6ー女
「みぃつけた」
耳元で囁かれた声には、聞き覚えがあった。ぐるんと体の向きを変えさせられる。
「全く、一体何をしてるんだ?! みんな心配したんだぞ!」
「ノア」
私服の彼は目尻を吊り上げていた。
「サイモンだって社交をこなしながら……」
声のトーンが高まったかと思ったら、いきなり黙った。
「なんて格好してるんだ!!」
「え?」
普通の前面びしょ濡れのワンピースですけど。
下を見ても別に透けてないよね。生地厚めだし。
「何が?」
「――――張り付いてる……ああもう」
ズカズカと庭に入って行き、まだ濡れているシーツを持ってきて私に巻いた。いや、今着てるのよりはマシだろうけどさ。
「シーツが!!」
背後から上がった声に振り返れば、マリーさんが呆然とこちらを見ていた。手には乾いた布と着替えがある。
でも気にするのはそこじゃないでしょう。私が見つかったことでしょう、一連托生なのだから! 酷いな私!!
そこからは何とか彼女を宥めながら、ノアには口止めと落ち合う約束を取り付けて別れた。落ち着いて話せる状況では無かったし、流石に寒かったのだ。
どうやら彼は交代要員として派遣されてきたらしい。申し訳なく思うが、彼と出会えたことで、希望が見えてきた。少なくともヤマダとの連絡は取れるんじゃないかと思う。
その為には、まずノアを説得しなくては。
着替えを終えて、意気込んで待ち合わせ場所に向かう私をモリーさんが呼び止めた。
「エリーちゃん、今日から手伝いに入るオリガを紹介するよ」
『エリー』とは名前からとった私の偽名だ。モリーさんの知人の子を一時的に預かっているという設定になっている。
紹介されたオリガは、歳は私と変わらなそうで顔は普通なんだけど、何処かだらしないというか、退廃的な雰囲気を持った女性だった。
マジマジと此方を見て、胸の辺りで目を止めたと思ったら、ふふんと鼻で嗤って言った。
「綺麗ね、顔が」
何を言いたいのかは分からないが、喧嘩を売られているのは理解した。
「あら、お世辞が上手ね。でも私なんて、平均的だと思うわ」
オリガの顔が歪む。誰が見たって、あの兄と似てる私の方が美人だからな。彼女はそれ以下だという意味だ。ついでに言うと、私の胸こそ平均的だ。
「オリガさん、そんな顔するとシワになるわよ。でも二目と見られないって程ではないから安心して」と追い討ちをかけるのはやめておいた。誰か褒めて。
少々険悪な雰囲気になったのを察した女将さんが、仕事をするからとオリガを回収していった。
何故だらし無い印象だったのか分かった。彼女の服の着こなしだ。ほんの少し胸元が開きすぎていたし、丈も僅かに短い。髪の纏め方も緩いのだ。
これからあの女性と毎日顔を合わせるのか。……ここから出た方がいいのかな。
しかし不自由ながらも今迄結構楽しく過ごせていたので(宿屋の皆様には迷惑を掛けているが)、安全確保の為にも出来ればここに居たい。
やっぱりノアだ。ノアを落とす!いや、協力してもらう!
待ち合わせ場所は、マリーさん提供の私的な居間だった。本当にありがとうございます。
着くと既に彼は仁王立ちで待っていた。
「アイラ、さあ訳を話してもらおうか」
若干腰が引けながらも、椅子に座るよう促す。イライラしているようで、音を立てて椅子を引きドサリと腰を下ろした。
さて、ここからが本番だ。乾いた唇をひと舐めし、口を開いた。
「ごめんなさい。迷惑を掛けて、本当に申し訳なく思っているわ」
そう言って頭を下げた。
彼は片眉を上げて何か言おうとしたが、遮るように続けて言葉を発する。
「勿論それには訳があったのよ。キチンと説明するわ。でもまず私の家族の様子を知っていたら教えてくれない? 出来れば王都の状況も」
ずっと気になったいた。家族がどうしているのか。心労をかけていることは分かっている。婚約破棄に続いての今回の失踪だ。どれほど心配していることだろう。
「元気だよ」
「は?」
「彼等は元気だよ。心配してない訳じゃないけど、大きく支障をきたす程じゃない。詳しくは後で話すけど。先ずは君の話からだ」
なんだか納得が行かなかったが、続けてくれそうになかったので諦め、王都を出てからの護衛隊長と周りの人達の様子や、いかに自分が不安だったのかを語った。
「このまま領地に着いても、相談出来る人も居ないし、まだ何をしたとも言い難い人の事を家族に訴えても、気のせいで済まされると思うの。変化を直接見てる訳じゃないもの。逆に重く捉えられて解雇なんて事になっても困るというか」
ハッキリ言えば私の寝覚めが悪い。ヤマダの忠告が無ければ、正直自分もこんな事はしなかった。
静かに話を聞いていたノアが、こちらをジッと見据える。
「それで、これからどうするつもりだったの?」
「王都のほうが落ち着けば、家族が領地に戻るでしょう。それまで時間稼ぎをすればいいかなと」
要は抑える人物が居ればいいのだ。
「それと学校の友人に忠告してくれた人がいるので、詳しく話を聞こうと思うの」
「馬鹿か君は」
「ぬ?」
いかん。耳慣れぬ言葉に、淑女らしからぬ反応をしてしまった。
「馬鹿だろう! 今の話を聞いたら十人中百一人が、君が何も考えていないことに気付くぞ!」
数が増え過ぎだと思う。
「ちゃんと肉を食ってないだろう!!」
お前も馬鹿だな!!
登場人物
アイリーン・コール
主人公。一部の人にはアイラと呼ばれている。宿屋での偽名はエリー。
ノア・ミドルトン
騎士。男爵家の次男で主人公の友人。
ガブ
宿屋の主人
モリー
女将。ガブの妻。
マリー
ガブとモリーの娘。
トマス
マリーの夫。未登場。
アンジー
マリーとトマスの息子。
オリガ
宿の手伝いに来た親戚。




