第39話
それから先の事態は、急転直下で進んでいった。
マグダレーナ様の突然の自白に、混迷を極めた議会――まるで収拾がつかなくなり、私の放った祝印の光についても説明を求められた。
「……これは、加護の乙女に与えらえた強制告白の魔法です」
「!?」
私の説明を聞いて誰もが驚いていた。加護の乙女はほとんど伝承上の存在だったし、切り札の魔法のことは教皇庁の上層部だけにしか共有されていない。
議会はすぐさま教皇を呼び、緊急評議会が開かれることになった。教皇は、強制告白の魔法についてこう述べた。
「それは女神アルカナより与えられた、真偽を暴くための神聖な魔法である。虚偽も沈黙も許されぬ、女神の光による絶対的証言に他ならぬ」
その正式見解をもとに、王国議会は幾度も評議を重ねた。そして最終的に下された結論は――。
――アリシア妃の不貞を示す手紙は、捏造だった。
――27年前の前王毒殺未遂事件の真犯人は、王太后マグダレーナである。
――王子ランスは、前王の子とは認めがたい。
その最終決定に則って王太后マグダレーナには毒酒による極刑が、王子ランスは終身幽閉の刑が執行された。こうしてこの国の行く末を決める王位継承問題は、ようやく決着したのだ――。
***
マグダレーナ様が処刑されたその日の夜。
私は、奥の宮の最上階にあるバルコニーへと向かっていた。
議会での自白騒ぎから今日に至るまで、あっという間の2ヵ月だった。私は加護の乙女として聴取を受ける立場ではあったけれど、評議や裁きの輪に加えられることはない。
行き場のない時間をやり過ごすために、よくバルコニーに出向いていた。――だってあそこは、グラディウス様が初めて素顔を見せてくれた場所だから。
(……グラディウス様は、今頃どうしているかしら)
この二か月、多忙を極めるグラディウス様とはほとんど顔を見ることさえできなかった。
毎日続く評議と裁定。
前王妃派の解体とその余波を避けるための調整。
ありとあらゆる責任が、国王陛下のもとに集まる。
どれほどつらい日々だろう? そう思うと、涙がこぼれそうになる。
(今日の処刑にも、国王として立ち合っていたはずよ。……グラディウス様にとって、どれだけの重荷だったか)
マグダレーナは、許されざる罪を幾重にも犯し続けてきた。
前王の毒殺未遂とアリシア妃毒殺の首謀。
毒殺計画に関わった者たちの殺害。
国家転覆を狙った虚偽文書作成。
さらには不貞による血統偽装の企図。
そんな彼女の末期は、極刑以外にはありえない。
毒酒による処刑は、断頭刑より遥かに苦しいといわれている――自ら飲み込んだ毒にじわじわ体を蝕まれ、意識のあるまま長く悶えて最期の一瞬を迎える。
マグダレーナの最期の様子を私は知らされてないが、毒を弄した彼女が毒で命を終えるというのは、なんとも皮肉だ。共謀したガルシア公爵も、爵位剥奪の上で同様の刑に処された。国家転覆を謀ったのだから当然だろう。
ふと、最上階のバルコニーへと向かう階段から、王城のはずれの塔が見えた。
(――ランス殿下は、生涯あの塔から出ることはないのね)
ランス殿下が処せられたのは、王族籍剥奪の上の終身幽閉刑。
風の噂によると、何もかも失った彼はすっかり廃人のようになってしまったらしい。『何者でもない誰か』に堕ちた彼にとって、ただ生き永らえるのは地獄以外の何物でもないはずだ。
ランス殿下の刑は、王子としての責任を放棄した数々の愚行や、加護の乙女に対する暴行未遂などに対するものだった。前王の子か否かは、刑の重さには含まれていない。
(グラディウス様は、証明できない血統を罪にはしなかったんだわ。血を疑われる理不尽を、きっと誰よりもよく知っているから……)
――会いたい。
今すぐグラディウス様に会いたい。
いつの間にか、あの人のことしか考えられなくなっていた――。
バルコニーへの階段を、いよいよ登り切ろうというそのとき。
(……グラディウス、様?)
これは幻ではないだろうか。
欄干にもたれる、彼の背中が見えたのだ。
月光と魔光灯が交じり合う青白い輝きの中、夜風に吹かれて佇んでいる。
流したままの長い黒髪が夜風にほどけ、細やかな灯りを反射してさらさらと揺れていた。――それは婚約を失ったあの日、彼とこのバルコニーで出会ったときの姿とまったく同じだった。
「グラディウス様……!!」
唇から、勝手に声が漏れていた。
ぴくり。と、その背中が震える。
まるでそこにいるのが幻でないか確かめるように、彼はゆっくりと振り返った。
「エヴァ……!」
グラディウス様は、こちらに向かって駆け出していた。
私もだ。
足りない何かを求めるように、私はグラディウス様の胸に飛び込んでいた。
身体が、震える。
その身体を、彼の腕がしっかりと抱きしめてくれていた。
「グラディウス様……グラディウス様……」
喘ぐように何度も名を呼び、夢でないことを確かめる。胸に顔をうずめた瞬間、夜気に混じった体温がじわりと伝わってきた。
――ああ。本物だ。
「会いたかった。エヴァ」
「……私も、ずっと……会いたくて……」
離したくない。
お願いだから、もうどこにも行かないで――。
ぽろぽろと涙が止まらなくなった私を、グラディウス様はずっと抱きしめてくれていた。
それから、どれほどの時間が流れただろう。
私の涙を拭いながら、彼は切なげに眉を寄せた。
「もう、何年も会っていない気がする。……痩せたな、君は」
心配そうな瞳で見つめられ、頬に触れられ、熱くなる。
「そんなこと……」
恥ずかしくて目をそらしたくなったけれど、でも、そらしたくない。
ずっとあなたを見つめていたい。
月灯りに照らされた瞳は、私を心から心配してくれている色だった。
「エヴァ。……本当に、済まなかった」
「……? どうしてグラディウス様が謝るんですか」
「あの議会でのことだ。君の大切な切り札の魔法を、私のために使わせてしまった」
心の底から悔い入るように、彼は続けた。
「もちろん、君に感謝している。私の戦い方では、長期化は避けられなかっただろう。完全な勝利を納めることも、難しかったはずだ。……だがそれでも、私は君を巻き込みたくなかった」
そんなことを心配してくれていたの?
「女神に与えられた魔法の力は、君自身の幸せのためだけに使うように約束したのに。私がそれを、破らせてしまった」
「いいえ。私はちゃんと、約束を守っています」
グラディウス様が、怪訝そうに眉を寄せる。そんな彼の両手を取って、私はまっすぐに見つめた。
「私は、私の幸せのためにあの力を使ったんです」
これは、嘘偽りのない言葉。
「だって……あなたがいないと、私は幸せにはなれません」
澄んだ紫の瞳が、大きく見開かれる。
淡く朱に染まる頬は、まるで少年のようだ。
――私の大好きな、ありのままのあなたの表情。
「エヴァ……」
グラディウス様は、もう一度私を抱き寄せた。
私もぴたりと身を寄せた。きっと夜風でさえ、私たちの間をすり抜けることはできない。
そのまま互いに声もなく、互いの鼓動を聞いていた。
優しくて、満たされた時間――。生まれて初めてかもしれない。
私は、そっと彼の胸元から顔を上げた。
「グラディウス様」
まっすぐ視線が絡み合う。
「あなたは私に、駒をやめろとおっしゃいました」
「……ああ」
彼は、微かにうなずいている。
「だったら……あなたも、私の前では『王』でいないで」
言いながら、自分でも分かるくらいに声が震えた。
「完璧な王の仮面なんて、いりません。……ありのままのあなたと、ずっと一緒にいたいんです」
紫の瞳が、月明りに濡れて見えた。
沈黙が満ちたどこまでも静かな夜。そしてふと、彼の指が私の頬に触れた。
「……分かった。君が、それを望んでくれるのなら」
掠れた声で、誓ってくれた。
「だが、参った――」
次の瞬間、彼の腕の力がいっそう強くなる。
熱を帯びた視線が絡み合い――そして、唇が触れた。
「『自制する王』の演技が不要なら、私はきっと毎秒でも君を口説いてしまう」
吐息が混じりあうような距離で、低く甘やかに囁かれた。もう一度唇が重なる。
「……っ」
「愛している――エヴァンジュリン」
いつも静かな彼の瞳が、こんなにも熱く揺れている。私の瞳も、きっと彼と同じ色だ。
「私も。愛しています――グラディウス様」
「もう、絶対に離すものか」
何度も角度を変えて深くなってゆく口づけが、心を芯から溶かしてくれる。
優しい月灯りの下で、私たちはいつまでも抱きしめ合っていた――。





