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売雨戦線  作者: 留龍隆
Chapter3:

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17/125

Worth working (2)


 理逸がスミレと相部屋で住むアパートは、六畳一間で押し入れがあるだけの簡素なつくりだ。流しがあり、ちゃんと飲用水が出る水道を使えるという点だけがめずらしい。

 トイレは各階にひとつずつ、物干し場と洗濯機も共有、各部屋で押し入れに入っていないものも共有物。鍵と風呂はない。

 そう、風呂はない。

 まぁこの渇水時代に、個人用の風呂などという贅沢品を使う機会などそうはないのだが。


「おい。風呂いくぞ」

「はぃ」


 そういうわけで二人は仕事終わりにいつも、公衆の『風呂』を使っていた。



 タオルを二本ぶら下げて、生産活動プラントの方へ歩く。南大壁に沿って日の沈む方へ進むのだ。

 行く手には巨大な石棺を思わせる、コンクリート打ちっぱなしの平坦で平面な建物。装飾もへったくれもないが巨大さだけは随一のそれが、市民の生活を支える《生産活動プラント》だ。南古野の低所得労働者層は、大半があそこに朝吸い込まれ夜になると出てくる。

 街を何ブロックもまたぎ、北遮壁から南大壁までをほとんど繋げるように三キロ弱の全長を持つ建物。それは南大壁の向こうにある港から輸送してきたものを直接運び込み運搬する・内部で加工して生活に使える品にする目的を担うべく、四大災害から数年で建設された「比較的新しい建物」のひとつだ。


 このプラントの手前に、目的地である『風呂』はある。

 白く重たい、二つのビニール製のテント。

 プラントの全長に沿うように細長く伸びるそれは、灰色の大蛇にまとわりつく二匹の白いナメクジといったサイズ感だ。まぁナメクジとちがって足も毛もないが。


「今日は……火曜か。入港者の多い日は人さらいも増えるからよ、なるべく道の真ん中の方を使えよ。で、先に出たら待っとけ」

「先週につづいて二度も言ゎれなくとも、理解してぃます」

「念のためだ。無駄なこととは俺も思うけどな」

「無駄ではなぃでしょぅ」


 意外な言葉に、おやと理逸は顔を上げる。

 しかしスミレはいつも通り、しらけた顔つきで、ちょうどいまの時間帯の空に似た群青に近い紫紺の瞳をしばたかせていた。ほどよく日に焼けた小麦色の肌に夕暮れの影が落ちる。


「ゎたしに有事の際、『自分は忠告した』とぉのれを慰めることができるでしょぅから。その意味では無駄ではなぃかと」

「お前本当に性格悪いぞ」

「そぅ言ぅわりには怒りも怒鳴りもしませんね、ぁなたは」

「感情に任せて感情ぶつけてどうなる。叫んだり脅したりで、好転することはねぇよ」


 感情を、ただぶつけていい相手などこの世にはいない。

 当たり前のことだし、いわんやスミレは窮地を切り開いてもらったこともある相手だ。無下にする気は、理逸の方にはない。


「まあ文句は言うけどな。性格悪いとか」

「……そぅいうこと言うぁたり、本当に性格が悪ぃのはどちらでしょぅね?」

「うるせえ。とにかく、へんな奴に遭ったらしゃべらず逃げろよ」


 重たい白のビニール製テントの入口をめくりながらそう言い、理逸はスミレと別れる。当然だが男女は別である。

 中に入ると、途端に湿度が上がる。理逸は着てきた衣服を脱ぐと、隅に置いてあるかごに突っ込んで荷物見張り役の前に並べた。タオルの一本を片手に持ち、もう一枚垂れさがるビニールの幕をめくる。ぶわぁと湿度・温度が上昇し、とたんに肌が汗ばんだ。

 長いプラントに沿うだけはあり奥行きのある内部は、多くの人でごった返しており、湯気が満ちている。とくに端の方、プラントの壁面に触れている位置は熱い蒸気が噴き出すスポットで、通ぶった連中に人気だった。


 生産活動プラントは一日の営業を終えるとき、内部機関冷却のため不純物の少ない水をかける。その際に噴き出すスチームをどこかのだれかが「もったいない」と言い出し、いつしか囲ってテントが張られこの蒸気風呂サウナが成立したのだという。汗をかいたあとは脱衣所近くで手桶一杯の水をもらい、それで流して締めだ。

 渇水のこの時代、湯舟などという贅沢品は使えないがそれでも体を清め整えたい。そう考えた貧民の苦肉の策である。

 しかしきっちり高温で身体をほぐして汗を流せるこの施設、つくりは厚手の白ビニールシートで囲んだだけと大変に粗雑だが心地は良い。ひたひたと素足でアスファルトを歩きつつ、理逸は湯気でぼやける彼方を見据える。


「……今日は行けるか?」


 このサウナを端から端まで横断するというのは、南古野に住む男がちょくちょく挑戦する馬鹿な行いのひとつだ。

 テント内は高温であることに加えて、プラントに沿っているため非常に長い。それだけに一気に大量の人数を収容できるわけだが、それ故に非常にごった返している。

 この内部を一直線に突っ切ることが出来ればその男の腕前の証明──なんて、なんの根拠もはじまりの所以ゆえんもわからないが、南古野の男たちはそれを信じている。長時間サウナに耐えられる人間が偉いというわけのわからない価値観の延長上だ。


「よし行こう」


 すでに汗をかきはじめている理逸はゆらりと進み出た。

 行く先ではどこかの武術一門であろう屈強な男たちが横一列に並び、站樁たんとうによる練功でより激しく汗を流して周囲を威圧している。

 肉々しい、通り抜ける隙間のない並びだ。

 男の馬鹿な行いがあれば、当然それを阻もうという馬鹿な行いも生まれる。これもその手合いである。

 けれど理逸は歩みを止めず、男たちの威圧に真っ向から迫る。そうして、あと半歩で触れあうという距離まで来ると──急に跳躍した。プライアなしでの、単なる身体能力。

 あぜんとする男たちの頭上を通り過ぎ、素足ということもあり音もなく着地。

 站樁の一門を除いた周囲の人間がおお、と感嘆の声を上げる。横断するにあたって、まずは第一の関門突破だ。

 理逸はそのまま歩きつづけた。いつもなにかしら面倒なことが起きて阻まれるこの道筋を、今日こそは通り抜けられることを願って。


        #


 女湯には荷物の見張り役に加え、監視役の屈強な女がいる。かつての深々もその仕事を務めていた時期がある、のだとか。

 そんなものを要する理由はひとつ。先も理逸からの話に挙がっていた通り、人さらいが紛れ込むことがあるためだ。

 別の統治区への誘拐、あるいは近海に浮かぶ娼船への連れ去り、はたまた若い臓器のための解体。同性を食い物にしようという輩がよく紛れる。

 だが食い詰めたそういう奴らを除けば、無法に近い南古野であっても『女・子どもには(将来的な価値が判断つかないうちは)手を出すな』との不文律がある。

 結果、彼女くらいの年齢まではある程度子どもらしくいることが許される……らしい。伝聞調なのは、彼女には子どもらしいというものの概念がよくわからないためだ。


「ふう」


 息をつき、肩まで伸びた淡い銀の髪を払う。

 首にかかっていたホルターネックのストラップを頭頂部の方へ引っ張る。輪のなかから頭を抜いて、胸元に繋がるストラップだけで白いベアトップを吊るしている状態になると、おなかを少しへこませるようにしてすとんとくるぶしまで落とす。胸も骨盤も発育がほとんど見られないため、彼女には引っかかる箇所もなかった。

 首のチョーカー型統率型拡張機構(ハイ=エンデバイス)はさすがに外さず巻いたままだ。防水なので問題ない。

 ベアトップと下着、サンダルだけをかごに入れて預けて、タオルを提げた彼女はビニールをめくる。

 ここまでの手順には慣れたが……湯気に満ちたこの空間には、まだ慣れない。

 彼女からすると身を清めるなら少量でも水浴びをして、あとは布でこすればいいと思うのだが。この土地の人間は「高温に浸ること」に異様にこだわる。わけがわからない。


「……ふう」


 すぐに激しく汗をかきはじめ、目尻に施している赤のメイクがこすると滲む。

「しんどくなったら座って、温度の低い空気のなかに居ろ」と理逸は言ったが、なぜしんどくなるまで居ると思っているのが不可解だった。体調を整えるための場でどうして体調を崩すまで長く居ると思っているのか……理解できない。

 ほとんどふくらみのない胸元から、ほんのり浮いた肋骨にかけてタオルを当てながらぺたぺたと歩く。

 この時間だと周囲に彼女以下の年齢層はいないらしく、伏し目がちに視線めぐらすと身体の凹凸がはっきりしているひとが多かった。


 この視線も、南古野に来た当初に「じろじろ見られるのは民族的に好かないからやめろ」「でも周囲に気は配れ」「よく周りの動向を観察しろ」「でもじろじろ見るな」と、矛盾した物言いを投げつけられてから数日かけ、なんとか身につけたものだ。本当によくわからない民族だと彼女は思う。

 だがまあ──、ここに来てしまった以上。そしてここにも子どもがいる以上。

 彼女がやるべきことは幼い子どもを護ることだ。彼らが生きやすくすることだ。

 そのためなら嫌いな大人とも手を組む。

 その意味では、理逸は大人のなかでだいぶマシで、まともな方だ。まだ運が良かった、そう思うことにする。


「……でもゃはり、この異常高温蒸気を好むのは、少しぁたまがぉかしい」


 彼女は毒づく。この土地の人間は、少しでも生活に余裕ができると衛生観念を強迫観念に磨き上げるきらいがある。その思考傾向が、この文明後退時代においても疫病の発生を極力抑え込みこの元・日邦の衛生インフラを維持している所以なのだろうが……。


「……ぃや、暑すぎるでしょぅ」

「とくに暑いよね今日。目まわっちゃうよ」


 不躾に話しかけられ、きょとんとする。

 サウナ内では会話をすることもそこまで推奨されない、と、これまたわからないなと思う暗黙のルールがあったはずだ。逆に彼女の故郷では水浴びのときに世間話くらいはするし、ついでに洗濯を済ませてそれが乾くまでの井戸端会議が通例だったが……などと思い出しつつ振り返る。


「……シンィさん」

「やーは。こんばんはスミレちゃんお元気?」


 小首をかしげて毛先の波打つ黒髪を揺らす彼女、隣室の楊欣怡ヤンシンイーはプラントに面した側ではない端に、ぽつねんと座り込んで片膝を抱えている。だらしない表情はサウナで安らいでいるからではなく、常からいつもこうだ。年の頃は理逸と近く二十歳くらいのはずだが、良くも悪くもそう思えない顔つき。

 膝で圧迫された大きな胸は、髪の毛先と膝抱える腕でかろうじて先端を隠している。尻が痛まないようにか敷いたタオルのあまりを前にまで回しているため秘所もなんとか見えなくなっているが、それらが余計に淫靡な雰囲気を漂わせているのはなんだろう。

 仕事は《沟》の運搬人ポーターのはずだが、締まりと緩みの均整がとれた体つきは周囲に居る夜の職業人にも劣らない。先般の理逸の部屋からの惣菜強奪といい、食い意地で形成された身体だろうと思う。


「まぁ、元気ではぁりますが。そちらはどぅです?」


 半世紀前の瑛語の教科書のような会話を日邦語で返すと、欣怡は弱弱しく笑って腕を膝からほどいた。押さえられていた胸がまろび出る。

 親指を立てると、欣怡は儚げにつぶやいた。


「お水ほしい。向こうの端まで行って折り返してきて……ここで動けなくなったの」

「この暑ぃなかで馬鹿な行ぃごくろぅさまです」


 男性側サウナで行われているという愚行(challenge)を女性側でもやる奴が居るとは。呆れ果てながらも、さすがに隣人を見捨てるわけにもいかないので脱衣所に戻り水をもらってきた(このサウナ、内道水が使える期間は衛生向上を推進するべく『ちゃんとサウナに入った者には水をボトル一本与える』という特典有りで運営されているので水はもらえる)。

 ボトルを開けると一気に水を半分飲み、ぷはぁと欣怡は息ついた。


「うーん。生き返ったよ。助かった」

「恩に着てくださぃ」

「脱衣所にある私の下着を男性サウナで売ってきていいよ」

「ィヤですが。売買業者に当たるまでに手間がぉおすぎますし仲介挟むと手残り少なそぅですし」

「わーお。からかい甲斐がないよねスミレちゃんは。円藤ならこの手のからかいで二時間はいじり回せるのに」


 けらけらと笑ってボトルを振るう欣怡。

 あまり理逸の評価が高くない彼女だが、この欣怡の相手をしてこれまで決定的にキレることはなかったらしい点については素直に称賛出来ると思う。


「でもきみもずいぶん南古野に慣れたね。二週間とちょっとでこうまでしきたりを学習してる子を見たのははじめてかもしれないよ」

「そぅなのですか」

「円藤の教育の賜物かな。なんて言うと露骨に嫌そうな顔するよね」

「学びはしましたが教ゎったとは思ぃませんので」


 人間としてはマシな方だが、それでも教え手として優秀というわけではない。などと直截には言わないが彼女のなかでの評価は大方定まっている。

 欣怡はふーんと気のない返事をしてから、あらたまって本題という空気を出してきた。


「そういえば円藤は来てるの?」

「男性側にぃますが」

「そーう。ならそろそろ聞いてる頃合いかな」

「なにか派閥間につぃての話ゃ、情報ですか」

「鋭いよね。長生きすると思うよスミレちゃんは」


 よっこら、と腰を上げて欣怡は敷いていたタオルを肩にかける。立ち上がると彼女より二十センチは背が高いので、ますますその淫靡な気が降りかかってくるように思われた。


「じつを言うと普段はこんなに長風呂しないんだけどね私。今日は事情あってそうしようと思ったわけなんだな」

「……事情。まさか」

「察しがいいよねスミレちゃん。そうだよきみの推測通り」


 欣怡はにへらと嗤う。


        #


「また水泥棒がはじまるぜ、円藤君」


 いい気分でサウナを歩いていた理逸の前を遮り、がたいの良さがわかるような腕組みをした安東がにへらと嗤う。

 そこで、立ち込めていた蒸気が薄れていく。

 テント内の温度が下がっていく。

 周囲の人間も状況を悟ったらしく、がやがやとした空気に不安げな色と臭いが混じっていく。


三頭会議さんとうかいぎだ。準備しろよ、《七ツ道具》の三番」


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