340-夢の終わり、或いは
残酷な描写があります
胡蝶の夢。
夢と現実の区別がつかない。いつの日か夢見た、幸福に満ち溢れた生活。蒼月の手を取ったあの日から、たまに。今生きているのが、思考できているのが。
夢なのか、現実なのか……わからなくなる。
あまりにも幸せすぎて。暖かくて。心地よくて、現実を現実だと思えなくて。
夢への逃避を望み、悪夢に沈むことを受け入れた者。
アリスメアー三銃士、“歪夢”のチェルシー。若しくは、夢之宮寝子。魔法少女の手を取って、現実を生きることも受け入れはしたが。
それでも寝子は、現実に忌避感を持つ。
辛くて、苦しくて、痛くて、どうしようもないぐらい、酷く残酷な世界。それが現実だ。悪夢よりも悪夢的なのが現実なのだ。
だからこそ恐ろしいのだ。
悪夢に救われた彼女にとって。現実は、恐ろしいモノ。そうであるべき筈で、そうではないモノ……実際には逆であることぐらい、わかってはいる。
それでも、恐れが勝つ。
今の幸福な生活が、本当は現実の話ではなく、夢の中の出来事なのではないかと。妄想にも近い戯言。意味もなく勘繰って、疑って、肯定する声を望む、逃げの思考。
親の束縛も。
学の強要も。
躾の苦痛も。
今の寝子を縛り付けるモノは、何も無い。だが、ずっとその身を蝕んできた過去は、呪縛となって……呪いとして彼女から離れない。
蒼月の庇護下にあっても。
花園の親友と出会っても。
今が夢で。目が覚めたら、あの日に戻っているかもしれないような……そんな思考が、常に、彼女の叡智の片隅に居座っていた。
払拭できないそれは、正しくトラウマ。
克服しようにもできない。脈絡もなくブルりと震えて、突然人肌を恋しく思うぐらいには……胡蝶の夢に囚われた寝子は、二つの境界線を彷徨っていた。
それを察した親友が、無理に克服させることはせずに、ゆっくりとした症状の緩和を試みるぐらいには……寝子の心に入ったヒビは、かなり根深い。
保護者となった彼女も、洗脳や認識操作以外では無理と匙を投げて、在野の専門家に任せるべきとなったぐらいは深刻だ。
今も尚、彼女は幻聴を聞く。
───こんなこともできないの?
───そんなのではダメだ!寝子は最高学府に行くんだ!もっと勉強しなさいッ!
───あなたは私の言うことだけを聞いてればいいの。
───これをやりなさい。これもやりなさい。あぁ、勿論これもだ。
───学校行事なんて無駄よ。意味のない無駄をするなら本を読みなさい。知識を身につけなさい。何者にも負けぬ知力を手に入れなさい。それ以外は許しません。
返事は、『はい』だけよ。
───なんだ、死にたいのか?なぁ。
───躾が必要なようね?
───ああぁぁぁ!?ダメだ!このままじゃバカになる!私の子は世界を取るんだ!こんな問題に躓いて、オマエは恥ずかしくないのか!?
───あぁ、アレはあなたの現在に、未来にもいらない。だから■したわ。
───食事の時間も惜しいな。
───寝るなんて勿体ないわ。
───さぁ、勉強だ。
───なんでこんなこともできないの!?出来損ないには生きる価値などないのよッ!百点以外の数値を、私たちに見せないでちょうだいッ!!!
わかったわね!?
「ッ…」
もう聞くことのない声。
記憶から薄れつつあるべき、忘れたい過去。優秀な脳が悲痛な思いを否定して、ずっと、記憶領域の中枢に彼らの言葉を、支配を、記憶を残している。
その度に、震えに気付いた誰かが手を握るのだが。
乗り越える気にもならない絶望と、なれない悪循環と、寄り添って生きる。
(……なんで今、そんなこと考えてるんだろ)
走馬灯にも似た絶望を、脳裏に掠めながら───寝子は現実を直視する。
夢の終わりは、すぐそこに。
꧁:✦✧✦:꧂
「絶望を知れぃ!」
「もう知ってるよ!イヤってぐらいに!」
「往生際が悪りぃんだよ、ジジイ!」
「バ〜フォッフォッフォッ!褒め言葉じゃなぁ、それは!余を滾らせるでないぞ!!」
「ッ!」
賢王セチェスの武技。三叉戟を主体とした刺突と斬撃、そこに二種類の魔法を使った面制圧に、夢星同盟はいつも以上に手古摺らされる。
砂塵が鋭利な棘となり、肌を突き刺し傷つける。
魔力防御を一度でも怠れば、文字通り串刺しの貫通力を誇る砂塵。その真偽は、ブランジェの左腕が一瞬になって
穴だらけになったことで証明された。
魔力吸いの樹海も健在。勿論、虹光の怪物鯨の群れも。
そして、命を狙われる形となったチェルシーは、夢幻で手当り次第に周囲の障害物を消し去りながら、突き刺さる殺意に防御障壁を構築。槍の形状に固形化された砂が轟速で突っ込むのを完璧に防ぐ。それでも尚、鯨の王の歩みは拙速せず、一歩進むごとに速くなる。
だからこそ、チェルシーはセチェスから距離をとらんと後退する。
「こないでっ…」
「なんじゃ、さっきまで向かって来おったのに。己の命が狙われた瞬間手のひらを返すとは、関心せんぞ?」
「あなたの関心なんて、いらないからッ」
他人の評価など興味もない。
彼女の指標は既に定まっている。その希望がある限り、興味のないあれこれからの、意味を成さない忠言など……取るに足らない戯言でしかない。
そう力強く否定してみれば、セチェスはそりゃそうだと笑って謝る。
謝りながら、手にした殺意を形にせんと、一切止まらず追いかけていく。背後に這い寄るフルーフが、ヴュートンヴァールを一体呪殺してから追いつき。同じく漸く一体を圧壊させたブランジェが、セチェスを前後で挟む。
背後からの呪詛。
前方からの重力。
そして、横合いからリュカリオンの溶岩が迫り来るが、セチェスは止まらない。
「邪魔じゃもん!」
「いーや、どかないねッ!一番厄介な子から潰そうとか、やらせるわけがないじゃん!!」
『執拗い男は嫌われるよッ?』
「残念!国民投票で余の人気は万年二位!娘に負けとるが大人気なんじゃよ!!」
「負けてて草」
迷わず直進するセチェスに、ブランジェな天守りの盾を突き立てることで妨害。三叉戟は盾とぶつかり、凄まじい火花を立てるが……絶対に壊れない盾の破壊は叶わない。その代わりに、盾から伝わる衝撃でブランジェの腕を若干痺れさせ、動きを鈍くさせる。できたのは、それだけ。
決死の突進は食い止められたが……
それでも、セチェスは苛立ちは見せず。それどころか、そうでなくてはと笑う。背中に浴びせられた呪詛すらも、強靭な意思力を持って跳ね除け、溶岩拳に熱されながらも笑みを絶やさない。
「クソッ、いい加減止まれや!!」
『粘り強いなぁ、ホント!』
「そんなもんじゃもん。余は王である前に、戦士!此度の戦において、引き際を思考する必要はあらず。汝らをこの場に食い止めることこそ、将星たる余の仕事じゃもん!」
『仕事熱心だねッ』
「そちらもな?」
リュカリオンの拳に殴られようと、フルーフか、呪詛を送り込まれようと、ブランジェに潰されかけようとも。
チェルシーから夢幻をぶつけられようと。
「軽い軽い!軽いのぉ!」
いつもと変わらない笑み。それ故に、一同は、恐怖とはまた違った悪寒を抱く。笑みを絶やさない強者は、焦りを覚えていようと強くあれる。
魔法の溜め時間はない。我武者羅に相対するしか、この老王を止める術はなく。
然れど鯨の王は止まらず───切り札の魔法を使う。
「砂漠魔法ォッ!」
───砂漠魔法<ヴュステ・バテンカイトス>
魔力の発露、その魔法発動と同時に、セチェスの肉体がザラザラとした砂へと変化。一瞬にして砂の塊に変化したセチェスは、勢いよくその身を拡散。
人一人分とは思えない大質量の流砂が、戦場に流れる。
豪快な笑い声が耳朶に響き、顔を顰めながら砂の一掃を考えるブランジェだったが……それよりも速く、砂の中を食い破って現れた、三叉戟に刺突される。
一本だけではなく、何本も。
「ッ!?」
「バッフォッフォッフォッフォッ!さァ、踊れぃ!ここがお主らの、新たな死に場所じゃもん!!」
「それ増えんの!?」
複数方向からの刺突を盾で防ぎ、槍で跳ね除けようも、その隙間を縫って襲いかかる。間一髪で身体を捻ることで回避するが、その回避した方向にも攻撃が刺さる。
槍の応酬でその場に縫い付けられたかのように動けないブランジェ。無数の三叉戟、砂と一体化したことで無限に複製された刺突と斬撃は、リュカリオンにも襲いかかる。
溶岩で全てを焼き尽くし、拳と蹴りで破壊するが……
そんなものでは止まらぬと、虚空より響き渡る笑い声と増殖する三叉戟は収まらず。更に、ヴュートンヴァールの巨体も猛威を振るう。
「邪魔だァ!」
『クッソッ!』
霊体故に攻撃が届かないフルーフは、砂の中に埋もれた本体を見つけ出そうとするが……撹拌するように戦場全体で渦を作る砂を調べようにも、魔力感知に引っかからず。
魔法少女の検知を逃れて、鯨の王は大暴れ。
それどころか、フルーフを中心に砂を暴れさせることで視界を奪い、移動してもついていき、擬似的な砂の檻から逃がさない。
「みんなッ…」
固唾を飲むチェルシーは、特注の防御障壁を四方八方に展開した、キューブ状の結界の中に身を潜めることで難を逃れる。だが、結界を覆うように砂塵は殺到。
ジクジク、ジワジワ、ずさぁぁぁ…と音を立てて。
セチェスそのものである砂塵が、結界を侵蝕。外殻から責められ、砂が集まり、擦り合って、結界に穴を開けんと突き刺さる。
可視化できる程、砂塵は素早く結界を一層粉々にして、更に侵蝕する。
「ッ!」
「───何処に逃げ隠れしようとも。余から逃れることはできんぞ?」
「ッ!?」
このままではいけないと、内側に更に結界を貼り直し、夢幻魔法を結界の外に置いて消滅させるが……それよりも早く、チェルシーの耳元に嗄れた老声が囁かれた。
驚きに目を見開き、背後を振り向けば……
いつの間にか。大量の砂が、結界の四隅から流れ込んでいて……下半身は砂のまま、上半身だけで浮かぶセチェスがいた。
僅かに空いた隙間、微小な穴から侵入したセチェスは、硬直するチェルシーを静かに見下ろす。
咄嗟の攻撃は、驚きに邪魔されて一歩遅く。
「夢幻ッ───!?」
「やらせんよォ、小童」
「うっ!?」
夢幻は迸らず。
チェルシーの反応速度を遥かに超える素早さで、彼女を羽交い締めにするセチェス。バタバタと足を動かそうと、空いた手が夢幻を放垂れよと、拘束は解かれず。
結界に入り込んだ砂に、セチェスは号令を下す。
すると、オーダーを受けた砂は三叉戟の形を象って……無数の矛先が、一斉にチェルシーに向く。数十本の死が、すぐ目の前に。
そして、間髪入れずに加速をつけて、勢いよく。
流砂の身体故に刺突を無視できるセチェス諸共、殺意が迸って……
「先に逝け。すぐに後を追わせてやる───さらばじゃ」
防御はできない。
回避もできない。
反撃も許されない。
なにもできず、恐怖の色を瞳に浮かべたチェルシーに、黄金に煌めく砂の三叉戟は、一切の容赦なく殺到して……鮮血が弾け飛ぶ。
「あっ…」
皮膚を食い破り、肉を貫き、反対側から飛び出して。
───串刺しに。
胴体を中心に、三叉戟が身体を貫通する。魔力障壁も、対物理障壁も全て無意味。あっさりと砕け散り、三叉戟に全身を串刺しにされる。
チェルシーは目を見開き、血反吐を吐き、痛みに喘ぐ。
心臓をも貫いた刺突は、標的を確実に殺すという意思が明確になった殺意そのもの。頭部は無事だが、それ以外はもう、救いがないぐらいには……徹底的に。
槍は引き抜かれない。
ずっと肉体を縫い止められたまま、空中にチェルシーは固定される。
「う、ぁっ…」
掠れた苦悶の声。
救難信号は届かない。指一本動かすことすらできない。神経系をズタズタにされたことで、脳からの司令が身体に送られるわけも、届くわけも、ない。
すぐ傍に、死が忍び寄る。
さぁおいでと、死相が浮かんだチェルシーに向かって、手招きをしている。身体から命が零れ落ち、朦朧として、暗闇の底が落ちておいでと誘ってくる。
諦めずに足掻こうと、有効手段は何処にもなく。
死が近付くに連れ、砂塵に蝕まれて虫食い状態になった結界が、ボロボロと崩れていく。そんな壊れていく結界の向こう側から、必死に手を伸ばしてくる仲間たちの姿を、チェルシーは最期に捉える。
暗くなっていく視界。
熱いのに冷たくて、苦しくて、凄まじい喪失感が溢れて止まらなくて。
痛みに叫ぶことも、嘆くこともできず。
三叉戟に生命力を奪われ、言葉を遺すこともできず……破滅を拒めないチェルシーの意識は、死の恐怖に支配されながら暗闇に落ちる。
「や、ぁ…」
あまりにも、呆気なく。
栄養失調などで脆弱だった身体は、食育によって少しは改善されたものの……その負荷は、怪人になっても彼女の重荷となっていた。
その負債が、今になって牙を剥く。
生きる未来を手離すつもりはない。まだ、やりたいことなんて幾らでもある。それでも、チェルシーの心を裏切るかのように、脳は機能を停止していく。
開いた瞳孔は、虚無を映し。
真っ暗闇の中に浮かんだ、大好きな親友の顔を最期に。チェルシーの意識は。
闇に沈む。
(……ごめん、なさ…)
届きもしない謝罪を、虚空に告げて。二度と覚めない、死の底へ。




