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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter4:

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35/125

Wailing wall (10)

 汗ではない滴りが顎を伝う。

 耳から出血していることが深々にはわかった。強烈な音の攻撃にさらされて、すでに聴力は失われていた。蓄積したダメージで身体の動きも少しずつ鈍っている。

 とはいえ向こうも動きづらそうだ。深々が彼らを囲むように走りめぐり十数枚もの数を設置している空気の盾が、放たれる力場や音に対する障害物として機能している。

 しかし深々がプライアを起動しつづけたのは、自分が隠れる盾を生み出すため──だけではない。

 もし自身が倒されたとしても、《七ツ道具》の残る面々がやってきたときに彼らが警備兵たちと戦い、倒す手段となるように。自分すら駒として次の次、と手を考えて、手を尽くして、そのために空気の盾も残しつづけていた。

 だが。

 本心では、戦いを避けたいとも思っていた。


(……できれば、理逸には)


 戦ってほしく、なかったからだ。

 ──けれど来た。

 彼は、来てしまった。

 深々の顎を汗が伝う。

 耳は聞こえずとも視界の端に、深々は義弟の姿をとらえていた。前線での戦闘続行が不可能となった織架と婁子々の代わりに、増援として駆けつけてくるその影。

 走りくる表情は、ゴーグル越しでもわかるほどにいつもと変わらず無愛想だ。

 けれどわずかに滲む。

『戦いの場に参ずることのかなった』、安堵のようなものが、滲む。


(こいつを、戦わせたくなかった)


 こんな、戦いを望んでいるかのような表情の義弟を。

 深々は認めるわけにはいかなかった。


        #


 ぼろぼろになりながらも決定打はもらっていない。

 力量的に第一種装備を超えるであろう使い手を前にしていまなお戦闘を繰り広げていられるのは、強力なプライアを持つこともあるがそれ以上に、深々の重ねた経験と高い能力値によるものだ。

 判断力と対応力。どこまでいっても、それが最後にものを言う。


「深々さん! ……くそ、もう聴こえないのか」


 彼女の耳からの出血を見て理逸は歯噛みする。

 状況は切迫していた。生み出した空気の盾──移動中の深々の影を写し取ったものや、手で虚空を薙いだのだろう細いラインだ──が、ぐるりと警備兵たちを囲んで障害となっているものの力場と音は構わず叩きつけられる。

 いままた、移動中の深々を向いて耳長の警備兵が第二の口を開こうとした。

 理逸は深々の背に向けて手を伸ばし──拳を握り込んで『引き寄せ』を発動、深々を音圧の領域から引っ張って回避させた。

 参戦した理逸へ、小柄な警備兵と耳長の警備兵の目が向く。

 二十メートルほどの距離を挟んで、理逸と深々、警備兵二人組が対峙する。

 理逸は右半身となる。重心を低く、骨格に載せて保つ立ち方で膝から下の可動性を上げる。両手は五指を開いて右を中段、左を下段・丹田のあたりに添える。

 右腕こそないものの深々も同じ構えをとっていた。《白撃》を放つための予備動作とも言える、行路流の構えだ。


「馬鹿が……」


 戦う姿勢を固めた理逸に向かって深々が言う。

 彼女の言い分はよくわかっている。本当は……、深々には理逸を戦わせる気がないし、本来なら《七ツ道具》に入れるつもりすらなかった。そこの無理を押し通してここにいるのは、ただの理逸のわがままだ。

 だから理逸はなにも返さない。ただ動く、それだけだ。

 後方には微機の奔流を放つためにスミレが、婁子々に背負ってもらう形で控えている。さらに後方のビルの陰では織架が動作鍵式定型情報出力モーションキーの構えに入って、かつ牽制としてスミレに渡した亜式拳銃を握って座り込んでいる。血は止まっているが彼も早く医者に見せねばならない。

 このフォーメーションによるスミレの策で、一刻も早く倒し切る。


「……並んだか。死ぬ順番が決まったとお見受けする」


 耳長の警備兵が、常人の位置にある口でそうつぶやいた。

 どうやら見敵必殺ということらしい。目的はいまだ、正確には知れないが。

 全員で生き延びるには、まず倒さなくては。

 呼吸を整え、タイミングをすり合わせていく。

 やがて、

 砂塵の削撃が十条、ふるりと震えるような仕草のあとに叩き込まれた。

 そこから互い展開されたのは、即応アドリブのほとんどない、組み上げたものを冷徹に実行する時間だった。


        


 理逸が左へ進路を取ると、深々は右方向へとまた円弧を描いて駆け出した。彼女とは打ち合わせをしていないが、これは組んで戦うときの理逸との定石だ。『別方向にまず分散する』『指示役である織架と最後に接触した方の動きを邪魔しない』という、経験から決めた戦法に従っている。

 理逸は左へ跳躍し、手近なところにあった空気の盾を踏みつけさらに舞う。深々は路面を駆け抜けながら、投石器を左手の内に回転させている。

 アスファルトが削り砕かれ、地面にいくつもの亀裂が走った。この初撃でこちらの体勢を崩し移動ルートを絞り込み、そこに『音』であるため攻撃速度の速い耳長の技を放つ。あるいは耳長の技で動きを止めてから砂塵で削る。基本的に向こうの攻撃はこの繰り返しだ──と織架は分析し、スミレに伝えてくれていた。

 警備兵の動きは、互いの隙を埋める分業制。単純ではあるが相当に練度が高いのか、たしかに付け入る隙はなくなっている。

 けれどこの連携の想定は、おそらく『ごく普通の移動速度である歩兵』に照準を合わせて構築されている。


「そこだ」


 耳長が第一の口でつぶやき、第二の口が笑んだように開く。

 頭上を取ろうとした理逸に向けて、低音衝撃が来る。空気の盾を足場にして跳んだ、無防備な身を晒してしまっている一瞬を狙い澄ましていた。

 普通の移動手段・移動速度しか持たない歩兵ならばここで当たるだろう。

 しかし理逸はプライアの駆使により、安全組合最速の機動力を持つ。

 空中で、地面に向けて両手を握る。

『引き寄せ』の発動で、跳躍の弧の頂点に達しようとしていた身体は急に真下へ墜落する。予測による偏差射撃を得意とする相手ほど、こうした理逸の動きは捉えきれず見失う。現に、耳長の警備兵は怪訝な顔をした。


 直後、ずゥん、と骨まで震わす低音が轟いた。


 落下途中に真横に空気の盾がくるよう位置を調整していたため、衝撃の直撃は受けずに済む。それでも耳の奥、顎の付け根が軋んだ。直撃したら脳みそを揺らされてアウトだろう。

 この、狙いを外させる動きで一動作ワンアクション分の時間は稼いだ。

 投石器から放たれた深々の攻め手が警備兵たちを襲う。

『引き寄せ』で今度は横移動することで耳長の警備兵に牽制をつづけながら、理逸は先ほどスミレから聞いた策を想起していた。


(──『力場』は大きぃ割に小回りが利くょうですが、ぃまの状態(・・・・・)で投石への防御に使ぇば──)


 深々の精確無比な投擲が小柄な警備兵に迫る。

 力場の防御が割り込む。

 しかし彼女お得意の武器である鉄球だけではなく、拾ったアスファルトの欠片も迫っている。婁子々が同時に、投擲したのだ。

 砂塵を巻き込むことで衝突した物体を砕くようになっているいまの力場は、鉄球はともかくも脆い石クズは一撃で粉砕する。

 結果、一瞬だが警備兵たちの視界が塞がれる。


(──音の使ぃ手の能力にソナーがぁって視界に頼らず済むとしても、力場の使ぃ手はそぅはぃきません。急な視界の消失にかならず対応が遅れます──)


 さらに一動作分の時間を稼ぐ。

 つづく投石。これもスミレを背負いながらの婁子々。まだ激しい動きはできない彼女なりのアシストだ。

 またその方向に視線を向けると、延長上には拳銃を構えている織架が居り、警備兵も射線を気にせざるを得なくなる。

 警備兵の意識が徐々に周囲へ散っていく。

 理逸もここでボーラ……紐の両端におもりをつけてあり、投げつけると絡んで動きを阻害する投擲具だ……を投げて二人の意識をこちらに向けた。

 小柄な警備兵が、短く耳長の警備兵になにか言う。

 即座、彼らの周囲で爆発が生じたかのような凄まじい衝撃が発せられる。

 砂塵の削撃、この十本をほとんど無差別に周囲に乱打したのだろう。空間を埋めて近づかせないための、仕切り直しの攻撃──


(──を、追ぃ込まれた相手は周囲に放ちます。安全圏を求める心理でしょぅ。つづぃて場所をゎずかにずらします。逃れる方向は機動力を示したぁなたの方ではなく──)


 立てないらしい小柄な警備兵の首根っこを左手でつかみ、引きずるように離脱する耳長。空気の盾・および自らが乱撃で巻き上げた粉塵に囲まれた範囲を抜けようと、深々がすでに通り過ぎた位置方向へ出る。

 と、奇妙な動きをした。

 粉塵からぼぅと抜け出る瞬間に、彼ら二人の身体が打ち出されたように空中へ跳ねる。ここを狙っていた婁子々の投石と織架の射撃が空を切る。


 飛距離を稼いだ理由は『力場』だ。

 砂塵を巻き込み殺傷力を上げた形態は、先ほどの石クズ粉砕による視界消失含め対応力を下げる部分がある。一旦力場を解除して砂塵を落とし、純粋に運動量だけを与える形態に戻して自身らの背を押すなど移動補助に使ったのだろう。砂塵を巻いていなければ力場は不可視のため、織架と婁子々とスミレ以外には見えない。

 仕切り直しを成して、警備兵たちは制式拳銃を構えた。空気の盾に囲まれておらず射線が通りやすくなったこの機を逃さず、耳長は織架に向けて撃ち込んだ。機構の補助で自身の身体を完全に制御できる高度な機構運用者にとって、静止した対象への射撃は拳銃であっても相当な距離まで確実な命中を約束する。

 織架は動作鍵式定型情報出力で自身の前に遮断壁を起動しこれを防いだ。射線の都合上、これでもう織架は援護ができない。婁子々も警備兵に対して粉塵を挟んだ位置関係のため投石はしづらくなった。

 粉塵に取り巻かれて周囲を見づらくなった理逸と深々は、互いの足音で位置を確認しあった。拡張しているスミレにも聞こえたはずだ。


 一拍置いて。

 左右に揺れるよう走って射線を通さないようにしながら、理逸と深々は粉塵のなかを突っ切り、相手の間合いに入ろうとする。理逸が『引き寄せ』で体勢を崩すべく警備兵たちを狙った。だが彼らもこの掌のラインから身をかわす。プライアの発動が掌の開閉に起因することと、掌の延長上にしか機能しないことをすでに見切っている。

 十本の力場が振るわれる。


「ぐぅっ……」


 理逸は両腕を縮めて防御するが、丸太をぶち当てられたような重みで来た道を戻るよう弾き飛ばされた。

 深々は正面を左手で薙いで空気の盾をつくり、この力場と耳長の銃撃を防いでいる。すかさずのLRADで足を止められたと見えた。力場が隙を逃さず砂塵を纏い始める。

 薙ぎ払いが嵐のように彼らの正面を吹き飛ばす。近づけない。


「リーダーに手出してんじゃないわよ」


 と、粉塵を飛び出してきた婁子々が警備兵の前に姿を現す。すでに目の光の明滅はひどくなっており、口許には薬物に耐えかねた胃腸が戻したのだろう、吐瀉物の形跡があった。

 過剰摂取オーバードーズで機構をまともにコントロールできていない彼女はいま常人に近い。それがわかっているからか警備兵も相手する気はない。

 彼女に背負われたスミレが、不可解な現象を起こすまでは、だが。


「こっちを、見てもらぃます」


 突き出した左手から──青き奔流が放たれる。

 細くたなびく光の尾。流星群のごとき奔流は、しかし、婁子々の投石などに比べても速度では少し劣る。

 不意打ち気味であっても当たるはずはなく、力場によって散らされた。とはいえ目に見えるほどの凄まじい生産量はやはり機構に慣れた警備兵からしても異常なものであるため、耳長も小柄も目を見開いている。

 いや。

 あの目つきは驚愕だけで宿す色では、ない。


「……統率型拡張機構(ハイ=エンデバイス)。よもやそちらから来ていただけるとは有り難い限りだ」


 耳長がぼやき、襟元に手をやった。

 取り出されたのはシート型の向精神加速薬。口腔内へ放り込み、目に宿す青色を強めていく。同時に小柄な方もシートを口に含んだ。

 ここも、スミレの予想の通りだった。


(──アンドウがゎたしの機構に気づぃてぃるなら、水道局も気づぃてしかるべきでしょぅ。強力な警備兵を送り込んできたのは、ゎたしを確保することと南古野の人間の動きを見るためと予測されます。確保対象のゎたしを見つければ、なりふり構ゎずくるでしょぅ)


 まだ、想定の範囲内。

 薬による強化が成されることも、スミレは語っていた。


「ここからが本番か」


 彼らを詰みに追い込むまで、残る手順はあとわずか。

 理逸は構え、深々と横に並んだ。



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