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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter7:

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Winding wheel (10)

 会議を終えた理逸は、喫煙組が出ていく屋上についていった。スミレは階下で残りの面子となにやら情報交換をしている。

 深々がパラフィン紙に包まれた本物の煙草を取り出し、織架は千変艸の代用煙草をくわえる。十鱒はパイプに葉を詰めて、屋上を囲む柵にもたれた。ややあって、空に三者の煙が溶け始めたころ、深々は理逸を見る。


「スミレが幹部として使えるかどうか、今回の件の片付け方で見定めようと思っているよ」


 煙草を吸わない理逸がついてきた理由は、スミレの今後の扱いを確認するためだと勘づいていたらしい。深々は紫煙を吐きだしてつぶやいた。

 その横で座り込み、つまむようにして煙草を手甲型機構ガントレットデバイスで持っていた織架は、いかにも「そういうことだったのか」と言いたげな顔で彼女を見上げていた。やはり奴には素性など語らなくて正解だったかもしれない。

 ちらりと見やると十鱒が異を差し挟む様子もないので、つまりこの会話は組合としての規定路線だ。

 南古野安全組合の方針として、スミレを戦力に数えられるか・指示役として上等か。それをここで見るつもりらしい。


「沟との交渉および奴らの持つ水道局への人脈やルートの調査は我々に任せて、お前とスミレは慈雨の会から新市街へのルートを探る。なんでも、運び屋が業務を増やしていたそうだね」

「ええ。慈雨の会に頼まれてのことだそうですが」

「その中身は?」

「運び屋は中身を問わないのが掟ですから。知らないようです」


 もちろん時と場合による。中身を調べ情報だけ抜いて別の組織へ横流しすることを生業とする、通称『覗き屋』という運び屋に擬装した連中もいないわけではない。

 けれどそれをやるには、於久斗に人脈がなさすぎる。情報屋というのは、自由でありながらも人間関係には雁字搦めになっているのが常──『いま殺すと自分たちがマズい』という見方を、常に四方八方から向けられることでつり合いをとっているものなのだ。於久斗にその様子はない。脅されて仕方なくそうした業務を受けている様子も、ない。


「外への持ち出し品か。新市街の信者に運ぶ物品、とのことだが……このタイミングで増加しているのは気になるね」

「……沟が、あるいは水道局が。関係すると思いますか?」


 理逸は問いかけた。

 中身のわからない箱。所属員が不明瞭な慈雨の会。水道局とつながり児童売買を行う沟。不明な持ち出しルート。

 早合点かもしれないが、ここに接点があるとしたら筋は通る。


「可能性としては考慮しているよ。そこを詰めるためにも、同時かつ多角的に調べを進めるべきだ。ひとつずつに向かって動いていれば、その動向を勘づいた他の派閥がしっぽを引っ込めかねない。スミレの言うとおり、沟に追い込みをかけるなら水道局の連中も追わなければ片手落ちだ」


 だからそれはこちらでやる。と深々はつづけた。理逸もうなずく。

 数秒経ってから織架が「深々の姐さんが片手落ちって言うの、ちょっと面白いな」と要らんことを言ったので後ろから十鱒に頭をはたかれていた。

 深々は頭痛がしたようにこめかみを押さえ、半目になりながら「頼むぞ、円藤」と言った。


「慈雨の会はまあ、それなりに厄介なところがある。中に潜り込むのなら、相手に悪気はないということを理解し、相手の理解できない部分は理解しないことを徹底しろ」

「わかってます」

「本当か」

「普段から、慈雨のメンバーにはある程度接していますし。誘われたこともありますがそれも蹴りましたから。価値観が違うことは、わかってますよ」

「それでもお前は、相手の過去や『そうなった理由』を探る癖があるだろう」


 指摘に、口ごもる。深々の後ろにいた十鱒と少し、目が合う。

 彼からもかつて指摘を受けた理逸の悪癖。プライアホルダーに遭えば相手がその能力を得た所以ゆえんを考えてしまうということ。それは対峙した相手の過去を考えすぎてしまう、というところに由来する。


「基本的にお前は相手を理解しようとする。自分の納得のためでもあろうがね」

「それが、まずいと?」

「少なくとも潜入には支障をきたす。一度誘いを撥ね退けているからと、油断しないように」

「はあ……制御できてると、思うんですけど」


 それほど、相手に入り込んでしまうように見えるのだろうか。たしかに欣怡の死を引きずる部分はあるし、自分が冷徹になりきれない性分なのはわかっているが。だからといって業務の上で接して彼らに取り込まれるとは思えない。


「まあいい。その辺りはおそらく、スミレが制してくれるだろう」

「今日はあいつのこと、やたら自由にさせるというか。それなりに重く扱いますね」

「それなりに価値は認めているということだ」

「なにかありました?」

「ない」


 疲れたように左目を手で覆い、表情を隠す。だが刀傷でつぶれた右まぶたはひくつき、彼女の中で嘘があることを示している。

 詮索するほどのことではないが、なにか二者間であったのだろう。それだけわかっていればいい。


「では、スミレと共同で。うまくこなしてきます」

「そうしてくれ。……それと、円藤」


 煙草を床に落として踏み消した深々は、柵に右袖を載せて右半身を隠すようにしながら、ぼやく。


「お前、かつて朔明が慈雨の会に居たことは知っているか」

「え? 初耳です、けど」

「なら、覚えておけ。向こうがそれに付け込んでくる可能性もある。あと、もう一点だけ。……私も、属したことはある」

「深々さんが?」

「勘違いしてもらいたくないが、信仰心からじゃない。単に朔明が居たからだ。だからいまはなんの思い入れもない。しかし──向こうからこうした情報を札として切られると、お前も動揺するだろう。だからいま話した」


 こちらから顔を背けたままの深々よりうかがい知れることがなかったため、理逸は織架を見る。肩をすくめた。知らなかったらしい。十鱒は……パイプを片手に煙を吐きつつ、小さくうなずいた。深々の育て親のような立場だけはあり、どうやら知っていたようだ。

 なぜいままで語らなかったのか、とは少しだけ思ったが、スミレが自分の素性をあまり多く語らないように済ませたのと同じだろう。話すことで生じるデメリットや手間が多いから、省いた。それだけだ。そして深々は、これまで語らなかった理由たるデメリットより。いまは理逸が慈雨の会の思想に、話術に、てられるデメリットの方が大きいと判断した。

 だがそれは理逸に話すデメリットが消滅したことを意味しない。


「兄貴は」


 口を開けば彼女は一度だけ肩を震わせる。

 深々は、自分が話さなかった理由を理逸が悟ったことに、気付いた。ならばもう言葉にして確かめるまでもなかったが、一縷の望みにかけるように彼は問いをつづける。


「……慈雨の会の教義に従って、俺を拾ったのか?」


 慈善事業、炊き出しなど含めて慈雨の会にはいくつかの太い教義が存在する。

 とくに、若年者への施しが巡り巡って己に返る、との教義は広く浸透しており、ジロクマやその他多くの人が屋台で理逸やスミレに食事を奢るのもその一環だ。

 けれど施しは、べつに食事のみに限らない。ハシモトらが請けているような仕事を斡旋してやることもそうだし、あるいは、育て庇護することもその教義を強く実行していると言える。

 理逸の問いにしばし深々は答えない。口許に左手をやって、もう煙草が無いことを思い出して嘆息する。


「……発端は、ね。だが育て続けたのはそれだけじゃない。きっかけがどうあれ、」

「兄貴はその後、死ぬまで慈雨の会に所属しつづけたのか?」


 遮っての問いに、深々は唇を固め喉を絞る。

 自分の言動を一瞬、顧みたのがわかった。失言があったと気づいたことも、表情から理逸に伝わってくる。

 朔明が居なくなってなおこの組合を、この場を守ることに固執する彼女が、明確に『いまは思い入れがない』と慈雨の会を切り捨てた発言をした。朔明が最期まで大切にしていた信仰の場であれば、このような言い方はしない。

 つまり兄は、朔明は、没する前にはすでに信仰を離れていたのだろう。

 なぜだ? 信仰に値しないと、なにかに失望したからか? いま於久斗たちが巻き込まれているような、慈雨の会を介した裏側のなにかに気付いたからか? あるいは──


「信仰を捨てたのならその理由は、自分が教義を、守れなくなったからか?」


 たとえば。

 若年者(理逸)に、施しを与えることが出来なくなったから。

 育てることが出来なくなり、どころか、疎ましく思うようになったから。

 いや、それどころか。

 最初から。

 最期まで。


『──お前の名に、由来も意味もない』


 この言葉を残して去った、静かなる争乱のあの日まで。

 理逸を拾った、あのときから。

 ずっと。ずっと。

 何年にもわたって。

 教義だからと、仕方なく育てる他なかっただけで。

 朔明にとって理逸はずっと、単なる重荷でありつづけたのだろうか。

 それこそ、信仰を試されるかのような。


「……お前がそういう捉え方をすると思ったから、話さないようにしてきたんだ」


 深々は苦虫をかみつぶしたような顔で理逸に向き合った。


「自分のせい、自分のせいと。そんなにお前は、朔明がお前を疎み憎んでいたと、そう思いたいのか」

「……そうとしか思えない。それでも俺は、感謝してる、けど」

「綺麗ごとをぬかすな」


 深々の左目が、憎悪を宿す。

 ここまで明確に理逸を嫌う目つきをされたのは久々で、さすがに、少し気圧された。

 彼女の口が、渇いた言葉を継ぐ。


「己を嫌っていたかもしれない相手に感謝できるはずがない。お前は恥をかきたくないだけだよ。結局、『自分は最初からなにも求めてなどいなかった』というポーズで、求めたものが得られなかった空白を埋めようとしているだけだ」

「そんなことは、」

「だったら私に心底からの感謝ができるのか?」


 せせら笑うように深々は言う。


「お前が傷つくだろうと判じ、お前を慈雨の話から遠ざけてきてやった。お前に戦える手段として行路流を与え、お前がやりたいように三番を与えてやった。だが私は……お前のことをよく思ったことなど一度もない」


 ぜんぶ朔明のためだ、とか細い声で言う。

 十鱒が間髪入れずに、言い終えるか否かの深々の横っ面を殴り飛ばした。


「深々。相手を傷つけることだけが目的の、汚い言葉を吐くのはやめなさい」


 次に理逸の方を向く。拳を突きつける。


「円藤。きみのことは殴らない。殴っても無意味だとわかっているからだ」

「十鱒さんそれは、」

「意味を問うのはやめたまえ。叩いてもわからない赤子以下だという諦めでいまここに立ち尽くしている僕を、これ以上失望させるのか」


 十鱒は煙草の灰をパイプからマッチの燃えさしで掻き出し、つかつかと出入り階段の方へ戻っていく。


「お前たちは自分の感情に蓋をして、行動だけであの男に報いると決めてこの組織に居るのではなかったのか。僕がお前に長の座を譲ったのは、そしてきみに三番の襲名を許したのは、泣き言をいって許される場をくれてやるためではない。仕事をしてもらうためだ。頭を冷やせ」


 姿を消す。

 残された深々と理逸のあいだで、織架はおろおろしていた。

 頬を赤く腫らした……と言ってもあの拳豪が本気で殴ったならとうに意識などない。相当に手加減したのだろう……深々と、殴られた以上に重たい一撃をもらった理逸は、互いにうなだれた。

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