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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter4:

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Wailing wall (5)

 さっきまで戦場だった街があっというまに静まり返って、デモを起こしている《慈雨の会》の声がかすかに遠く聴こえるほかは耳に届く音も途絶える。

 焚きつけてあった火も消されて煙は薄くのぼるだけとなり、織架が仕掛けた罠も大半は警備兵たちにクリアーされた。もっとも、クリアーされなくとも南古野住民がひっかからないように事前準備のあとは理逸たちが回収するのだが。


「そろそろだろうな」

「時間ですか」

「ああ。手間取ってたとしてもこれくらいの時間には切り上げる。互いにな」


 事前準備は波のように押し寄せて即座に引く戦いのため、実際の戦闘時間は二十分にも満たない。というか、長引かせるほどに警備兵側の連携は回復していくためどんどんこちらの状況が悪くなるからやめておくのだ。引き際こそが肝心である。

 ──サイレンが鳴り響く。

 それは水泥棒こと制水式を開始する合図であり、つまりは事前準備の終了を意味した。


「終わったか」


 手槍と盾を操る第一種装備の警備兵。

 単独であれば間違いなく倒せなかった、どころか一方的に殺されていたであろう相手はいま理逸の足元に転がっている。

 スミレ自身が亜式拳銃を持っていることによる威嚇、微機の操作による牽制、理逸のプライアの射線による動線の限定、理逸の持ってきたツールの把握。これらを利して動きを封じ、わずかに生じた隙を狙って微機を打ち込み末端子拡張機構を無力化したのだ。

 最後は理逸の《白撃》で急所を撃ち抜き、気絶させている。


「では、ぁとは記憶を飛ばしてぉきます」

「頼む」


 指先にまたも階路コースの茨状模様を発したスミレは、爪でなぞるように警備兵の男の口周りに円を描いた。

 放たれた青い微機の群れが口腔内を下っていき、男の体内へ消える。目覚めたときには接敵前後からの記憶がなくなっている寸法だ。スミレの横に腰を下ろし、理逸は気を失っている男の装備を検める。


「こいつ、投与インストール型だよな」


 寝転がった警備兵の手首や首元、一応衣服の中まで確認して、装備アウトフィット型の末端子拡張機構エンデバイスを見つけられなかったので問う。

 織架の手甲やスミレのチョーカー、こうした「身体に着用する」のが装備型。つけ外しが可能な汎用型の機構だ。しかし汎用といっても大抵は個人用登録を成されているため、統率型(high-end)を越える最上位権限(law)級の機構デバイスでも使わなければ取り外しても登録書き換えができず他者には扱えない。

 嫌がらせで取り外すこともできないではないが、装備の窃盗は制水式のルールで禁じられている。あとからパイプライン閉鎖などの懲罰に発展しないとも限らないため、やる者はいない……織架などはその場で解体バラして組み直すなどして、遊んでいることがあるらしいが。


 そして。

 そもそも物理的に身体の外に存在しないため奪えないのが、前述の投与型だ。一度体内に打ち込めばあとは自己保存機能と修復機能とで半世紀ほど脳髄にて繁殖しつづける微機たちを、『群体』にして『一個の臓器』にして『己の意のままに動く感覚器』と成す機構である。

 要するにより高価で、微機の操作能力・拡張精度も上がるいわば高級機。性能はすこぶる高くロックも厳重なはずだ。まあ、汎用機である装備型とは一長一短の部分もあるが……


「お前、投与型でも関係なく記憶消せるのか?」

「機構の作用をぅけて、脳内の神経細胞にまで微機を浸透させてぃるのは変ゎりませんから。参照中でなければパターンをずらして再認できなぃよぅにすることは容易です」

「なるほど」

「ゎかったふりしてるでしょぅ」

「結論は、わかったよ。できるんだろ、とにかく」


 辟易した顔で眼を逸らし、理逸は鎮まった街を見る。

 そのときスミレが腰にぶら下げてきた携帯ラジオから、がりがりとノイズが走る。短く三回、長めに一回。織架が送っている完全撤収の合図だ。

 やっと人心地ついて、理逸は肩の力を抜く。

 ここからは約定により地上戦はない。代わりに地下が、踏み込んでいるだけで発砲の対象となるが──そちらへ向かうのは理逸たちではない。勝ってもらわねば困るが快勝されても不満な、笹倉組の連中が挑む戦いだ。


「おっ。めずらしい戦果を挙げてるじゃねぇの」


 帰ろうとスミレに話しかけようとした理逸に、軽薄そうだが本心の見通せない嫌な声が届く。

 おもむろにそちらを見やると、両手をぶらぶらとさせながら歩いてきて片手をあげる男が居た。相も変わらず表情に比して目がまったく笑っていない。

 黒のショートジャケットの袖をまくって太い腕を晒し、なかに着込んだ柄シャツが目立つ。右眉を斜めに削ぐ傷の延長上、右耳の中ほどを欠けさせている細面。

 乾いた茶髪をハーフアップにした安東湧が、愉快そうに足下の警備兵を見ていた。

 革靴の爪先を差し込んで警備兵の後頭部を持ち上げ、離して落とす。気を失ったままの警備兵だが微妙に苦痛そうに顔が歪む。


「『機構運用者と戦ってはならない』、って南古野のセオリーを破るとは。相変わらず面白ぇよね円藤君は」

定石セオリーは破ってこそじゃないのか? 安東さん」

「違ぇねえな。にしても、お子様連れでセオリーを上回ってやり遂げるとは驚いたぜ」


 じろりとスミレを見る眼には、なにやら含みが感じられた。

 次いで、手にした亜式拳銃に視線を落とす。


「撃っちゃいねえな、硝煙の臭いはしねぇ。眼もまだまだ殺しの場には似つかわしくないかな? とはいえ、こちら側の空気をまとい始めたねスミレちゃん」

「……どうも」


 血と暴力を感じさせるこの男のことは大人のなかでもとくに苦手らしく、スミレは半歩、理逸の影に隠れた。「嫌われてんのかね。俺は気に入ったんだが」とますます安東が調子づくので、「んなこと言っても、ウリに出すとかしねぇぞこいつは」と理逸は話題の方向性を逸らした。

 安東は「そういう意味で気に入ったんじゃねぇよ」と言ってけらりと笑ったが、ややあって屈みこむと警備兵の喉元、手首、衣服の下を検めた。理逸と同じく投与型かどうかを確かめたのだ。

 結論が出るとわずかに顔つきを変え、ふうんと唸る。


「投与型か、運悪ぃことだねテメエら。今回も二十人ばかし第一種が動員されたはずだが、投与型はそのうちほんの数人だろうに」

「一種が何人駆り出されたか知ってるのか」

「たまたま耳に入ってくることがあったのさ。にしても、ホントに大したもんだなテメエら。俺ら《四天王》でも投与型の封殺は難事なのによ」


 三組織の幹部中で頭数こそもっとも少ない彼ら《四天王》だが、凶悪なプライアを持つ三名と偏執的な腕前の剣客一名とで、『機構運用者と戦ってはならない』とのセオリーをもっとも無視しているのもまた彼らだ。

 そんな彼らでも、投与型の相手はしたくないらしい。


「装備型の警備兵三人ばかし相手取る方が、まだマシなくらいだぜ。どうやって退けたの?」

「運が良かったんだよ。こいつも戦い慣れてきたから、俺の補助にうまく立ち回ってくれた」

「テメエの補助? くっく、テメエ()補助、の間違いじゃねえのかな円藤君?」


 さらりと挟み込んできて、安東は警備兵をわざと踏みつけながら立ち上がる。


「……なに言ってんだあんた」

「俺は円藤君のこと買ってるけどよ。それは強さを買って、とは微妙にちがうんだよな……テメエには警備兵をブチ倒せるほどのプライアも技もねぇはずだよね」


 安東はかかとで警備兵の顔を後方へ蹴りつけながら歩き、顧みて、警備兵のうっすら開いた半目に青い光が消えていることを認めた。


「かといって過剰摂取(オーバードーズ)過剰稼働オーバーヒートで、制限時間ギリギリまで戦って自滅したってワケでもなさそうだ」


 気絶時にも微機の青い光が消えていない状態は、投与型特有の過剰摂取・超過(それら症状)に端を発するひとつの兆候だ。『帰還不能点』としての。

 つまるところ投与型は高性能だが、そのぶん負担が大きい。

 婁子々のように制御・増幅のため薬物を摂取しすぎれば脳みそが爛れ、長時間ないし一度に相当重たい処理を並列したり肉体に無茶をさせたりすれば多くの微機が常駐する脳みそが《焼け憑く》。

 結果、気絶してもなお『微機を操作しようとする』指示が消えず目には光を宿したまま、織架の焼け憑きに対する話の喩えを用いるなら「寝ないで動きつづけるような」ダメージをもたらす。

 装備型の利点は、あくまで外付けの機構であるためこうした無茶の際も脳にダメージが行く前に機構が破損して緊急停止する点にある。いわば安全装置(セーフティ)でもあるのだ。……もっとも、婁子々などは「それでは極限に迫れない」からと装備型を厭うのだが。


 閑話休題ともあれ

 安東は理逸とスミレが投与型である第一種装備の精鋭を倒したことについて、なんらかのからくりがあると疑っている。

 それも、スミレの方に秘密があると。


「どうやって倒したよ。この警備兵」


 理逸の正面に立ち、感情の無い瞳で見下ろしてくる。

 答えず、理逸は安東を避けて通り過ぎる。


「ロハでタネ明かしてられるほど余裕ねぇよ。どうやったかは自分で考えといてくれ」

「タネがあることは認めたワケだ。『運が良かった』んじゃなかったのかな?」

「運も実力のうちって言うだろ」

「違ぇねえな。拾い物も運のうちってな」

「ダルい絡みはやめてくれ。思わせぶりなこと言って反応引き出そうってのは、それくらいしかできないっていういまのあんたの手の少なさの証明だろ」

「言うねぇ」


 笑みが薄まる。

 切れたわけではない。そのように受け取らせて相手が目を逸らせば「やましいことあるのか?」と追撃。目を逸らさないなら「あんまりガン飛ばすと勘違いさせるぞ?」と威嚇。相手のどのような反応にも繋げることを想定した上での、単に計算尽くの感情の出し入れだ。

 取り合わずにスミレとその場をあとにする。振り向かず後ろ手を振って、「あんたも時間ないだろ。早く水泥棒いけよ、三頭会議で決まったんだから」と牽制しておいた。

 安東は遊び相手が帰ったあとの子どもじみた口調で──これすらもどうせ計算尽くだ──「わかってるっつの。終わったら飯でも行こうぜ」と声をかけてきた。理逸は返さなかった。

 あとは、笹倉組の領域だ。

 理逸たちは帰投し、自分たちの損耗具合を確認して今後に備える。安東の言葉が正しく、第一種が二十名動員されたのなら安全組合の一般戦闘員はもちろん、《七ツ道具》の面々だって危うい。組織として受けたダメージとそれを加味した動きを成さなくてはならない。


「……ぁの方、まだ『人探し』はしてぃるのでしょぅか」


 安東が居る間は口を開かなかったスミレが、奴とだいぶ離れてからふと理逸へ問う。


「ん? あー、風俗を自分の足で回ってたことか。いや、最近はやってねぇようだが」

「ゎたしのこと、この統率型拡張機構(ハイ=エンデバイス)のこと。感づぃてぃるのかもしれませんね」

「……なに?」

「そぅ考ぇるとつじつまが合ぃます」

「お前が密航で漂着者になったころから……いや、それ以前から知ってたってのか。だから『他組織に確保される前に』と自分の足で探してた?」


 自分で言いつつ、理逸は奇妙な気分になる。密航で漂着者となる以前……そもそもスミレがなぜこのように希少で価値ある機構を手にしていたのか。なぜ扱いだけでなく交渉事や謀略、戦術にも長けているのか。

 理逸が知っていることはあまりにも少ない。ともすると、安東が密航以前を知っているのだとしたら、彼よりも少ないのかもしれない。

 彼女の紫紺の眼をのぞく。

 考えていることは杳として知れない。


「お前──」


 と、理逸が何事か問いかけようとしたところで。

 がリがりガぎ、とスミレの腰の携帯ラジオががなり立てた。びくりとして耳を澄ます。

 次の瞬間、織架の切羽詰まった声が飛び込んできた。


『────約定破りだ!!』

「なに?!」


 いまは離れた場所にいるため、織架が読唇しない以上通信は一方通行である。それでも理逸は叫ばざるを得なかった。


『正体不明の警備兵だ! いまは深々の姐さんが食い止めてるが、しかし──』


 言い淀んで、けれどそれ以上溜めると不安を余計に増幅すると思ったのだろう。織架が意を決した声を放つ。


『──敵はプライアらしき事象を、操っている』


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