妙な胸騒ぎ
「あれ……?」
母親を適当に起こし、食堂へと降りてきたアランは、そこに広がっている光景を眺め、首を傾げた。
既に並べられていた朝食に、また出遅れてしまったか、などと思いつつも――
「リーズは?」
そう、何故かそこには、リーズの姿だけがなかったのだ。
体調でも崩したのかと一瞬思うが、並んでいる料理の数々はどう考えてもリーズの作ったものである。
となると……?
「さっきまでは居たんですがね。なんかアランとは顔を合わせづらいとか言って引っ込んじまったです」
「あー……」
どうやら昨日のは、無事黒歴史化したらしい。
調子はかなりよく、何かを掴んだ様子すらあったのだが……代償なしには何かを得ることは出来ない、ということだろう。
そんなことを適当に考えつつ、息を一つ吐き出す。
なら問題はなさそうである。
まあ、こうして一緒に暮らしていれば、大なり小なりそういったことは発生するのだ。
そのうち自分の中で折り合いをつけて何とかするだろう。
「何やら納得するところがあったようですけれど、そちらもミレイユさんはどうしたんですの? 姿がないようですけれど」
「ああ、それは――」
と、答えようとしたところで、ドタドタという、床を走る音が聞こえてきた。
後ろを振り返れば、こちらに向かって走ってきていたのは、当然のように母親である。
「ちょっとアランー、何であと五分ー、って言ったのにいなくなってるのよー?」
「いや、その時点で起きてるのは確認したし、もういいかな、と。あと、五分って言ってるのは聞いたけど、僕は待ってるとは一言も言ってないし」
「そこは待ってるのがお約束でしょー?」
どちらかと言うならば、聞かずにそのまま叩き起こすのがお約束な気もするが、まあどちらでもいいだろう。
結局こうして起きてきたのであれば同じことである。
「まあ、こういうこと」
「テメエも大分そいつの扱いに慣れてきたもんだな……」
呆れたように言われるも、肩をすくめた。
慣れたというのであれば、今世では文字通り生まれた時からの縁なのだから、とうに慣れているとも言えるが……確かに、ここ最近はより上手くあしらえるようになった気はする。
ここ最近は特に色々なことがあるし、そういうことが影響を与えているのかもしれない。
それをこういうことで実感するのは、どうかとも思うが。
ともあれ、折角準備は終わっているのだから、冷めないうちに食べてしまおうと、食卓につき――
「そういえば、リーズの分は?」
「持ってってたみたいですから、考えなくていいと思うです」
「結構そういうとこちゃっかりしてやがるよな、アイツ」
「自分の分をしっかり確保している、ということですから、料理担当としては、頼もしい、と言うべきかもしれませんわね」
「あれ? リーズちゃんいないの? 昨日のことでちょっと思った事があったから伝えようと思ってたのに……」
リーズの傷口をさらに押し広げるつもりか。
無意識にそういうことをするあたり、本当に恐ろしい母親である。
しかもそれは多分リーズの為にもなるんだろうことを考えると、止めるわけにもいかない。
リーズの健闘を祈り、食事を作ってくれたことに感謝の念を送りながら、とりあえずアランは朝食を摂り始めた。
それに皆も続き……相変わらずの料理に舌鼓を打ちながら、食卓で繰り広げられるのはいつもと言ってしまってもいいほどに、ここ数日で慣れてしまった光景だ。
まあ今日はリーズがいないため、ほんの少しだけ静かではあるものの、それで大差があるわけでもない。
適当に思いついた話題や、今日の予定についてなどを話し合い――
「そういや、今日はアランはどうすんだ?」
「え、僕ですか? そうですね……まあ、多分今日も儀式魔法の研究をすることになるんじゃないかと」
特に今日は、昨日それなりに触媒を集める事が出来たため、色々なことを試す事が可能だ。
具体的なことはまだ決めていないものの……おそらく今日は、研究というよりは実験的な側面が強いこと――外でのそれとなることだろう。
「ふむ……それ、俺も見て構わねえか?」
「勿論構わないですけど? というか、むしろこっちからお願いしたいぐらいです」
自分一人で見たところで、分かることには限度がある。
様々な視点で見てくれるのであれば、それは歓迎すべきことなのだ。
「本当は出来れば皆にも見て意見して欲しかったりするんだけど……今日は皆用事があるんだっけ?」
「サラも興味はあるんですが、まあ今日はちと街に買い物に行きてえです」
「わたくしも出来ればご一緒したかったのですけれど、明日のことを考えますと色々と考えたいんですの」
「私も出来ればアランと一緒に居たいんだけど、今日はギルドに確認に行かなくちゃならないのよねー。クリストフ君、代わりに行ってくれない?」
「それはテメエじゃなきゃ駄目だっつわれただろうが。大人しく行って来い」
「うー……」
残念ではあるが、皆予定があるのならば仕方がない。
無理してやってもらうようなことではないのだ。
あとはリーズの予定だけは分からないが……さすがにこの状況でそれを言うのはあれだろう。
そんなことを思い、苦笑を浮かべ、ちょうどいい塩加減のスープを口に運んだ。
「さて、と……」
燦々と輝く太陽の下で、アランは一つ呟きを落とした。
気分を切り替えるためのものであり、気合を入れるためのものである。
周囲に広がっているのは、一面の平野。
儀式魔法の研究……いや、実験を行う、その間際のことであった。
「そういや、今日は何試すんだ?」
「んー、そうですねえ……」
ここは屋敷から少し離れたところにある、あまり人の訪れないような場所だ。
実際今もアラン達以外に人影はなく、また魔物の姿すらもない。
視界を遮るものはなく、一面を見渡せるために仮に誰かが現れてもすぐに気付くことが出来ることもあり、絶好の実験ポイントであった。
まあ魔物の方は時折姿を見せることもあるのだが、むしろ実験するにはその方が有り難い。
色々な意味で実験に適した場所であり、ここで試せないようなものはないと言ってしまっても過言ではないほどなのだが――
「まあ、昨日色々と補充できましたから、それを一通り試してみる感じですかね」
「ふむ……つまり、地味な作業が続くって事か。ならアイツらが来なかったのは逆によかったんじゃねえか?」
「あー……かもしれませんね。確かに見てても暇でしたか」
これが初めてではないため、大体の段取りはクリストフも理解しているはずだ。
それが故だろう言葉に、アランは納得し頷く。
これからやろうとしていることは、要するに、既に用意されている儀式魔法の魔方陣に、様々な触媒を用いて起動するかを試すというものだ。
勿論起動しないことがほとんどなので見た目的には地味であり、それを見て感想をと言われたところで困るだけだったかもしれない。
アランやクリストフは、実験とはそういうものだと分かっているので特に苦にはしないのだが。
ともあれ。
「ま、とりあえずとっとと始めますか」
まだ朝と呼ぶべき時刻ではあるが、時間は無限にあるわけではない。
なのに試すべきこと、試したいことは多く、あまり時間を無駄にするわけにはいかないのだ。
それを理解しているクリストフが後ろに下がるのに合わせ、アランは虚空から一枚の紙片を取り出すと、地面に置いた。
改めて言うまでもない、儀式魔法の魔方陣が描かれたものである。
ちなみに内容は、グレイプニール――拘束魔法のそれだ。
ミスリルゴーレムを拘束する時にも使ったあれである。
厳密には、今のところそれとして使っている、と言うべきかもしれないが、まあ細かいことはいいだろう。
そして次に取り出すのは、勿論触媒であるが……ここでいつも使用しているものを出しても意味はない。
少し迷った後でアランが手にしたのは、一つの爪であった。
それは、ブラウンベアーと呼ばれる魔物から得られる素材の一つである。
今までブラウンベアーから得られる素材は、一つも儀式魔法の触媒となっておらず、そのため試したことはなかったのだが――
「むぅ……駄目か」
素材を魔方陣の上に置き、魔力を流してみても反応はなし。
素材は消えず、魔方陣も起動することはなく、ただ沈黙だけが返ってきた。
尚、これで成功した場合は、相応の魔法が発動することになるわけだが、それは当然拘束魔法ではなくなる。
つまりグレイプニールという魔法ではなくなるわけだが、どんな名前の魔法になるかは分からない。
それは発動しなければ分からない、というわけではなく、単純に名前は発動に成功した人が付けるからだ。
では詠唱はどうなるのかと言えば、実のところ儀式魔法に発動の言葉は必要ない。
あれは発動のためのトリガーというよりは、周囲に何の魔法を使うのかを知らせるためのものなのだ。
そのため、名前は周囲が分かりやすいものの方がいいのだが……まあ、それを考えるのは成功した後のことである。
閑話休題。
実験の結果は失敗ということになってしまったが、アランは特に落胆していなかった。
そもそも、上手くいく方が稀なのだ。
結果を気にすることはなく、試しに使ってみた素材を一旦仕舞うと、アランは次の素材を取り出す。
まるで石のような……というか、一見すると石そのものであるそれは、ガーゴイルの一部だ。
ゴーレムと同じく非生物系の魔物であるそれもまた、触媒として使われはいないものである。
魔方陣の上に起き、魔力を流し……しかしやはり、何も起こらない。
だがそれでも腐ることなく、黙々と次に取り掛かり、同じことを繰り返していく。
結果まで同じだというのは少し嫌になるが、それでも諦めることなく、次へと移り――
「しっかし、本当に地味だな」
呆れたように師がそう口にしたのは、試行回数が二桁を優に超したあたりであった。
ふと顔を上げれば、その顔には口調と同じような表情が浮かんでいる。
とはいえ反論しようはないので、アランは苦笑を浮かべると肩をすくめた。
「さっき自分でも言ってたことですし、最初から分かってたことじゃないですか」
「まあそうなんだが、ここまで何もないとさすがにな……というか、テメエわざと失敗するような素材選んで使ってねえか?」
「いえ、そんなことはありませんよ? まあ、一度も触媒として使われたことがないものばかり選んでる、という意味ならばその通りですが」
「ああ、やっぱりか。まあ実験なんてのは今まで試したことがないことをするのが基本とはいえ、たまには成功しそうなのを試してみてもいいんじゃねえか? でないとさすがに俺もやることがねえしな」
まあ、失敗するということは、何の反応もないということだ。
そこに違いはないのだから、見ていたところで意味はない。
そう考えると、確かにこの時間は無駄とも言えるのだが――
「んー……なら、師匠も色々試してみますか? 魔方陣を描いた紙は幾つもありますし、素材もありますし」
「それもありっちゃあありだが……魔法式を弄ったりはしねえんだったか?」
「既に魔方陣になってる以上弄りようがないですし、そもそも前にも話しましたように、それ以前の段階でも弄る意味があまりなさそうですからね」
それは言葉通りの意味だ。
儀式魔法に使用される魔法式は、基本的に改善する余地がないのである。
クソコードだらけの現行魔法とは比べるのも失礼なほどであり、少なくともアランはそれを弄る必要性を感じなかったのだ。
そこから移行した現行魔法が無駄だらけなのを、不思議に思ったほどである。
儀式魔法の研究が実験に比重を置いているのも、元を正せばそのためだ。
魔法式に無駄がなく、だがそれを見ても分からない以上は、色々実際に試す以外にないのである。
「ふーむ……もしかして、あまり乗り気じゃないです?」
「興味はあるが、今触っても中途半端になっちまいそうだからな。こっちの研究に活かすのは難しそうだっつのもある」
「あー、なるほど確かに。となれば……あ、そうだ。なら、索敵魔法の練習をするっていうのかどうですか?」
「あん? 何でそこで索敵魔法が出てくんだ? そもそも練習も何も、俺はアレ使えねえぞ?」
「むしろ使えないからこそ、使えるようになるための練習といいますか?」
クリストフが覚えたところで、使う機会など早々ないだろうが、それでも覚えておいて損はないだろう。
何より――
「ほら、師匠が使えるようになれば、明日僕が呼ばれるようなことはないでしょうし」
「ああ……なるほど、そういう魂胆か。とはいえ、別にんなことしなくても大丈夫だとは思うがな。昨日のでさすがにミレイユも満足しただろうしよ」
「いえ、それでも万が一ということも有り得ますから」
「まあ確かにそうだな。だがそうなると、今度は別の問題があるな」
「問題、ですか?」
「なに、単純なことだ。索敵魔法覚えろって言われても、テメエじゃねえんだからそう簡単に覚えられねえってことだよ」
「えー……既に完成した魔法式はありますから、そんなことはないと思いますけど?」
「だからテメエじゃねえんだから無理だっつの。……ていうか、何でそんな俺に索敵魔法を覚えさせようとしてんだ?」
「いえ、それはですから、明日のためですって」
「明日のため、か……それはテメエのためってよりは、明日それが必要になると思ってる、みたいに俺の目には見えるんだが?」
その言葉と共に、細められた目で見詰められ……アランはつい、視線を逸らした。
その通りであったからだ。
別に何か確信があるわけではない。
むしろ根拠となるようなことは何一つとしてない。
ただ……ふと、思ったのだ。
昨日と三日前。
あの迷宮は、妙に穏やか過ぎなかったか、と。
勿論あそこに行くたびに何かあったわけではないのだが、あそこまで穏やかだったのは初めてであった。
何気なく思い返してみた時、それが妙に気になったのだ。
「まあ、何事もなく終わってくれたら、それが一番なんですけどね……」
「だがテメエはそう思ってはいねえ、と?」
「……さあ?」
「さあ、って……テメエなぁ……」
呆れたように溜息を吐かれるが、実際のところ、それがアランの本音なのだ。
何となく嫌予感はするのだが、所詮それは予感でしかない。
どうしてそう思うのか、本当に何かが起こるのかと問われれば、何も答えようはないのだ。
「勿論何事もなければ、それが一番なんですけどね……」
そうすれば、明後日には全てが終わる。
アラン達は晴れて、ただの一般的な冒険者となるのだ。
何事もなければ。
「ふむ……ま、つまりはあれか。今日は随分と無駄な実験ばっかしてると思ったが、そのせいか?」
「あー、まあ、そうですね」
確かに、今日の実験はそういう意味もあった。
今まで試したことがない組み合わせであったが、それが成功すれば使える魔法に幅を持たせることが出来る。
そうなれば、何かあったとしても、より対応するのが楽になるだろう、と。
「まあ、確かに備えっつーのは必要だがな」
「そもそもただの勘でしかないんですけどね……」
「テメエらの勘は妙に当たりやがるからなぁ……ま、ミレイユがいんだから、多分大丈夫だとは思うがな」
「そうですね……そうだとは思うんですが……」
母親の凄さは、ここ数日の間に改めて再認識させられた。
幾らあの迷宮とはいえ、あの母親をどうにか出来るものがあるとは、さすがにアランも思ってはいない。
例えば、この前のミスリルゴーレムのようなものが出たところで、彼女ならば瞬殺することが可能だろう。
だから、心配はないはずなのだ。
しかし幾らそう思い、気のせいだと自らに言い聞かせたところで、妙な胸騒ぎは、中々収まってはくれないのであった。
とりあえず多忙さは収まりましたが、いまいち執筆ペースが上がらないため、この後はしばらく週一での更新になってしまいそうです。
代わりと言ってはなんですが、ちょこちょこ気分転換代わりに書いてたのがある程度溜まりましたので、現在投稿中です。
もしよろしければそちらもご覧いただけましたら幸いです。
こちらもなるべく更新できるように頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。




