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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter4:

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Wailing wall (13)

 聞き間違いであってほしい、と淡い期待を抱きながらそちらを向けば、不敵に笑う安東がぴんしゃんして立っていた。四合瓶とグラスを両手に持っており、見たところ怪我のひとつもない。地下での水泥棒戦は、悠々とくぐりぬけたらしかった。


「どうしたよ。飲んでるかどうか、ってのはそんな難しい質問じゃねぇよね。答えてくんねぇの?」

「……あんたはすでにだいぶ飲んでそうだな、安東さん」

「そうでもねえさ。円藤君と飲む分は残しておきたかったしな……三増酒さんぞうしゅとはいえ、この時代にゃめずらしい米の酒だぜ。どうだい?」


 茶色い瓶のなかでちゃぷんと液体が揺れる。理逸は目を逸らし、掌を振る。


「遠慮しとくよ。むかし飲んだけど、白酒パイチュウのがマシだった」

「ははン? そう言うかと思って白酒も用意してんだな」


 手にしていた四合瓶を背後にあった卓に置き、どこからともなくまた別の瓶を取り出す。

 なんとめんどくせぇ奴なのか、と思いながらもここで断るとさらなる面倒を招く。おとなしく「三杯までなら」と付き合った。

 ショットグラスに注がれた白酒を、軽く互いに打ち合わせてから口に運ぶ。千変艸ヴァリアブルウィード製の模果モッカーとして以前食べた『パインアップル』を腐る手前まで爛熟させたような風味が丸く口の中で広がり、こくりこくりと嚥下するごとに風合いを変えて喉を炙る。

 十鱒や織架が愛飲しているが、相変わらずキツイ酒だった。


「なんでこんなキツイ酒ばっか流通してんだ、この土地……」


 思わずグラスを見る。安東は腹から上体を折り曲げてげらげら笑う。


「知らねえの、円藤君。白酒は水の少ねぇ土地でも作りやすいんだよ」

「そうなのか?」

「おうよ。密造酒で儲けられねぇか考えたときに調べた」

「……あっそ」


 雑学の仕入れ方までろくなものじゃなかった。生返事をして理逸は近くにあった椅子代わりの樽に腰を下ろし、安東も横の樽に腰かけた。

 夜風を肌に感じて、漂ってくる屋台からの醤油焦げた匂いや香辛料の舌刺す香りが胃にクる。なにか食べたいものだと腰を上げかけたら、見計らったように安東が話をはじめた。いや、たぶん実際狙っていた。そのような笑い方をしている。


「事前準備、どうだったよ。ちなみに俺の方はラクなモンだったねこりゃ」

「楽にできたのか」

「ああ。まるで別ンとこに兵力割いてるからこっちに回せねえ、ってカンジでね。その感覚を踏まえて問うが、ソッチは苦労したんじゃねぇの?」


《陸衛兵》の二人に襲われたことを知っている物言いだった。

 理逸はどこまで知られているかわからないので、曖昧に返す。


「まぁまぁだ」

「幹部が二人怪我して病床送りが『まぁまぁ』?」

「……知ってんならいちいち訊くなよな。回り道する分ムダだろ」

「ははは。テメエこそわかってんだから、いちいち言うなよな? 俺が回り道で情報引き出すタイプだ、ってことをよぉ」


 げらげら笑う安東は、どこまでも不愉快だった。

 表情変化、その移り変わりのタイミング、訊く時の姿勢、聞く時の姿勢。ありとあらゆる要素を観察した上で安東は言葉を詰める。あるいはあえて引いて踏み込ませてその足跡を観察する。

 挑発と先導とブラフで主導権を握らせない。真実半分ウソ半分の情報露出。

 正直、理逸のように駆け引きに劣るタイプは関わった時点で詰みという印象だ。


「ともあれ、大ごとだったみたいじゃねぇの。改めておつかれ」


 通りかかった給仕からひったくるように奪った串焼きを、皿ごと理逸の方へ差し出してくる。食って請求されるなどはさすがにないが、もらうのは癪だった。けれど腹は減っているので、食った。

 チキンの肝焼きは新鮮な様子で、ぷつんと表面を噛み切るとじわっと汁があふれた。安東も横にした串にかじりついている(縦にしないのは、そのように食ってるときにぶん殴られて串先が延髄から飛び出た兄貴分を見たからだそうだ。笑い話として以前語っていた)。

 もぐもぐと頬張っている彼を見ながら、理逸は半目で、たまの反撃のつもりで問う。


「あんた、うちのスミレの機構狙ってたろ」

「んー? まぁな。でも壊れちまったんでしょ? つまりもう頭回るだけのお子様ってこった、狙うほどじゃねぇよ」


 話題を急に飛ばしての奇襲のつもりだったが、平然と安東は答えた。少しは動揺させられるものと思っていたので、むしろ理逸の方が気まずくなる。

 安東は、理逸が思っていたよりさらに数段耳が早い。あの耳長、戸境のようにソナーを務められるような聴力でも持っているのだろうかと思わされるほどだ。

 むしろ返す刀で、安東はもぐもぐしながら返してきた。


「つーかそれ、円藤君が気づいたんじゃねぇだろ?」

「どういう意味だよ」

「『俺があの子の統率型拡張機構(ハイ=エンデバイス)狙ってる』ってコトに気づいた奴がだれかってこと。どうせスミレちゃん自身が、俺が狙ってるのに気づいたってとこだろ」

「……そうだよ。たぶん、はじめて会ったときからな」

「ははぁん? んじゃ、あんまコナかけるようなマネしない方がよかったかもしんねぇわ。まったくガキってのは直感鋭くってイヤんなっちまうよね、円藤君」

「俺はあんたの鋭さと理解と諦めの速さが嫌になっちまうよ」

「そう言うなよ。仲良くしようぜ。ここは不戦の場だ」


 ほれ二杯目、と注がれる。肉の風味を洗い流して、白酒が胃腸まで清めていく。


「ちなみに俺がスミレちゃんの統率型と、あの子が先日沈んだ大型船舶から来たことについて知ったのは、『外』の情報源からなんだよね」

「どうした急に。大盤振る舞いか、安東さん」

「返しを遅延させようとする反応からして、テメエこれは予想してなかったな? 飲み込むのに時間かかるからまぜっ返してるんだろ、おい」

「そりゃ、予想もできねぇよ。漂着者であるあいつのことを、距離的にも遠いはずの『外』の奴がつかんでたってのか?」

「おお。いま円藤君は自分でも知らず答えに手ぇかけちゃったね」

「はぁ?」

「『外』の奴が『つかんだ』んじゃない。『つかんでた』んだ」

「……あいつの乗ってたモーヴ号で、あいつと統率型そのものを取引しようとしてた。あるいはモーヴ号を襲って奪う気だった、ってのか?」

「たぶん。途中まで取引のつもりで、最終的に船を落としてでも奪い取るってなったんじゃねぇのかな」

「確証は持てないのかよ」

「そこまで聞いた段階でコレは知りすぎたなーって思ったからよ。この情報源帰したら俺もツケられるな、と思ったから。即その場で」


 立てた親指で首を掻き切る仕草をした。貴重な情報源ではあったが、殺して始末したらしい。このあたりの割り切りの速さがこの男の生き汚さを支えているようにも思われる。

 グラスを脇に置いて千変艸製の煙草を取り出すと、安東はマッチで火をつけ燃え滓を足下に捨てる。紫煙をふくらまし、吸い口を挟んだ指元で口を覆い隠した。間があいたので、理逸は二杯目の白酒を飲み干す。


「ともあれ、モーヴ号はへんな商船だったみてぇだからよ。まだなんかお宝があるかもしんねぇ、って今度潜る予定だわ」

「あんたも大変だな。幹部なのにそこら駆けずり回ってばっかで」

「あんま上に立つの向いてねぇ気がするんだよね。現場で刃物ヤッパ振り回してッ方が向いてる」


 カカカと笑って横に広がった口から煙を漏らし、くわえ煙草のままで白酒を注いだ。

 理逸も最後の一杯をあずかりつつ、横目で彼を見やる。


「で、なんでそんな情報事情を俺に話したんだ?」

「気まぐれ。統率型が潰れたからってもう安心だと、油断してんじゃねぇかなと思ってさ。あの子を『外』の水道局連中が狙う理由は『統率型を持ってたから』だろうが、ひょっとしたら船ン中で知っちゃいけないコトに手ぇつけてたり……そういうのもあるかもしれないぜ?」

「そんなに妙な船だってのかよ、あれ」

「企業間航行記録がねぇんだよ。笹倉ウチ電子奏縦師エレクトロニカに調べさせたがあの日に出入港の予定はなかった」

「……んな、馬鹿な」


 さらっと安東が明かした事実に口が半開きになる。

 この文明崩壊時代、国家も大半が崩壊している以上は土地を牛耳る企業連合ユニオン──南古野なら、民営化水道局を母体にプラント技術社や微機研究開発機関を擁立した凪葉良内道水社だ──が、船による流通を制御・制限している。

 ほかの地方であれば《立穴タチアナ不動産エステート》、《四海公司スーハイコンス》、《慈円ジエンインダストリアル》などの企業連合が、輸出入を支配している。これらとのやり取りは密におこなわれており途切れることはない。

 つまり航行記録がないというのは、おかしすぎる事態なのだ。


「じゃあ個人船だったと」

「いーや。さすがにあり得なくない? 万トンクラスの貨物船個人で動かすってそれ無理あるよぜったい」


 ふいに、後ろから二人の間に割って入るよう欣怡シンイーが現れた。

 煙草を吸うあいだ置いていたのだろう、安東のグラスから白酒を一気にあおる。キツい酒だろうにむせることもなく、ほぅと深く息を吐いた。理逸は横目を向けて、すると視線の高さに突き出した胸があったので、なんとなく足下に目を逸らして言う。


「居たのかよ、欣怡。沟の集まりはいいのか?」

「向こうはお開きになったから来たんだよ。にしてもいいお酒だね二人とも。こんな良いお酒があるのに呼んでくれないなんてとっても薄情じゃない? 長いお付き合いなのにさ」


 面倒なことを言い、理逸と安東にからむその声はすでに酒気に焼けている。肌から、化粧粉をアルコールで溶いたようなねばっこい臭いが漂っていた。もうそれなりに飲んでいるし飲まれているようだ。

 安東はそんな彼女の乱入に頭を掻き、煙草を口から離すと踏み消す。


「せっかくの夏至祭り前にテメエが二日酔いにならねぇようにしてやろう、ってな俺の配慮だったんだけどね。そう言うなら、今度からは忘れず呼んでやるよ。ウワバミ女」

「うれしいな。その呼び名にたがわない飲みっぷりをまた披露してあげるからね安東くん。ホラ覚えてる? 前回お呼ばれしたときのこと」

「二日は目覚めねえ量のクスリ混ぜてやったのに効かねぇんだもんな。その腹ン中は内燃機関でも入ってんの?」

「おなかの中身(内臓)なんて不世出の美女も絶世の醜女もみぃんな同じ。要は外のものを受け入れて納められるか納められないかだけ。グラスと同じことだよ」


 空になったグラスを欣怡が軽く放り投げれば、安東が空中でそれをつかむ。

 ふん、と互いに距離感を測っていた。じつはこの二人は所属組織がちがうこと以上に、もともと人格面で相性が良くない。

 結論、おそらくは互いに相手の裏を読もうとした結果なのだろうが……このように一周まわってシンプルな言い合いになっていることが多いのだった。

 もちろん安東の奴が誰相手であっても円滑にコミュニケートできない気質なのが、原因としては大きいけれど。


「というか、これ良い酒だったのか」


 理逸がふとグラスに目を落として言えば、安東は「味がわかるってのは人生に広がりとゆとりを与えるぜ?」と、遠回しにこちらの舌の出来を嘆いているようなことを返してくるのでやはり不快だった。円滑に会話などできやしない。

 欣怡は理逸の肩に片肘を載せて体重をかけながら、二人の話題に割って入る。


「それにしても記録の不在か。書き換えしたか予定外の寄港だったかはたまた裏があるのか。どれだろうね? どれであってもスミレちゃんの謎はより深まるけど」

「事情、よく知ってるみたいじゃねぇの欣怡。テメエも『外』から聞いてきたのか?」

「んーふ。さてどこからかな? これでも《顺风耳シュンフェンア》の名を付けられてる身だからね。どこから知ったのか当ててみなよ」


 事情通を意味する名を当てられている欣怡も耳ざとい。しかもその情報源は決められた情報屋などではなく、自身の足で集めているらしくルートが読めないのが有名だった。

 とはいえ安東も付き合いが長い、言動の端々から欣怡の意図を読んだ。


笹倉組ウチだろ」

「わーお。さすが」

「ったく、ウチのどこから情報抜いてんだかな……そんで欣怡よ、テメェ当てても外しても俺をイラつかせる解答を用意した──って顔しちまってんだよね、さっきから」

「当たっても外れても構わないからね」

「バレたくないのは情報の取得方法だけ、か」

「やーは。それはどうかなどうしてそう思うのかな?」

「それがテメエのプライアに関わること、ひいてはトラウマに関わることだからだろ? ちがうか?」

「……んーふ」

「反撃用か逃避用か。救助、はねぇんだろうね。救助用はそういう性格にゃならねえ、そういうのは円藤君みたいなお人よしにしかならねぇ……、おいどうした? 口数減ってるじゃねぇの。なにか気に障るコトでもあったか?」

「べつに。火照りが冷めそうだなって思っただけだよ安東くん」


 冷めたというより冷えた声で欣怡が言えば、溜飲が下がった様子で安東はけらけら笑った。

 やがてショットグラスをもうひとつ取り出し、欣怡に向ける。


「ま、その辺の話は次回にしよう。冷めたならまた飲むか、欣怡」


 ここらを落としどころにしたらしく、酒杯で流すつもりらしい。

 理逸とサシでなら腹の探り合いも成立するが、欣怡が絡んでくると三組織の関係者揃い踏みだ。これ以上互いの逆鱗を探す会話をすると周囲からの見え方として抗争を匂わせるものとなってしまうため、もう迂闊なことはしないと決めたらしい。

 またも彼らしい早めの割り切りだ。


「もう飲めねぇワケじゃねぇよね。大丈夫、円藤君も飲む酒だ。コレにゃクスリは盛ってねえよ」

「タダならご相伴にあずかるよ」

「お前がタダ飯とタダ酒以外を口にしてるの見たことねぇけどな」


 樽に腰かけたままぼやく理逸の肩に肘を載せたまま「そうだっけ?」とわざとらしく首をかしげる欣怡。

 わざとらしく三人はちん、とグラスを合わせる。

 うまそうに杯を乾かす二人を見つつ、理逸は酒の良さがいまだよくわからない。


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