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きわどいところで勝ちを拾い、理逸は腰を下ろした。プライアホルダーとの戦いはなにが悪手につながるかわからないので、かなり神経を削る。
「あー、……しんど」
あぐらをかいて床へ後ろ手をついたその姿勢のまま、眼前で膝から崩れ落ちた欣怡を、見やる。
昔馴染みではあるが、けして互いに友人と呼ぶことはなかった。
馴れ合いはしていたが、仕事のときは仕事だと割り切ってきた。奴はそんな相手だ。
けれど長く隣人であったことには変わりなく。
こうして敵に回ってしまうと、やはり気持ちのなかに複雑なものを感じざるを得ない。
天井から降り注ぐスプリンクラーの水にぬれた顔をぬぐい上げながら、理逸は嘆息した。
「ぉつかれさまでした」
ガラにもないことを言いながら、スミレが近づいてくる。
声音には疲労が滲んでおり、彼女も戦闘で気を張っていないわけではないのだな、と仲間意識のようなものが芽生えた。
「お前も、お疲れ」
労いの言葉をかけて顔を上げる。
そして理逸は固まる。
すぅっ、と。
スミレも眉間にしわを寄せて固まる。
どうやら戦闘終了で互いに気が抜けていたらしい。
……本日二度目。
ずぶ濡れになったスミレは身に纏うベアトップのワンピースがタイトかつ薄く白いため、その小麦色の肌をした細い肢体を透けさせていた。
起伏の無い体形に沿って股下までをぴったりと包む布地は、表面に刺繍された幾何学模様越しに飾り気のない下着のラインを露わにしている。胸元に至ってはまだ未成熟なためかベアトップのほかになにも帯びておらず、わずかなふくらみと共に秘されているべき部位まで浮き上がりそうな有様だった。
……過敏に反応すべきでない、と感じて理逸はまず目を伏せ、次いで顎を引きうつむいた。
あたかも疲れからそうした、と言わんばかりの自然な仕草だった。
「悪かったな。手数増やして欣怡の行動縛るためとはいえ、お前を戦闘に付き合わせて。さっき加賀田とやり合ったときに、統率型を喪った以上はなるべく前線から下げた方がいいか、って話したばかりだったのにな」
努めて平静に語る。今回は理逸もずぶ濡れなので、シャツを貸してやることもできない。
視界の端で彼女が、裾を引っ張って肌への貼り付きをはがしているのがうかがえる。けれどスプリンクラーが止まらなければどうにもならないと察したらしく、あきらめた様子で近くから、先ほど引き寄せしたシーツを拾ってきてくるまった。
「その辺りはぁとで取り決めをしましょぅ」
努めて冷静な語りだった。
やがて、スプリンクラーは止まった。
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崩れ落ちた欣怡をソファに置いて──どうせ転移がある以上縛ろうが縫い付けようが逃げられるので、拘束するか迷ったが。
「縛った方がぃいです」
とスミレは言った。
「なんでだよ。どうせ縦横無尽に転移できるんだろこいつ」
「縦横無尽ではぁりません。シンイさんはぉそらく、『横軸移動しかできなぃ』です。だから縛ってぉけば縄抜けに一手使ぅので、取り逃がす可能性は減ります」
「は? 横移動だけ?」
「なぜ三階の倉庫をぁさったか。それはもちろん鍵のかかった部屋にバィンダーを置くためでしょぅが、そこから『平行移動したかった』のもぁるのでしょぅ」
数秒考えて、理逸も合点がいった。
攫われた棚部百合の部屋は、通りを挟んだ向こうのビルで同じく三階に位置していた。
「戦闘中、天井に張り付ぃたぁなたをシンイさんは転移で追撃しませんでした。『転移先には、転移前とまったく同じ姿勢で出現する』とぃう特性を考ぇれば、全力の殴打を振りかぶってから転移して打ちぉとすのが有効でしたのに」
「しなかったんじゃなく、出来なかったということか」
「そぅいう、能力の目覚め方をしたのでしょぅ」
明言は避けたが、スミレには欣怡の発現状況について推測があるのだろう。横移動のみ、壁の向こうにもいける、転移能力。……深く考えるのを、理逸はやめておくことにした。
ともあれ、スミレの勧め通りに縛り上げて。
ひとまず理逸は李娜と加賀田(気絶している)を階下で保護してもらい、気を失った欣怡が目覚めるのを正面のソファに腰かけて待つ。その間、自分の状態をあらためることにした。
理逸が両腕の袖をめくると、皮膚は青黒く打ち身の変色を見せていた。
「うわ。ったくとんでもねぇ技……っつか、これが勁ってやつか」
まだ表面もじんじんと痛む。たかが一発の手刀と背刀で、防御に使った左右の腕が使い物にならなくなるところだった。
急所に打たねば倒せない理逸の行路流のレベルとちがい、欣怡の武は『場所を選ばずとも打てば響く』かなりの水準まで磨き抜かれている。とはいえ、普段はその技芸をほとんど見せない。プライアについても同様だ。隠し抜いた手札ということだろう。
しかし今回は、その『秘匿していた』ということが仇になった。
実戦でのプライア使用の経験不足が、自分で確立したひとつの戦法以外を採らせなかったと言える。なんなら転移を捨ててがむしゃらに体術のみで襲い来る方が、理逸としてはこわかったのだ。無論その場合は引き寄せによるべつの攻撃手段に転じて動きを封じる予定だったが……その場合はいまよりずっと時間がかかっただろう。
早く終わったのはスミレの策が、うまくハマってくれたおかげだ。
「大丈夫ですか」
「三、四日もすれば多分治るよ。それより、状況を整理しなきゃな。ここからはかなり、派閥間の政治的な話になってくる」
さらわれた子どもは港湾部、沟の領域に住む子が多かったが必ずしも所属は沟とは限らない。人員への手だしは明確な越境行為であり、欣怡を主とした沟の人間が主犯だったのならそれは処罰の対象となってしかるべきだ。
ましてや、欣怡はこの世渡妓楼閣へ児童誘拐の証拠足りえるバインダーを隠し、罪をなすりつけようとし。その事実が理逸たちによって明るみに出そうになれば、新市街からやってきており多企業軍の経歴持ちというややこしい立場の加賀田にさらに罪を被せるべく目撃者の理逸たちを殺害に及ぼうとした。
もはや沟からの南古野安全組合への攻撃といっても差し支えない。
目覚めたら欣怡には、問いたださねばならないことがいくつもあった。
「増援が階下で押さえてるってことは、深々さんに話は通ってるんだろうが。まだ来ねえのかな。早いとこ今後について話すべきだってのに」
先ほどダイナミックに入室すべくたたき割った飾り窓を振り返る。急ぎの用事だとわかっているなら、深々のことだから空を歩いてやってくると踏んでいるのだが。
すると横のスミレはため息をついて理逸の発言を咎める色を宿す。
「深々さんは今日、新市街へ先日の制水式での《陸衛兵》の行ぃにつぃて抗議交渉に向かってぃたでしょぅ。幹部なのにぉ忘れとは嘆かわしぃ」
「ああ、そうだっけ。じゃあ階下に来てるのは、不在時に指揮執ってる十鱒さんが連絡して近場から送ってくれた兵か」
十鱒は理逸や深々のように移動に使える能力を所有していないため、到着が遅れるのも無理はない。ただ、先代リーダーであり経験豊富な彼が来るとなると少しは安心できるところがある。李娜とも旧くからの知り合いらしいので、彼が来れば話はスムーズだろう。
「まあ、そうは言っても。なるべくは俺が聞き出しておきたいけどな」
「情ですか」
「だろうな。それに、こいつ自身にも……」
情に訴えかける余地はあるかもしれない、とまでは続けなかったが。スミレは区切った言葉の先を察したようだった。
冷めた目で、欣怡の顔を眺める。
「子どもを食ぃ物にしてぃた相手です」
「わかってるよ」
「書を焼く人はぃずれ人を焼くとぃいます」
スミレは理逸と同じく、他者を殺害することに忌避がある。
けれどいま彼女に宿る表情は、殺さないという一線を引いているだけで……それ以外のすべてを相手に許さない、人として扱っていない色だった。
「子どもとぃう萌芽を摘む人は、ぃずれなにをするでしょぅ?」
ハシモトたちへの優しい態度の裏返し。
スミレは、子どもへと搾取の手を伸ばす者には険しい顔つきですべてを処断する。ただ、『殺さない』というだけで。きっと彼女は相手の人間性をすら認めず厳しく断罪する。
ひどく正しいことだ。
無法の南古野であっても子攫いは暗黙の禁忌となっているくらいなのだ、子を守り育まんとする彼女の態度は当然である。理逸もそこには納得できる。
「わかってるよ。でも、それを理解した上で俺はこいつの口から聞きたいんだ。ほだされはしない、仕事はきっちりやる」
「裁くならせめて自分で、とぃうことですか?」
「裁かねぇよ。俺がやるのは先生から受けた仕事と、《七ツ道具》として他派閥との間に入る仕事、それだけだ。裁くのは沟だろう。奴らのとこで、こいつ自身が落とし前つけることになるはずだ」
「私情は挟みませんか」
「それら最後まで見届けるってことを私情と呼ぶなら、挟まないとは言えねぇな」
理逸の回答に納得したのか、スミレは「ならば、ぃいです」と引っ込んだ。
見届ける。ただ、それだけのことだ。
理逸と欣怡は友人ではなかったが、知らぬ間柄でもない。互い、どう生きてきたかを多少なりと知っている間柄だ。
「……見届けて、くれるんだ?」
目を覚ましていたらしい欣怡が、蹴られた後頭部の痛みに耐えた顔で言う。両手両足首がワイヤーで拘束されているのを見て、ため息をつく。
スミレは、身構えた。
シーツを肩に羽織った彼女の手には亜式拳銃が握られており、別で携帯していた弾丸を装填済み。
銃口は、欣怡の足に向いている。殺しはしないが動きを止めるに躊躇はしない、そのような態度の表れだった。
そんな彼女のことはいったん置いて、理逸は正面の欣怡へ口を開く。
「見届ける、見届けられるってだけのことも、ひどく贅沢品だってことを俺たちはよく知ってるだろ」
「あーは。……ちがいないね」
「語ってもらうぞ、欣怡。ガキども攫ってなにをしてた? いままで攫ったやつらはどうした? 棚部百合はいまどのように運ばれている?」
理逸は少しだけ向こうに身を乗り出し、座ったまま膝に両肘を置いた。
これが最後の会話になる。
欣怡は、かつてこの楼閣へ属そうとして、結局逃げた。──しかし労働先を特定派閥の傘下組織に定めようとすることはそこへ属す意志表示であり、つまりそのあとに沟へ属す先を変えた欣怡はすでに一度限りの『シマ抜け』の権利を使用してしまっている。
ここから他派閥へ移る手はない。
彼女は、ここで終わりだ。
だからなるべく近くで聴いておきたかった。
……しばしの沈黙を置いて、欣怡はふうと息を吐いた。
「子どもはもうここにはいないよ。みんな新市街に売り払った」
「売った?」
しかも、新市街に?
告げられた事実を飲み込めないでいるうちに、彼女の説明はつづいた。
「『外』との仲介を通じて人身売買の誘いがあったんだよ。間にいろいろ業者と隠蔽商社噛ませてたみたいだけど……まあこの街で大金動かせる相手なんてだいたいわかるでしょ?」
ここだけは、気づけていなかった理逸にしてやったりという顔をして。
欣怡は告げた。
「どーせ相手は企業連合だよ。……沟は、奴らに。その後ろにいる水道局に渡りをつけようとしてた」




