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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter7:

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Winding wheel (2)

 迫る会議で今後の沟と水道局への対応策を考えなくてはならないのだが、それはそれとして理逸にも日々の生活がある。

 世界が、政情が不安定だからといって糧は得なくてはならないし、仕事は舞い込んでくる。

『仲裁人』という人と人と問題との仲立ちを果たす職を理逸は嫌っていないが、おそらくこの仕事はたとえこの世が明日終わると決まった日であっても、変わらずに存在するのだろうと思うと……少しばかりうんざりする。


 なにが言いたいのかというと。


 要するにだれかとだれかのくだらない争いに巻き込まれるのは、ひどく面倒ということだ。


「……ここか」


 トタンの高い壁でぐるりと囲われた土地。

 目の前に立ちはだかるのは廃材置き場だ。木材はもちろん、石壁を構築していた瓦礫や鉄筋、果てはこれらを運んできた大型車両や重機まで。工事建築に要するものともはや役に立たないものとが、京白ジンバイ市場と同程度の広さの敷地へ所せましと詰め込まれて迷宮と化している。

 南古野は災害後の数十年で倒壊したビルや建物をそのままにしている箇所が多いが、そうは言っても生活していくためのインフラ整備や居住地の確保は必要となる。

 いくら自動運転車とやらがほぼ全滅したとしても、運搬・輸送という社会の基盤ともいうべき『道』はある程度整備されていなくてはならず。そのためには崩れたものをすべてそのままにしておくわけにはいかない。


 そこで安全のためにと、区画を整理した際に生み出されたのがこの廃材置き場だ。

 南古野の街の各所へ設けられたこの空間に、インフラ整備のため邪魔なものが一切合切集められた。これにより数十年の月日でがたが来ていた南古野の流通系や都市計画がかなり立て直されたとのことで、三頭会議でもっとも成果の上がった施策のひとつだという。


 ……もっとも、ここの設立事情の実際のところは。


 当時薬物や非合法品の調達ルートが摘発されつつあった笹倉組の欲した『空白の緩衝地帯』としての役割だとか。水泥棒の際の『事前準備』での市街戦における水道局員への牽制としての地形変更だとか。瓦礫や土砂の運搬時に『見られたくないもの』を埋め立てたり別のところへ運ぶ間に噛ませるhub(中継拠点)としての役目だとか。各組織さまざまな思惑が絡み合ってのものだ。

 長くなったが。

 そんなわけで。

 各々の探られたくない心情が現れたこの場は、非常に入り組んでいて全体を見通せない。

 こんなところに逃げ込まれては(・・・・・・・)、理逸としても仕事がやりづらいのだ。


「スミレ。見失った」

「上から見てぃますからぃちぃちご自身の無能をご報告なさらなくともょいです」

「そうかい」


 じじ、と耳にスミレの声が入る。耳からかけて口元に垂らした集音機が理逸の言葉も向こうに届けている。

 二人が身に着けているのは、織架の試作した通信機だった。電波帯が限られているため傍受されやすいことと、そもそも距離も限られており五十メートル程度しか効かないことが欠点だが……ビルをのぼり頭上にいる相手とやり取りできれば、五十メートルの高さを利した視点との情報通信に変わる。

 たまたまこれを持っているときに依頼を受けたため、試験利用を兼ねての実践だった。いまのところ、言葉の頭か尻が消えやすいこと以外は支障なく使えている。

 なので仕事に集中だ。理逸の追っていた相手は、この広い迷宮のなかに逃げ込んでいる。上の視点からアシストが必要だった。


「ぃました、そこから直進して十五メートルほどを右手。山積みタィヤの上に組まれた高さ五メートルほどの足場のぁたりです」

「なんでそんなとこに足場組まれてんだ」

「知るゎけがぁりません」

「だよなぁ」


 軽口を返しながら、踏み込んで加速。両側を己の身長より高い瓦礫の山に挟まれていると、崩れてきたらと思えてしまってぞっとする。

 ざ、っと足場の根元にたどり着き。

 日差しのなかで逆光、立ち尽くす姿を仰ぎ見る。


「よう」


 声をかけても返事はない。

 向こうも追われている自覚がある。

 だからこそ、ここまで数キロにわたって追いかけっこをしてきたのだ。

 けれどそれもここまで。

 サ、っときびすを返して駆け出した相手に向かって理逸は『引き寄せ』で足場支える鉄柱のひとつに己を近づけ詰め寄る。大きく飛び上がって、そのまま足場を蹴りぬき頭上を取った。

 向こうも反応が早い。理逸がここまで使ってこなかったプライアの使用に驚いた様子だったが、すぐに態勢を立て直して狭い廃材の隙間にもぐりこもうとする。

 けれどむしろそれこそが狙いだった。


「『俺が素早く移動する能力』だと思ってて、『引き寄せ』って本質に気付いてない」


 だから簡単に逃げる先が予想つくし、だからあとは先読みしたそちらに向かって掌の照準を合わせ、拳を握ればいい。

 手の内に空気を握りこんだ直後。

 コンクリブロックの間に滑り込もうとしていたからだが静止し、次いでこちらにすっ飛んできた。


        #


 六つ足に二又の尾っぽ持つ体が、前足の腋下に両手を差し込んで持ち上げるとだらんと液体のようにぶら下がった。前世紀はこいつも四つ足で尾っぽも一本だったそうだが、遺伝子異常と現代環境への適応でいまはこうなっているらしい。

 ふてぶてしい顔つきで、ぴんと張ったひげを震わせヌァゴ、と鳴く。

 細められた双つの瞳が、理逸にとりあえず捕まることを認めたらしくしぶしぶといった感じで伏せられた。

 だるんと伸びる胴を揺らしながら廃材置き場より戻ってくると、この()の飼い主である男・浦野は喜び勇んで飛びついてきた。


「コマリ! コマリ〜、心配したぞ〜」

「夫婦喧嘩はしょうがないですけど。今度は逃がさないように気をつけてくださいよ」


 コマリというらしいこの猫を抱え上げておなかに頬擦りする浦野を見据えながら、理逸は釘を刺しておいた。どうやら文字通り、相当に猫かわいがりしているらしい。

 夫婦喧嘩をきっかけに猫を逃がしてしまい、理逸に捜索依頼してきた彼は申し訳なさそうに、頭を掻く。


「ああ、すまないすまない。ありがとう。今後は注意して見ておくよ……しかしきみも大したもんだな、よく猫に追いつくなどできる」

「逆に言えば、追いつきさえすればプライアで捕獲できるんで」


 犬猫など、新市街はともかく南古野で暮らしてるものについてはよほど重くても十キロを超えない。多少運動能力が高かろうと『引き寄せ』の間合いに入ってしまえばあとは拳を握るだけだ。

 なので、能力に目覚めて以降に仲裁人の仕事をはじめてから、もっとも多くこなしてきたのがこのようなペットの捕獲である。こんな街でも、いやこんな街だからこそか。残飯で懐かせたりして生き物を飼っている者は、少なくはない。だから仕事として成り立っていた。

 それ以外だと理逸に経験ある仕事は『飛んでる朝告鳥を引き寄せて羽むしって食材にする』とか、『廃墟の隙間に落ちて取れなくなった物や人を引き上げる』とか……まあ、ともあれ生き物相手の仕事は多い。傷つけずに相手を動かせる能力だからだ。

 そうした経歴を知っているのか、浦野は感心した様子だった。


「知り合いからペット捕獲に適任がいると耳にして依頼をかけたが、いやぁすごいな。能力も便利なものだね」

「どうも」

「あ……、いや、気を悪くさせたならすまない」

「いえ。便利だと言ってもらえる方がうれしいですよ」


 うっかり、という感じで理逸の能力に言及してしまったらしい浦野があわてたので、理逸は肩をすくめて処世術的な受け答えをした。これで笑みのひとつもサービスできればより向こうは気楽になるのだろうが、あいにくとそこまで理逸の表情選択肢は豊富ではない。

 気まずいというほどではないが多少気を使う空気が生まれてしまったところで、ビルから降りてきたスミレがそれとなく区切りをうながす。


「ぉわりましたか」

「ん、捕まったらおとなしくなったしもう逃げることもないだろうな。とっとと戻るとするか」

「では、ぉ客様。支払いなどぁとのことは、組合を介してぉ願ぃします」

「ああ……またなにかあったら、頼むよ」

「次はその子のこと以外でお願いしますよ。また喧嘩が原因か、と思って辟易してしまうので」


 冗句混じりの言葉に、やっと浦野は少しゆるんだ笑みを浮かべてくれた。

 抱えた猫に「コマリ、もっといい部屋と座布団用意してやるからな」と話しかけている。猫は不自由な贅沢に文句を言うようにニャゴ、と鳴いていた。


 連れ立ってその場をあとにして、腹ごしらえをどうしようかと理逸は考える。

 その半歩後ろを歩きながら、スミレがぼやいた。


「能力を使ぅ人間に対して、ぁあした見方はょくぁるのですか」

「ああした、ってなんだよ。あ、気ぃ使われてることか?」

「そぅです」

「まあ、未届の能力保有者プライアホルダーが禁忌って時点でわかるだろ。どっかタブー視されてるってのは否めない」


 娼館経営者だったあの尾道が典型だが、隠して能力を遣おうとするやつはそれだけで社会にとって危険だ。どうしても人は「なにをするか・なにを持ってるかわからない」相手に辛い評価をする。


「それに発現背景に触れられたくないからな、俺たち(能力者)も。そういう態度が気を使わせてんだろ」

「なるほど。互ぃ距離を取りぁってぃると」

「逆に言えば距離も取らずにプライアを欲してる奴は金がないか倫理がないかどっちかだしな」

「この街にはそのどちらかの人しかぃなぃと思ぅのですが」

「言うじゃねえか」

「ぁなたがそぅした人に食ぃ物にされなぃかと言ってぁげてぃるのです」


 腰のあたりで後ろ手組んで、あさっての方を見ながらの言葉だった。

 理逸は皮肉ったため息だと思われないように気を付けながら、不器用な思いやりに対してひとつ、ゆるく息を吐いてから返した。


「されねぇよ。俺のプライアは、尾道や安東さんほど凶悪なプライアでもなきゃ欣怡みたく便利で悪用三昧な能力でもねぇからな」


 救助型の能力は尖りが少ない。他人を傷つけることへの特化である反撃型、現象や状況から脱出することへの特化である逃避型といったほかの能力分類に比べ、爆発力はないがそのぶん『被害を大きく出さない』のである。

 だからほかのプライアと比べて直接の攻撃能力でないぶん、理逸は仕事を頼みやすい方らしい。


「いくら能力の届け出登録をしててある程度その詳細がわかっていても、隠した条件や特性がある可能性やそもそもの能力が凶悪な場合、能力保有者はみんなに腫物扱いされるもんだが」

「ぁなたはその懸念点がなぃ、と。たしかに、《七ツ道具》として顔が知られてぉり、能力もたかが知れてぃますからね」

「低く見積もってもらえるのもそれはそれで便利なんだよ。俺と同じ便利屋まがいのことをしていてもまるで仕事になっていない者も多いこと考えるとな」


 どこまでいっても能力保有者はうっすらと一線が引かれており、仕事の上でそのラインが可視化されることは多かった。

 プライアを使うシーンを見れば怯える人が大半である。理逸があまり恐れられないのは先代《蜻蛉》である兄のゴーグルをぶら下げ、能力が戦闘特化でなく、また先代に近しい振る舞いをつづけているからだ。それでも、まだまだ怯えられることは少なくない。


「びびらないのはプライアを神聖なものと見ている《慈雨の会》の奴らくらいだ」

「ぁあ……ジロクマさんゃ、事前準備戦のさぃに協力してくれたみなさん」

「奴らは災害後にあらわれたプライアを、この末世から救済するため神がつかわした能力だと思ってるらしい。だから能力保有者にはやさしい」

「ぉ世話になったことがぁるのです?」

「あるよ。兄貴いなくなってから仲裁人としてまともに働けるようになるまではよくあそこで炊き出し食ってた」


 もっとも彼らはその活動によって信者を増やすという目論見があり、実際に理逸の周囲にいた能力保有者仲間の多くは彼らに取り込まれた。

 無論、こんな世の中でそれが悪い選択だったとは言わない。傘下に入った彼らの行動は、自分の有効活用といえるだろう。

 だが理逸にはうなずけない選択だった。


「慈雨の会のことは嫌いじゃないけどな。ただ、俺と接しても俺本人じゃなく、俺のプライアしか見てないような感じがするんだ」

「……ぃまのこの街では、極端な接し方しかされなぃのですね。能力保有者は。差別か、優遇か」

「能力保有者が普通のものとでもならねぇ限りはずっとこのままだろうよ」

「そんな世になったのなら、今度は能力保有者間で格の付けぁいがはじまるのでしょぅね」

「特権の椅子ってか」

「座りごこちのょい椅子はそれはそれでぉ尻が腐りそぅです」

「そうだな」


 会話をしながら、特権の椅子について思いをめぐらす。

 そこで振り返り、もう視界にはいない浦野とその飼い猫・コマリを思い返す。


「……ふん」

「なにか言ぃましたか」

「いや。織架のところにこの通信機、返しに行こう」


 あの猫は贅沢なほど不自由のない、けれど不自由きわまる箱庭内の暮らしを、どう思っているのだろうか。

 そう思ったが、口に出すのは控える理逸だった。




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