Wailing wall (9)
『約定破りだ! 敵はプライアらしき事象を、操っている』
織架からの一方的な通信がラジオを介して理逸とスミレに伝わった。いや、ラジオを介しているのだから作戦に参加している安全組合の人間、ならびに無線を傍受しているであろう沟や笹倉組や水道局などにも伝わっている。
「行くぞ。緊急事態だ」
スミレに声をかけると、彼女も顔を引き締めてうなずく。
「して、場所はぉ分かりですか」
「初期配置からそんなに動いてなけりゃ、な。場所についての続報を飛ばしてこないから、さほどズレてはいないはずだ」
「了解です。細かい位置の察知はゎたしも手伝ぃましょぅ」
「助かる」
プライアの使い手が敵に回っているという点だけは解せないが、ただちに向かって対処しなくてはならない。
《七ツ道具》の三番こと《蜻蛉》として──そう決意する理逸は、ハーフフィンガーグローブを嵌め直してゴーグルの位置を正した。
「しかし約定破りとは、また珍事が起きたな」
「……その約定とは水道局との約定、とぃうことでしょぅか」
「ああ。めったに奴らも破ることはねぇんだが」
言いつつ、理逸はふいにスミレに目を留める。
先ほど安東とのやりとりにおいて、彼女は自分が統率型拡張機構を持っていることについて奴が感づいている可能性を語った。
であるならば、南古野において笹倉組と同等以上に情報網を誇る水道局が、スミレの統率型について知らないはずだと強弁することはできない。
──六年前の静かなる争乱。
その発端のひとつとなったのが、統率型拡張機構が南古野で発見されたとの情報だ。これをめぐる闘争はどの陣営にも多大なる被害を出し、安全組合所属だった理逸の兄も命を落とした。
あのときも水道局の介入を避けられず、じわじわと開かれた戦端の内で人員を削られたのだ。
いま感じている空気感が当時のきな臭さに近いと思われ、胸騒ぎに襲われる。
「どぅされました」
「いや。考えすぎだな、俺の」
言葉を濁し、理逸は切り替えようとする。
しかしスミレが即座に返してきた。
「組織がぃつもと異なる行動を採る原因は、大抵みっつです。指揮官の交替、部下の反抗、組織の掲げる目的の変更」
「……」
「備ぇは、したほぅが良ぃかもしれません。ぁなたも、ゎたしも」
硬い表情のスミレは、どこか虚空を睨んでいるように見えた。
#
戦闘が止み、静けさを取り戻したはずの南古野に鈍く大きな振動が伝わる。
その方角を目指すうち、次は耳を劈くような短く太い音量に空気が歪むのを感じる。
到着までの時間を短縮するべくスミレを背にしがみつかせ、『引き寄せ』のプライアでビル壁面や街灯や電信柱に自身を引き付けることで高速移動していた理逸。
と、その背で、スミレが顔をしかめる。
瞳には青の光が宿っていた。
「……っ」
「拡張、かけてくれてたのか」
「位置を探ろぅと、すこしだけ。結果、聴こぇました。そこの角を左に曲がってくださぃ」
視野だけでなく聴覚拡張で状況をつかもうとしていたようで、スミレは耳を押さえつつ息を吐いた。
聴覚の拡張は位置や会話情報を探るのに有用だが、こうも音を大きく発している戦いへ向き合うにあたってはちょっとリスクがある。跳躍に移りながら、無理はするな、と理逸は声をかけておいた。
「そういやお前、目と耳いけるなら嗅覚拡張もいけるんじゃねぇのか。深々さんとか織架の匂いを追うのは、無理か?」
「……ァホなのですか。拡張済みで匂ぃを嗅いだことぁるならともかく、通常状態で同室にぃただけの人を追ぇるゎけないでしょぅ」
「ああそりゃそうか……ん、するといま嗅覚拡張使われたら、俺が真っ先に覚えられちまうのか」
「断固拒否ぃたします。ふだん部屋にぃるあいだ、常にぁなたの匂いに囲まれてぃることを意識しろと? 絶対ぃやです」
「そう言われたら俺だってやだな、そんなの意識されて生活するのは」
肩越しに心底嫌そうな顔を見せたスミレにそっくり同じような表情を返しながら、理逸は飛ぶ。
空中に張り出した垂れ幕用のポールに両手でしがみつき、勢いをつけて足から身体を前方へ投げ出す。描く弧が頂点に達するまでに次の手がかりとして離れた街灯に『引き寄せ』を発動し、進路を左へねじ曲げた。街灯をつかむとしがみつき、蹴りつけて次は信号機へ『引き寄せ』。
プライアを連続で起動し、飛ぶ。跳ぶ。飛ぶ。
機動力においては安全組合のメンバー中、理逸がもっとも優れる。空中を歩ける深々はいける場所こそ多いが速度はあくまで自身の走る速さを越えないので、「ここからここまで移動する」という条件においてはプライアの補助で速度を出せる理逸に一歩譲るのだ。
だからだろう、現場についたのは残る《七ツ道具》のなかで彼が最初だった。
プライアを解除して降り立ったビルの陰、そこから先に望む、斜めにも横断可能な広い交差点。かつて栄えた前時代は燃料式自走車が列をなしていたそうだが文明衰退とともにそれは消え、ひっそりとしている場。
そこにいまは轟音が響き渡っていた。耳を塞ぎたくなる大音量は、あろうことか道具もなしに個人から放たれている。
耳が長く、喉仏のあたりへ横に裂けた第二の口を持つ警備兵。金髪に彫りの深い顔立ちをしているのが、日邦でも忠華でもない別の亡国の血筋を感じさせた。
交差点を二つに分かつ遮断壁、複数個所の破断でもはやなにを遮断することもできなくなっているそこを戦場に深々が飛び回っている。
耳長の警備兵が放つ音圧から立体的な動きで逃れ、空気の盾で防ぎながらなんとか近づこうとしていた。
「深々さん──、くそっ、なんだあいつら!」
離れた位置から戦闘の光景を睨み理逸は歯噛みする。
細い糸のような砂塵の連なりが十本、浮かぶ。鞭のようにしなり、鋭く叩きつけられるそれが物体を削り引き裂く硬質な音が幾重にも奏でられる。まるで鋼の弦を振り回しているかのようだ。
現象の根元にいるのは、膝を屈した小柄な警備兵。その背を支える耳長の警備兵。
小柄な方は、不気味なことに両肩に赤子のような腕がついていて、それが上下左右に動かされると同時に砂塵の鞭が振るわれている。耳長の警備兵が第二の口を開閉するたび、殺意のこもった高音と低音が鳴り響く。
「即死する攻め手は銃撃とあの砂塵くらいだし深々さんにゃ当たらんだろうが、あれじゃ音でなぶり殺しだ……早く、助けに入らねえと」
そう言いつつも、状況が把握できないうちに飛び込むのでは無駄死にに繋がると理解している。理逸はいやな脂汗を流しつつもゴーグル越しの視界で素早く現状を観察し、すぐさま対処を考案に移る。
警備兵は二人とも、目には青の光。機構運用者だ。
その、はずだ。
明らかに物理を無視した、超能力と呼んで差し支えない異常を振るってはいるけれど。
「まさか機構と能力の、二重実行者か?」
「かと、思ったが。奴らいわく、プライアではないそうだな……実際、目の光は常に灯っている。常時機構は稼働している」
「意味が分からないわ、本当に」
戦闘に巻き込まれそうだったのをなんとかビルの陰まで逃れてきたらしい織架と、彼を右腕だけで小脇に抱える婁子々が、視線の先に奴ら警備兵を見据えつつ言った。
織架は腹部より血を流しており婁子々は左腕が紫に変色、痛々しいことになっている。おまけに目に宿る青の光が明滅……過剰摂取寸前の兆候だ。感覚に身体が追い付いていない。戦線復帰は無理だろう。
と、二人の言葉にスミレが疑問を呈す。
「プラィアではなぃ、との言葉が、ブラフではなぃのですか」
至極まっとうな問いに、織架が首を横に振る。
「それは可能性が低いなっ。人体は、機構と能力の同時発動はできない」
「脳髄の使用領域が重なってるとかでね。どっちか使うならどっちか切っとかなきゃいけない、ってことよ」
「つまり、機構運用時の目の発光がぁる以上プライアは使ってぃないと」
確認を重ね、首肯する織架を見てふむと考えこむスミレ。なんにでも知識の深いように見える彼女だが、わりとプライアについては知らないことが多い。
「まあともかくも、機構運用者なわけだな。が、そうなるとあの攻撃能力がナニ由来なんだかわからねぇな」
「しょうがない。原理原則がわからないものを相手取ることになるのは、戦いの常だっ」
「観測できたことだけを材料に戦いなさい、円藤。あたしたちもなるべくサポートする」
「了解」
二人から短く状況を聞きだし、理逸は戦場に向き合う。
小柄な方の、砂塵を巻き上げる『力場』は長さ五メートルほどで曲げ伸ばし自在に振るわれ『指』を思わせる動き。間合いは奴を中心に十五~二十メートル。振動する砂塵を纏っていなくても一本振るえば成人である織架を吹っ飛ばす程度の打撃力。肩の両手を動かした半秒後に攻撃が来る。
耳長の方の第二の口で放たれる音撃は正面六十度ほどに射程数十メートルまで響くLRAD。あるいは一度大きく開閉して放たれる射程三十メートルほどの全方位低音衝撃(逆位相の音も出して相殺しているのか、彼ら警備兵には損傷がない)。砂を震わし削り取る振動付与。加えてソナーもできるのか位置索敵にも優れる。
スミレと共にこれだけ聞きだし、手早く対抗手段を考える。深々も徐々にダメージを負っており、これ以上理逸は待ちの現状に耐えられなかった。
横に並ぶスミレ──現状、逆転の手を狙えそうな彼女に確認を取る。
「お前、微機の奔流で奴らの制御奪えるか。さっきの警備兵にやったみたく」
「難しぃですね。しょせん微機は微重微長、音の衝撃で散らされたら近づけません……ただ」
言葉を切り、理逸、織架、婁子々の順番に見やる。
「手はぁります」
断言する少女に、少し悔しいが理逸は安堵を覚えた。




