第37話
そして翌日。――とうとう、議会が始まろうとしていた。
半円形の階段席となっている議場全体を見下ろせるような配置で、小さな控室がある。私はそこから、一人で議場を見つめていた。
グラディウス様の国王席を、守り固めるように陣を取る新王派貴族たちの議席。
それと対を為す位置に、前王妃派貴族の議席がある。マグダレーナ様は特別参考人として、今日はガルシア公爵の隣に座っていた。
緊迫感とざわめきに満ちた議事の間に、議長の槌が鳴り響く。
「これより、王位継承の正当性に関する特別審議を開催する。本件について、国王グラディウス陛下より反証の提出がある。――それでは陛下、お願いいたします」
国王席のグラディウス様が立ち上がった。
しん……と静まり返った空気の中、やがて彼は声を響かせる。
「――諸君」
一拍置いたその声は、静かで揺るぎないものだった。
「私はこの場で、アリシア妃の潔白を『完全に』証明するつもりはない。現代の魔導技術において、30年近く前の疑惑を完全に否定することは不可能だからだ」
その言葉は、一聴すると事実上の敗北宣言のようにも聞こえた。前王妃派の議席から、早くも野次が飛び始める。
しかし、グラディウス様は声を止めなかった。
「だが、だからこそ私は諸君に問いたい。告発者であるガルシア公爵――そしてその背後のマグダレーナ殿は、そもそも信頼に足る人物なのだろうか? その前提を、根本から疑い直すべきだと私は考える」
前王妃派が一斉に反論の声を張り上げた。
「論点のすり替えだ!」
「王太后様を侮蔑するとは……!」
その怒声を、グラディウス様は冷ややかな一瞥で抑え込んだ。
「だが27年前に起きた、前王の毒殺未遂事件。あれがアリシア妃を陥れるために、マグダレーナ殿が仕組んだ事件だったとしても――諸君らは、同じことが言えるだろうか?」
――!?
議場の空気が、ぴたりと止まった。
次の瞬間、忘れていた呼吸を取り戻すように不穏なざわめきが広がる。
想像もしなかった発言に、私も息を呑んでいた。
「私は連日、母アリシアの名誉を取り戻すべく調査を進めていた。そして重大な事実に辿り着いたのだ」
グラディウス様が掲げたのは、古びて角の擦り切れた革張りの帳簿だった。遠くから見ても、年月の重みが伝わってくる代物だ。
「これは蔵書庫に保管されていた、毒殺事件当時の侍医による診療録である。――この記録を、王宮に出入りしていた薬種商会の納品台帳、厨房への搬入記録と献立表、内廷費の支出記録など複数の資料と照合した。その結果……」
低くて鋭い彼の声は、まるで刃のようだった。
「前王とアリシア妃の食事に、香味料と称して毒薬が混入された可能性が示唆された。前王にはごく微量、そしてアリシア妃には致死量だ。さらにその『香味料』は、内廷費におけるマグダレーナ殿の予算から支出されていた。……諸君、これは果たして偶然と言えるだろうか?」
静まり返った議場のあちこちで、椅子の軋む音や息を呑む音が聞こえる。前王妃派も新王派も、それぞれ息を殺していた。
「そして私は、当時この毒薬に関わった者たちの行方を追った」
グラディウス様は、今度は羊皮紙の束を掲げた。
「事件後に侍医は急死。侍女は馬車の滑落死。厨房係は買い出し先で暴漢に殺され、薬種商会の商人は火災に巻き込まれて死亡。――不自然な死が続いた。死者の一覧は、こちらの書類にまとめてある」
議場全体が、今度こそ大きく揺れた。
「……だが、唯一残る手がかりを私は掴んだ!」
グラディウス様は、議長に視線を向けた。
「商人は亡くなっていたものの、その妻は存命していた。――本日、参考人としてこの場に呼んでいる」
議長が許可を出し、議場の扉がゆっくり開く。
やせ細って背中の曲がった白髪の老女が、衛兵に支えられながら証言席へと進んでいった。
「……私は。長い間、夫の罪を隠して生きて参りました」
震えたしわがれ声が、ゆっくりと絞り出されていく。
「夫は……王太后様の侍女に金を渡されて、毒薬を納めたのです。私には頑なに口を閉ざしていましたが、毎夜のようにうなされて。寝言で『断るべきだった……』と――」
「そんなのでっちあげだわ!!」
マグダレーナ様は立ち上がり、怒りに声を尖らせた。
「そんな老女、金で買ったに決まっているわ! 無関係の者を連れてきて、それらしく証言させているだけでしょう!」
「どうとでも言えるのは、あなたも同じだ。マグダレーナ殿」
グラディウス様の声は冷ややかだった。
「三十年前の不貞疑惑を、死者の手紙で真実に仕立てようとしているのは誰だ? あなたはアリシア妃に罪を着せて毒殺し、今度は不貞まで捏造しようとしている――私の目には、そう見えるが?」
かつてないほど議場が割れた。
怒号と反論。どちらの提示した『真実』を信じるべきか、議員たちは激しく揺れている。
――そう。なにしろ三十年近く前の話なのだ。
真相究明に限界があるのは、毒殺事件も不貞の手紙も同じこと。
グラディウス様はすべて承知の上で、あえてこの場を結論の出ない問いかけで埋め尽くそうとしている。あやふやな疑惑だけで現王を引きずり下ろす危険を、議会に突きつけるために。
火薬庫に閉じ込められたような、一触即発の緊迫の中。
「…………まったく、ふざけた男」
やがて、業を煮やしたマグダレーナ様はそう吐き捨てると、議長に向かって声を上げた。
「議長。こちらも参考人を用意しています。入廷の許可を」
それから、彼女は控室の私へと視線を投げる。
――いよいよ、私の出番というわけね。
私は控え室から歩み出た。
かつり、かつりというヒールの音が、やけに大きく響いている。
国王席のグラディウス様が、はっきり眉を寄せるのが見えた。それは怒りではなく、私を案じる表情だ。痛いほど、よく分かった。
(――大丈夫です。安心してください、グラディウス様)
私は、マグダレーナ様の隣に立った。
立ち位置だけを見れば、まるで国王の敵対者だ。
マグダレーナ様は、勝ち誇った笑みを浮かべている。
「我が娘エヴァンジュリンが、皆様にお伝えすべき重大なお話があるそうです。さあ、エヴァンジュリン。話しなさい」
――いいわ。今、楽にしてあげる。
私は、ゆっくりと口を開いた。





