Worth working (5)
「皇水甕を行う」
生活可能ビルの六階フロア。《南古野安全組合》事務所があるここまでやってきた理逸とスミレは深々にそう伝えられた。
中身のない右袖を揺らし左手で煙草を吸う深々は、窓辺から外、倒れた電波塔方面を睨みつつ続ける。
「今回のうちの資金は九〇〇。事前予測では《沟》が一五〇〇、《笹倉組》が七〇〇だ」
「《沟》は羽振りがいいですね」
「偽の情報をつかませた。我々が一二〇〇抱えている、とね」
「だから上乗せ三〇〇も積んできたわけですか。とはいえ、豪儀な」
「加えていまは二四節気で芒種、麦の収穫と種撒きの時節だよ。忠華の連中は慌ただしくしておりかつ動くための金を貯め込んでいる時期」
「出せるときは出す、ですか」
「使いどころを弁えているというのが奴らの気質だね。動きが大きくなれば当然、残す痕跡も大きくなるが」
深々は煙を吐いて読みを語る。
渋るときとそうでないときの差が激しく、相手の顔色をうかがうより身内への面子を重んじるのは忠華の人間に多くみられる傾向だった。欣怡にもそのようなところがある、と理逸は思い返す。
と、急に始まった話についていけてないのか、不機嫌そうなスミレが理逸の袖を引っ張った。
「なんだ」
「賭博をゃるのですか」
「……フツーについてこれてるんだな。理解したんだな、いまのだけで」
「ルールまではゎかりませんが」
暗に説明をしろという物言いだったので、理逸はかいつまんで説明する。
皇水甕。南古野を仕切る三組織の頭領が集う三頭会議における、水泥棒をどこが受け持つか決めるための儀式だ。
儀式といってもスミレの言う通り、実態は賭博である。
用意された甕のなかへ三組織の頭領がそれぞれ、組織のプール金から任意の金額を入れる。
中身は見えないようになっており、また参加の最低金額は五〇〇からだ。この際、投入金額についても各々で紙面に血判付きで記載して一緒に封じる。
次に甕のなかの合計金額が発表される。この時点で三組織の紙面における合計金額と実際の合計金額とに差異があればやり直しとなるが、始まって以来やり直しが発生したことはない。
差異が無ければ晴れて、各組織で同時に「水泥棒を引き受けてもいい金額」を提示する。
そこからは各組織で順に「そのときに提示されていた最低金額」よりも下回る数字を提示していく。逆オークションである。
「現在提示されている額より下の金額を提示するものがいない、となった時点で決着だ。最低金額を提示していた組織が落札となり、提示した金額を受け取る」
「自分の組織がぃれた金額を上まゎる提示金額を書いていた場合は、血判紙面と照らし合ゎせてペナルティが生じますか?」
「ああ。自分のプール金を超える金額を書いた場合はバースト、他の組織に指摘された瞬間かその回の終わりにバーストの旨が発表され、プール金は没収。水泥棒もその組織がやらされる」
「では落札した組織の取り分をのぞぃた、残りの金額は『二番目に低い金額を提示していた組織』がもらぅ。とぃうょうなルールでしょぅか」
「……なんでわかるんだよ」
「心底くだらなぃ、人間の持つ『競ぅ性質』を煽るょう仕掛けられるのが『賭博』なのですから。競争性を持たせょうと考ぇれば、ぉのずと明らかです」
むしろなぜわからないのか、と言いたげにスミレは息を吐いた。そんなものだろうか。いや、多分こいつだからわかっただけだ。理逸はそう自己完結した。
ともあれスミレの言う通りである。
この皇水甕という賭けは、二番手を狙う争いだ。
落札者になれば投じた額よりも少ない金しか得られず、水泥棒で所属人員を戦闘で消耗させられる。
最下位になれば人員の消耗はないが投じた額は全損する。
二番手になれば、戻り金は多くなって人員消耗もない。
「ゎかりました。完備情報かつ不完全情報の闘争ですね。1ターン目で合計金額を知り、事前情報を元に他組織の金額を推測し。そこに合ゎせて自身の提示金額を決めてぃく」
「そうだ。だから、ほぼ事前の下調べで決まる」
「向こぅも調べてぃるのでしょぅけれどね」
冷静に事実を見据えるスミレはこうした闘争にひどく向いているように見えた。
理逸が説明を終えるまで煙草を吸っていた深々は、話が一段落したと見て吸殻をデスクの灰皿へ押し付けた。刀傷で潰れた右目側を理逸たちに向けて、前腕を喪った右肘を左手で撫でている。
視線なき視線を受け、スミレはなぜか口をとがらせはじめていた。
「こちらの仕掛けた今回の裏取りは正確だよ。情報網とタイミングの精査、これ以外にないという情報を導き出している」
「こちらの情報流出につぃては対策してぃるのですか」
スミレが問えば深々は指を一本、次に二本、とつづけて立てる。
「実際に一度は一二〇〇を用意した、この時点で隙をつくって情報を流したよ。つまるところ真実に虚を混ぜた」
「それ以降で向こぅが金額の減少情報を得てぃる可能性は?」
「お前たちがいまこの時に情報を流していない限りは有り得ない。私は共防金庫を含め、他人に金の扱いを任せない」
三組織と水道局が共同管理するが故に防御が堅い『共防金庫』は、一時的な運用資金移動や各組織所属の個人が大きい金額を動かす際には便利だが金の動きを筒抜けにさせる。
水道局をはじめとした『外』の人間が統治区内部での金銭流動を把握するために設置したものなので仕方ないが、このために結局は、権力ある人間が個人管理するのが最も金銭の防御としては堅固と言えた。
これを聴き、スミレは鼻を鳴らす。
「ミミさんご自身が、最高の金庫だと。そぅいうゎけですね」
「称賛として受け取っておこう」
新たな煙草に火をつけた深々は長いパレオの裾を揺らしつつ静かに歩き出し、普段腰かけている部屋の奥のデスクに向かった。
周囲には理逸以外の《七ツ道具》も揃っており、いよいよ話題が具体的に直面している状況への対処に移っていくことがわかった。
すなわち、水泥棒を《安全組合》がやるにせよそうでないにせよ。
その前に直面する、『事前準備』への話がはじまる。
「さて。今回の制水式を控えての事前準備は、我々の管轄だ」
頭領である深々のひとことで、《七ツ道具》の面々は硬い面持ちとなる。
水泥棒以上に事前準備は好まれない業務だ。なにしろ給金としての実入りは薄く、しかも実際に露払いをおこなったあとに自分の組織が水泥棒をおこなうとも限らない。
リスクばかりの業務だ。
とくに、理逸にとっては──水泥棒とちがい、受けづらい業務であった。
もちろんそんなわがままを言ってはいられないのだが。この、南古野に生きるには。
「次の事前準備には、当然円藤たちも参加してもらう。襲撃の予定は明日の正午、警備兵たちの詰所への帰還と交代タイミングを狙うよ」
深々は煙を吐きつつ自身のデスクに腰かけ、室内の一堂を睥睨した。
視線を受けて会釈する者、瞠目する者、聞いていない風な者、反応はそれぞれだ。
しかしこれを真っ向から視線で切り返す者も居た。
「……殺しを、しなくてはならなぃのですか」
スミレだった。
昨日欣怡との会話で──安東から理逸が煽られたときと同じように──今後の流れの詳細を聞き、ここについて引っかかっていたらしい。
それにしても理逸の横でこの場に居る時、彼女には常に深々に歯向かうべしというルールでもあるのだろうか。あまりにも相性が悪い、と理逸は歯噛みする思いだった。
深々は動じた様子もなく紫煙を浮かべて口の端に煙草をくわえる。
「すべき、だろうね」
「納得しかねます」
短く、スミレは反対だと述べた。深々が眉を動かさずに目を細くする。
「殺すな、と?」
「ぃえ。殺しのほぅが早ぃとぃう方々はそぅすればょいと思います。ただ、苦手な方にそれを強ぃるのはむしろ非効率でしょぅ」
「ここにいるのは全体のために動く駒だ。駒の働きが個々で変わっては、基本的には組織としての働きを阻害する」
「ぉ言葉ですが駒とぃう喩えは実際の人間の集団戦闘に通じるとは思ぇません。単純な見方は本質をつかみ損なぃます、むしろ適切な運用を阻害するとぃうもの」
つらつらと並べ立て、スミレは一歩踏み出した。
「おい、やめろ」
理逸は肩をつかんで止めた。スミレは不服そうにこれを振り払う。
「なにを、ゃめろとぃうのです」
「事前準備はお前も参加させられるが、殺しだの戦闘だのそういうのはお前みたいなガキの領分じゃない。だから深々さんにつっかかるな」
「自分のためだけに言ってぃるとぉ思いですか」
「はあ?」
「……もぅいいです。ゎたしはただ、物事を盤上のょうに単純に考ぇるのが理解できなぃだけ」
心底呆れた様子で理逸より視線を切り、スミレはデスク越しに深々と向き合った。
「殺さずに済ませては、ぃけませんか」
「殺さずにどうする」
「戦死者は残存兵力の士気向上に繋がることもぁります。死者は物言ゎず、生き残った者が思ぃを勝手に解釈し自分の感情の焚き付けに使えるからです」
ふいに話を飛んだ位置へ持っていき、すぐにスミレは自分の論に戻って来た。
「一方で負傷兵は看護にょり継続的なコストがかかり、また痛苦にぁえぐ負傷兵の姿は同調と同情を誘ぃ結果として士気を下げます」
「戦場理論は知っているよ。で、きみはこれをして不殺の許可理由、周りと異なる行動を赦す理由にしろと?」
「ぃいえ。理由は自軍の兵力温存と長期運用のために、です。『殺したくなぃ』とぃう人員の迷ぃが士気と判断力を低下させ、結果人員を死なせてしまぅ可能性を、憂慮してぃます」
「個人的な感情による『殺したくない』を受け入れろというのだね」
「水泥棒でリィチは個人行動でしたし、他の皆さんもそのょうに動ぃているとの話でした。であれば不殺が連携の足を引っ張ることは少なく、ぅけ入れることが当人のパフォーマンスを引き出し生存率を上げるゎけです。同様に、不殺が彼の事前準備をラクにするのでぁれば拒む理由がぁりますか? ぁるとすればそれこそ、個人的感情では」
ずけずけとものを言ってスミレは反応を見た。
もの言わず息をつくこともせず、深々は左眼のみでスミレを睨む。
やがて煙草を灰皿へ置き、火を消さないままに左手で右肘を押さえた。腕組みのように見えなくもない姿勢だった。
少しだけ穏やかさを宿した眼で、深々は言う。
「円藤はこれまでの事前準備でも一応、殺害以外で戦果は挙げている。相手の手足を砕いて、戦闘不能にすることでね」
「……ぇ」
「殺しは反撃の芽を摘むために『すべき』だし、『基本的には』足並みそろえないことは組織としての働きを阻害する。が、円藤はそれらの例外に位置できている。少なくとも今日までは」
深々の言い方に、めずらしく理解するまで数秒かかったスミレ。
ややあってから気まずそうに、「……では、けっこぅです。ぉ時間ぃただきぁりがとうござぃました」と返した。
すごすごと戻ってきてひどく苛立たし気にしている。
途端に《七ツ道具》の面々が口を開きはじめる。
「意外な幕切れだったわ」「思ったよりな」「十鱒、お前あの二人は仲良くなれないって言ってなかった?」「目に曇りがあったかもしれない」「すっかり仲良しじゃねぇ」「んだ」
六人の会話が聞こえたらしく、ひどくスミレは居心地悪そうだった。理逸もまた、仲が良いなどと言われては誤解だと叫びたいところだ。連中相手にそんなことすれば余計に活気づくのでやらないが。
深々は左手でこめかみを押さえつつ、各員に告げる。
「襲撃時刻と配置、仕込みについては追って伝える。まずは各々で支度に当たれ」
「承知」とも「了解」とも「ヘイ」ともつかない声が入り混じった。
スミレはむくれたまま黙っていた。




