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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter8:

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95/125

White whale (15)


 織架が倒れる。受け身も取れない。刺さる先端の逆の端が地面に触れてグぢっ、とさらに深く刺さる。激痛に身もだえしてすぐさま横に転がった。


「あ゛っ、あ、がぁ……」

「織架!!」


 理逸が駆け寄る。婁子々とスミレが目を見開いている。

 そのあいだにも地面に血が吸われていき、血潮の流れ出る速度はトジョウの銃創の比ではない。防ごうとした手甲型機構ガントレットデバイスごとぶち抜かれ、心臓が……やられている。

 だがなおも彼は動いた。空中を叩く動作鍵式定型情報出力(モーションキー)で、地面から道路の中央分離壁を呼び出す。理逸たちへの射線を覆う目隠しとなり、つづく投擲を一時防いだ。


「織架、おいっ」

「ごめんな……婁子々」


 もはや眼鏡型機構越しの目に光はなく、生気が消えゆく。パイプは左前腕を縫い留めて胸を貫通しており、どうあがいてももう助からない。

 理逸は織架の右手を握る。それももはや感じ取っているかわからない。彼の眼は、倒れ伏してスミレに治療を受けている婁子々に注がれていた。

 彼女も、織架を認めていた。

 交わった二人の視線が、三秒もせずに逸れる。


「お前を、死なせ、たくなかっ、…………」


 つづきはなかった。

 半端な位置で止まった唇は、もう動かなかった。

 織架が死んだ。

 理逸は彼の手を離した。


「……くそ……」


 怨嗟のこもった声だ。自分の声だろうと理逸は思った。だが、それにしては高い声のような。

 そこまで考えて、顔を上げる。

 スミレに膝枕を借りていた婁子々が、身を起こしている。


「く、そ……ぉ、ぁ!」


 怨嗟を叫ぶ婁子々の身体が起き上がる。微機によるダメージでもはや動けなかったはずの身体が、スミレによる治療を受けているとはいえもうがたがたのはずの身体が、戦いに向かおうとしている。

 瞳の光は明滅しており、焦点も合わず。いまだ過剰摂取オーバードーズによる反動は身を蝕んでいるはずなのに。意識はまだ、うつろであろうに。

 よたりと、這うようにして一瞬、織架の胸に触れた。彼の血に濡れた己の手を見て、その滴りが前腕を這って袖の中に伝う。それを、名残惜しいものを見つめるように目で追って、やがて眼を閉じた。


「なにを遊んでいる?」


 そこへ急襲。乗り越えた分離壁の上に立ち、姿を現した火傷顔の男。

 理逸がとっさに引き寄せで体勢を崩そうとするが、掌の軌道上から身をかわす。掌を向けた延長線上にのみ引き寄せる力場が発生するという条件を、瞬時に見切られていた。

 腰ほどの高さがある分離壁からの高度差を利して、踵を振り下ろしてくる。完全に不意を衝かれたはずの一撃。

 だが婁子々はこれを左手で受け止めた。先の血の滴りを宿した手で、火傷顔の男のブーツの底をつかみ取る。

 眼は閉じたままだというのに。視界のないままにそれでも、殺気を察知したのか。ともあれ、相手もさるもの。蹴りを止められても動揺せずに追撃を選ぶ。男の両腕に青の光が宿った。


「死ね」


 向けられる男の手の周囲でなにか渦巻くような気配があった。

 熱だ。両腕からなんらかのギミックで熱が発生している。それが腕の像の輪郭をぶれさせ、青の光をねじれさせている。

 袖のなかに特殊な生体機構バイオデバイスでも仕込んでいるのか? それこそ《陸衛兵》のような。いずれにせよ危険だ、危険しかない。理逸は婁子々に引き寄せを発動し、せめて逃れられるようにと考え――


 直後に鮮血にまみれた。


「………あ?」


 火傷顔の男がうめいた。

 自分の足を見つめている。婁子々につかまれた、右足だ。

 激しい出血が制服の群青色を黒に染め上げている。靴を履く足首からどぼどぼと零れ落ちる血の迸りは、脛から膝を這いあがって太腿に達しようとしていた。


「なんだ、これはっ?!」


 驚愕しながらも対応は早い。

 どのように機構を利したかはわからないが、火傷顔の男が姿勢を整えた瞬間爆風に包まれる。膨れ上がる大気に、理逸たちも吹き飛ばされそうになっていた。

 彼は上空高く飛び上がり、つかまれていた足を振りほどいた。だがすでに大腿部まで血を発しており、苦い顔つきで宙を舞う。

 婁子々は立ち上がり、頭上を取る火傷顔をにらんでいた。

 その両目には青の光が宿る。

 その左手は浴びたはずの血がどこにも付着していない。

 いや……着ているドレスにも、長く伸びる一束の栗色の髪にも、一滴たりとも残っていなかった。返り血が消えている。

 血はどこにいったのかというと。彼女の足元に転がる。

 そう、転がっている。

 球のかたちを取り(・・・・・・・・)、黒光りする石玉のようにごろりと転がっていた。


「なんだ……それ」


 理逸はわけがわからない。

 いま婁子々の目には機構の発動光がある。機構しか発動できていないはずだ。だが、この奇妙な事態はなんだ。

 物理法則を超越した異常な現象。体に衣服に染み込んだはずの血を抜き取り、あまつさえ球体状にして転がすという念動力サイコキネシスにしか思えない事象。

 まさか機構が、進化したのか? 《陸衛兵》の技のように。触覚と認識と認知の延長上で、あのような技は可能なのかもしれない。

 そう考えている理逸のはるか頭上で、火傷顔の男は歯を軋ませた。


併用者ハイブリッド……なぜ?!」

認識できん(・・・・・)からだ。ヤクキメて意識飛んでんだな、その状態でなら思考ロックの判定外だ」


 赤髪の男が地上で、またも鉄パイプを投げ込みながら言う。

 婁子々はこの殺気に応じ、今度はこれを裏拳で弾いた。焦点の合わない目で、口の端から泡を吹いて、明らかに尋常ならざる様子で身を低く構えた。獰猛な肉食獣が、身を沈めたときを思わせる構えだった。

 次いで、分離壁を一息に乗り越えると垂直な壁を蹴りつけ猛然とダッシュした。青の残光がたなびく。

 坊主頭の男と髭面の男が進路に割り込むが、婁子々が手を一振りすると彼らの顔面に血しぶきが浴びせかけられた。

 足元から跳ね転がった血球が、婁子々の腕の軌道に合わせて形を変えていた。触腕のように細く伸びる血の鞭が目つぶしとなる。


「ぬっ――嘗めるなよ!」


 それでも坊主頭は、手にしていた脇差――……あれは蔵人のものだ……――で見えないままに平突きを見舞う。それが正確な軌道を描いたか、あるいは無意識に猛進する婁子々が防ごうとしなかったからか。刃先が彼女の頸動脈を裂く。赤いリボンのように首から血がこぼれる。

 けれど構わず進む。

 血は一瞬散って刃を濡らしただけで、傷口こそ治らないがそれ以上は流れない。血はめぐり続けている。

 坊主頭はそのまま組みつかれて押し倒され、脇差を手元から弾かれると顔面に幾度も拳槌を食らう。ガードすべく腕を掲げた坊主頭が舌打ちする。


「チィ……血液操作――身内の失血死へのトラウマで能力(■■■■)に目覚めたか」


 坊主頭がつぶやいた言葉に、なぜか理逸には聞き取れない音があった。

 髭面の男が横から蹴りつけるとやっと婁子々は止まる。が、獣の敏捷性で飛びのく様には打撃よりも憂慮すべきものがあったかのように見えた。

 その憂慮すべきものの正体は、理逸のすぐそばにある。

 赤髪の男が一瞬早く気づき、部下なのだろう三名に告げる。大曾根もなにか感づいたか、素早く退いた。


「全員下がれ!」


 見極めが早い。青い水の膜を纏う赤髪の男の背後に、指示に従った三名が控えた。

 野生のカンで動いているのだろう婁子々も路上にあった黒い石碑オベリスク、通信中継サーバ実体を盾にする。大曾根はビル内まで後退していた。


 次の瞬間に全員を、

 青い驟雨が襲った。


 もちろん雨ではない。が、そう呼ばざるを得ないほどの――大量かつ膨大な、あるいはかつての蝗害(第三災害)のようですらある微機ナノマシンの群れだった。

 豪雨のときのように上から下へ、叩きつける微機そのすべては理逸の隣で天に掲げられたスミレの手から放たれている。

 いや、手だけではない。階路コースの仕込まれた腕だけでなく、背の開いた衣服であるがゆえに露出した肩甲骨や首筋のあたりからも微機を放出していた。血管を這いまわるように微機の軌道が肌を覆い尽くしており、首から下の至るところで浮上と潜伏を繰り返すがごとく青の光が現れては消える。

 肩回りからの放出は幅にして十数メートルにも達する翼の展開に似て、ひとならざる者の印象を与えてきた。あの《陸衛兵》たちの、他者の人体(Warez)部品(widgets)を継ぎはぎした異形に感じるそれと、似通っていた。


「お前、そんなに大量に微機使って大丈夫か」

「さすがにあと三十秒ほどしか持ちません。しかもぁの赤髪、水の膜でゎたしの微機接続にょる支配ハックを遮断してぃます」

「つまり?」

「どぅにか膜を突破できれば機構を無力化できますが」


 無力化。思えば、最初に会ったときもそうだったか。相手に微機を当てれば上位権限で作動しないようにできる――ということ。最終焉なる最上位機種であれば、やつらの機構でも止められるのだろう。

 しかし「突破できれば」なので、このままではどうにもできないということだ。

 水の膜は薄く見えるがシャボン玉のように常に表面が流動している。これが、軽くて力のない微機では突破できないのだろう。

 どうする? あまり考えている余裕はない。理逸は視線をめぐらし、地面に転がる脇差に目を止めた。

 ――あれだ。あれしかない。

 即座に駆け出し、左手の引き寄せで手の内に柄をつかむ。そのまま駆けていき、握りなおすときの左手の開閉と刀身半ばに五指を揃えるような右手の開閉で、一気にビル壁面へ己を引き寄せた。

 向かうは壁面と己の中間位置で水のバリアを張る赤髪の男とその部下三名。

 両手による引き寄せで限界まで速度に乗った理逸は、最後の踏み込みと共に脇差の刀身を両手で押し当てるような体当たりを繰り出した。


「馬鹿だね」


 赤髪が嗤う。刀身は、ミリ単位にさえも満たないように見える水の薄膜により受け止められる。磁石の反発を無理やり抑え込んでいるような力の鍔迫り合いが一瞬互いの間に生じ、次の瞬間に強い圧で理逸は刀ごと弾き飛ばされた。


「その程度で貫かれん程度の防御力はあるさ」

「そうかよ」


 理逸は平然と返す。

 それは、予想していた。

 だからこの攻撃は二段構えであり、その二段目は、狙い通りに進んでいた。

 理逸は後ろに転がりながらも膝立ちに姿勢を立て直し、いまだ石碑オベリスクの後ろで身を潜めている(おそらく微機を「自分に影響するもの」と感じて退いたのだろう、カンがいい)婁子々の方を向いた。

 いまだ焦点合わず意識もおぼろ、理逸を理逸と認識すらしていないだろう彼女。

 そちらに向けて、脇差を振りかぶり――投げた。


「!」


 婁子々は素早く反応する。

 もちろん外すつもりだったため、刀身は彼女の手前の地面に突き刺さる。

 けれど直前に刃をぎらつかせながら理逸は、婁子々の心臓に刃を突き立てるイメージを心中に練り上げて睨みつけた。

 殺すつもり(・・・・・)で、見据えた。

 途端に婁子々は石碑の陰を飛び出し、長い手足で地をつかみ抉るように走ってくる。

 これも読み通りだった。奴はいま、殺気に反応して野性に従い暴力を振るっている。つまり身に危険が迫っていると感じれば、対処のため動く。

 そのときの動きがどのようなものになるかは先の戦いを見ていれば想像がつく。

 渾身の一撃を見舞う前に、牽制としての――――血を操る攻撃。


「――ッ! 示指セカンドいますぐ風を出せ!」


 理逸の策に気付いた赤髪が指示を下すが、遅い。

 彼が展開していたのだろう薄膜表面の、爪の先ほどのごく一部が引き剥がされて(・・・・・・・)穴を晒していた。理逸が先ほど脇差で挑みかかったのは、それで薄膜を切り裂けるなら『良』。無理でも薄膜に血を(・・・・・)混ぜられれば(・・・・・・)『可』という二段構えだったのだ。

 混ざりこんだ血は、婁子々が(どうやってるかはわからないが)操る際に引き抜かれる。ドレスに染み込んだ血すら一滴残さず取り上げるのだ、それくらいは可能だろう。そして空いた穴は微機を飛び込ませるには十二分の大穴だった。

 スミレが即、微機奔流ナノマシンストリームの大半をいざなう。青の激流が飲み込み、彼らの姿が視界から消えた。

 もっとも理逸も悠長に見ている余裕はない。

 殺気を向けたせいで襲いくる婁子々の攻撃を、全身全霊で回避し、いなさなくてはならなかった。

 血球から予備動作無しに伸びてくる血の鞭による目つぶし、直後に来る剛腕、剛脚、豪打。屈む、避ける、引き寄せでずらす。

 いかに理逸が機動力でかき回すのが得意で、過去に勝ったことがあるとはいえそれは向精神加速薬アクセラも抜きの素の婁子々だ。四枚使用という異常を成している彼女を捌きつづけるのは難しい。


「もう、保たねぇ」

「ぃえ間に合ぃました」


 理逸が音をあげたのと微機を放出しつづけるスミレの支配ハックが終わったのと、ほとんどタイミングは同じだった。がくりと膝から崩れた婁子々の目から青の光が喪われる。上位権限で機構を強制終了させたのだ。

 血球もやはり機構の産物なのか、その場でべちゃりと形をなくして地面のシミと化す。


「いや待て、まずい! こいつ首の血も機構で止めてたんじゃ」

「そこは大丈夫でしょぅ。認識範囲の拡張ブーストが外の血にも作用させてぃただけで、本来は自分の体内とぃう認識の枠で発動するもののはず」


 あわてる理逸にスミレはそう告げる。言われて見れば、婁子々の頸動脈の下では赤い血が巡りつづけていた。透明な管のなかを通っているかのようで、若干薄気味悪い。

 スミレは微機放出の勢いをわずかに弱めながら、ぼやく。


■■■■(能力)に目覚めましたか……まぁ、どぅあれ。ロココさんが意識ごとシャットダゥンするのは防ぎました」

「あ、ああ」

「ハシモトはゎたしが引っ張ってきます。ぁとは退路につきましょぅ」


 天に掲げていた掌を閉じると、青い光の放出が完全に収まる。もとより人体の外では数秒しかかたちを保てない微機は、吹き散らされる靄のように端からあっさりと消え失せていく。

 だがまだ、戦いは終わってはいなかった。


「あっちぃな。かなわん」


 スミレが微機奔流を叩き込んでいたその箇所から声がした。

 青の群れが失せる。

 そこから、四人が現れる。

 赤髪は機構を停止させられたのか目に光がない。けれど残りの三名は、まだ発動光を残しており臨戦態勢だった。

 殺到する微機を寄せ付けないための手段が先の火傷顔の男の爆風によるものだったと見えて、汗だくになってはいるものの。戦うには十分な、姿勢と気迫を保持していた。

 思わず理逸は構えた。横で、意識が定まりつつある婁子々もゆっくりと立ち上がりつつある。


「まだ、終わりじゃねえのか」

「そうだな? ここからかもしれない」


 理逸の問いに腹立たしい声で大曾根が答える。彼らの背後から、うまく微機の攻撃を避けたらしいの教祖がビル内から出てくるところだった。赤髪の戦力が機構停止によりダウンしていたとしてもまだ戦える者が四名。厳しい状況だ。

 ところがそんな緊迫の場面で、なおもスミレは規則的に足音を立てて歩いていく。


「ぃえ、終ゎりです」


 ハシモトの手をつかみ、ぐいと引っ張って彼を背負う。

 肩に少年の両腕を垂らし、細い大腿部を両手で支え、前傾姿勢で調整し。

 顔を上げたとき、彼女は冷たい目で言い放つ。

 同時に、赤髪にはなんらかの通信が入ったのか、耳に片手を当てて驚愕の表情をしている。


「ぁなたたちの目的がゎたしでぁるなら、この乱戦(・・・・)から、ゎたしを守らざるを得なぃ」


 言葉の意味を理解するまでに一秒とかからなかった。

 エンジン音が近づいてくる。

 見れば、ビル街の一画を急角度に曲がってくる白いケートラが一台。

 運転しているのは安東で、荷台から運転部の屋根に肘をついて立つ剣客・南刀然が見えた。助手席には鼻掛けの老眼鏡をかけた陰気な男が腰掛けており、両手を合わせて拝むようにしている。

《四天王》のひとり、中川正道ながかわしょうどうだ。毒を操るプライアの持ち主であり、抗争になると大抵前線に出てくるのを警戒される男である。

 つまりこれは、笹倉組のカチコミだった。残る《四天王》最後の一名、西園寺もどこかにいるだろう。

 見ればほかにも、周囲から笹倉の構成員たちがわらわらと現れ始めている。


 安東が車輛を走行させつつ運転席から照準を定める。

 銃口が向くのは、スミレの方だった。

 理逸は瞬時に引き寄せで銃口を逸らす。が、同時に動いたのは赤髪たちも同じだった。火傷顔は爆風を伴って空中を飛ぶことで距離を詰めようとしており、髭面の男も両手を動かそうとしていた。明らかに焦っている。

 大曾根と、奴らの目的はスミレと彼女に宿る最終焉収斂機構ローデバイスの奪取。殺させるわけには、いかないということだ。

 安東たちと赤髪たちが交戦に入る。


「予想ょりは遅かったですね」


 冷静に言っているが、これが読めていたというのだろうか? ともあれ理逸は混戦に乗じてスミレに駆け寄る。彼女はがんがん、とかかとで地面を叩いて示した。

 その足元にはマンホールの蓋がある。この上に来ることも、計算ずくか。理逸は両手の引き寄せで蓋を引き上げ、これを盾にして飛び交う銃弾からスミレとハシモトを守る。先に下に降りてもらい、自分も飛び降りた。

 降りる直前に倒れ伏す織架と深々、離れた位置に気絶している於久斗が見えた。

 助けたい。傍に行きたい。けれど死んでいる織架や、また心肺蘇生の時間もかけられない深々のために、弾丸をかいくぐっていく危険を冒すことはかなわず、また洗脳でいつ暴れるかわからない於久斗も傍には置けない。


 ……リスクだけが明確になれば易々と決断できてしまう自分に、くそ、と毒づきながら理逸は地下通路に着地する。どぶの臭いと蠅の群れが広がった。すぐに婁子々もつづいてくる。まだ忘我から完全に戻ってきてはいないようだが、苦悶と喪失の入り混じった顔は、織架の死や重要な事項だけは認識できているようだった。


「逃げよう。スミレ、ハシモト運ぶのは俺が代わろうか?」

「ぃえ。ぃざ戦闘になったらこわぃので、ぁなたとロココさんで前後を守ってくださぃ」

「わかった。で、ここから地上にまた出るにはたぶん……、排水処理施設の点検口が近いが……」


 理逸はうろ覚えの道筋を思い出そうと、首を左右に振って体の向きも細かく変えた。自信がないがゆえに出るそぶり、だった。

 するとこの動作ジェスチュアの意味を、彼は正確に認識したようだった。


「……ハシモト?」


 スミレが背負うハシモトは、洗脳された於久斗からの殴打でぼろぼろであったが意識を取り戻したらしい。震える指で左を示した。

 そういえばこの少年は鉄道網や地下通路の案内人をして生計を立てているのだった。地下世界には通じているということか。


「ありがとな。そんな、ぼろぼろなのに」


 言葉が通じないので、理逸は深く頭を下げることで謝意を示す。ハシモトは、折れた前歯から血を流しながらだが、わずかに口角を上げて笑った。

 上からの銃声はまだ響きつづけている。怒声と混戦。いつ追いつかれるかもわからないので、四人は先を急いで理逸を先頭に歩き出した。


「それでお前……笹倉組が、来ると思ってたのか?」

「上の階層を目指すさぃに立ち止まって考ぇてぃたのです。組合がビルごと崩され求生に攻め込まれてぃるとの情報が出回ったとき、ほかの組織はどぅ動くか? と。沟はそもそも折衝に向かった深々さんが無事に帰ってぃる時点で――戦闘がぁったにせょなかったにせょ、しばしの様子見に入ったはず。ならば笹倉は? ――漁夫の利を得ょうと、組合にトドメを刺しに来るにちがぃない」


 たしかに、それは考えられる事態だった。

 組合・沟・笹倉はもとから微妙な力のバランスで成り立っていた三すくみだ。どこかが崩れたなら総攻撃を仕掛けるのは定石とさえいえる。


「時間を稼げばかち合ぅとは思ってぃました」

「……よく判断できたもんだ」


 微機奔流でも倒し切れなければ混乱を呼び込んで切り抜ける。二の手三の手を用意する、それは合理思考の結果ではあるのだろう。次善次々善、幾多の方策。無駄のない判断。


 ところで……その『合理』の判断のうちに、犠牲はどこまで織り込み済みだったのだ?


 一瞬よぎった考えを、理逸はすぐに振り払う。

 考えてはならないことだ。たしかにスミレは、上階をめざす途中でも「生き残りがいるのか?」と、居なければ進む意味がないと言いたげな消極的なことを言った。助けられる『かもしれない』よりも、撃たれる『かもしれない』を優先していた印象ではある。

 だがその消極性のなかで、それでもスミレはこうしてハシモトは自らで背負い、助けようとしている。

 自分のことだけを考えているわけでは、ない。

 理逸が情に流されすぎているだけだ。そのはずだ。


「地上に出たら、セーフハウスに行こう。組合が残してる仮拠点が四つほどある。まずそこに潜伏して、立て直す」

「ぇえ」


 もはや組合幹部も生存が確実なのは理逸と婁子々だけだ。

 得物への執着が凄まじい蔵人が脇差を奪われているのは考えにくいし、譲二は初見相手にはめっぽう強い方だが機構運用者に見切られても勝てるほどではない。

 武装のなかった求生総研連中は十鱒と接敵して切り抜けてきたからこそあそこに居たのだろうし、朝嶺亜は行方知れず。おそらく逃げに徹しているとは思うが、《半落ち》の彼女をすぐに役立てるのも難しい。

 総じて、どう立て直すかなどまるで見当もつかなかったが、押し寄せる不安と戦うには空元気でも先のことを話すしかなかった。

 わずかな時間で、失ったものが多すぎる。

 これからどうすればよいかなど、わからない。スミレと共有していた水道局への敵対という願いも、組合がこうまで落ちてしまった以上あと回しだ。

 いまはまず、生き抜かなくてはいけない。包囲網を脱し、潜伏可能な場を見つけて……最悪、南古野を出ることも視野に入れるべきだろう。

 そこまで考え至って、道すがら理逸はスミレに話しかけた。


「ハシモトは、共に居れば危険だろう。離れたら安心ってわけじゃないのもそうなんだが」

「ゎかってぃます。医者を探す時間もぁりませんし、彼がまゎりに意思を伝ぇる方法も限られてぃます……この区画には希望街の人間がプラント労働の帰りに通るルートがぁるので、そこの近くに連れてぃけば向こうに戻れるはず」

「そうか。希望街に戻れば、ツァオマオミヒロもいるしな」

「2nADすら喋れなぃ状態ですので、不安はぁりますが……ぃまゎたしと来るょりは、マシです」


 こればかりは悩むところだったのだろうが、決断した様子でそう語った。であれば、もうなにも言えることはない。

 理逸はスミレに背負われたハシモトと目を合わせる。彼はまた道案内を頼まれたと思ったのか、一度進行方向を見ると右を示した。次いで、なにかに気付いたように目を落とす。

 視線を追えば彼を背負うスミレの、大腿部をつかむ指先に力がこもるのが見えた。

 理逸がおこなっている非言語コミュニケーションを、ちゃんとスミレもこなしていた。彼女は、彼女の責任感と仲間への気持ちのもとに、動いている。ハシモトへ思いを伝えようとしている。

 背負われているハシモトが、スミレの首に回す腕に力を込めた。一瞬、スミレはその動きを察して身を縮め、次いで彼を背負いなおした。

 スミレにとって彼らは、義理の弟妹に近いのだ。

 そう思うと理逸は自分の境遇をかさねてしまうが、きっと彼らはああはならない。



 入り組んだ地下のなか、ハシモトの的確な指示で四人は細い道を幾度も潜り抜ける。通れそうにない道も、理逸の引き寄せで順番に空中を移動することでなんとか渡った。

 上から聞こえていた混戦模様の音もいまは聞こえない。方角としては北に二キロ、ないし三キロ進んだだろうか? 壁に記された位置プレートから察するに排水処理施設の点検口はもう少しだった。

 地上に出たならばすぐ近くに、セーフハウスがある。借主が勝手に掘り下げて地下室へと施工したため表向きの建物情報としては秘密の部屋の存在を知られておらず、また北部は北遮壁が近いことから水道局の圧が強く、周りに住むひともない。灯台下暗しの拠点だった。

 ここを利用して潜伏し、まず外の情報を集める。沟、笹倉組、求生総研はどうなったか? あの場に居た組合員で生き残っている者はいないのか? これらを調べて自分たちの生存の道を探る。

 先に思いを巡らしていると、道のりが終わりに差し掛かっていると察したらしい婁子々が口を開いた。


「円藤、それでその点検口ってのは、ちゃんと通れるの」


 疲労の溜まった声で婁子々が言う。理逸はああ、と首肯しながら後ろに向かって返事を投げた。


「本来なら生物反応槽ってとこに水貯めて、微生物に反応させた汚れだかなんだかを深い層の奥底に沈殿させてから流すらしいんだが。コスト削減のためにいま処理施設のやつらは水をほぼ貯めず、申し訳程度の浄化装置と殺菌剤を通すだけでそのまま流してる。だから反応槽の点検口も水に埋まってないし抜けられる」

「あっそ。とにかく通れるのね」


 まあおかげで港は汚水がそのまま流れ込み、水質汚染とプランクトンの増殖がひどいことになってるそうなのだが。そんな話をするまでもなく、婁子々は結論以外に興味がなさそうだったので話はそこで打ち切りになった。

 なんにせよやっと終わりが見えてくる。

 そう思いながら、細い道を抜けた。

 五、六メートルはあろうかという深さの槽が、長く奥までつづいている。巨大な側溝、というイメージだ。理逸たちがいるのはその側溝の上に渡された通路だ。

 二人すれちがうのがやっとという程度の道幅で、両側に手すりがあり、そこからのぞきこめる下には水がほとんど溜まっていない。水量は底を洗うように浅く這う程度だ。


「あとはここを抜ければ終わりだ」


 逃走ルートを渡り切った、と理逸は思った。

 それは間違いなかった。


 だからここで起きたことは、逃走とは関係なく。

 複雑にもつれ絡まった、南古野のすべてが牙を剥いたとしか言いようがなかった。


 道の向こうに人影が見えた。

 追っ手にまわりこまれた、ないし水道局の者かと身構える。排水処理施設である以上その手の人間が動いていることは少なくない。

 だがちがった。立ち尽くしているのは、見たことのある人物だ。

 こわい白髪を長く背にかけて伸ばしており、太い眉もまた白い。

 くびと僧帽筋の分かれ目がわからないほどにがっしりとしたはちきれんばかりの肉体に、簡素なシャツと灰色のワークコートを羽織っていた。下腿にはゆったりとした黒の拳法着だ。

 その足が、するするとこちらへ進みだす。

 読めない動きはまさしく、武術家のそれだ。

 太く短い眉の下で赤く瞳が輝く。

 閉じられた口と、険しい顔色が接近に伴い露わになってくる。

 火眼狻猊フォイエンスヮンニ

《竜生九子》・三把刀サンバーダォがひとり、名を盧霸ロパァ

 欣怡の武の師でもあった男が、なぜここに。


『……龍頭ロントウの退路確保のため動いていたが、先ほど使いにより連絡があった。龍頭は死んだ』


 足を止めることなく彼は言う。

 全身から殺気を広げて、理逸たちに迫る。

 退路確保? この人気のない方向に? ……まさか沟のセーフハウスもこちらの方面にあったのか? 言葉の端々から推測が繋がる。それで、こんな果てのへき地で遭遇するなど、不運と呼ぶほかない。

 狻猊は歩速を上げる。

 顔つきに憤怒が混じる。

 閉じた口が端からみりみりと開いていき、食いしばった歯列が理逸たちを敵と認める表情をかたちづくった。


『貴様ら、安全組合の所為だ。我が弟子のみならず龍頭までも。貴様らの為に、死したのだな。――もはや守るべき沟も立場も無し。俺は貴様らを葬るだけ』


 ワークコートのポケットに入っていた両手が抜かれる。

 分厚い掌。

 先天性の白を纏う彼の肉体のなかで、そこだけが黒々としている。叩きつけ打ち据えこれを繰り返しつづけてきた手指は硬くひび割れて樹肌のように変じている。

 接近を回避しようにも道幅は狭く、スミレたちを逃がすのも難しい。ここで、戦わねばならないのか。

 铡刀掌ヂァダォヅァン

 風切る左手刀が、滑るような踏み込みと共に振り下ろされた。

 飛びのいても逆の手による二撃目が円弧を描いて上から迫っている。両腕で防御しても切り崩されることは欣怡の打撃でわかっている。

 選択肢の少なさが逆に肚を括らせた。理逸は真正面に頭から飛び込み、拳を掲げるように右肘を突き出した。その際に両拳を握り、引き寄せで狻猊に向かう。

 結果としてダメージは最小で済んだ。

 頭部に前腕で重く衝撃を食らったが、自分から手刀の回転運動の根元に向かうことで最大威力を食らうことは避け、またその威力で二撃目の軌道からは逸れた。

 横倒しに倒れた理逸は揺れる視界のなかでまだ拳を握り、引き寄せをつづけている。

 狻猊の動きにわずかに遅滞が生じた。引き寄せを食らうと大抵の人間が反射的に踏ん張る。とくに両拳による引き寄せは強力だ、いかに筋の通った立ち方で力の運用に長ける達人でも硬直する。


「婁子々!」

「わぁかってるっての」


 スミレと、彼女に背負われたハシモトを飛び越え、婁子々が剛脚を振るった。

 躍動した婁子々の口許からは胃液が垂れている。機構の暴走は抑えたとはいえ、一時は目鼻からも血を流していたほどのダメージだ。体内はいまだ荒れており長期戦は当然できない。

 ここで、仕留める。

 水平に薙ぐ、側頭部を刈り取るコースの回し蹴り。ガードしても弾き飛ばす勢いであった。そうなれば手すりに押し込んで追撃できる。

 狻猊が右前腕を掲げる。婁子々の左足甲が痛打を見舞う。たたらを踏んで手すりに背を預ける狻猊。姿勢の崩れは武の発揮を妨げる。

 着地即打撃。迷いない動きで連続技に持ち込む。

 婁子々の左拳が唸りをあげて叩き込まれる。


 鈍い打撃音



 よりも早く、乾いた発砲音。



「……っ、」


 婁子々が膝から崩れ落ちる。撃たれた。腹部を穿つ弾丸がドレスにじわりと赤を滲ませる。出血は(どうやっているかは不明だが)止められるであろう婁子々が屈したということは、内臓をやられたか。

 狻猊は無表情に見下ろす。ワークコートのポケットに左手が入っており、そこから硝煙があがっていた。

 武のみで襲って来ると思わせてのフェイク。

 なりふり構わず、狻猊は理逸たち安全組合の人間を殺しに来ていた。


『誅殺だ』


 素早く銃口が向く。

 二連装の亜式拳銃。スミレの紫紺の瞳が、大きく見開かれる。

 せめて機構を起動していれば、彼女も銃口を見て避けることができたかもしれない。だが薄暗がりの地下水路で光を発するのは敵に気付かれる恐れがあると、切っていたのがまずかった。

 どうにもならない状況。理逸の引き寄せも、婁子々の攻撃を確実に当てるための布石として使ってしまっている。拳を開いて握るまでの猶予はない。


 絶望的な時間の流れ。

 ゆっくりとさえ映る銃口の移動。

 その、限られた時間のなかで――――――理逸は信じられないものを見た。



 二度目の発砲音がほとんどカラの反応槽にむなしく響いた。



 銃弾が命を蝕んだ。


 けれど、弾がんだのは、スミレの命ではなかった。


「……………………………っはぐッ、」


 絶命を数えるまでの、最初の吐息が漏れる。


 撃たれたのはハシモトだった。


 背負われたままのハシモトが――撃たれていた。


 弾丸がスミレごと貫通したわけではない。


 そして背負われている彼が、スミレを庇えるわけもない。


 彼の背から血が流れる。


 ひゅ、と細い息が漏れる。肺をやられている。


 どうして背を撃たれている。


 背を、向けたからに決まっている。


 だれが狻猊に背を向けている。


 そんなのは、決まっている。



「…………ぁ?」



 スミレが。


 身を縮こまらせて、背を向け、


 狻猊にハシモトを差し出す姿勢になっていた。





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