Wailing wall (1)
新市街にある民間水道局凪葉良内道水社から南古野警備詰所への区域外派遣。
その期間は、当事者である警備兵たちのあいだで『懲役』と呼ばれていた。
「メットなしで表を歩くの、まだ慣れないのか」
「慣れるんすか、コレ」
「ルーキー、何事も慣れと諦めが肝心だ」
じりじりと暑い中で、そんな会話が交わされる。
六日前にやってきたばかりで、あと五四日の『懲役』を課せられている新人警備兵、新田は三年もここへ詰めているベテラン・好古と並んで、肩を落として歩く。
外回り──地下の大都鉄道網の警邏だ──からの帰り、地上を歩く新田は、生産活動プラントからの汚染排気のない地上へ出てからもメットを外さないことについて揶揄されていた。ベテランの好古はとうにメットを外しており、刈り上げた頭髪に額から大きく残る傷跡までを晒している。
新田はその様にならい、フルフェイスのメットを外しかけて、途中でせきこんで引き下ろす。隙間から流入した外気に拒否反応を示し大柄な体を揺らした。
「ぇほっげほ……なんっつーか、きな臭いというか。粉塵多くないすか?」
「北遮壁を境にして湿気は新市街に留まるようシステムが作られているからな。こちらはどうしても乾燥がキツくなる」
「ホント、よくそんなとこでメットなしでいられますね……空気の臭いも、腐敗臭とかじゃないのに、耐えられる気まったくしないんすけど」
「個人差はあるな。あと機構運用者なら嗅覚の局所封印で着任初日からメットなしだ」
「運用者はハイスペでいいですねぇ」
「第一種装備を任されるような人材だ。俺たちとは段階がちがう」
実際、立っている段階はだいぶちがう。第一種、末端子拡張機構を預かる人材ともなればそもそもの家柄としてかなり高い位置に居り、懲役を終えて内地に帰ったならば好んで選ばない限りこのような現場仕事にはほとんど携わることがなくなる。
彼らにとっては実地での下層民見学、社会の成り立ちや仕組み学習の一環のようなものだ。将来的に新市街にてこの南古野という統治区を回す側になるための。
「さて詰所まで戻ってこれた。新田、夜は内地メシだぞ」
「ひさびさっすね。あーあと衛生面で仕方ないとはいえ、ペミカンとかスパムみたいな昼飯ばっかなのはホントここのいただけないとこだと思います」
「おいおい。それくらいの過酷さでもなきゃ懲役と呼ばれるはずないだろう」
「たしかに」
笑いながら二人は北遮壁の下まで戻って来た。
壁が倒れてこないようケーブルや支柱を張り巡らした陰になる位置へ、横長にどこまでも広く建設された白亜の要塞。
窓が少なく、あっても角度がついており正面からでは中をのぞけない。のっぺりとした表面は凹凸がわかりづらく距離感の把握にも困難を生じさせる。内部からは音ひとつしない。まるで静かなる壁だ。
警備兵詰所。
当事者である警備兵たちからは『大使館』などと揶揄される、高い塀と柵に覆われた巨大施設。ここが二人の帰投先、出向期間中の仮宿だ。
そこで二人は、詰所の前に構える人の群れを見ることとなった。
「ん……なんかうるさいすね」
「デモだな」
三十人ばかりだろうか。武装こそしていない(していればとうに凶器準備結集罪で蹴散らしている)が、異様な様子で気炎を上げている。
服装は南古野住人の平均的な恰好である、シャツにボトムスあとは作業着といった軽装で似たり寄ったりだが、全員に共通して胸元に、強化アクリルの涙滴型チャームが細い鎖で下がっていた。
中にはトプンと、ひと口分に満たない水が入っている。
かつて降った雨を溜めることでつくった、信者用のアクセサリだ。
「《慈雨の会》か」
辟易しながら、好古は裏手の入口を目指す。
新田もそれに付き従い、こそこそと廃墟群を回り込んで詰所に入った。
集まった《慈雨の会》、それは南古野含む元・日邦の統治区で三大宗教と並び浸透している新興宗教だ。
詰所の正面門扉の前で声を張り上げ、彼らは訴えをつづけていた。
「雨は奪われている!」「貧民に救いの手を」「水道局の独占と横暴を許さない!」「我々は搾取されているっ!」「売雨野郎ども」「返せ」「俺たちの雨をーっ、」「返せ!!」
裏門を抜けつつ、新田は「勝手なことを」と思った。
全員で、全体で水を分け合えと? そんな美しいことができるのは伝承の皇水甕のような虚構の中でしかありえない。
だれが水質を保証する? だれが水量を確保する? だれかがやらねばならずそこには人を主導する立場が必要だ。主導者に強権と資源を与えずになんとする。
その程度のことにも頭の回らない、具体案と代案ひいては想像力と学のない連中がただ目の前の苦境のためだけに声をあげる──いや、あそこに居る連中もどこまで、苦境を変えようと思っているのか。どこまで、現実を見ているのか。
「能力保有者を守れ!」「彼らは、天の遣わした存在だ!」「災害後の世界に現れたのは」「天の思し召し!」「殺すな!」「殺すな!」「到愤慨Give us back our symbol」「仲間連れ去られ、不去!」
騒ぎ立てる連中を軽蔑の目で見つめながら、新田は後ろ手に扉を閉めた。
「警備兵だって、何人もホルダーに殺されてるんすけどね」
「そんなことを言っても、先に水道を囲って害を与えてきたのはそっちだ、と言われるだけだな」
「先にそっちが、先にそっちが、って。どこまでをコッチの責任の範囲にすりゃいいんすかね」
「自分たちでもそこがわかっていないんだろ。かといって譲歩もできない。一歩退くだけでも、その一歩分踏みしめてきた奴らの仲間の屍の価値を落とすことになる」
「要求は天井知らずのままっすか」
「だから行為のための行為なんだよ。抗議活動の大半はな。祈りのために祈る宗教と相性が良いのは、そういうことだ」
「あいつらの教義ってなんなんすか?」
「雨信仰とプライア信仰。あとはよくわからん、興味もない」
ベテランの好古は冷たく言い放ち、リノリウムの床に足音を長く伸ばす。
清潔にまっすぐつづく廊下にやってくるとようやく人心地ついて、二人は装備を緩めながら休憩室へ向かおうとした。
そこで、曲がり角から坊主頭の大男がぬうっと出てくる。
下顎の突きだした面相に肉厚な身体。九〇キロはあるだろうか。一八〇に迫る新田よりもさらに上背は高く、内側からみっちりと張った、新田たちと同じ群青の警備服を纏っている。
ただ、左腕は三角布で吊るしており、片足は引きずり、顎も位置を固定するため器具で固められ頬かむりのようなものを巻いていた。
ぎろんと瞳が横に動き、二人を捉える。
「宅島警備隊長。お疲れ様です」
ベテラン・好古がすかさず敬礼をする。新人の新田も慌ててつづいた。
水道警備兵は災害以前の軍隊および警察の指揮系統、組織図を元にして形成されており、習慣や風習にもそれらの色が濃く残っている、という。四大災害前の人間である、局の上層部──八〇代を数える高齢のお歴々だ──がそのように講習会で語るのを、新田たち警備兵は養成所時代に十数回以上耳にする。
まあ、それはさておき……、宅島は第一種装備を施された新市街きってのエリートだ。
二か月前の配属時にすでに隊長の地位を与えられており、実際、指揮能力や状況把握能力は群を抜いていたそうだ。強面の見た目通りに当人の戦闘能力も高い。
そういえば模擬戦闘にて新田を相手に「かわいがりといくか」などと言って、次の瞬間に末端子拡張機構を起動されたこともあった。
新田は、青い眼の残光が視界に焼き付いているあいだに。
突き押され、
背を叩かれ、
足払いをかけられ、
横に滑って受け身を取ろうとした手を蹴られ、
仰向けに背中から着地して肺腑が圧迫され息が止まった。
速すぎてどう動けばいいかわからないうちに警棒を喉元に突きつけられており、度肝を抜かれたのをよく覚えている。
『──機構運用者と戦ってはならない』。
こちらの貧民街で義賊ぶって水泥棒をしている無法者どもはそのように言っているらしいが。実感として、新田も同じ感想だ。第一種装備の人間はもはや人間を越えており、かつて地上生物で強さランキングの首位を争ったという猛獣・羆、虎、獅子あたりの伝説じみたイキモノでなければきっと勝てない。
そう、思っていた。
そんな宅島が、警護ローテーションの途中で単独行動に移り、敗北して……このような重傷で帰ってくるなどとは、夢にも思わなかった。地下に、猛獣がいたのだろうか。
「……おう。直れ」
低い声で命じ、宅島はどす、どす、と足を引きずりながら去った。
好古と共に新田は腕を下ろし、その背をなんともいえない表情で見送る。好古が先に口を開く。
「まだあの人、処分は下っていないらしいぞ」
「まじですか。ウチの局ってそのへん即決なこと多いのに」
「宅島家は家格が相当高く、上層部との繋がりもあって俺たちとは別系統の枠組みで仕事を振られることもあるからな」
「あー……癒着?」
「もう少し声を潜めろよ」
単独行動と敗北、加えてその戦闘の記憶がなにもないという体たらく。
ここまできてなお守られるというのなら、やはりエリートは得だ。新田はそう思う。
「ともあれ宅島隊長の隊のローテも俺たちに降りかかっているからな。家格うんぬんで終わらせてほしくないところだ」
「ホントっすよ」
「だが今日はもう、業務も終了だ。とりあえず申し送りを」
好古が言いかけたところで、サイレンがけたたましく鳴った。建物の中で反響し、音割れして、泣き喚くような耳障りな感触を鼓膜に残す。
ああ、と好古が力なく肩を落とす。
新田はなんの合図かわからず目を白黒させた。
「警報? です?」
「養成所で習わなかったのか、ルーキー」
「あー」
言われて思い出し、記憶を表層に引っ張り上げようとするかのごとく新田は頭をとんとんと指で叩いた。
次いでため息をついた。
サイレンは、制水式の申し込み……水泥棒どもの宣戦布告があった合図だ。
表で、《慈雨の会》の連中がやにわに活気づく気配が感じられた。




