Wailing wall (7)
空中の歩行をも可能とする深々のプライアは、それだけで異常なほど有用だ。
崩落したもの、させたものも多いとはいえ、南古野の街は高いビルが多く頭上の見通しがよいとはいえない。そこを、前世紀の自律機動体のごとく静音性と小回りを以て移動できる。
索敵・情報収集には有用この上なく、そもそも織架が指示を出すための思考材料もその多くは二重の意味で上に立つ深々から寄せられた情報が元である。
そんな深々が戦闘終了後に訪れたこの異常を察して戻ってきてくれたのは、僥倖だった。
「返事をしろ、織架。婁子々」
状況確認にそう告げる彼女の左手には投石器として使ったのだろう深緑のスカーフが握られており、端がはためいていた。
そこから放たれた鉄球の礫を力場の鞭で受け止めたらしい泉という警備兵は、地に落ちる鉄球に目もくれず深々をじろんと瞳だけで見上げる。織架はごほ、と血を漏らしながら深々に返した。
「……なんとか、生きてはいます。姐さん」
「婁子々は」
織架の声に即返してくる。
腹部の出血を止めるべく、苦手だが微機による身体操作で自己修復を試みながら、彼は弱弱しく答えた。
「向精神加速薬を、三枚ヤりました。頭打って気を失ってる」
「すぐ起こせ。三枚使ったなら過剰摂取の内臓ダメージはともかく、怪我のほうは治癒力の拡張でマシにできるだろう」
「了解」
「おやおや。させると思っているのかな?」
ここまで沈黙していた泉が、両肩の赤子の手を再び掲げる。
礫を防いだ力場の鞭十本が花開くように左右に分かたれ、彼の周囲へ放射状に展じた。
泉は周囲を睨み、まず真横の婁子々へ矛先を向ける。
「知っている。たしか、貴女は南古野安全組合のリーダー。《隻鬼》と呼ばれているのだったかな。大した使い手だとは聞いているが……周り全てを護れるとは思わないことだ。身の程を弁えた方がいい」
ぶわっ、と力場が殺到する。
昏倒したままの婁子々に避ける術はない。織架が操作できる遮断壁や周辺機器も届かない、絶命の位置。
そこに、深々は飛び込んだ。
左手で空を薙ぐようにしながら。
ミュールの底を削るように婁子々の傍へ低く降り立ち、抱え、離脱する。
深々が『左手で薙いだ空間』に当たった力場は、限界まで空気を溜めたボンベが暴発するかのような音を立てて弾かれた。泉が顔をしかめる。
「壁」
深々の短い指示に応じる。織架は腹部の激痛に耐え駆け出しながら遮断壁に再アクセスした。深々がぽいと投げた婁子々──左手一本で、しかも自身より二十センチ近く背丈の高い人間を、だ──がちょうど壁のラインを越えたところで、操作が成され壁が隔てる。
向こうに残された深々はせり上がる壁越しに左眼だけで「あとは任せろ」と言っていた。
織架の視野拡張はあくまで、熱源と陰影と時間の三つにより『体温で暖められた空気の流れ』『影の動き』『時間経過に伴うそれらのグラデーション』を見極めて相手の位置を察するものなので、完全に壁に隔てられては視認できない。
ここからの戦いは、深々に任せるほかない。
「婁子々。婁子々起きろ」
鉄の手甲型機構でばんばんと胸のあたりを叩く。密度のある重たい身体が揺れ、うーんとうなり声が上がる。具合は悪そうだが目鼻耳からの出血はない。
「意識は、あるか」
「……あるわよ。投げられて、いま起きた」
「めまい、吐き気はないかっ」
「視界は大丈夫。あと胃がムカつくけど、これは薬をヤリすぎただけ……吐くことはないわ」
頭を打ったので心配したが、どうやら血腫などはなさそうだ。
と、壁向こうでまた空気の爆ぜる音がする。激戦の衝撃が壁を揺らす。婁子々はすぐに戦いの主が自分から深々に移ったのを察した。口惜しそうに下唇を噛む。
「リーダー、大丈夫かしら」
「骨折られた奴がひとの心配してもなぁ」
「あんたも撃たれてるでしょ」
「面目ない」
「即死しなくてよかったわね。腰帯は死んでるけど、機構での肉体修復はいけるの」
「血管繋ぐのはなんとか、だなっ」
「そ。じゃあ体調落ち着いたら運んだげる」
「恩に着る」
ため息をつく婁子々に織架は頭を下げた。銃創は臓器や主要な血管こそ逸れていたが、それでも彼自身とても戦える状態ではない。左腕が折れた婁子々と支え合って離脱するしかない。
ことここに至っては、深々を信じるほかになかった。
#
「さて警備兵。目的を話してもら──」
言いかけた深々の背後に遮断壁がせり上がってすぐ、攻撃を仕掛けられた。
深々は横っ飛びで離脱し、勢いのままに『大気を踏みしめ』階段を駆けるように空へ昇る。遮断壁および深々が半秒前まで足を置いていた位置に、不可視の衝撃が弾けて空気が慟と爆ぜる。
「せっかちな。対話の余裕も、なしか」
毒づく間も彼女はじっと、対面する小柄な警備兵の周囲を睨んでいた。
十五メートルほど離れた彼を中心に弧を描くように上へ歩を進め、四メートルほどの高さを取る。
と、ふいに後方へ身を投げ出した。
直後にさっきまで居た位置に強烈な衝撃が走り爆発じみた音が広がる。
二メートルほど下でまた大気を踏んで、すかさず後方へ飛ぶ。同時に左手の内に鉄球を取り出し、サイドスローで投げた。警備兵は正面に不可視の力を発生させて受け止めつつ、反撃の力も振るう。だが深々が投擲の腕の軌道そのままに『横薙ぎを繰り出した空間』へ当たると、反撃は通らず弾かれる。
この様を見て、警備兵はかなり強い警戒心を露わにしていた。
「……なぜ防げる。僕の『力場』が見えているのか? 機構も持たずに」
「見えてはいない。だがその力場とやらの存在は確認していたし、ソレの動く速度と間合いとを推測するにはすでに十分なほど観察させてもらったよ」
平然と返せば、警備兵は歯噛みした。
深々からすれば妙な反応だ。
上から投石器で放った鉄球の礫を防ぐのに一挙動、婁子々を殺そうとして一挙動、壁際の深々に攻撃を放って一挙動。加えて警備兵がその場から一切動かず、両肩の気味悪い腕を操るとほぼ同時に攻撃が発生する事実。
これだけ揃えば、彼の攻撃の間合いが半径十五~二十メートルほどであることも攻撃のタイミングが肩の両腕を動かしてから半秒後であることもわかる。
「三手も見せてもらい、かつ状況情報がいくつも散らばっている。攻撃しているソレそのものが不可視でも避けられない道理はないよ」
「……失念していた。そういえば貴女も《太刀斬り》同様に、第一種装備警備兵であっても『戦うべからず』と釘を刺される個人だった」
警備兵は目を見張り、次いで右手に提げた制式拳銃をこちらへ向ける。
「念入りに、殺さなくてはね。僕ももう、油断はしない方がいい……か」
「約定破りの宣言か。つまりもう、こちらも加減は必要無いということだな?」
右の袖──肘から先を失った彼女の、垂れ落ちて膝まで届くそれ──を揺らす。
地に降り立った深々は左袖のなかから、得物としている鉄球をスカーフの内へ落とす。スカーフの両端はすでに掴んでいる。手首のスナップで回転させつづける。かかる慣性の力が圧倒的な打撃力を生み出し、投石器の完成だ。
「警備兵。黙らされてから目的を話すのと、目的を話してから黙らされるのと。どちらがいい?」
「煽るじゃないか。やはり六年前を経験している年かさのひとは、そこがちがうようだ」
殺意のこもる凶器を互いに向け合う状況のなか、警備兵は鼻で笑う。
「どちらでも好きな方を狙うといい。《陸衛兵》がひとり、この泉左陣を前にできるものなら……やってご覧よ、おねえさん」
「その呼び方はやめた方がいい。私の機嫌をひどく損ねる」
「おや。なにか嫌なことでもあったのかな?」
「過去形にはできないな。現在進行形だ」
不愉快そうに言葉を切り、深々は右半身となる。膝から下を軽やかに動かせるよう、低くとった重心を骨格に載せて保つ立ち方だ。
この重心を前後左右に傾けることでいつでも即疾走の体勢に入れる、行路流の構えだった。
「手早く片付けさせてもらうよ。長引くとあいつも来るかもしれんからな」
同じ構えを徹底的に叩き込んだ弟子のことを思い、深々は自身の顔に怒気が滲んだのを感じる。それは誰に対しての怒気か。少なくとも目の前の泉に対してではなかった。
(私は理逸を、なるべく戦わせたくないんだ)
心の中でひとりごち、重心をわずかに前へ転がした。
同時、鉄球を投石器から放ち牽制。『力場』に受け止められたのを見届けてから、攻める角度を肚の内に決めた。
そこから前傾姿勢に移行し、
深々は一気に加速する。
吸気と共に後ろに置いた足を引き抜き、呼気と共に前方へ鋭く打ち込む。繰り返す。
前傾し、上体を地面とほぼ水平にしたままで背骨を上下へしならせるような躍動は、人体に不可能なはずのそれだった。こんなことを深々以外の人間がやろうとすればどれほど体幹が優れていても二秒でつんのめって倒れて終わる。
けれど深々にだけは、それができる。
肉食獣の獰猛さそのものの加速と威力を身にまとい、わずか一・五秒で時速にして六〇キロまで到達する。
「!」
泉は目を見開き銃撃。普通なら間違いなく見失う速度に対応できたのは、視野拡張で動きをつぶさに観測しているためだろう。だが、少し見ただけで深々の走行法に気づくことはできない。
そして銃撃も通用しない。深々が左手で横薙ぎにしただけで、弾丸は地に落ちる。
(この銃撃は牽制)
本命は、その直後に来る。
深々は泉の『意』を汲み、身体を左に傾けて回避した。案の定そのまま進んでいれば通ったであろう位置を重い衝撃が貫く。
すぐさま『空中で肩が壁にぶつかったかのように』元のルートに跳ね戻って追撃を回避。ジグザグに走りながらもなお速度は一切落とさず、地を揺るがし響く力場とやらの乱れ打ちをすべてかわした。
ここまでで二・六秒。
すでに泉は目の前にいる。
再度彼は銃弾を、今度は確実に仕留めるために撃たんとする。
だが、もう遅い。
踏み込んだ左足踵に右足を引きつけていき、倒していた体を起こす勢いで滑らかに斜め上への力の向きを定める。
自分の鳩尾から喉元までを下からなぞりあげる軌道で、手の甲を下に向けた左拳を、相手の喉元へ向けて放った。
「《白撃》」
必殺──文字通り何人も殺してきた──の拳からどぼんっ、と、水面に人間を投げ込んだような音が広がる。
音が鎮まる。
力場に拳を巻き取られているのを、感じた。泉まで紙一重で、拳は止められている。
「……あぶないな。重ねた力場を三本まで打ち抜くとは……本当に人間の拳か?」
泉は目前に迫った深々の拳に冷や汗を流しつつ、わずかな安堵がうかがえる顔色だった。
乱れ打ちにしているように見せて、防御のための力場は周囲に配置したままだったのだろう。用意周到なことだ。
次いで、圧が周囲に増したのを深々は感じ取る。
上と左右を力場で囲まれていた。おそらく、もうあと一歩でも動けば攻撃を加えられる。深々は拳を繰り出した姿勢で固まった。
詰んだぞと言いたげな泉と自身を囲む圧力を見るともなく見やり、深々は気のない素振りで問いかけた。
「……プライアの扱いにずいぶん慣れているな。機構との併用が持ち味か?」
想定の埒外というわけではないし、実際に南古野にも少数だが機構と能力を併用する使い手はいる。ここまでオーバースペックの者は、まあいないが。
そう考えながら対峙すると、警備兵は意味深長な笑みを浮かべた。
「プライアを扱う警備兵? それは大きな勘違いだ」
警備兵の、灰色の瞳に青の光が走る。
そのとき、両肩の赤子の腕に黒い模様がまたたいた。焼け憑き、いや階路だ。つまりあの両腕は、機構の作用を受けている。
「僕は周辺装置しか使っていない」
額に向けてかちりと撃鉄が起こされた。
自分が表情なくその銃口を見つめていると、深々は認識していた。泉は言葉をつづける。
「そうそう、プライアというなら、貴女の能力は……《固定》。触れた物体の変化と変質を許さずそのままの状態で保持する、といったところだろう。先ほどからの貴女の不可思議な挙動は『空気を壁に変えて』足場や盾にしていたわけか」
「その通り。一言一句たがわず正解だ」
深々は気のない返事だった。相手に顔色や声色で情報を与えないため、彼女はプライアについて問われた際に『指摘の内容がどうあれ』こうした定型文で即返すと決めていた。
実際のところ、ほとんど正解である。
深々は己の身体に触れたもの──たとえそれが空気でも──を状態固定して、一切の変化を受け付けないようにできる。
空を歩く際は自身の足元の空気を固定、次の一歩を踏み出す際に解除、を繰り返している。泉の初手である力場の鞭打を防いだのも弾丸をはじいたのも、『横薙ぎにした左手の軌道上の空気』を固定し、盾にしていただけのこと。
触れさえすれば即、絶対不変の空気の盾を生み出せる。一種のブラフとして『左手で触れた空間』を主として見せつけているが、実際のところは全身どこに触れたものであろうと対象だ。極端な前傾での疾走も、胸元の下に空気の盾を生んでは解除を繰り返し、倒れないように支えながら走っていたのである。
さて、完全に深々の『固定』のプライアを攻略したと思っている泉は、静かにしかし高揚した面持ちで深々に言う。
「よほど変質や変化を拒むことがあったと見える。さあ、では究極的な不可逆にしてその後は不変となる変質こと『死』の到来だ。最後に言いたいことは?」
「……ふう。望むなら、二つ」
「欲張りなことだ」
「最後だからな。ひとつは、楽に死なせてほしい。もうひとつは、冥途の土産にでもお前の登場理由を教えてほしいというところだ」
どうだろうか、と彼の瞳をのぞく。
だが一切の容赦なく、泉は銃口をより深く突きつけてくるだけだった。
「前者はご希望に添えるだろう。後者は守秘義務につき黙秘する。まあ……残念だったな」
圧が迫るのを感じた。
深々は即座に、自分の全身が触れている空気を盾として『固定』する。
途端に周囲の空気が揺らぎ、摩擦で熱が起きているのがわかった。奴の能力──奴いわくプライアではなく機構だというソレの機能で、周囲をプレスされているのがわかった。少しでも固定を解けばすぐに押しつぶされるだろう。
とはいえ解除しなければじきに内部の酸素が足りなくなる。いまは呼吸を止めているが、長くはもたない。そして纏う空気は『空間ごと』固定しているためゼロ距離で発動したら動けない。
死を待つばかりの深々に、泉の声ももう届かない。空気を『固定』しているため振動は伝わってこないし、目元の空気も固定されると直進中の光がそのままとなるため外界は『止まって見える』。
止まった泉の顔をじっと見るが……落ち着き払った表情とは裏腹に、存外小物そうな気がした。おそらく彼から情報は引き出せそうにない。溜め息がでそうだ。
追い込まれたふりでもすれば、この不可解な相手の正体をつかめるかと思ったのだが。
(あるいはあの、理逸が連れてきた娘ならばもっとうまくやっただろうか)
異様な頭の冴えを見せる少女・スミレを想起しながら深々は「ここまでか」と思い、
す、っと『固定』を解除する。
途端、暴威がきたる。
終わりを意味する痛撃が、
飛来し、
肉薄し、
皮一枚に迫り、
がゴっ、と嫌な音を立てて泉の頭蓋を叩きのめした。
彼の、背後から。
「…………は?」
呆けたように言う泉、割れた柘榴のように頭の上でぱっと赤が咲く。
つづけざま、めき、めりっ、と左右から。鎖骨と脇腹にも重く衝撃がのしかかる。
とどめに腰椎へ降って来た一撃が、骨を見事砕いて泉の膝を屈させた。
「もう一度訊こうか」
意識が朦朧としたためか機構の制御が甘くなったらしい。周囲からの圧が消失したようなので、自身周囲の『固定』も解除した深々は一歩ずつ泉に迫っていく。
「黙らされてから目的を話すのと、目的を話してから黙らされるのと。どちらがいい」
泉の深々のプライアへの推測は『ほとんど』正解だった。
しかし『触れた対象を空間ごと固定する』という点にまで気が回っていなかった。
用意周到だったのは御互い様だ。深々は彼を上空から視認してすぐ、周囲の複数の角度から彼に向けて鉄球を放ち、それを飛ぶ途中で『空間ごと固定』し、運動エネルギーを保ったまま停止させていた。降りてきたのはこの準備を終えてからである。
あとはそれを、射線が彼に重なったタイミングかつ周りの防御の力場が無くなったと見えるタイミングで『解除』して放つだけ。
彼はこちらに銃口で狙いをつけていたが、すでに己が複数の銃口に狙われていると最後まで気づいていなかった。
「油断と慢心に加えて私を確実に仕留めようと周囲の『力場』もすべて攻撃に回したな。待っていたのはその瞬間だよ」
「そ、んな……」
「それで? 話すのか話さないのか」
膝立ちになった泉の口許へ左手で触れる。
鼻と口を空気の『固定』で塞いだ。目を白黒させ──比喩ではなく、微機制御も覚束なくなったか青の光が消えている──泉は暴れた。顔周りの空気を固定されたため頭の位置は動かさず、くの字に身を折り、両腕と胸筋をばたつかせ、周りの肉を動かすことでなんとか肺腑を収縮させ酸素を取り込もうとしている。入り口が塞がっている以上無意味だが、反射的に起こる行動なのだろう。
ぎりぎりで解除し、ひと呼吸だけ与えてやる。顔を上げた瞬間に、平手でぶん殴りまた空気を『固定』。ひと口だけの空気に含まれた酸素を存分に味わいつくしたころにまた解除、繰り返す。
「話す気になったか?」
「……ぞ、れは……」
瞳の揺れ動きに、心が折れたのが感じられた。
内心、ほっとする。これ以上こんなことをするのは嫌だったし面倒だった。
しかしそんな深々のわずかな弛緩をこそ、おそらく敵は狙い澄ましていた。
「……!」
殺気。背後で膨れ上がる圧倒的な気配に、深々は鳥肌が立ち泉を手放す。
深々は自身の背面の空気を『固定』して盾に変えた。背後からの攻撃をまずは防いで、すぐ対応できるようにするために。
しかし選択ミスだった。
背後から迫りきたのは点や線での攻撃ではなく──
「ぎ、」
自分の歯ぎしりを最後に聴覚が断絶する。
不快を通り越して思考力すら奪う高音が、深々の右耳から左耳へ脳髄を刺し貫いていく。
音圧。空気を伝って全身の水分を波打たせられ、深々は耳目のなかで体液が逆流しているのではという気持ち悪い感覚を味わう。
「 」
現れた影が泉を抱え起こしつつなにかを口にして、深々を蹴りつけてきた。
けれど頭のなかをシェイクされたような状態の深々は避けられず、またまともに相手を認めることすらできない。
唯一、わかったのは。
泉の両肩の異形と同じように、乱入者もまた──尖って横に長い耳と、喉仏に裂けた口という異形を持つ男だ、ということだった。




