18
そして迎えたバラ祭り当日。
リーゼロッテは薄い白のワンピースに髪には白いリボンをつけて、気合を入れてお洒落をした。
普段はしない化粧だってクレメンスの小言がないのをいいことにやっている。
気合を入れてワンピースに合わせて、ちょっとは大人っぽく見えるようにピンク色で踵の高い靴を履いて行った。
待ち合わせの噴水広場にはキラキラと水しぶきが光りを弾いて、その周りを小さな子供がきゃあきゃあ言いながら駆けていく。
屋台で肉の焼ける香ばしい匂いや甘いクレープなどの匂いが食欲をそそり、そこかしこの建物の窓や花壇に色とりどりのバラがある。
華やかなバラの匂いもあいまって、人の熱気がすさまじく盛況だ。
白いシャツにカッチリ目の青い上着姿のティモシーと合流すると、二人は連れ立って歩き出した。
「うん、毎年のことだけれどバラが美しいな」
「そうですわね」
満足そうに歩くティモシーに合わせて淑やかに笑うリーゼロッテだけれど、内心屋台に行きたくて仕方がなかった。
(美味しそうだけど、無理だよなあ)
ちらりとティモシーを見るけれど、屋台に興味を示すそぶりがないことにがっくりとリーゼロッテはうなだれた。
(クレメンスなら食べ過ぎって小言言っても一緒に食べてくれるのに)
思わず唇を尖らせかけて、まずいまずいと取り繕った表情を浮かべる。
けれどそう思った端からクレメンスのことが頭をよぎった。
(去年はバラクレープ食べたのよね。今年は無理かな)
つれづれと思い出を反芻しているあいだ、カツカツとレンガ畳みに高めの踵が当たるたびにリーゼロッテは内心悲鳴を上げていた。
履きなれない靴に、すでに靴擦れをおこしてしまい、歩くたびに激痛が走るのだ。
わずかにひょこひょこと足を引きずっていると、二十分ほど経ってようやくティモシーが歩き方がおかしいことに気付いてくれた。
「もしかして怪我をしたのか?」
バレたくはなかったけれど、気づいてもらえたのは助かったとこくりと頷く。
「すみません……」
「いや、私こそ気づかなくてすまない」
とりあえず座ろうと手を引かれてベンチへと誘導された。
座ってリーゼロッテが靴を片方脱ぐと、その踵と小指はマメがつぶれて血が滲んでいる。
「これは痛そうだな、消毒液を買ってくるから待っていてくれ」
「いえ、そんな、悪いです」
これ以上失態は犯せない。
平気ですと靴を履こうとした時だ。
「クレメンス!」
ティモシーが突然、人並みに声をかけた。
え?とそちらを見ると長身のクレメンスが人垣の向こうから、驚いた顔でこちらを見ている。
ティモシーが手招くので、クレメンスが眉根をわずかに寄せてこちらへと歩いてきた。
クレメンスなら怪我を治してくれるはずだと、リーゼロッテがラッキーと目を輝かせたのは一瞬だった。
「どうしました殿下」
「ちょうどよかったクレメンス、リーゼロッテ嬢が、おや」
学園の制服である黒いローブのままのクレメンスの横に、赤いワンピースにバッチリと化粧を施したジュリアが並んでいたのだ。
「デート中だったか、邪魔して申し訳ない」
「まあ殿下、デートだなんて」
まんざらでもなさそうにジュリアがにっこりと微笑む。
そういえば二人で約束していたなと思い、胸がモヤリとする。
「すまないがリーゼロッテ嬢が怪我をしてしまってね。治してあげてくれないか」
「怪我?」
ティモシーの言葉に、ピクリとクレメンスの睫毛が揺れる。
「あら、靴擦れね。背伸びしてしまったのね、慣れないものはやめた方がいいわ」
ジュリアがどこか勝ち誇ったような顔で、座っているリーゼロッテを見下ろす。
その言葉に、背伸びをしていた自覚のあるリーゼロッテはカッと顔を羞恥で赤くした。
「私が治しますね」
にこにことジュリアがリーゼロッテの裸足の足に手をかざす。
ぽうと光りが手の先から溢れて少しずつ傷が塞がっていく。
(クレメンスだったら一瞬で治るのに)
ゆっくりと再生していく皮膚を見ながらそんなことを思って、チラリとクレメンスへ視線を向けるとまるで興味がないようにこちらを見ていない。
内心腹が立ったけれどその理由がわからないし、ティモシーの前で悪態などをつけるわけもなくじっと黙っているしかない。
いつもなら一番に何か声をかけてくるのに。
それに表情も。
(普段のぼんやり顔じゃない)
見慣れた顔ではなく、リーゼロッテにも考えていることがわからない冷たい表情だ。
(こんな顔、見た事ない)
どうしてそんな顔をしているんだとか、何故リーゼロッテを無視するのかとか、色々聞きたいことが山盛りだった。
「はい終わったわ。あまり無理しては駄目よ」
まるで小さな子供に言い聞かせるような物言いのジュリアに、正直お礼なんて言いたくはなかったけれど二人の手前そんなわけにもいかずに。
「ありがとう」
小さくお礼を言った。
「いいのよ、気にしないで。それじゃあ」
立ち去るのならさっさと行ってくれと思っていると、ジュリアがさも名案が思い付いたとばかりにぽんと手の平を合わせた。
「せっかくなら少し一緒に回りませんか?」
「ああ、かまわないよ」
何を言ってるんだこいつはと思ったけれど、ティモシーがほがらかに了承してしまった。
(えぇ!こんな性格ブスと一緒にいたくないんだけど)
内心失礼な叫びを上げてしまったけれど、ティモシーが了承したのに文句を言う事ができるはずもなくリーゼロッテは小さく頷いた。
頷いたけれど、早々に後悔していた。
ジュリアが今日いかにクレメンスと過ごしたのかを嬉しそうに話すのを、胃がムカムカとしながら聞いているのだ。
当のクレメンスは相変わらず無表情で口を開かない。
胃がムカムカするのは何も食べていないからだろうかと思いながら、ジュリアが話す声を聞き流す。
「クレメンス様は本当に素敵なんです」
するりとクレメンスのローブを指先で撫でるジュリアに、とうとう不快感を覚えてリーゼロッテは立ち止まった。
「リ」
「リーゼロッテ嬢?」
クレメンスが何か言いかけたようだったけれど、ティモシーに名前を呼ばれてそちらを向いた。
「具合が悪いのかい?」
思わず胃を押さえていたことに気付き、慌ててリーゼロッテはパタパタと両手を振った。
「いえ!全然、大丈夫です」
「そうかい?ならいいけど」
にこりと愛想笑いを浮かべてティモシーに答えながら、クレメンスの方をこっそりと見やる。
(なに言いかけたのかな)
気になったけれど、クレメンスはふいとこちらから顔をそむけていた。
リーゼロッテは勘違いだったのだろうかと首をひねったときだ。
「やあ、そこのカップルたち、彼女の髪に挿してあげな」
沢山のバラが入った籠を下げた年配の女がティモシーとクレメンスにずいと花を差し出した。
強引に渡されたバラを持ったクレメンスに、ジュリアが頬を染めながら。
「クレメンス様、挿していただけますか?私、髪の毛が自慢なんです。綺麗でしょう?だからきっとバラも似合うかと」
恥じらい気味に、甘い声で催促した。
その声が何だかイラつく。
そういえば以前も髪を自慢していたことを思い出した。
クレメンスが何も言わず、ジュリアの髪に白いバラを挿した。
するりと長い指が黒髪に触れた瞬間、我知らずぐっと奥歯に力を入れていた。
それに気付き慌ててピタピタと頬を叩くと、ジュリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見ていた。
すいと右手をクレメンスの方へと差し出す。
キスを求めているのだと気づき。
「あたし!」
思わず大きな声を出していた。
クレメンスがわずかに目を見張ってリーゼロッテを見ている。
リーゼロッテはサッと目線を逸らしてクレメンスを見なかった。
どうしてか、見たくなかった。
「クレープ食べたくなったので、買ってきます」
苦しい言い訳をしてタッとクレープ屋の方へと小走りで向かう。
もしかしたらキスを邪魔したジュリアが睨んでいるかもしれない。
三人から少し離れるとトボトボと歩き、ついには立ち止まってしまった。
「なんなのよ、この気持ち悪いの」
病気なんかしたことのない健康優良児だ。
ここ最近の胃のモヤモヤや胸の気持ち悪さに、リーゼロッテははあと溜息を吐いた。
クレープを買うと言った手前、手ぶらで戻ることも出来ずに露店の方へと向かう。
沢山並んでいたらしばらく戻らなくていいのにと思ったけれど、あいにく並んでいる人がいなくてすんなり買えてしまった。
「戻りたくない……」
はあと再び 溜息が知らず出てしまう。
重い足取りでクレープ片手に戻ると、そこにはティモシーしかいなかった。
「おかえりリーゼロッテ嬢」
「お待たせして申し訳ありません。あの、二人は……」
ぺこりと頭を下げてからきょろりと視線を動かすけれど、二人の姿はどこにもなかった。
「ああ、見たいものがあるからとジュリア嬢が言ってね。二人でデートに戻ったよ」
「そ、ですか」
ぎこちなくも無理矢理に笑顔を浮かべて、よかったと思う。
(ジュリアに睨まれるのはごめんだもの)
デートに戻ったと聞いて胸に気持ち悪さがよぎったけれど、リーゼロッテはまたかと内心顔を顰めただけだった。
「すまなかったね、お腹が空いてるのに気づかなくて」
「あ!いえ、そんなことは」
淑女らしくないことをしてしまったという事に気付き、しまったと歯噛みする。
ティモシーの前では失敗してばかりだ。
気を張って猫被って疲れてしまうなと、ちらりとティモシーを盗み見る。
(クレメンスといたら楽なのにな)
考えて、いやいやと思う。
クレメンスは現在進行形でジュリアとデート中だ。
自分もティモシーに集中しなければと思い直す。
「はい、リーゼロッテ嬢」
「え……と」
気を取り直してティモシーに向き直ると、彼はリーゼロッテに白いバラを差し出した。
髪に挿さないのだろうかととまどいの表情を浮かべると、ティモシーは申し訳なさそうに眉を下げた。
「髪には挿せない。すまないな、まだ婚約者は決まってないから波風を立てるわけにはいかない」
なんだそれ。
リーゼロッテは頭の中が真っ白になっていく感覚を感じながら、それでも口を開いた。
「でも、デートしてるってみんな思うんじゃ……」
「ああ、大丈夫。バラ祭りはまだ続くだろう?明日の午前はユリーア嬢、午後はレイナ嬢と時間をとってある」
朗らかに笑うティモシーに、リーゼロッテは。
「そう、ですか」
微かに震える唇で返事をすると。
「私、帰りますね」
「そうかい?」
不思議そうなティモシーに送っていくと言われたけれど、リーゼロッテはそれを断った。
カツカツと早足で人気のない方へと歩いていると、ドンと背中に何かがぶつかってリーゼロッテは膝から転んでしまった。
「気をつけな」
どうやら人にぶつかられたらしい。
「あ……」
座り込んだまま気づくと、手に持っていたクレープをレンガ畳みの上に落としていた。
その時についたのだろう。
リーゼロッテの着ていた真っ白なワンピースに赤いジャムがベッタリと付いてしまっている。
「うそ……」
これではもう着れないだろう。
もう片方に持っていた白いバラも地面に落ちていて、人の足に踏まれてしまっていた。
黒く汚れてヨレヨレになって転がっている。
まるで今の自分みたいだと思い、のろのろと立ち上がる。
「いたっ」
転んだ時に怪我をしたのだろう両ひざが痛み、また靴擦れしたのか足も痛む。
踏んだり蹴ったりな気分だった。
思わず瞳にじわじわと水分が膜を張ってきたけれど、ぐいと乱暴に手の甲で拭ってしまう。
「泣くな、泣いても何も変わらない」
自分にそう言い聞かせて、リーゼロッテは靴を脱ぐと両手に持って歩き出した。
白いワンピースに赤いジャムをつけて靴を両手に歩く姿は滑稽だろう。
恥ずかしさだとか情けなさとか沢山の感情があったけれど、リーゼロッテはそれら全部に蓋をした。
そうだ。
泣いても何も変わらなかった。
どれだけ借金取りに泣いて土下座しても。
過労で吐いて涙が滲んでも。
刺されて死ぬ間際に涙が零れても。
何も変わらなかった。
リーゼロッテは、頭を空っぽにして色んな感情を振り切るように大股の早足で学園へと帰った。




