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愚かな王太子に捨てられた私を、兄王陛下が離してくれません ~私を手放す意味、本当に理解していらして?~  作者: 越智屋ノマ@夜逃げ聖女【重版】1巻2巻
第6章:幸せな休暇

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【2】お仕置きと花冠

秋の青空はどこまでも晴れやかだ。澄んだ湖畔に爽やかな風が渡るたび、水面がきらきらと輝いている。

湖畔の野原に、ふたりは並んで腰を下ろしていた。

エヴァンジュリンは白いシロツメクサを摘み、その茎を器用に編み込んでいる。花を傷つけないよう優しく動く細い指を、グラディウスは穏やかに見つめていた。


「エヴァ。それは?」

「この前、孤児院の子どもたちに教えてもらったんです」

「そうか」

ふっと、グラディウスは笑う。

先日、二人で孤児院を訪れた。

子どもたちは最初こそ緊張していたけれど、すぐにエヴァンジュリンになついた。


「私は『ディーおじさん』だったが、君は『おねえさん』と呼ばれていたね」

「……ちょっとホッとしました」

二人で、小さく笑い合う。


グラディウスは何気なく湖の対岸へと視線を向けた。堤防の石組みが、目に入る。


(……随分劣化しているな。あれでは、来年の増水時には耐えられないかもしれない)


水位の変化や補修時期、予算配分などが自然と頭の中で組み上がっていく。

(冬が来る前に簡易補修をするべきか。……いや、むしろ雪解けを待ってから根本的に施工するほうが――)


「グラディウス様」

と、柔らかな声がした。

ふり返ると、エヴァンジュリンが微笑んでいる。にっこりとしているのに、どこか圧のこもった笑みだ。


「お仕事中の顔になっていますよ」

「……そうだったか?」

彼女はグラディウスと同じ方向に目を向けて、言った。

「グラディウス様が思っていたこと、当てましょうか。頭の中で、堤防を修理していたでしょう」

図星だ。

「……すごいな、君は」


エヴァはスカートの隠しから小さな手帳を取り出すと、さらさらと書きとめた。

「……『堤防の補修について、王城に戻ったら担当部署に確認』。――はい、記録しました」

ぱたん、と閉じる。


「ですので、この件はあとにしましょう」


彼女の秘書っぷりに驚かされつつ、グラディウスは苦笑した。

休暇中も油断すると、頭がつい仕事に戻ってしまうのだ。何度もエヴァンジュリンに注意されていた。


「せっかくのお休みです。もっと本気で休んでください」

「……努力するよ」


本心では、思い切り楽しんでいるつもりなのだ。

だが長年染み付いた癖は、そう簡単には消えないらしい。湖面を見つめているうちに、ふとまた思考が走っていた。


(そういえば、今年の夏は藻が増えたと聞いていたな。流れが滞っているのなら、下流の村への影響も――)

「グラディウス様」

またも、呼び止められてしまった。


「休む気概が足りません」

エヴァンジュリンは少し不満そうに唇を尖らせている。


「私とのんびりするのは、退屈ですか?」

「まさか。だが、つい――」

「お仕置きします」


――お仕置き?


その瞬間、ふわりと軽い感触が頭の上に乗った。

草の香りが広がって、エヴァンジュリンはいたずらっぽく笑っている。

「ふふ。よく似合っていますよ、グラディウス様」

「……これは?」

「花冠です」


彼女の手にあったシロツメクサの花冠が、いつの間にかなくなっている。


「これが今日のあなたの王冠です」

優しい瞳で、エヴァンジュリンは笑っている。


「……ずいぶん軽い王冠だ」

「今日はこれくらいがちょうどいいんです」


グラディウスは、頭の上の花冠に手を伸ばそうとした。


「取ったらダメです。もっと重いお仕置きをしますよ?」

「どんな?」

「もう一つ乗せます」

「あはは」

思わず、笑っていた。


「だが、こういうのは君のほうが似合うよ」

「でしたら、私の分はグラディウス様が作ってください」

「……どうやるんだ?」


エヴァンジュリンがすぐそばに座り、グラディウスの手を導いた。

「茎を折らないように、優しく編んでいくんです。――少しずつ、ゆっくり」

「……こう?」

「はい。そうしたら、ひとつ隣の花を、こうやって――」

細やかな作業に、思いのほか苦戦する。


「壊れてしまいそうで怖いな」

この花も、エヴァンジュリンの細い指も。

壊したくないし、誰にも絶対壊させない。


「ふふ。お花って、柔らかいですよね」

「ああ」

王冠の重みなら、誰よりも知っている。

けれど、この軽やかさが――愛おしい。


「――できた」

編み上げた花冠を、エヴァンジュリンの頭にそっと乗せた。

「似合いますか?」

「ああ。とても」

花冠の王と、花冠の花嫁だ。

やわらかな秋風に包まれて、寄り添い合ってふたりで笑った。


   ***


そんな二人を、今日も密かに見守る者たちがいる。


諜報部の私服護衛に紛れ、外務大臣ヨハン・ペールマンもそこにいた。

本来ならば、デートの観察は職務に含まれない。だがバルデンに「お前も一回見て来いよ。面白いから」と勧められ、人の恋路を覗くなど下品だと思いつつ好奇心に負けた。

そして――


(……なるほど。これは甘い)

片眼鏡を押し上げながら、ペールマンは静かに息を吐く。

花の冠を乗せられて、あんなに素直に笑うとは。


(陛下。あなたは、変わられました)

学生時代に出会った頃から、彼はいつも軽やかに微笑していた。けれどそれは、『王子の仮面』だ。

グラディウスは感情を隠し、能力を抑え、いつも半歩引くような生き方をしている男だった。


『グラディウス殿下! どうしてあんたは本気を出さねぇんだ!』

学院の剣術大会。バルデンが彼に怒鳴ったことがある。

優勝を決する局面で、彼がさりげなくバルデンに勝ちを譲ったからだ。そのとき、彼は笑って言った――『本気を出し過ぎるのも、考えものなんだよ』と。


前王崩御の夜も同じだ。

急遽、王位が転がり込んだときでさえ、グラディウスは動じなかった。

異母弟ランスに譲ることを前提として組み上げた、鉄壁の政治体制。

けれど、実際は――

(ランス殿下ではなく、エヴァンジュリン嬢のためだったのですね)

湖畔で笑う令嬢を見つめる視線は、王のそれではない。

守ると決めた男の目だ。


ペールマンは、小さく笑った。

「……なるほど。たしかに、悪くない眺めだ」

傍らの私服護衛が、小声で言った。

「はい。連日、このようなご様子でございます」

「そうか」

一拍置いて、ペールマンは静かに告げる。

「――感謝する」

穏やかな秋風が、湖面を渡った。


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