18:ミハイル様、ヴィタリスに襲われる
あれからどうやってリカルド様と別れたのかはよく覚えていない。
気が付くと、わたしは一人で王宮の回廊をさまよい歩いていた。
歩きながら、ぼんやりと考えていたことと言えば、ミハイル様のことばかりだった。
ミハイル様と入れ替わった直後に身体中を駆け巡っていた熱い衝動の正体について。
それに、屋敷に帰って元の身体に戻った後、どのようにミハイル様と接すればよいのかという問題について。
そして、とてもおこがましいことだけれど、もしも、ミハイル様から正式に求愛されたとしたら、わたしはどうすべきなのか、なんてことを……。
いいえ、それ以前に、そのときのわたしがどんな気持ちでそれを受け止めるのだろうか、という想像でずっと悶々としていたように思う。
ミハイル様のお姿に成り代わり、わたしが本来知るはずのなかったことを不用意に知ってしまったという後ろめたさ。
こんな方法で知りたくはなかった。
もしも、何も知らないわたしに、ミハイル様から直接告白していただいていたら……。
だとしたら……。
──あれ? この場所さっきも通った?
無意識で歩いていたから同じ場所をぐるぐると何周もしていたのかもしれない。
庭の方から見える陽の光は、すでに朱色に染まりつつあった。
か、帰らなきゃ。
これじゃあ一体何をしに王宮まで来たのか分からないけど、こんな時間まで一人で出歩いたことなんてなかったわたしは、十六の娘らしい律儀な発想で王宮の出口を探して振り返った。
「まあ! 見つかってしまいましたわ」
振り返った先、わたしの真後ろに立っていたのは、あのヴィタリスだった。
今日もあの日と同じような上下別に分かれた衣装だ。
あまり気にしたことはなかったけど、このドレスって、アダナスの方の民族衣装なのかもしれない。
アダナスはオリスルトの敵対国なのに、亡命してきた先でもその土地の衣装を着て歩き回るなんて、なかなかいい根性をしている。
「難しい顔をなされて、一体どちらへ行かれるのかと思っておりましたけど……」
ヴィタリスは、そう言いながらミハイル様の腕にピトリと身体を張り付ける。
「もしかして、わたくしをお探しではなかったですか?」
そうだったんだけど、今日はもうそんな気分じゃなくなったのよねぇ。
時間だって遅いし。
「自意識過剰ではないか? 私に用はない。失礼する」
ピシャリと言って跳ねのけてやった。
くくっ。いい気味。
そう思った途端、後ろから強くぶつかるようにして抱き締められた。
「もうっ。相変わらず冷たいおかた。ねぇ、わたくしにお尋ねになりたいことがあったのでございましょう? もしかしたら、ミハイル様のお役に立てるかもしれません。二人っきりで、静かなお部屋の中でなら、こないだお尋ねになられたことも思い出せるかも……」
甘ったるい声に、べったりとこすりつけてくる柔らかな肉の感触。
女であることを存分に利用してミハイル様を誘惑している。
前回リカルド様にやっていたことと同じ手口。
それが分かっているせいなのか、今のわたしは随分と冷静にヴィタリスの仕草を眺めることができていた。
こいつは敵。
はっきりとそう認識したことで、頭や身体がそういう対象だと認識できなくなったのかもしれない。
触れられたところなんて、ちょっと寒イボが立つぐらいの嫌悪感。
「……そうだな……」
あえて誘惑されたふうを装い、わたしは無言のままヴィタリスに腕を引かれて行った。
貴女がミハイル様にマジ惚れしてるのは分かってるんだからね。
見てなさい。
逆に手玉に取って洗いざらい吐かせてやる。
*
部屋に入るとすぐ、ヴィタリスが後ろ手にカチャリと扉を閉めた。
一体何に使うための部屋なのか……。
正方形の部屋の中央には大きなテーブルが一つと、それを囲むように椅子が一脚ずつ。
椅子の後ろのスペースは、人一人すら満足に通れないほど狭く、まさに密室といった雰囲気。
こうして二人でいるだけでも息苦しく感じるような小部屋だった。
「それで? 何を教えてくれるんだ?」
なるべく冷たく、余裕めかしてミハイル様がヴィタリスを見下ろす。
それを言わせているのはわたしだ。
散々期待を持たせた挙句、こっぴどく袖にしてやろう。
ちょっと底意地が悪いけど、わたしやヒーストン家が被った被害に比べれば、このくらいの仕返し可愛いものでしょ?
「そんなことよりも。まずはお互い楽しみませんか?」
ヴィタリスが下からすり寄り、豊満な胸を押し付けようとしてくる。
なんて破廉恥な!
女性の身でありながら、恥ずかしいという気持ちがないのかしら?
わたしは汚いものでも避けるように、顔を背けながら後退った。
こんな女の身体をミハイル様に触れさせることが我慢ならなかった。
しかし、狭い室内だ。逃げ場などなく、わたしの脚は後ろのテーブルに当たって、早々に行き詰まる。
あれ? おかしい。こんなはずじゃ……。
体格では遥かに勝るうえ、女であるわたしの心はヴィタリスの誘惑に屈したりはしない。
けれど、あれよあれよという間に物理的に追い詰められ、ミハイル様のわたしはヴィタリスの身体に押されるがまま、臀部をテーブルの上に乗り上げてしまっていた。
思わずバタつかせた脚がぶつかり、椅子の一つをガタリと倒してしまう。
それにも構うことなくヴィタリスはさらに身体を寄せてきて、ミハイル様に覆いかぶさるようにした。
だ、大丈夫大丈夫。
いざとなれば力づくで振り払えばいい。
男と女じゃ全然に勝負にならないんだし。
ヴィタリスがミハイル様の太腿に手をかけ、妖しい動きでまさぐるようにする。
「…………」
ほ、ほらね。
……なんともない。
そんなことされたって、ミハイル様は貴女みたいな性悪女になびいたりしないんですからね?
自分の身体の反応を探るようにジッと待ち、わたしは心の中で勝利の声を上げた。
ふふん、というように不敵な笑みを浮かべてヴィタリスを見下ろす。
さあ、そろそろ反撃しようかしら、などと悠長なことを考えて。
でも、わたしは間違っていた。
所詮わたしは十六のおぼこい娘。
この生まれついての痴女が如き手練手管が身に付いたヴィタリスを、手玉に取ってやろうなどという考えが甘かったのだ。
お前の誘惑などまるで効いていないぞ、と睨みつけようとしたそのときには、わたしの──ミハイル様の唇は、ヴィタリスの口でふさがれていたのだった。




