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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter8:

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White whale (14)


 二重実行者ダブルワーカという存在がある。


 機構デバイス能力プライアを併せ持ち、交互に使い分けする手合いだ。数こそ多くはないが南古野にもいくらか居り、そのどれもがクセのある強さで名を知られていた。

 だが《七ツ道具》、《四天王》、《竜生九子》といった各組織の幹部陣のなかには、いない。

 その強さがハマる状況というのが、非常に限定的だったためだ。

 あくまでも交互に使い分けできるだけであり同時に使えない以上、切り替えの際ラグがある。使用者のひとりであり《挟み打ち(ピンチヒッター)》と呼ばれていた護衛業の男いわく、「脳の同じ部位を使ってるだけあって、切り替え時は十数秒意識が落ちる感じ」とのこと。

 となると戦闘中に使うのは補助役がついているときに限定されるし、戦況を拡張感覚で見据えて指示を出す司令塔にするのも心配が伴う。能力・機構ともに使うタイミングがガッチリと固まっているときでなければ使えない……というわけで、器用貧乏かつニッチな配役というイメージであり、マルチな働きを求められる幹部陣への採用はあまり成されなかった。


 仮にこれを克服できたのなら、その個人の強さは数倍にまで高められるのだろう、と皆が言った。

 だが機構と能力は別物であるため、それはかなわない。


 かなわない。

 はず、だった。


(ばかな)


 深々は驚愕する。

 目に青の光を宿した水道警備兵の制服ジャケット纏う者たちが襲い来る。

 プライアとしか思えない技を手に、こちらを食らいつくしに来る。

 動きは洗練されており、圧倒された。

 ……銃器や刀剣、体術といった『形状と用途の枠と幅』が定まっている武器に比して考えると、プライアは形状も使用条件も不定のびっくり箱である。まったく知らない能力であれば、初見で対応できる方が稀だ。

 ではそんなものを、感覚拡張による正確な身体運用と高速観察・判断能力をベースに振るわれたなら?

 かなわないはずの一笑に付すべき妄想だが、いま妄想は悪夢となって現前していた。

 戦場で忌避すべき存在、すなわち『なにをしてくるかわからない』敵として――それでいて着実にこちらを潰す意思だけは搭載して、悪夢は躍動する。

 坊主頭と赤髪の巨漢が、それぞれに体術と能力を駆使して深々を追い詰める。彼女は空間固定による空気の盾と足場を利した機動術で逃れつづけ――けれどその足場も逆利用され、ついに地に叩き落とされた。

 その横では。


「くっ――、」

「拳豪とまで呼ばれた実力、恐れ入る」


 うめく十鱒と、称賛する敵のひとりが殴り合う。高度な拳の応酬だった。距離を測る拳と反応を刺す拳と止められる前提の拳と見えない位置からの拳が、二人の間にひしめき合っている。

 いま深々が相手している坊主頭と赤髪の二名が一九〇センチを超える巨躯のため比較すると小さく見えるが、それでも一八〇近い男だった。切りそろえた口髭とは対照的な、太い眉のあたりの骨が突き出たいかつい顔で、その位置に十鱒からの拳が入っても平然と続行している。強い。

 普段の十鱒は機構運用者が相手でも殴り勝つ。生まれついて神経の反応・反射が他者より早いらしく感覚拡張にすら優る速度を実現できることと、『骨格フレームが良い』らしくとにかく殴るのに向いた体で見た目以上の打撃力が出ること。この二点に加えて豊富すぎる戦闘経験が彼の力量を支えていた。


 いま、そのレベルに、相手は迫ってきている。

 歯車が滑らかに動くように噛みあっていくリズム。

 タタン、タタッ、タヂッ、ダ、ド、ドム。

 重みのかかった打撃が増えていく。互いに見えた詰みに向けて、ここまで張ってきた距離感やリーチやリズムやタイミングといった伏線と布石を総動員してとどめを意識しはじめた。

 そして穴とも言えないわずかな乱れが、拮抗状態を崩す。

 ほんのかすかに十鱒のガードが下がった直後。

 口髭の男のジャブが頬に突き刺さる。首を回していなすのに遅れたか、十鱒が顔を背けて一歩を退いた。ここを好機とみて口髭の男は詰めてきた。

 だがこれは、実際には十鱒の罠にして技。

 繰り出すは退いた足の接地と同時に拳を送り込み、足裏からの力を通して相手にカウンターを見舞う退歩の拳。

 顔を背けてしまうことで相手に『見えていない』と思わせることから生じる、互いに意識の外にある空間から飛ばす一撃であった。

 避けることかなわぬ必中の秘拳。

 金属のハンマー同士を打ち合わせたような巨大な音がして――

 ――――吹っ飛んだ十鱒が血を吐き倒れた。



「悪いが仕事だ。腕試しはここで終わり」



 冷徹に口髭の男は言う。

 つまり打撃では……ない。だがなにをされたかまるでわからない。

 徒手格闘で挑んできていたため、それに合わせようとしてしまったのがまずかったか。一度こちらで組んでしまったテンポがために、そこからずれた動きに対応できなかった。

 プライアによる秘中の必殺。先の巨大な異音は、その発動によるものか。

 十鱒、と名を呼びそうになる。師の倒れ伏す姿に、思わず駆け寄りそうになる。

 だが深々は組合の長だった。

 歯を食いしばって耐え、まだいまは目の前の戦いに向き合いつづけなければならなかった。


「残念だったなぁ。お前らが連戦せんでここに居たんなら、まだわからんかったが。疲労で集中が切れたか」


 深々に距離を詰めながら赤髪の巨漢が言う。相手に指摘されると、癪だった。《竜生九子》と王と周を相手したあとでなければ……など。自分が一番そうであってほしいと考えている。

 彼女は即座にバックステップで距離を取った。

 赤髪の両腕には微機の青い発動光があり、そして、腕から湧くようにあふれ出た『青い水』が、透ける薄絹のマントのごとく。ごく薄い球体状に、彼を覆っている。触れてはならないと感じ、ここまで逃げつづけていた。


 視界の奥では残る一名、貌に大きな火傷痕を残す男がひっそりと立ち、掌をこちらへ向けている。その掌からの能力で深々を狙っているのか――あるいはすでに、深々は術中にいるのか。

 自身らが事前準備マエオキのときに仕掛けている、能力等を駆使した電撃戦。やられる側になるとこうも嫌なものだったとは、知りたくなかった。

 空間固定による壁での機動術、空中に停滞させた鉄球による遠隔攻撃、これらで隙をつくっての十鱒の接近と至近打撃、深々も踏み込んでの体術……どれもが通用しなかった。


(対策されている。この襲撃は、まちがいなく我々を潰すためのもの)

「対策されていても退けない。頭目の辛いところだな」

 

 深々の内心を読んだように言い、坊主頭の男が詰め寄ってきた。

 こいつはいまのところ特殊な能力を使う気配がなくただ練度の高い正規戦闘術マーシャツアーツを叩き込んできていた。だが、十鱒もそれに合わせてしまううちに沈められた。こいつもなんらかの能力を備えるにはちがいなく、リズムを変えられれば危険だ。

 そう思い、推測を立てようとするほど、思考の沼に足を取られていく。

 なにが正しい? どれが正解だ。

 考えているうちに痛打が顎を穿った。深々も、疲労が極限に達していた。


「っぐ、」


 視界がかすんで頭がのけぞる。

 ぎゅうっと頭から血がくだる感じがして、一気に意識が飛んだ。

 背中がなにかに当たった。

 腹の底が浮く感じ。

 それが深々の最後の認識だった。



        #



 落ちる。

 落ちている。

 義姉が、地に呼ばれていた。

 もはや着地までわずかな猶予もない。


「っぉおおおおおおお!」


 理逸は両手を握り引き寄せを発動させた。

 彼はいま、屋上真下ではなく生活可能ビルから離れた位置に居る。引き寄せれば垂直落下にはならず、少しでも斜めに飛ばして勢いを殺させることができるはずだ――などと考える前に駆けだしており彼は横に移動する。立ち枯れした高い街路樹を深々と自分の間に挟むように位置した。

 こちらへ飛んでくる深々が樹の幹に背中からぶち当たるのが見えて、そこで理逸は足がもつれて転んだ。横顔から地面に押し付けられこめかみから頬がジャリりとすりおろされた。それでも目だけは離さず、拳だけはほどかず、横倒しになった視界の中で深々を見つめつづける。見る。とても耐えきれない光景だが最後まで見届ける。見る。見なくてはならない。見ろ。見ていろ。大して役に立たない能力しかなくても。見ろ!


 ッドっ、


 と、


 横になったまま無抵抗に落ちた深々の姿が、樹の根元にある。

 周りには落ちてくるまでにへし折った枝が散らばっている。ばきばきとそれらを砕きながら落ちてきたのを見ていたはずなのに、彼女の周りを囲む枝々を見てようやく、そういうことがあったと彼は認めた。

 どっっどっどっっどっ、乱れ打ち鳴らす胸の拍動が耳にうるさい。

 心臓が苦しい。

 乾嘔からえずきで体の内側が絞られるようなしんどさがある。

 ふらふらと、理逸は彼女のもとに近づいていった。死んでいない。死んでいないはずだ。あのひとが死ぬはずがない。

 ばらばらになりそうな心を必死に押さえつけて歩むが、そこで、横合いから殴られて足が止まる。


「がぼっ、」


 黒い影に襲われていた。

 於久斗だ。影を纏うプライアを発動させたまま、荒れ狂っている。

 ということは――視線をめぐらすと、打ち据えられたと思しき織架が路上に倒れているのが見えた。その脇にはハシモトも転がっている。

 於久斗自身が悪いわけではない。操られているだけだ。理性でそうわかっていても、すでにいっぱいいっぱいの理逸はもう、耐えられなかった。


「くそぉっ!!」


 拳の弾幕をかいくぐり、両手の引き寄せで足首をつかみあげると前回と同じく振り回し、放り投げた。

 建物の影に入りプライアが解除されたのを見て取ると、駆け込んでのコンパクトな回し蹴りでこめかみを打ち抜く。がくりと於久斗は意識を失った。怒りで一瞬忘れられていた自我が途端に帰ってきて、また理逸は焦りに心中を埋められる。

 視線をめぐらした。

 織架、ハシモト、婁子々、深々。全員離れた位置に居る。だれがもっとも重症だ? だれから助けられる?

 だれなら、助けられる?

 もはや局面は、優先度(トリアージ)が必要だった。いつ大曾根たちが、深々の相手していた水道局の奴らが、ここに来るかもわからない。

 生き残るためには助ける相手の選択が……選別が、必要となる。


「…………っ!」


 できるはずがなかった。そんなことができるなら、こんなところにいないのだ。

 自分の愚かしさにほとほと嫌気がさす。だれも助けることができない。だれも。自分すらも。

 だが、それなら。せめてスミレだ。まだ負傷もしておらず単独で走れる彼女は、生きる芽がある。

 そう思い、彼女の方を見ると――


「口述コード[Beta][Incident][Ocular][Subclause]コンテンツを展開[Bate][Oodles][Tablature]破損個所を検知[Stride][Tangency][Raceway][Paradigmatic]……」


 婁子々のかたわらに膝をつき、呪文コードを唱えながら彼女の顔に手をかざしていた。

 その、指先には。

 階路コースによる黒い紋様が這いまわり。

 その、視線には。

 長く彼女の瞳に宿るのを見なかった……あの、青の光が煌々としていた。

 理逸が見ているのに気づくが、なにも言わない。ただかざした手に集中しており、やがてその掌からは大量の青い微機の群れが現れ、婁子々の口腔内を滑り落ちていった。


「お前……」

「ゎたしの優先度トリアージではこれでロココさんはまた動けるょうになります。ぁくまで機構デバイスの過負荷に耐ぇられなかっただけですから、上位権限で微機の暴走を抑制し代謝を促進します。一方オルカさんはだめです。肉体の損傷はこの場で即時処置できなぃ」

「スミレ」

聴覚拡張ブーステッドで確認しましたが、ミミさんもぁの高さからの落下でぃま心肺停止状態です。置ぃてぃきましょぅ。ロココさんとぁなたを連れて離脱します」

「お前なに言って、」

「もっとも助かる確率の高ぃ行動です。最終焉ローデバイスの力とぁなたとロココさんを使ぇば、まだ逃げられる」


 がらんどうのような目をして、言った。

 

「最終焉につぃて黙ってぃたことは、ぁやまります。でもぃまはゎたしの指示に従ってくださぃ。ぃままでも、そぅだったでしょぅ」


 合理のかたまりのような態度であった。無駄を嫌うスミレの態度にふさわしい、言葉選びだった。

 けれどこの苦境においても平常時と変わらなすぎる態度に理逸は困惑する。

 だがその困惑を表に出している時間すら、ない。


「最終焉を使う気になったのだな? 下手に近づくのは危険になったか」


 大曾根がいつのまにか降りてきている。目にはまだ青の光を宿しており、言葉とは裏腹にこちらを狙っているのがありありと伝わってくる。


「とはいえここらで幕引きせんとな」


 そしてさらに追い打ち。

 軽い口調で言う赤髪の巨漢を先頭に、水道局の制服を纏った四人の男が現れる。こいつらは……上階で深々たちと戦っていた、例の隣ビルからの侵入者か。大曾根の言葉に継ぐように現れ、彼と敵対の様子がないあたりグルと見ていいだろう。

 水道局だが銃火器は手にしていない。おそらく《太刀斬り》の能力に破壊されてしまったのだ。ナイフなども携帯していないようだ。

 代用にか、赤髪の男は片手に鉄パイプを提げていた。ビル内のどこかで拾ってきたのだろうそれは、片端が鋭くとがった武器として機能する。ぽんぽんと、片掌に当てるように振る。

 彼らの目にもまた、青の光。

 五名の機構運用者に、囲まれていた。


「得物もこんなモンしかないが、我々みたいな部隊にゃ現地調達もお誂え向きかね……近づくのが危ないってんなら、どうれ」


 こいつでヤるか、と言い、強化した肉体の膂力を込めて赤髪は鉄パイプを槍のように投げた。

 視線が狙ったのは、婁子々だ。

 あまりにも早いモーションに理逸の引き寄せが間に合わない。

 疲労と困惑の境目に突きこまれる先端は、悲劇の孔をこじる。

 ぐブっ、とくぐもった音がひとつ。先ほど深々が落ちたのを見たときと同じ、痛みの想像にすべての肉体活動が止まる瞬間を挟み。

 まだ意識がおぼろげだった婁子々の前で。


「……え、」


 その身を盾に立ちふさがった織架が、防ごうとした左前腕ごと胸を貫かれていた。




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