメ何落ち込んでるの。意味わかんない」
帰ろうと寮への道を再び歩き出した。
「お、おい」
背後からの声に、振り向くと。
「またあんた?」
そこにはズールが立っていた。
ただ、いつものように縮こまらずに、爛々とした目でリーゼロッテを見ている。
「王妃になるのは、ユリーアさんだって、い、言っただろ。殿下に近づくなって」
先ほどまでの二人きりを見たのだろうかと、思わずリーゼロッテの眉根が寄った。
「あんたに関係ないでしょ」
あまり機嫌がいいとはいえない気分だったので、突き放すように言うと。
「ぼ、僕には凄い人がつ、ついてるんだ。忠告をきかないと」
誰だよ凄い人って。
内心ツッコミをいれながらも、現在ズールの相手をする気力などなく。
「はいはい、わかったわ」
おざなりに返事をすると、リーゼロッテは今度こそさっさと寮の自室へと戻った。
毎年楽しいはずのバラ祭りは、今年は苦い気持ちにしかなれなかった。
□ □ □ □
ザワザワとした昼時の食堂へ向かっていると、スラリとした長身に黒いローブの後ろ姿を見つけた。
クレメンスだ。
今日はティモシーとは一緒ではないようで、一人で歩いている。
昨日、あの後ジュリアとバラ祭りをまわったのか気になったリーゼロッテは、その後ろ姿に声をかけようとして足を止めた。
「クレメンス様」
背後から声がして振り向くと、ジュリアがリーゼロッテを追い越してクレメンスに声をかけたのだ。
クレメンスが振り返ると、ジュリアが嬉しそうにいそいそと近寄っていく。
その光景に足が縫い留められたように動かなくなった。
ジュリアに目線をやったクレメンスがその後ろにいるリーゼロッテに気付いたけれど、リーゼロッテは普段のハキハキした彼女の口調とは正反対のおずおずとした声でクレメンスを見上げた。
「あの……お昼」
「……彼女と食べるから」
え、と思わずリーゼロッテはまぬけな声を出していた。
言うだけ言ってクレメンスはさっさと踵を返して食堂の方へと行ってしまう。
「本当ですか!嬉しい」
そのあとを追いかけるジュリアが、一瞬こちらを見て勝ち誇ったようにふふんと笑った。
そのままクレメンスの横に並んで食堂の人垣のなかへと行ってしまう。
リーゼロッテは呆気に取られて立ち尽くしていた。
結局、何だかもやもやしながらも昼食をとろうとカウンターで食事を取って席についた。
クレメンス達とは距離を取って、壁際でぽつんと座る。
よくよく考えれば、入学してからずっとクレメンスのいる状態で食事を取っていたので、一人で食べるのは初めてだと気づく。
「友達、作っとくべきだったかしら」
ぽつんと呟くけれど、すぐにその考えは四散する。
上っ面で喋って愛想笑いをするくらいなら、一人の方がマシだとフォークで付け合わせのポテトをつつく。
普段なら飛んでくるお小言が、今日はない。
それが物足りないと感じてしまい。
「いやいや、静かで何よりじゃない」
ぶんぶんと首を振る。
スカートで隠れているガーゼのついた両膝と靴擦れがズキリと痛んだ気がした。結局食事に手を付けずにリーゼロッテは食堂を出てしまった。
教室に戻りながら、ふと名案が思い付く。
「お菓子でも作ろうかな。何か機嫌悪いみたいだし」
クレメンスの態度がいつもと違うことに疑問に思っていたけれど、そんな答えに行きついた。
「そういえば、初めて一緒に作ったのはクッキーだっけ」
幼い頃の記憶がよみがえり、知らずリーゼロッテの口角が上がる。
「それにしよう」
名案だとにんまり笑い、リーゼロッテはその日の放課後に食堂の調理場を以前のように借りてクッキーを作った。
ラッピングしたクッキーを片手におそらくクレメンスのいるであろう図書室へと、意気揚々と歩いていく。
いつもお菓子を作ると喜んで食べていたから、きっと笑ってくれるだろう。
「なんかここ最近クレメンスのことばっかり考えてる気がするな」
まあリーゼロッテの知り合いなんてティモシーとクレメンスくらいだから仕方がないだろうと結論づけた。
図書館の両開きの扉の前に立ち、はたと立ち止まる。
「ジュリアが一緒だったらどうしよ」
思わず半眼になってしまう。
「その時は後にすればいいか」
そっと扉を開けてきょろりと中を見回すと、ほとんど人がいない。
紙とインクの独特な匂いのなか、背の高い本棚に囲まれた窓際の席にお目当ての男はいた。
周りには誰もいないことに、ほっと息を吐く。
図書室なので静かにと思いながらも弾んだ声が出た。
「クレメンス」
呼ばれて分厚い本から顔を上げたクレメンスがわずかに目を見張らせたけれど、それはリーゼロッテが気づく前に元の無表情へと戻った。
「静かに」
「あ……ごめん」
いつもの言葉のはずなのに抑揚なくぴしゃりと言われて、リーゼロッテは小さく謝罪した。
そして気づく。
クレメンスの表情がいつものぼんやりした雰囲気ではなく、最近よく見るどこか冷めた無表情なことに。
「これね、クッキー。懐かしいでしょ。初めて一緒に作ったやつ」
出鼻をくじかれたけれど、見てみてとずいとラッピングした袋を両手で差し出した。
けれど。
「悪いけど、覚えてない」
端的に切り捨てられた。
記憶力のいいクレメンスのことだから覚えているだろうと思い込んでいたリーゼロッテは、驚いて目を見開いた。
てっきり覚えていると思い込んでいたことに、少し恥ずかしくなって頬がカッとなる。
でも食べるでしょと言おうと口を開きかけたとき。
「それから勉強に忙しいんだ。話しかけるのは遠慮してくれ」
固い声音で突き放された。
思わず固まってしまったリーゼロッテに、クレメンスはすぐに視線を本へと落とした。
その態度は完全にリーゼロッテを拒絶している。
それが面白くなくて、リーゼロッテはぷいと顔を逸らして何も言わずに大股で図書室を後にした。
ズンズンと黒い雲の広がる中庭をラッピングされたクッキー片手に歩いていると、ゴミ箱が見えてリーゼロッテは立ち止まった。
以前ティモシーに作ったカップケーキは捨てようとしたところをクレメンスが食べてくれた。
「お菓子もったいないって言ったくせに。何よ」
ぽつ、と空からの雫が鼻先に当たった。
そのまますぐに雫が増えていき、ザアザアとあっというまに雨が降り出してリーゼロッテを頭から足先までぐっしょりと濡らしていく。
「……うそつき」
ぽつりと小さく呟いてラッピングされたクッキーをゴミ箱の中へと投げ捨てた。
ボスンと音を立てて底へと落ちていったのを見たら、何だか自分まで捨てられてしまった気分になってしまう。
そんなのは気のせいだと、リーゼロッテは走ることもせずとぼとぼと歩いて寮へと帰った。
濡れネズミになって部屋へと戻ると、靴を脱ぎ捨ててぼふんとベッドに倒れ込む。
ぐっしょりと濡れているけれどなんだかこのまま寝て、もやつく気持ちをリセットしたいと思いリーゼロッテはそのまま目を閉じた。




