342-幸せな夢を、もう一度
死ぬってなに。
死ぬってなに?
わからない。わかりもしない───死んだと思ったら、よくわからない不思議空間にいたチェルシーもとい夢之宮寝子は、困惑の渦に捕まっていた。
ここはどこ。天国、地獄?それにしては、少し。
寝子の卓越した頭脳は、この現実味のない異常が、所謂あの世と違う場所であると導き出す。死後の領域ではないことだけは、明確で。そも、何故ここにいるのかが欠片もわからない状況。
わからない中、すみれ色の幹を見上げ、葉を見つめ。
「…ねぇ」
漠然とした違和感。答えのない疑問の解を求めんと……先程から、嫌になるぐらい視線を感じる、太い枝、主枝の上にいるであろう存在を見つめる。
勿論、その姿は見えない。認識もできない透明な存在を知覚する。
寝子の呼び掛けを受けても、その存在から返事はない。ゆらりゆらりと空間が揺らぐような……尻尾が軽く動いたような反応しか、返ってこなかった。
寝子はわからない。
それがなんなのか。
害意はないと思いながらも、不安で服の裾を掴み、声を出す。
「ねぇ、ここは……どこ、なの」
たどたどしい質問は虚空に響き、透明なナニカの元まで届けられるが……
返答は、声にならず。
───精神ノ、中。
「!?」
脳に響く。
空間を振動させるように、音が揺らぎ、ダレカの音なき声が寝子の脳に浸透する。
直接脳に囁かれたような返答。
不気味に思いながらも、そういうものかと頷き、虚空を眺めながら喋る。
「精神、ってことは……私の?」
───ソウ。オマエ ノ。
声は語る。ここは精神世界。夢之宮寝子の魂の中にある内側の秘密領域。寝子の人格や記憶を守る、最後の箱庭。ここが崩されたら最後、夢之宮寝子は廃人と化す。
人間誰もが持っているその空間に、それは巣食う。
彼女の一部となって、淡々と、それでいて、ニヤニヤと笑っている。
あなたはだあれ?
そんな問いは、寝子の口から出てこない。聞かずとも、わかるから。
「死んだらここに来るの?」
───否定。違ウ。普通ハ、来レナイ。
ミャー ガ誘ッタ。
「!」
それは寝子を連れ込んだ。
彼女の肉体は完全に死亡した。全身を貫かれ、生存する機能の全てが停止した。そこまで行けば、後はもう、魂を昇天させるだけ。
最期の一瞬、それは、消えようとする魂を引き留めた。
寝子の魂はまだ肉体の中にいる。昇天せず、消えることなく、まだ残っている。
勿論、このままここに居続けても、消えるだけだが。
───オマエ、未練、アル?
それは問い掛ける。
やりたいこと、やりたかったこと、やり残したこと……何か一つでもいい。あるのならば答えよと、上から目線で問い掛ける。
「未練…」
寝子は考える。
そりゃあ、やり残したことなんていっぱいある。まだ、やるべきごとだってある。
突然言われても、漠然としたのしか浮かんでこないが。
それでも、寝子は思考を巡らせる。今は、それだけしかできないから。
寝子の脳裏に思い浮かぶのは、幸せな悪夢。
悪夢の庭での生活。美味しい物を好きなだけ食べれて、好きなように本を読めて、ゲームを遊べて、寝ることすら自由だった、なにもかもが許された日々。
魔法少女との戦い。アニメみたいな、マンガみたいな、面白おかしい日々。
保護者、仲間、親友、同級生、敵、友人。
鳥籠の中に居た時は違う、広い世界が寝子の目の前には広がっていた。何処までも広く、何処までも続く、幸福に満ち溢れた毎日。夢のような現実。時たま怖かったけど、その時には、誰かが隣にいた。
幸せだった。
楽しかった。
……そうだ。楽しかったのだ。孤独じゃなくて、ずっと幸せだったのだ。
「っ…うぅ…」
殴られない。
蹴られない。
絞められない。
痛いことを強要されず、ただ、のびのびと。かつてなら絶対にありえない、当たり前が当たり前でなかった寝子にとって、それは幸福だった。
手離したくない、そう思える程。
些細な答え。何の面白みもないそれを、思い返した……ただ、それだけで。
ポロポロと、涙が溢れ落ちる。
「…や、ぁ……」
それはそれは、静かに泣く。泣き方を知らない赤子は、静かに涙を落として、静かに嗚咽する。吃逆が止まらず、呼吸がおかしくなっていく。
死にたくない。
まだ生きたい。
みんなと一緒に、もっと。お喋りして、ご飯を食べて、楽しく遊んで、傍にいて、一緒に寝て、笑い合って。
一緒にいたい。こんな終わりは嫌だと。
小さく泣きながら、現実を否定する。死にたくないと、終わりたくないと泣く。
───…
声の持ち主は何もできない。
涙を舐め取ることも、寄り添うこともできない。主枝の定位置から動けないから。なにもできないことは歯痒く、息が苦しくなるが……
それでも、それは笑みを絶やさない。
勿論、いつもの嫌味ったらしい笑みではなく、やさしさいっぱいの笑みだが。
ポロポロと涙を流す少女を眺めながら、それはやさしく問い掛ける。
───生キタイ?
明日を問う。
未来を囁く。
それはただ、問い掛けるだけ。生きたいのならば、この手を取れ。死を選ぶのならば、何もせず。消えゆく世界を見届けるだけ。
「あぅ…い、生きたい……みんなといたい……っ」
目を擦る寝子は、死にたくないと訴える。その泣き姿を見下ろして、それは微笑む。
生きたいと願うことに罪は無い。
その幸せを否定することは、それにはできない。それは正しくないから。惑わすのが仕事とはいえ、それは少し、宜しくない。
───死ニタクナイ?
「死にたくないッ!」
それはそれとして嫌がらせのように囁けば、あまりにも力強い否定が返ってくる。涙目の寝子は、主枝の上にいる不愉快なそれをキツく睨みつけた。
ケラケラと笑う声は、静かに頷く。
飼い猫でもあるそれは、曲がりなりにも主である少女の訴えに耳を傾けた。
───ナラ、ミャー ノ手、取レ。
ぐいっと伸ばす。
見えないそれの提案は、本来、誰かを惑わす為のモノ。ここではない何処かで、道に迷った女の子を、悪夢の底に誘って、帰って来れないようにする、悪質な提案。
その悪性は、残り香の如く今も持っているが。
今回に限っては、誘惑でも、嘘でもまやかしでもない、本当の提案。
「…えっと……こう?」
差し出された手を、寝子は、一瞬躊躇ったように右手を彷徨わせてから……しっかりと触る。
モフモフの、見えない猫の手を。
逃がさないように掴んだ、その瞬間───世界が、光に呑み込まれる。
「ッ───!?」
衝撃が身体を貫く。
ぶわりと身体が吹き飛ぶが、握ったそれのお陰で遠くに飛ばされない。そもそも、痛くない。苦しくもない。何か大きな力が、寝子の体内で暴れているというのに。
……正確には、体内でもなんでもない。
今の寝子は精神体。この空間そのものが、夢之宮寝子であると言ってもいいのだ。空間の変容は、彼女の変容……ユメ色の魔力が、吹き荒ぶ。
わけもわからぬまま、鍵をこじ開けられたかのような、そんな気分に寝子は苛まれる。
そうとしか認識できない、漠然とした力の発露。
ナニカによって開かれた扉から、大きな力が溢れ出て、寝子の魂を刺激する。
目覚めろ、と。
───本契約ダ。ミャー ト オマエ ノ。
「なに、それ…」
現時点でも、寝子とそれは契約状態にある。だがそれは仮契約にも等しい。
怪人因子を取り込んだことによる、悪夢への適合。
それは、寝子が因子の大元であるそれと、なにか契約を結んでできたモノではない。それの特徴を一部再現した、猫耳や尻尾などの身体的特徴も。夢幻魔法という、現実を否定する力も、ただ、因子を取り込んだことで手に入れた力であり、それの意思は関係なかった。
それの言う本契約とは、真に、その力を与えること。
より正確に言えば───夢之宮寝子という一個人の為、全てを差し出すということ。
ここで一つ、思い出して欲しい。
リリーエーテ、ブルーコメット、ハニーデイズ。そしてリリーライトの四人と契約している妖精、ぽふるん。彼は平凡で、凡庸な妖精だ。
ムーンラピスの分の空きがあったとはいえ、4人同時に運用することは、本来できなかった。
途中までは無理をしていたが……
それも、リリーライトが妖精女王となったことで負担が緩和されて、新世代の3人に付きっきりになれた。彼女が妖精を引き連れずに自由にできているのも、妖精の女王に成ったことが大きい。
……では、ムーンラピスは?
ぽふるんとの契約は終わっている。今の彼女は、傍から見れば妖精と契約せずに、魔法少女の力を行使している。例外として、死から蘇った魔法少女たちがいるが……彼女たちはムーンラピスを媒介にした“別物”であり、明確には魔法少女ではない。魔法少女の姿の、人形に過ぎない。
魔法少女は、妖精がいなければ力を行使できない。
妖精の代わりに、ムーンラピスとのパスを繋げることで力を得て、六花の魔法少女としての活動を許されている。かつて、王族に連なる妖精が、十人単位で魔法少女と契約できた前例があったように。悪夢の大王となったラピスであれば、六人分の契約を問題なく維持できる。
……それならば、ムーンラピスが契約している相手は、誰なのか。
魔法少女としての力がなければ、宵戸潤空は悪夢の力を行使できるだけの、最上位怪人でしかない。
月魔法や、模倣した魔法は使えない。
魔法少女の制約は絶対───流石に、そこからの逸脱は赦されない。
で、あるのならば。
彼女が魔法少女としての力を保持できている理由は……最早、一つしかない。
───ミャー ハ 怪人。デモ、ソレハ今ノ話……大昔ハ、妖精ダッタ。
悪夢に落ちようと。
怪人として猛威を振るった彼らが、妖精の成れの果てであった事実に、変わりはなく。
未だ、魂に色濃く悪夢の残滓が残っていようと。
人でありながら、妖精に近い存在になり、そして悪夢となった彼女───リデル・アリスメアーと魔法少女契約を交わしたことにより、ムーンラピスは存続した。
怪人のままでは不可能な事象だが……
ムーンラピス渾身の浄化魔法で、理性を取り戻した状態であれば、それは可能。
……とはいえ、それは意識的に行われたことではない。元々は、再起を狙うリデルが自己修復に伴い、近くにいた彼女の肉片と魂を再結合、支配しようとしたのがきっかけなのだが。その行いが、意図せずだとしても。魔法少女と妖精の契約とほぼ同然の繋がりとして、2人を結んだ。
一蓮托生ではあるが、リデル次第で終わる命。
ムーンラピスとしての再創。その大偉業が、元・怪人で成功したのならば。
チェルシーの怪人因子、“悪意なき微笑み”であっても、可能である筈。夢幻をもって、死を否定する───即ち、死を無かったことにする。
肉体組成は怪人の物だが、彼女も元は人。
で、あるのならば───猫の妖精だった怪物にだって、できる。
「っ、成程…」
自分がこれからどうなるか。
確信を抱いた寝子は、半笑いで、これから始まる未来を受け入れる。光に包まれる視界の中、己に手を差し伸べるそれに、緩い笑みを向けて。
虚空に浮かぶ、理性の灯った金の瞳と、微笑み合う。
───人生、楽シメ。イッパイ、ニャ。
それの本質は、迷い子に寄り添うこと。何の脈絡もなく夢の国に迷い込んだ子どもが、夢の外に落ちないように。夢と現実の狭間に迷い込まないように、隣を歩く。
一緒に寝る。一緒に食べる。一緒に遊ぶ。
お家への帰り道が見つかるまで。見つかった時は、もう来るなよと背中を押してやる。やさしく突き放すことで、子どもの夢を守る。
悪夢に狂ったことで、その本質は歪められたが……
寝子という迷子に寄り添うのは、かつての妖精としての在り方を、もう一度できるということ。もううろ覚えの、記憶に従って。
行ってらっしゃいと。
もう、戻ってくるなよと、微笑みと共に突き放して……浮上させる。
「……ありがと…」
機会をくれた。
未来をくれた。
希望をくれた相棒に、礼を告げて───チェルシーは、戦場に舞い戻る。




