Witch-hunt,wisdom-act (2)
《半落ち》と呼ばれるゆえんである朝嶺亜の機構は、幼い日に双子の姉と分かち合った単なる投与型機構だ。さしてハイスペックなわけでも、特殊な機能が搭載されているわけでもない。
しかし災害後の空から降り注ぐ宇宙線へ対応すべく人類へと散布された微機が持つ恒常化機能――人体を一定の状態に保とうとする働きが、それをただの機構に留めないものとした。
一卵性双生児の朝嶺亜たちは非常に似通った形質を持っていたため、微機は機構の情報リンクを介して『恒常化のため取得すべき情報』を混線させてしまったのだ。
要するに、朝嶺亜とその姉・阿縁亜は微機による体調保全の際の参照情報を、自分でなくかたわれのデータから取得することが可能となっていた。
「だで、うちの機構は鍵かっとらん脱法デバイスって呼ばれとったがじゃ」
からからと笑って、朝嶺亜はそう語った。
本来、機構は他者にハックされないよう厳重な個人登録で鍵をかける。だが朝嶺亜は幼い日の悪ふざけでその鍵をかけずに、姉と分かち合うことそのものを鍵とした。
互いの体を機構の参照情報元とすることで、相手の体の恒常化に異変があれば自身のデータをもとに再構築するのだ。これならたとえハックされても、されていなかった自分の方のデータをもとにしてかたわれを正常な状態に戻せる。だから鍵は必要なかった。
そして朝嶺亜はこの機能によって、姉を死の淵から救った。
恒常化――それは正常化。
この認識により朝嶺亜は、己の体のデータをもとに、手足がちぎれて死にかける事故に遭った阿縁亜を回復させた。
本来なら機構による肉体再生は、欠損や断絶などの大きすぎるダメージの回復に向かない。参照情報と現状との乖離が激しすぎるため、エラーが起きるのだ。
朝嶺亜は無事だった自分の肉体データに沿うことを『恒常化』と微機に認識させ、阿縁亜の肉体の怪我をなかったことにした。
けれどその代償は大きく、阿縁亜は細胞分裂の回数をかなり減じた。寿命が、大幅に削れてしまったということだ。これは南古野を仕切る五大旧家である百々塚の命脈を保つにあたり、許されざるおこないであった。
即時、寿命がまだ残っている朝嶺亜が御家の血筋を継ぐ者とされた。だが今度は阿縁亜が、妹の自由を救うべく『恒常化』による共有に手を出す。
朝嶺亜は阿縁亜と同じだけの細胞分裂を使い潰した状態の肉体となった。
残る寿命は五年か、はたまた一年か。
わかりはしないが、構わなかった。阿縁亜が自分同様にかたわれの自分を思ってくれたのが、うれしかった。
こうして一族にとっての大罪人、かつ寿命も少ないろくでなしとなった朝嶺亜はめでたく放逐される。
けれどその機構は、情報リンクの途絶えた統治区連繋系の外でさえどんな技術者にも外すことかなわず。結局、彼女の体内に保存されたまま南古野に流されることとなった。
いまも、新市街で阿縁亜が持つ権限と同程度の権限が生きており。百々塚や新市街に近い者ほどそれを苦々しく思っているのだろうが、だれにもどうすることもできない。
気ままに、自分を逃して生かす。
百々塚朝嶺亜はだれよりも自由に南古野を生きる。
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組合の崩壊から一日も経たないうちに地下拷問部屋のセーフハウスにやってきた朝嶺亜は、これまで多くを語らなかった自分のあだ名・《半落ち》――都落ちしてなお機構権限が生きている理由――について、短く述べた。
これがあるために本来アクセスできないはずのレイヤーに繋がれるし、南古野のなかに限れば『新市街民』としての権限を利用して各種施設にも出入りできるのだという。
彼女の異様な逃げ足の速さと足のつかなさは、この技能と異能をして干渉器物やセンサーといった機器のデータにアクセス・改ざんすることで成り立っていたのだ。
「まあ、さすがに水道局関連施設は水泥棒のときみたゃあに『偶然迷い込んだ』体で扉の開け閉めくらいはできるがじゃ……情報の盗み出しとかはできんでよ。あんま期待せんように」
あくまでも逃げ、現状維持をするのがやっとだと、その点については釘を刺してきた。だが足跡を消して追っ手を攪乱できるのならこの上ない。この半年間でたびたび彼女の力を借りることとなっていた。
……そのストレスを、もっと分かち合ってやるべきだったのだろうか?
男に組み伏せられている朝嶺亜の映る窓を、見るともなく対面のビル屋上から見下ろして。理逸は焦燥に身を焼かれていた。
この半年、生きていくので精いっぱいだった。理逸も、婁子々も、朝嶺亜も、スミレも。
頼れる筋はほぼない。希望も期待もない先のことを考える苦痛は現在を鈍らせる麻酔でしか耐えられなくなってきており、まだ禁止薬物に手を出していないのはほとんど奇跡的とさえ言えた。
転げ落ちる坂の途中、中途半端に引っ掛かっているような気分である。
いっそ楽になりたいとは何度も頭をよぎった。でもその都度、同じことをより鮮明に思い描いているのは、地下室で倒れ伏しているスミレだろうとも思った。思ったからといって自分のなかの重苦しさが消えるわけではないが。
やがてことが済み、帰路につく。夜間は笹倉の手の者でなければ出歩くことも難しくなってしまったので、夕方になってきた現在はひどく街は静かだ。
真夏から時がくだり、十二月に入った街の中はわずかに暑さも落ち着いてきている。じりじりと焼く熱がじわじわと蒸す熱に変わったような、そんな印象だ。空の色も少し濃くなっている。
季節の変わり目だ。
理逸は少し、ひとりになりたくなった。
「朝嶺亜さん、あとこの道行くだけで今日は安全なはずなんで。先帰っといてもらえますか」
「んぁ。了解したがじゃ」
乱れた痕の残る肌と衣服を整える朝嶺亜は、ひらひらと片手を振った。理逸は、人気がないのをいま一度確認してから路地に入り、引き寄せでビルの屋上へ飛ぶ。
ライトブルーからコバルトに変わりつつある空がぐんぐん近づき、夜の訪れに伴い湿気が弥増す大気のなかを突き抜ける。
柵をつかんでトン、と五階建てビルの屋上に着地して、そこから水平に広がる景色を眺めた。
深々がどこか、この景色の空中を歩いてはいないかと、少し目で探ってしまう。
いるはずもない彼女の姿が陽炎のなかに浮かんでは消える。
彼女がそばにおらず、頼ることもできない実感をかみしめるために理逸は高所を好むようになっていた。もしかすると、いつもプライアを用いた高所の散歩を好んでいた深々も……あの日に高所から落ちて命が潰えた朔明の幻像を探していたのかもしれない。
「……よっ、」
ビルからビルへ、プライアを使わずに跳ぶ。
落ちれば終わりの危険な跳躍も、けれど命が軽い南古野では頻繁に見る。時々、しくじって落ちている人間も見る。そういうときに理逸は朔明を思い出して嫌な気分になったものだった。
だというのにいまは自分が似たような行動を採っている。
いざとなれば能力を使って落下に制動をかけることはできるが……必要のないリスクを、楽しむでもなくただ生の実感のために消費していた。
駆け出し、踏み切るポイントを誤れば、跳躍の描く弧の頂点で気づく。反対側に届かない、という予測が全身を地に引きずり下ろす。
その予測、嫌な予想と想像を振り切って跳ぶ。
体を動かしつづけていくつもの区画を横断していた理逸は、いつのまにか世渡妓楼閣に辿り着いていた。
かつて馬饭店と呼ばれたころの名残である、華国風のデザインが施された赤レンガの建築だ。知己である李娜はいまもあの場を切り盛りする楼主のままだが、しかしなかに入ることはできない。
「今日も、いるな」
楼閣の周りには気づかれにくいように配された、極道の影があった。
理逸と李娜が知己である以上、組合を失って頼る場のない彼がここへ来るのは当然……安東あたりがそう推測したのだろう。半年前の組合崩壊からこっち、楼閣の周囲から笹倉組の者が絶えたことはない。
同様にトジョウと訪れた食事処である安生堂、薊の働いていたクラブ・キャンベル、京白市場で組合の息がかかったいくつかの店に至るまでが封じられたのを確認している。
奴らは理逸たちがじわじわと削れて、尻尾を出すのを待っている。裏を返せば安東たちにとっていまの組合残党は、本腰を入れて潰すほどの脅威とはみなされていないというわけだ。
「侮ってくれてるのは助かるけどな……」
ただこれも本気の侮りではなく、理逸を気に入っている享楽主義者の安東が『穴を残しておけばなにか面白いことをしてくれるだろう』との目論見を抱いており、その発露が侮りになっているだけなのだろうが。
御望み通り、侮りに付け入らせてもらう。
理逸は楼閣を眺めながら、新入りの娼婦たちが暮らす寮のビル屋上に着地する。
屋上出入口から無機質な階段を下りていくと、廊下に並ぶ赤錆びたドアのなかにひとつだけ、木製のドアがある。
足音なく近づき、理逸はなかの人間に声をかける。
「よう。仕事はどうだ――兄弟」
ノックもせずの、その呼びかけが符丁だった。
ドアはおずおずと、ゆっくり開かれる。立っていたのは日邦属の顔立ちをした、まだ幼い少年であった。彼はちいさな唇を開く。
「兄弟。待ってましたよ」
年の頃は十かそこら。声音は変声期を迎えておらず高く澄んでいる。
……目の見えない李娜の唯一の趣味は、絵本の音読を聴くことだ。それも変声期を迎える前の男子のアルトボイスを好むので、彼女は二~三年経つと読み聞かせを担う子どもを入れ替える。
半年の潜伏期間、先の見えない状況で理逸が待っていたのはこれだった。
李娜の扱う、読み聞かせの少年――理逸自身もかつて務めた『語り部』の入れ替わり。
これを狙って理逸は半年のあいだ仕込みをしていたのだ。焦燥に身を焼かれつつ、慎重に積み上げて今日を待ちつづけていた。
理逸や組合との関係性が既知である人物に接触すれば、安東たちは必ず感知する。ともすればツァオ・マオ・ミヒロの三名にすら網を張っているだろう。しかし、まだ理逸や組合との関係性がない人間への接触までは、網を張れない。
その隙を突いた。理逸は李娜好みのアルトボイス、かつ識字が可能な程度に学のある人間を探す。さいわいにしてトジョウの青空教室のおかげで識字可能な子どものあてはあったし、彼らがトジョウ亡きいま頼れる相手を求めていることもわかっていた。
理逸は李娜への『語り部』を務めることで生活していた時期がある。その経験を活かし、彼女に好まれるような発声や言い回し、態度を仕込んだ。もちろんその間、食事の面倒を見ることや仕事の斡旋、大人としての信頼を行動で稼ぐことも忘れない。
こうして長期にわたる下準備の甲斐あって――李娜の部下の街廻りで見初められた彼、ハザマ少年は今日いよいよ李娜のもとで初仕事をする。
その彼に伝言を頼むことで、理逸は直接の接触なく李娜とのやりとりを可能とする。
「頼むぞ、ハザマ」
「まかせてください。飯と仕事の恩は、ぜったい忘れませんから」
薄い胸を張るハザマ少年は、理逸からの伝言を口に出して繰り返す。
「『あの医者に会いたい。機構を進化させた奴がいると伝えろ』――これでいいんですよね」
「ああ。『前の語り部からだ』と言い添えてくれれば、それで伝わる」
あまり長く具体的なことを言わせると、盗聴やその手のプライアが設置されていた場合がこわい。ハザマ自身の態度としても、あまりに重苦しい任務を背負わされると日常生活でプレッシャーからぎこちなさが出る可能性がある。
だから抽象的で、たいした用件ではないような言い回しを作り上げた。あくまでも組合が廃れて困っている理逸が、昔馴染みに連絡を取りたがっている……その程度であるように見せかけた。
「明日の夜にまた来る。李娜からの返事を聞かせてくれ」
はやる気持ちを押さえつつ、理逸は冷静さを保って言った。
追い込まれているし、苦境ではある。焦燥感は忍耐力をいまにも焼き切らんばかりだ。
それでも理逸は動いていた。水道局の、求生総研の横暴を止めるために。
自分たちの生きるべき南古野を、取り戻すために。




