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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter6:

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「ここに住むとはお目が高いねきみ。ここは古臭くて階段は軋むし壁も薄いから外の物音に気を付ければ常に防犯になる。とってもいいところだよ」


 アパートに越してきてひとりだった理逸に、「お隣さん」だと名乗る欣怡はにこやかに話しかけてきた。

 兄の朔明を亡くして、深々と確執を抱えながらも行路流を学び。ただひとりきりになって暮らし始めた矢先のことだった。

「ああ」とだけ返して、それだけではさすがに不愛想に過ぎると思い「よろしく」と、夕飯のつもりで持ち帰り(テイクアウト)した小吃シャオチィの袋を手渡した。

 笑う欣怡は「袖の下?」と掲げてみせたので「そんなつもりはねぇよ」と返したことを覚えている。

 すでに互いに他派閥であることは知っていたため、握手するようなことはなかった。

 だが掌紋が擦り切れた手の様子と立ち姿の安定に、並ならぬ使い手であることは察する。

 以来、つかず離れずの距離でただ、共にこの街で暮らしてきた。


 しかしことここに至るまで、積んできた鍛錬の技を見ることはなかった。

 彼女のプライアも。

 もちろん、それが覚醒するに至った過去も。

 知ることはなかった。

 こうして、ぶつかり合う日まで。


「ああ、くそ」


 床にうずくまりもう動かない彼女の横に座り込む。

 びちゃりとボトムス越しに、部屋を浸した水がしみこむ。欣怡の手が、波紋の上で止まっている。

 擦り切れた掌紋の繰り出してきた技の冴えは、しばらく忘れられそうにない。

 己が殺したわけではない。直接手にかけたわけではない。

 そう理解していても、死なせたことが重くのしかかる。うつむきたくなる。

 ひたりとさざなみを起こし、スミレが一歩こちらに寄ってきていた。


「……落ち込んでぃるでぁろぅところ、すみませんが」

「わかってる。一分だけくれ」

「はぃ」

「悪いな」

「なにがです」

「お前にとっちゃ、子ども売り飛ばすようなろくでもない奴だからよ。いや、俺だってそれはわかってるんだ。でも、」

「たしかにゎたしは許せません。このひとは、死をいたむょうな対象からは外れました」


 遮るように言葉を挟んで、スミレはソファに腰かけた。

 視線を上げるとわずかに前傾しながら、彼女は紫紺の瞳でじっと理逸を見る。


「けれどぁなたがどのょうに感じ、接してきたかはゎたしの感じ方と関係ぁりません」

「……そうか」

「はぃ」

「そうだな」


 かみしめるように言って、理逸は残り三十秒だけ、複雑な心境をごちゃごちゃのままに自分の内へ投げ出して茫然とする。

 時間がきたら、もう気持ちに蓋をした。

 そこからは、《七つ道具》三番としての理逸だった。


「よし……やっぱり、加賀田を呼ぼう」

「検死と証言に用ぃるのですか」

「ああ。死因が服毒だってわかれば、欣怡の死が俺たちの仕業じゃないと証明できる。そんで幸いなことに加賀田はこの街で第三者の立ち位置だ」


 楼閣内での争いの結果である、欣怡の死。

 それがもたらす結果は大きい。なぜなら世渡妓楼閣は安全組合傘下、その内部で組合幹部の理逸とスミレが沟の幹部級である欣怡と争い、死亡した事実。

 普通に考えれば派閥抗争の火種だ。それでなくとも補償を要求される可能性はある。そうさせないためには、客観的な事実として理逸たちの側に害意がなかったことの証明が必要となる。防戦であった証拠がほしいのだ。

 そこへきてあの加賀田は、楼閣の客とはいえ南古野に関係しない新市街の人間だ。以前からの来訪や交流がないことも調べればすぐにわかる、抱き込んでいると見られることもない。


「まあ、囮にしたせいで鎖骨へし折られたの恨みに思ってる可能性はあるが」

「なんとなくですが、そぅいぅことを気にするタィプではなぃと思ぃます」

「そうか?」


 言いながら腰を上げ、二人はエレベータに乗った。降りて、一階のロビーで待たせていた李娜と加賀田に再会する。

 上の事情を説明して了解を得ようとすれば、加賀田は肩をすくめた。


「ふうん。そういうことなら、私は構わんよ」


 隅のスツールに腰かけていた加賀田は、まだ逃げる可能性がゼロではないため相変わらず拘束されたままだったが、あっけらかんとそう言った。スムーズすぎて理逸はいぶかしむ。


「早いな決断が。もう少し交渉とかしねぇのか」

「おいおい。自分の嫌疑が晴れてかつキミたちに恩を売れるのだぜ。だったら、話はさっさと進めるに限るというものだ。さあ上へ行こうか」


 飄々と言ってのけて、加賀田は自分を運ぶように命じた。拘束している都合上仕方がないのだが、なんとも気ままなものだった。目には青く発動光があり、痛覚封印マスキングしているらしくとくにへし折られた骨について文句も言わない。とことん付き合い方に困る奴だ。


「李娜、外の沟の連中の動向は?」


 面倒なので話し相手を変えると、李娜は顔を動かさずしかし意識を外に向けた様子だった。耳をそばだてている。


「……十鱒さんが指揮している組合の人間と、小競り合いしているようですね。焦りやいら立ち、恐れや消極姿勢は感じるけれどその配分比率は強い命令を感じさせないわ」


 声音の聞き分けはもちろん、含まれる感情の多寡で相手の言動の裏を探るのは李娜の特技だった。

 命令系統の動きを感じさせないということは、組織活動が遅滞している。小競り合いで済んでおり消極姿勢ということは目的意識が薄い。


「ってことはあいつらを指揮してたのはやはり欣怡で、いまは待機状態ってことだな……」

「まだ、シンイさんの死は伝わってぃなぃよぅですね」

「もうしばらく伝わらないようにしておきましょうね。その、お医者さんの証言が取れて向こうにわれわれ楼閣の潔白説明がつくころまでは」

「助かります、李娜」


 頭を下げ、理逸は加賀田を伴いまたエレベータに乗り込もうとした。

 だが押しても、鉄の箱が三階止まりで降りてこない。なにか漏水避けに荷物でも運び出そうとしているか、あるいは水がなだれこんでいよいよ電気系統に問題が生じたのかもしれない。

 ため息交じりに加賀田を担ぎ直し、理逸はスミレと共に階段をのぼることにした。すると加賀田はふいに、思い出したように理逸へ言う。


「そういえばキミ、聞いた話だと《七ツ道具》で《蜻蛉》と呼ばれているそうだが」

「それがどうかしたか」

「私の知る《蜻蛉》はキミと同じく空を飛び回る戦法と、双つレンズのゴーグルが特徴だった」


 その特徴に、ぴくりと反応してしまう。尋問のプロである加賀田にはそれだけで情報を確定するに十分だったはずだが、正確を期すタイプらしい彼はさらに質問を重ねた。


「だが彼は、もうすこし年嵩としかさだった。キミに代替わりしたということかね?」

「兄貴を知ってるのか?」


 階段をのぼりつつ問い返せば、担がれた加賀田はのんきな声で答える。


「兄弟のわりにあまり似ていないな、先代とは」

「血は繋がっていない。俺は拾われの身だ」

「なるほど。戦法や語り口など部分的に似ているのは生活環境によるミラーリングで類似性を高めた結果かね。まあ、ともあれ知ってはいる。静かなる争乱には私も関わっていたのでね」

「お前、争乱で戦っていたクチか?」

「ひどく睨むところを見るに、なんとも嫌な思い出がありそうだね。あのときの戦闘結果に嫌なものでも含まれるのかね?」


 加賀田は例の、ただ確認しているだけなのだろうがやたらと神経を逆なでする物言いで理逸の奥をのぞこうとしている。嫌な心地がしてその視線を振り払った。

 この両手がプライアを宿すようになった争乱のことなど。思い出したくはない。そんな理逸になんの思いも抱かず、加賀田はつづけている。


「ことわっておくが私は戦闘に参加してなどいないよ。言っただろう、南古野に足を踏み入れたのは今日が初だと。なんといっても基本的には医者なのだぜ? 後方支援を前線投入するというのは末期戦のセオリーだ。私はたまたま、水道局に治療班として雇われたに過ぎない。あのときも北遮壁のきわにいたのだよ」

「じゃあ兄貴と知り合ったのは、いつだよ」

「局の前線防御がおろそかだったために後方まで突破される瞬間があったのさ。そこで、《蜻蛉》と会った」

「兄貴に、助けられたってわけか? ……水道局の、治療班なのに?」

「そうとも。あれはじつに大した男だった。なだれ込んできた敵兵……この街のやくざか? 彼らを瞬時に押しとどめた」


 笹倉組だ。

 後方を狙うのは実際、有効ではあるが戦地において禁忌といえる戦術である。いろいろと暴力のタガが外れている笹倉たちならば、やらなくもないのだろうが。

 そしてそれを目にした先代蜻蛉は、禁忌を見過ごさず止めたらしい。

 組織としては敵だろうと、きっと「前線にいない者を襲わせたくはない」と考えたのだ。


「が、《蜻蛉》はけっして単体としての戦闘力が高いわけではない。いわば『周囲のアシスト』に異様なほど長けた奴だったな……異名の通り空を飛び回り、ときに空で動きを止める。相手の動きも縛る。あれをプライアも無しで実現していたとはにわかには信じがたい」


 面白そうに言って、加賀田は過去を想起している様子だった。


 ──《蜻蛉》。ゴーグルと、ワイヤーを駆使して空中を飛び回る戦法をしてそう呼ばれたのが、理逸の亡き兄にして深々の恋人でもあった男・朔明だ。現在の理逸の戦闘スタイルも彼のワイヤー使いを『引き寄せ』によって真似ているものなので、加賀田が似ていると認めるのも当然のことである。


 引きずり出されるように過去を思い起こしていた理逸に対して、加賀田は背から問いで打つ。


「で、代替わりしたのかね?」

「……ああ」

「ということは落命したか戦闘不能に陥ったか。ふむ、彼も『群れの行動選択の過程で削れる周縁部』となったわけだ」


 本当に何の気なしなのだろうが、無遠慮無神経に人の死に踏み込んでくる。おそらく加賀田にとっては、自分のアプローチとやらの推論に当てはめて考えているだけのこと。

 まったくとんでもないエゴイストだ。……そういえばこいつもプライアホルダーか、と理逸は欣怡の末期の言葉を思い出す。


 プライアホルダーはエゴイスト。

 であるなら、兄は。朔明は。

 プライアに目覚めることなく死んでいった、兄は。エゴイストでは、ないのだろう。


「殺さなぃ理由は」

「?」


 階段を歩む理逸の隣で、スミレがつぶやいた。


「ぁなたがひとを殺さなぃ理由は、ぉ兄さんと関係がぁるのですか」

「無関係、とは言えねぇな。まあさすがに──加賀田みたいな奴まで助けてたってのは初耳だが、もともと《蜻蛉》として動いてた兄貴はいつも他人を助ける道にいた。そんな男に育てられたわけだからな、俺」

「継ぃでぃる、と」

「どうかな。よくわからん。……兄貴の行動や俺の行動、そういうのは無駄だと思うか? 合理的じゃない、とか……。いや、感じ方の押し付けだなこれは」

「戦地は前提となる常識が異なります。短絡的(short)な見方で答ぇを出す気はぁりません」

「そうか」

「ぇえ」

「……ありがとよ」

「礼を言ゎれる筋合ぃもぁりません」


 肯定も否定もしないのは彼女なりの気遣いにちがいなかったのだが、当人はそうやって認めないのだった。

 そうこうしているうちに、三階まで来る。踊り場で、くるりと理逸たちは反転する。

 と、エレベータホールが目に入った。先ほど忍び込んだ倉庫のちかくだ。

 ごつ、ゴツ、と鈍い音がしている。

 なにかと思って見てみれば、エレベータの内部から足が二本突き出ていた。


「は?」


 革靴を履いた足になんとなく覚えがある。先ほどここを巡回していた、見張りの男だ。思わず駆け寄ってみると、気絶した状態でエレベータのなかに転がされている。

 この足が邪魔で閉まりきらず、扉は開閉を半端に繰り返して幾度も足を打っていた。だからエレベータが降りてこなかったらしい。


「侵入と、時間稼ぎです」


 一言で現状を言い当てたスミレが亜式拳銃を手に取る。

 邪魔な加賀田を背中から降ろした。ぐえっといううめき声を置き去りに、引き寄せで駆けあがっていく。

 己を踊り場の壁に引き寄せて足から壁に接地、室内に転がり込んだ理逸は視線をめぐらした。

 天井の高い水浸しの部屋のなか、どこにも欣怡の死体がない。


「やられた……」


 まちがいなく、沟の仕業だ。

 波乱を予期して理逸は額を打った。

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