39:悲しい自覚
今さら聞くのも気まずい感じだったけど、聞いてみるとやはり、ミハイル様は最初から捕らえられてなどいなかったそうだ。
最初から、わたしたちの助けなど必要なかったのだ。
まずミハイル様は、中にどんな人間がどれだけいるかも分からない怪しげな屋敷に不用意に近付くような真似はなさらなかった。
遠くからのこの屋敷を見渡せる街の高台から、屋敷の出入りを観察しつつ、忍び込む機会を窺っていたらしい。
そこにノコノコと現れたのは騎士団員丸出しのノイン君と、王宮内でもある程度顔の知れたヒーストン伯爵家のメイドのリゼ。
折角の待ち伏せを台無しにされては敵わないと、見張っていた場所から急ぎ駆け付けたミハイル様。
しかし、到着した頃にはすでにノイン君が野盗たちと大立ち回りを始めていたため、なし崩しでそこに加勢をする羽目に。
そのさなか、地下からこだました男の奇妙な叫び声を聞いたミハイル様は野盗の後を追い、この地下室を見つけたというのが事のあらまし。
そのあとは、わたしが鏡の中から覗き見たとおりだ。
一旦地下室を離れたのは、残りの野盗の相手をするためだった。
ちなみに、野党たちはミハイル様とノイン君の二人だけで全部片付けてしまったらしい。
「団長が無事だったのは良かったですけど、そういう話なら、せめて俺たちには行先を教えて行ってくださいよ。っていうか、そんな泥臭い偵察任務、俺たちに命じてくだされば良かったのに」
ミハイル様が全てお一人で進めようとなされた理由は、その返事を聞く前からなんとなく想像が付いていた。
正式な王命で行われている極秘の研究を、無断で勝手に探ろうというのだから、下手をしたら反逆罪に問われかねない。
とても騎士団の正規任務とは言えない危険な活動に、ノイン君たちを関わらせたくなかったのだろう。
「──しかし、この様子では当てが外れたな」
「どういうことですか?」
「ここはおそらく引き払われた後なのだ。王から成果を急かされている状況下で、このように研究が放置されているはずがない。私が見張っている間もこの屋敷には全く出入りがなかった。秘薬の調合自体はすでにどこか別の場所に移って行われているのだろう」
「では……、このかたは……?」
わたしは、床で寝息を立てている彼に目を向けた。
「捨てられたのだろうな。やせ衰え、正気も失っているが、この男は捜索願いの出ていた魔法士のヘンクという男に違いない。家族に何と言ってやれば良いか……」
「このかたの身に、何があったのでしょう?」
「メフィメレス家の秘術に関しては以前から推量している考えはある。が、ここに残された書や実験の書き置きを調べればもっと詳しく分かるかもしれん。こうなった以上、エッガースたちにも打ち明け、皆で協力して当たろう。下手を打てば逆賊となるのは俺たちの方だが、手伝ってくれるか、ノイン?」
「もちろんですよ。この国のためでしょ? それに団長の恋の成就も掛かってますからね」
ノイン君が無邪気そうにヒヒヒと笑う。
ミハイル様とわたしはともに気まずくして口をつぐんだ。
「ん? ミハイル様は分かるけど、なんでお前まで赤くなるんだ?」
へ、変なところだけ目敏いわね、ノイン君は。
こんな薄暗い場所で顔色なんて分からないでしょうに。
「こら。ずっと注意しようと思っていたが、ちゃんとリゼ殿と名前をお呼びしろ。私にとっては大恩のあるかただぞ」
ミハイル様がゴチンとノイン君の頭に拳骨を入れる。
「あいてっ。……すみません、リゼさん」
「リ、リゼで、結構ですよ。急に改まって話されると居心地が」
適当に応答しながら、わたしは頭の中で忙しく考えを巡らせていた。
ノイン君はともかく、ミハイル様には正直に打ち明けるべきだろうか。
わたしが、本当はリゼではなく、アシュリーだということを。
道義的にはそうすべきだと分かっているのに、打算的なわたしがその邪魔をする。
ここにいるのがアシュリーだと知られたら、ミハイル様にまた、我が身を顧みない無謀をしたと呆れられてしまう気がした。
今度こそ、愛想をつかされ、お父様となされた婚約の話も白紙に戻されてしまうかもしれない。
「それと、前にも言ったが、あの夜のことは忘れるように。きっちりと。完全に」
「はぁい」
なおも叩かれた頭を擦りつつ、ノイン君が返す言葉は明らかな生返事だ。
いつも自分が怒られる一方のミハイル様をからかう材料ができて調子に乗っている。そんなふうに見えた。
「お前にからかわれるのが嫌で怒っているのではないのだぞ? アシュリー嬢のお命が懸っているのだ。万が一、俺が個人的な感情で彼女に肩入れしているなどという噂が立てば、俺や騎士団が彼女を擁護し、メフィメレス家を糾弾する正当性が疑われてしまう。どれほど真実を並べようが、そうなってはお終いだ」
お父様も、王侯貴族の世界は心証と根回し、それによって形作られる世論や空気感で決まる世界だとおっしゃっていた。
それを狡猾にやってみせたのは、あの婚約破棄の場で被害者の演技をしてみせたヴィタリスだった。
ミハイル様のお言葉を聞いて改めて身が引き締まる。
ノイン君も一転して神妙な顔付きに変わっていた。
「けど、団長……。もしもですよ? 全部上手くいって、アシュリー嬢の嫌疑が晴れたら……。そうなったら彼女、またリカルド王子とよりを戻すことになったりしないですか?」
「ノイン……」
「だって全部嘘なんですから、婚約を破棄する理由がないでしょ? あのお二人の相思相愛は誰もが知るところですよ。いくら団長でも、相手が悪いっていうか──」
「ノイン、お前が気にすることではない。俺たち騎士団が為すべきはこの国を守ることだ。それに、あの二人が幸せになるのなら何も悲観することはない。納まるべきところに納まる、それだけのことだ」
あ……、そうか……。
二人の話を横で聞きながら、そうなのだと思った。
普通はそう。そうなのだ。ノイン君のように考えるはず。
わたしは、自分の潔白が証明され、事が全て落ち着けば、そのあとわたしはミハイル様に娶られることになると思っていた。
だれど、全てのことがヴィタリスとメフィメレス家の企みだったと分かれば、きっとわたしはリカルド様から改めて求婚を受けることになる。
いくらお父様とミハイル様の間で約束があろうとも、わたしとミハイル様の婚約は、今はまだ内密の話に過ぎない。
リカルド様から復縁を求められるなら話は別だ。
王族からの求婚を断る理由はない。
お父様ならきっとそう考える。
だって伯爵家にとってはその方が絶対に良いことだもの。
そして、ミハイル様も、きっと始めからそのことは分かっていらしたんだわ。
ノイン君に諭すように言って聞かせるその声音で分かってしまった。
互いに身体を入れ替えるだなんて、不思議で特別な体験と秘密を共有したことから、わたしはミハイル様と特別な関係になったように感じていたけれど、とんだ思い上がりだった。
ミハイル様が、危険も厭わず、こうしてメフィメレス家の企みに立ち向かっておられるのは、何もかもこの国を守るためなんだ。
最初から。それ以外にあり得ない……。
ミハイル様の姿を借りて王宮の中庭でお話ししていたときに見た、リカルド様の悲しげな表情が脳裏をよぎる。
リカルド様はわたしに対するお心を残されている。
それは非常にありがたい、身に余る、光栄なことだ。
身に覚えのない罪を被せられ破棄された婚約が元通りになるのなら、それは喜ばしいことに違いない。
だけど今は……、いつの間にかわたしは、ミハイル様に心を奪われているのだった。
自ら婚約を切り出すような慎みのないわたしの性格を知りながらも、それでも変わらず好意を寄せていただいることにも。
意外に無鉄砲な性格だったのだなと笑われたことにも。
わたしはリカルド様との間にはない、心休まる関係性を感じていた。
そのことが今はっきりと自覚できた。
リカルド様との愛を天秤に掛けるような不敬を犯して、ようやくそのことが分かった。
分かったのと同時に襲われた、この喪失感に似た悲しい感情は……、きっとその罰なのだと思った。




