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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter5:

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Wrong way (2)

 七月になり、少し暑さが増した。仕事に向かうのも怠い季節である。

 このまま八・九月と暑さはキツくなり、十月から少しずつ落ち着き、十二月にはまた先月(六月)と同程度の気温に戻る。ここからが元・日邦の土地における暑さの本番だ。

 同時にわずかながら、恵みの季節でもある。


「湿気てきたな」


 仕事に向かう途中で頬に感じる風にわずかな潤いを感じ、理逸は顔を上げた。

 路地から見上げた細く狭い青空はまだ雲がないが、おそらくは少し離れた位置に積乱雲が発達してきている。その予感がある。


「スミレ、ここで待ってろ」

「ぃちぃち言ゎれずともゎかっています」


 半目でぼやくスミレにそうか、と相槌を返し、理逸は頭上に向けてプライアを発動した。

 両拳を握り込み、壁面伝いにビルを這いのぼり屋上までつづく配管パイプの終端を対象とする。幸いしっかりと固定されているらしく、理逸の『引き寄せ』でひっぺがされることはなかった。つまり彼の身体がグンと上空に引っ張られる。

 飛び上がった理逸は壁を幾度か蹴りつけて姿勢を制御しつつ駆け上がり、屋上の縁をつかむとよじのぼった。

 四階建ての屋上はこの周辺の建物ではわずかに空へ突きだしており、遠くを眺めることができる。

 読み通り、迫る積乱雲が、彼方で膨れつつあるのが見えた。

 理逸はすぐに掲揚台けいようだいに駆け寄る。天に向かう突端まで伸びる掛け紐をカラカラと引っ張れば、下がっていた旗が周囲から見えるように高々と揚がった。

 はためく、幅広で長い旗。

 その表面にはでかでかと『びょう』の字が、天地逆さに描かれていた。


「《七ツ道具》・三番が告げる! 雨漁うりょうだ、雨漁だぞ!」


 大声で理逸が呼びかけると、次第に。

 周りのビルのそこかしこでも、同様に『淼』の逆さ文字が描かれた旗が次々に揚がった。

 これを見て、日中は陽射しにやられないよう引きこもっている南古野の民がわらわらと外に出てくる。手に手に持っているのは、タープであったりビニールシートであったり、目の細かい網であったり太めの綱であったり……千差万別だった。

 けれど用途は皆ひとつ。

 張り巡らし、路地で建物の間に渡して結び、端をバケツや桶やゴミ箱といった器に差し入れる。設置はすぐに完了した。

 街全体が船出に際して、帆を張ったかのようだった。この光景ができたのを見て、理逸は元の路地へと(断続的に引き寄せを使い落下速度を殺しながら)降りた。


「……タープやシートは雨受け皿、網は伝ゎせることで表面積を濾過に用ぃ、最後の綱は雨樋、ですか」


 一見しただけで、スミレは用途を悟る。理逸はうなずいた。


「こんなんでもうまくやればそれなりに水が貯まる」

「直接、高い建物の屋上でぉこなゎれなぃのは、建物の権利者を侵害しなぃためですね」

「そういうことだな。道は、公共物だからよ。誰かに止められることはまずない」

「警察の働きが期待できなぃから可能な手段とぃうゎけですか」

「そんなもんがここに居たのは半世紀も前の話だ」


 言っているうちに雲は迫ってきていた。理逸とスミレは青空が灰色に埋め尽くされるのを見る。ささっと、傍で張っていたタープの下に二人は滑り込む。これを張っているのはビルの住人、港湾労働者の男とその妻らしい娼婦とその娘の三人組。

 彼らと顔を見合わせて肩をすくめ、タープに手を伸ばし理逸は支えを手伝う。

 一瞬の暗雲。

 日が翳り天が閉ざされ辺りに静寂が落ちた。

 湿気が満ちるのがわかった。


 たっ、

 たたっっ、


 とタープにしずくが降る。

 ……程なくして。

 機銃掃射を思わせる乱打がタープを重くしならせはじめた。雨霧で視界がけぶる。タープの外は十メートル先の人の顔も満足に識別できない。

 手のひらで支えるタープの重みが増していく。水の流れを補助するように、理逸は支える位置をちょくちょく変えた。背の届かないスミレは横でバケツの入れ替えや器の運び出しを手伝っている。

 バケツが二つ、いっぱいになる。

 ほか、置いてあったボトルや瓶にも漏斗じょうご伝いにある程度水が溜まっていた。

 経験から言ってそろそろ止むだろう。理逸は支えていた手を外そうとした。

 と、横にいた労働者の男が「あ」とつぶやいた。

 同時に彼も手を放そうとしていたらしい。二か所の支えを失い──あまり上等なものとはいえないタープの中央部に、ぐっと水の重みが集中した。


 繊維の引き裂かれる、

 嫌な音がした。


 それはバケツを両手で提げ、うんしょと運んでいたスミレの頭上から降る音だった。

 どざばっ、とタープの裂け目から重たい幕のように水が落ちる。

 頭頂部からまともに受けたスミレはがくんとうなだれ、バケツを取り落とした。


「…………」

「…………、」


 理逸もスミレも無言だった。三人家族は「だ、大丈夫……?」と声をかけてきておろおろしていた。

 雨雲は来るとき同様に去るのもあっという間、すぐにタープの隙間からは陽光が差し込んでスミレを照らした。

 ぐっしょりと濡れそぼった肩までの銀髪がボリュームを失い、筋となって顔に貼り付いている。細いおとがいの下、折れそうな喉にかかるホルターネックのストラップに吊るされていた白のベアトップワンピースは、もともとタイトなデザインということも相まってぺったりと、小麦の色をした肌に密着してしまっていた。透けた質感が、ハリのある肌を示している。

 広く露出した太ももから腰までのラインのあいだに、内に身に着けているのだろう下着の縁が浮かぶ。視線を察したのか、スミレは下腹部近くの布地を引っ張って皮膚への貼り付きをひっぺがした。

 いたたまれない空気なので、理逸は上に着ていたカッターシャツを脱いで渡した。


「着とけ」


 無言で受け取り、袖を通す。スミレと理逸は三十センチ以上も身長差があるため、すっぽりと太ももまで隠すことができた。


「どうせすぐ乾く」


 慰めにならないだろうがそう言っておいた。

 スミレから返事はなかった。


        #


 そもそも今日は仕事に向かう途中であった。希望街のとある位置を目指して再び歩き出した二人は、理逸が先を行き数歩後ろをスミレが進んだ。その数歩のあいだに、気まずさが沈殿していた。


「実際、ぁれは多くの水を得ょうとぃう目的の行動なのですか」


 とはいえもとから乾燥している南古野においては、晴れているなら三十分も歩けば衣服を濡らすのは自分の汗だけになる。

 スミレはシャツの襟もとを引っ張って中に着ている自分の服の胸元を確認し、シャツを脱いで返してきた。もうだいたい乾いたらしい……礼もなにもあったもんじゃないが、なにも言わず話題として触れず理逸は羽織る。雨のにおいを感じた。


「どういう意味だ? 見ての通り、水を確保しようとしてるだろ」

「たしかにそぅですが、そこまで効率的とは思ぇません。第一、飲用には向かなぃでしょぅ」


 それはその通りだ。南古野の大気はかなり多様な粉塵が舞っているため、雨も空から降る途中でこれらを含む。しっかりと濾過と煮沸を成しても、多く飲むには向かないといえる。浄水器を使えばいいのだが、持っている人間は限られる。


「それでも洗濯手洗いと、使い道はあるからな。呼びかけて住人総出でやるんだよ。むかしっから決まってることだ」

「総出……ぁあ。どちらかとぃえばそぅあること(・・・・・・)の方がメィンですか」

「? どういうことだ」

「気づぃてぃないのですか、街の一部をぉさめる組合幹部のくせに」


 普段のこばかにした口調を取り戻し、彼女は言う。


「什伍の制、隣保制……『住んでぃる場所を住人同士で把握できること』『有事の際に連携できてぃるかを、確かめること』『連帯責任を意識させること』こぅした部分を求めての制度でしょぅ」

「ん、ああー……共同体としての能力を高める方向での、ってことか」」


 たしかに、ことが起きるたびに住人同士で連携が取れていないというのはいただけない。ある程度はこうした儀式めいた事象で顔見知りになっておくことで、なにか有事のとき動ける仕組みづくりがこの雨漁である……ということだったのだろう。


「仕事の上じゃ、どこに誰が居るか知ってるのは重要だしな。実際、人数をかぞえるのが子どもの仕事になってる地域もあった」

「数を、ですか」

「朝、仕事の手配師が来たらその辺りの人間が何人いるか報告したりとか。そこの一帯を取り仕切ってる組織に急な転居でやってきたやつを通報したりとか」

「ぉ詳しいょうですね」

「もともと俺は使われる側の出身だからよ。んで、『じゅうごのせい』『りんぽせい』とか言うのはなんだ?」

「忠華国が忠華国となるはるか以前、古代のころ取りぃれられてぃた制度です」

「なんでそんなの知ってんだお前」

「ぃろぃろと頭に入れる機会はぁりましたので。ぁなたの方は、そぅした学びの機会に恵まれなかったのですか」

「学がないと言いたげだな……俺は、いまから行くとこで学んだよ」


 バラック小屋が増えてきて、大通りの向こうに近づいてきた希望街の方を指さした。

 通りに沿った開けた場所、ビルの陰になる位置へ机と椅子が数セット並べられている。

 それらに腰かけた子どもたちの前方、ホワイトボードを立ててなにやら書いている者がいる。


「先生。来たぞ」

「ああ、円藤君。来てくれましたか」


 書く手を止めた男が、片手を挙げて合図した理逸を見て会釈する。

 くたびれたジャケットの中にサスペンダーでボトムスを吊るした、時代感のある出で立ち。背を丸め気味にして顔に影を落とす壮年の男は、特徴的な丸い眼鏡をかけていた。

 レンズの奥の落ちくぼんだ眼をするりと滑らせ、彼──先生と呼ばれる男はスミレを見やった。彼女に対しても軽く会釈する。落ち着いたその所作に引っ張られたか、スミレも軽く頭を下げていた。


「こちら、この青空教室の先生をやってるトジョウさんだ」


 スミレに先生を紹介した。

 先生といっても、彼と対面している生徒は十人に満たない。というのもこの街では子どもであろうと、先の人数かぞえのような雑務によって街の労働に組み込まれているからだ。なかなか、学ぶ時間を捻出できない。

 そんな子どもたちの事情に合わせて根気強く粘り強く教えをつづけているのが、このトジョウという男だった。『学び方が身につけば、学んだことを忘れようと生きる力になる』というのが彼の信条である。

 理逸も、基本的な計算と文語および街のしきたりなど、幼い頃にいろんなことを彼から学んだのでなんとか《七ツ道具》として働けている次第。


「トジョウです。よろしく」


 けっしてにこやかな顔立ちではないが、穏やかさがにじんでいて自然と周りの警戒を解く。不思議な気質の持ち主、それが先生ことトジョウだった。

 もともと最初のころの理逸、深々への対応からもわかる通り大人全般へ印象がよくないスミレだが、トジョウにはそこまで距離を置く必要がなさそうだと思ったか。素直に、名を名乗っていた。


「スミレとぃいます」

「ああ、きみがスミレさんか」

「? だれかからゎたしのことを、聞ぃてぉりますか」

「子どもの学習を請け負う身ですからね。きみのお友達とも、たまに話をします」


 2nAD、ハシモトたちのことだろう。見れば、席についている子どもたちのなかには横の子と2nAD共通語で喋っている様子が見受けられる。

 理逸にはさっぱりわからないが、長くここに暮らし研究をつづけているトジョウは彼らの文法規則についても理解が及んでいるらしく、「感じる我感到抱歉、言う必要-I’ve never seen such-a naughty boy.」と、なにやらおしゃべりをしていた彼らを叱る言葉を口にした。途端に子どもたちはしゃきっとする。

 でも顔にばつの悪そうな様子はなく、子どもたちは平然としている。聞き取れた後半の瑛語部分である「こんな悪童見たことないぞ」という言い回しは、委縮させるほど強い非難ではないらしい。

 この辺りの力加減も2nADの言語ではかなり地域性独自性があるのだが、トジョウはしっかりものにしているようだった。


「授業はあと五分ほどなので、少し待っていてもらえますか。それから話しましょう」

「了解。適当に待つよ」


 理逸が返すと、ホワイトボードに書いていた算数の問題──さすがに2nADであっても、数字は完全共通の語なのだなと思う──の解説を始めるトジョウ。

 スミレはそんな彼を見ながら、理逸の袖を引いて問う。


「今日は希望街にぃくと言うのでつぃてきましたが、どのょうな依頼だったのですか」


 そういえば話していなかった。理逸が希望街に行くと告げたところ、スミレは「ひさしぶりにハシモトたちに会ぃたいです」と言ってさほど内容を聞かずについてきたもので。

 説明しようと口を開きかけた、が、なんともスミレ相手には話しづらい内容であるため口ごもる。それでもスミレが「内容は」と詰め寄ってくるので、最終的には言うほかなかった。


「子どもの失踪だ」

「……失踪」

「この教室も空席あるだろ」


 見回すと、席に空きが目立つ。いつもであれば二十とはいかずとも、十五人くらいはこの青空教室で学んでいるものなのだ。

 それがここ最近、子どもの失踪が相次いでおりこうした場にも来づらくなっているという。


「失踪の原因究明と、黒幕が居るならそいつとの仲裁。それが今日の依頼だ」


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