Wailing wall (11)
(状況にしびれを切らし、向こぅが薬を使用したら──そこが最大の好機です)
スミレはそのように語った。そしてついに、警備兵たちは向精神加速薬を使った。
だから、服薬の効果が完全に表れるまで待たず。
警備兵二人組の奥、彼方に見えている街灯に向かって理逸は右拳を握り、『引き寄せ』のプライアを発動させて駆けだした。
シンプルに直線的な加速。深々が見せる、獣の躍動がごときそれとはちがい自動的で、機械的ですらある。
故に軌道は見切られやすい。引き寄せで体勢を崩してからでもない接近に、自暴自棄になったと見えたのだろう。警備兵二人は静かに攻撃に移った。
まず襲いくる、精確な射撃。これは左手のプライアで斜め方向にあるガードレールへと己を引き寄せることで回避。
滑るような足さばきでステップを踏み、距離は十メートルにまで詰まる。
けれどもう、そのときには向こうの薬効が現れている。耳長の碧眼が濃く深く青く灯る。
「くたばれ」
只人の口でつぶやくと同時、第二の口が裂けんばかりに開かれ、音が放たれた。
放たれた。
放たれた。
放ち、つづけられていた。
だが空気を震わすそばから消えていく。
ラジオの音量を絞り込み、ミュートにしたかのようだった。あるはずの『音』がぽっかりと抜け落ちた空間が理逸と耳長のあいだに横たわっている。
耳長は徐々に、信じられないものを見ているという顔に変わっていった。音で止め、力場で仕留める連携技はここでついに崩れ去ったのだ。
その原因はただひとつ。
理逸の後方で、只人の口を開け喉を震わしている──
「──、────、───!!」
スミレだった。
婁子々に背負われたまま、喉奥から信じられない声量を発している。
それは耳長の警備兵が発するのと、まったく逆位相の音の波。完全な一致を見た振幅は打ち消し合い、一帯に静寂をもたらしていた。
理屈としては、理逸もわかる。音が空気の震えである以上相殺することは可能、なのだろう。
けれど実際にその無音世界の只中に居てなお信じがたい。計算で彼我の距離差による減衰や反響やノイズまで含めて最適解を割り出し叩き込むことも。そも、そのようなボイスを耳長のような異形の発声器官もなくやってのけることも。
だが出来ている。現に、出来ているのだ。
(──『使ってぃるのは周辺装置だけだ』と彼らは言ぅのですね。でぁれば、ゎたしにも同じことはできるはずです──)
同じ機構運用者であるなら、可能だと。彼女は言った。
……感覚模倣というスキルが存在する。機構の使い手が、感覚強化や感覚操作といった末端子拡張機構における他人の技能を真似して自分の機構で再現する業のことだ。
たとえば婁子々は肉体強化と感覚鋭敏化の業をさまざまな人間から学び、身に着けている。そう、彼女の優れた身体能力は「さまざまな達人の動き」を複合・統合して機構の補助装置で最適化した運動セットを実現しているがためなのだ。尋常ならざる力を伝達する関節駆動も、普通のひとなら感じ取れない微かな気流を感じ取る肌感覚も、遠方を見通しスローに観察する眼力も、他人から盗み研ぎ上げた。
同様に。
スミレは、相手の起こす事象から逆算して相手の扱う機構性能の模倣ができる……と言う。
(──力場は触覚。音は聴覚。異様な技ではぁりますが、異常な業ではなぃのです。仕組みはぉそらく感覚フィードバックの……ぃえ、ぁとにします──)
最後の無理な区切りは織架の興味を煽ってしまったことで奴が色々と詳しく聞きたそうにしたことに起因する。そんな場合ではない。
ともかく、スミレは出来ると言った。
理逸はそれに賭けた。結果生まれたのは、この千載一遇の好機。
音の攻撃手段を失った耳長は、すかさず深々が投石器で放った鉄球を避けようと大きく横に飛んでいた。
残され、味方と引き離される小柄な警備兵。そこにめがけて理逸は突っ込む。
力場の防御は間に合わない。数を倍に増やし二十本の砂のラインが空中に浮かんでいたが、叩き込む挙動が遅れた。
砂を。取り込もうとしていたためだ。
「砂付きか、力場のみか。どっちかしか使えねぇんだろ」
拳を固めながらの理逸の言葉に、小柄な警備兵は目を見開いた。図星らしい。
ちなみにこれは理逸が気づいた点である。すなわち、十本の力場で戦うのなら五本を砂塵の斬線、五本を通常の力場とすれば状況に応じて色々使えたのではないか、という点。
それをしなかったのは……と推測を語ろうとしたとき、即座にスミレが解答まで至った。
(──取り込んだ砂の循環回転と音を受け取る構造の構築。複雑化した運用をしてぃるがゆぇに、『ぇらんだ何本かだけ別の行動をさせる』ことができなぃのでしょぅ──)
右手でピアノを弾きながら左手で物理キーボードを打鍵しろというようなものかもしれない。
だから、本数を増やし強化に至ったその瞬間は対応が遅れる。砂付きとも力場のみとも、どっちとも取れない状態だからだ。
握った理逸の右拳へ小柄な警備兵が『引き寄せ』られる。抵抗しようと砂塵の乱打がうごめいたが、もはやそこは間合いだ。
前に踏み込んだ左足から身体の軸を固定する。
腰を切ると同時地面を抉るように蹴り抜く右足。
全体重を載せた右の拳がうなりを上げ、放たれた矢のように突き込まれた。
完全に顎に決まる、渾身の一打だった。
「……!」
けれどこの《白撃》を、深々によってかなりの負傷を与えられた状態でなお受け流す。首を回し、スリッピングアウェーでごくわずかに威力を逸らした。
かわせたのは正規戦闘術の鍛錬量がため、だけではない。
己の背中を砂塵で撃ちつけている。激しく出血しながらもこの衝撃で、理逸の殴る軌道から身を逸らしたのだ。
「まだ、眠るには、早い……」
彼は顎を砕かれながらも、そのような言葉を発したかたちに、頬肉をひきつらせた。
口の中からちぎれかけた舌肉を晒しつつ、小柄な警備兵は地に堕ちる。両腕で受け身を取って理逸の横に転がる。そこから、力場を出した。砂塵は瞬間的な意識の途絶で落としてしまったらしく、力場そのものとしての放出。
これで己の身体を支え、歩けない身を浮かび上がらせた。
不可視の力場によって吊るされたパペットのようになった彼は、理逸を弾き飛ばすと浮遊したまま高速で移動する。進行方向には婁子々とスミレ。
まず拘束力と機動力の高い理逸から離れつつ、音の妨害を成す彼女らを仕留めようとの算段。力場で薙ぎ払おうと、彼は動き──
(──そぅいう、機動力の差を計測して動くクセこそがゎたしの狙ぃ目です──)
青い竜に喰われた。
そのように見える、光景だった。
婁子々とスミレが背景としていた粉塵の中から現れた微機の奔流──普段の量の数倍になろうというそれが、バックリと彼の頭部を呑んだ。
微機が目鼻口の粘膜から侵入し神経系を支配して、周辺装置の産物だという『力場』が消え去る。
なにが起きたか彼にはわからないだろう。スミレの微機の放出量がいかに凄まじいと言ってもここまでの量ではないし、そも微機は人体内でしか長時間かたちを保てない脆弱性を持つ。粉塵のなかに停滞させたとて、ものの四、五秒で雲散霧消しているはずなのだ。
だから……『固定』していた。
(──ゃつらに粉塵を巻き上げさせたぁと、その中で足音を鳴らしてくださぃ。ゎたしが近づき、ミミさんに微機の群れを『固定』してもらぃます──)
粉塵を上げさせたことすら読みの内で、自分たちが追い込まれることすら罠。
……警備兵の身体が力場の支えを失い、慣性を保ったまま落下する。
膝から崩れ落ちて、つんのめって、
倒れる先に、
「それじゃ、ご機嫌よう」
低く斜め下に振りかぶった拳を構えていた婁子々が居た。
打ち上げる軌道で対角線上まで振り抜く一閃。
顔面を潰され、今度こそまちがいなく、警備兵は倒れた。
同時に婁子々も膝を屈す。素の身体能力で叩きのめしたのはさすがだが、彼女も今度こそ体力の限界だった。盛大に吐瀉物を地面に吸わせている。
こちらは決着した。
残るは耳長のみ。
深々の方を見やると、耳長は深々から距離をとって拳銃を構え続けている。
歩行射撃に移行するところだった。当てられるギリギリの速度を見極めた早足で、耳長は深々を狙い……寸前で照準の向きを変え、粉塵の前へ陣取るスミレと婁子々を狙った。
「させるかっ、」
すぐにその腕に焦点を合わせ、理逸は左拳を握り込む。
耳長はしかし、只人の口で笑った。
「!」
ちがう。
狙いは理逸の方だ。
『引き寄せ』により銃を持つ腕が引かれれば自動で射線が理逸へ向くことを狙って、撃たずに待っていた!
そう判断して即右拳を握り、耳長の右腕を引き寄せ。バランスを崩したことで軌道は逸れたが、銃声と共に弾丸は理逸の左耳をかすめた。熱で切られたような痛みが鋭い。
次いで、弾が尽きたらしく拳銃を納める。代わりに抜いたのは腰の直剣。二又に分かれた剣先は音叉を思わせる構造で、耳長はこれを片手正眼に構えつつ斬りかかってきた。
音の振動により切れ味を上げる武装と見えたが、無音状態を維持されているいまは単なる剣だ。とはいえ先の小柄な方のように負傷しているわけでもないまともな機構運用者と、真っ向からの接近戦で勝てるはずもない。跳躍と即座に頭上の街灯へと身体を引き寄せ、空中に身を踊らせる。
理逸の真下を通り過ぎて、剣を構えたまま耳長は振り返る。着地した理逸、深々、スミレと婁子々。三方を囲まれたなかで、彼は一度第二の口を閉じた。スミレも、発していた音に周りを巻き込まないように口を閉じる。
「……っは、っはぁ、ぜっ、……」
ただ無理な感覚模倣運用による消耗は激しいらしく、この短い時間でスミレは全力疾走後のように肩で息をしていた。
織架の言っていたことが頭をよぎる。『短時間に過度な使用をせず使用後は安静にしてクールタイムをとれば大丈夫さ』だったか。裏を返せば、連続使用はさしものスミレでもキツイということになるだろう。あるいは《焼け憑き》が出て障害を残す可能性もある。
これ以上の長期戦はやめた方がいいだろう。
ともあれ、薄れつつある粉塵の幕の傍。
三方向から囲まれたまま、耳長の警備兵は静かになった。これで投降してくれるなら、話は別なのだが。
彼はふいに、上の口を開く。
「……よもやここまでの性能とは。統率型、やはり市井に放置などできない」
「放置できないなら、買取でもしてくれるってのか?」
理逸が軽口を叩けば、これに取り合うことなく耳長は剣を片手で弾く。きぃんと澄んだ、冷え冷えとした音が響く。
「否」
短く否定し、青に染まり切った碧眼を開く。
「ただ、泉もやられたことだしな。道連れの覚悟が……、決まった」
第二の口が。
真紅のスカーフでも首に巻いたかのように、後ろまでさらに大きく裂けた。あまりにも異形な、予備動作だった。
そう、動作だった。
攻撃のための。
瞬間、
音が。
正面から背中まで身体を通り抜け、ようとして、
ちょうど身体の中央でぴたりと止まった。
そのような感じがした。
音、が。
体内で、
固まっている。固まっていく。
細かく、細かく刻まれた音が。
通り抜ける傍からまったく同じ波として身体に叩き込まれ、結果知覚の上では『体内で止まっている』と感じられる、ような。
「ぐぉ、か、あ……?!」
呻きをあげても骨伝導の自分の声さえ拾えない。肺腑と大気が震えて呼吸すらままならない。
そんな、ぶれる視界の中で見れば。
耳長は目鼻口から出血を帯びていた。
……自爆技だ。出力の限界を発揮し、且つ自身の周囲への逆位相周波での相殺範囲すらカットしている。すべてを攻めにつぎ込んだ技だ。
死ぬつもりの、技だ。
「ふざ、けんなっ……」
自分を、
殺すな。
その思いが理逸を突き動かす。
体内外の震えがために動き出しの起点が散らされ、まともに歩くこともできないが、それでも懸命に拳を握り込む。
プライアならばまだ動ける。己を、動かせる。
「俺、は」
誰も殺さないし、
「殺させ、ねぇ」
そのとき、
音が消え失せる。
身に降りかかっていた莫大な音圧の消失で、またも込めていた力が空転する。倒れそうになった理逸は、視界の中で彼女を見た。
スミレの、全力で声を張り上げる姿を見た。
目の青光が明滅を始めている。過剰稼働だ。連続使用にはやはり耐えきれない。
彼女の首に巻かれた黒いチョーカーが、ふすり、と薄青い煙を一筋あげるのが見えた。
そうまでして作り出した、この機。
止める、と心に決めて。
理逸は踏み切る。左手を耳長の喉元に向け、右掌を後ろに引いた。
引き寄せ。体勢を崩す。崩れを利して剣を横薙ぎにしてきた。目からも出血しているほどの自傷ダメージだろうに、まだ機構による拡張の恩恵は消えていない。左のプライアを切って、低く滑り込む。地面と水平に身を倒しつつ、まっすぐ突き刺すように左の横蹴りを放った。
身を開いてかわされ、真上から斬り下ろされる。右のプライアで剣を引き、加速させることで余計な勢いを与えた。剣先が理逸の真横、地面に突き刺さって止まる。地を背に寝そべる理逸の首へ、構わず裁断機のように刃を下ろそうとする警備兵。
その頭部に、鉄球が当たった。深々の投擲。四肢が硬直する。
右拳で打ち上げるように刃を弾き飛ばし、左手で耳長の頭部を引き寄せる。
ぐらついて落ちてきた彼の頭部に、
起き上がる力を加算しての、
頭突きを見舞った。
頭蓋同士で鈍い音がひとつ。たしかにその音を、理逸と耳長は分かち合った。
つづけざまの重たい二撃に、耳長の警備兵は倒れ伏す。
理逸の額が割れたらしく、流れきた血が左眼に入った。うっとうしいと思いながらも、片膝を立てた状態で、血は流れるままに息を吐く。
生きている。ゆえに血は流れる。
「……はぁ」
長い一日の、終着だった。




