3ー隠密
「お嬢様、やはりいらっしゃいません」
「ダメだ、こっちにもいない」
「見落としているところはないか」
慌てたように廊下を走る音やドアの開閉音。それに混ざり、護衛達の声が聞こえる。結構近い。
え、ナニコレ。怖いんですけど。
バタン!
部屋の戸が開いた。護衛のヒースだ。
じっと息を殺す。自分の鼓動がやけに煩く聞こえる。
彼は長靴を鳴らしながら中へ入るとベッドに近付き、勢いよくシーツを捲った。そして膝をついて下を覗きこむ。
立ち上がって、今度はクローゼットの方へ。
ガサガサと物を動かしているようだ。
今度はカーテンや物陰などを確認し始めた。フッと足元に影が差す。
——お願い、気付かないで。
『動かない』と思うと、余計に体が動くような気がする。立ち止まった。近い。
バサバサと何かをしている。——音が消えた。部屋に静寂が満ちる。
ガタンッ
!!
気配が遠ざかった。一通り見終わると、足早に部屋を出て行った。
――――――怖かった。
小窓から、えっちらおっちら室内に戻る。
おいおい、ちゃんと片付けて行けよ。
室内は扉も閉められず、動かした物は動かしたままの状態で、雑然としていた。
モリーから動きやすい服を借り、花の鉢植えくらいしか置けない、狭い窓手摺に必死にへばりついていたのだ。これを昼間にやったら大騒ぎになり、『早まるんじゃない』との説得が始まるところだ。
正直言って見つかることよりも、落ちることの方が怖かった。
この荒らされた女将達の私室で、後はクローゼットにでもいれば、バレないだろう。扉が開いているのは、寧ろカムフラージュになるな。
夕食の際、給仕にきたモリーに、アンジーを守る代わりにかくまって欲しいと、交渉したのだ。
相手に考える時間を与えないよう、まくし立てた。侯爵である父を欺く利点がない事に気付いてもらっては困る。難色を示したものの、護衛の異常な様子を話すと、快く了承してくれた。
女将には通じるのに、何故もっと身近にいる人達には理解してもらえないのだろうか。
何かの補正が働いているのかも(※)。
身を隠すにあたって、手紙は置いておいたが、役に立たない事は分かっている。いくら無事だと書いても、なんの保障もないからだ。
騙されているのかもしれないし、何かに巻き込まれているかもしれない。あるいは脅されて手紙を書いた可能性も考えるだろう。
それでも無いよりはマシかと思ったのだ。自己満足にすらならないが。
周囲に迷惑をかけても、ヤマダの警告を無視したくない。身の安全が大事だ。
今家族の元に戻るのも迷惑になるだろうし、もし強制力のようなものが働いていたら、タウンハウスでもやはり危険かもしれない。
まだ何もしていない(?)エバンス隊長を解雇も出来ないし、私もそんな事はしたくない。彼にも生活がある。実力のある良い人の筈なのだ。ちょっとおかしくなってるけど。
もっと考える時間が欲しい。
初動捜査が落ち着くまでここでお世話になり、抜け出す隙ができたら、ジュリア様のところに逃げよう。公爵家なら侯爵家に対し自衛出来る。ヤマダにも連絡が取れるし、きっと相談にのってくれるだろう。三日も凌げば何とかなるか。やってみるしかない。
こんにちは、アイリーンです。
あれから三日経つのだが、逃亡の見通しは立っていない。
増援に騎士が呼ばれ、この宿が拠点となっていて、身動きが取りづらい。
醜聞にならないようにひっそりと行動しているそうで、余計に手掛かりが掴めず嘆いていると、優秀な諜報員の宿屋のご家族から情報提供があった。置き手紙の効果もあったのかな。
行動の制限された、今の私に出来る事は何か。
「アンジーちゃ〜ん、あっそびっましょ〜」
「は〜い」
地上に舞い降りた天使と遊ぶくらいだ。
両手を上げて走ってきたと思ったら、バフっと脚に抱きついてくる。くぅぅぅ、堪らん。
「たかいたかい してー」
え゛。
「お姉ちゃん、あまり力が無いから、代わりにヒコーキでいい?」
「ひこーき?」
勿論飛行機など存在しない。
やってみるねーと言いながら両手を持ってグルグル振り回す。うおおおぉぉぉぉ!!
喜んでいただけたようだ。
ちなみに現在地は物干し場だ。
キャップに髪をすっぽりと隠し、アンジーの母親の服を借りているので、一見して私だとは分からないと思う。そもそも全力で子供と遊ぶ侯爵令嬢自体目にする事がないので、見咎められることは無いだろう。
こうして天使が小悪魔に思えるほど遊んで、間借りしている部屋に戻る途中、見覚えのない女性がいた。
格好は侍女っぽい。宿はシーズンオフで宿泊客は極少ない。その為、居るのは侯爵家の関係者ばかりだ。
身の回りの世話に呼ばれたのだろうか。
急いでる風を装って、小走りですれ違った。
用心に越したことは無いからね。
※サイモンが誤解を解けなかった為に、誤った認識が伝わった結果、皆んなでサイモン様に協力しちゃおう! という「サイモン補正」が悪い方向に働きました。




