落ちこぼれの魔導士と非常識の塊 前編
エステル・ルモワーヌは、所謂典型的な落ちこぼれである。
入学した学院は、魔導士であるというだけで無条件に入れるようなところであったし、しかしそんな場所でさえろくなコネを掴む事が出来ず、さらには最下位に近いような成績で卒業した。
エステルが冒険者になったのは、単純にそれ以外に行く場所がなかったからなのである。
というか、冒険者になった魔導士などというのは大抵がそんなものだ。
基本的には魔導士というだけで何処からでも重宝される、ということを考えれば当たり前のことであった。
そんなエステルが冒険者として十年近くもやってこれているのは、ほぼ間違いなく魔導士としての優遇措置で最初からランク三として扱われたからであろう。
即ち、最初にパーティーを組めた者達が全員ランク三以上だったからだ。
補助魔法や妨害魔法は、あくまでも他人の手助けをするものなのである。
そこには最低限の自力があることが前提であり、ランク一などの駆け出し冒険者と組んでいたら互いに足を引っ張り合うことになっていたに違いない。
そうなれば、まともにパーティーを組むことは出来ず、かといって戦闘能力が皆無なエステルはろくな依頼を受けられなかっただろう。
採集ぐらいならば可能だろうが、それでは日々の生活を送るので精一杯だ。
風邪一つひいた時点で即終了であり、下手をすればとうに死んでいたか、よくて娼婦にでもなっていたのではないだろうか。
まあ魔導士であることを考えれば、優遇措置がなくともそれなりのランクの者とパーティーを組めていた可能性もなくはないが……何にせよ、今のエステルがあるのは運がよかったからなのだ。
そのことを、エステルはよく理解している。
世の中の仕組みというのも、多分それなりに分かっており……だから。
――禁忌の迷宮第八階層。
自分達がたった今降り立ったその場所のことを考えながら、エステルは思わずといった様子で溜息を吐き出していた。
そこには様々な感情が含まれていたが……敢えて言葉で表すのであれば、一言で足りるだろう。
有り得ない、である。
この迷宮に来てから現在まで、経過した時間は七時間というところだ。
即ち、一階層を踏破するのにかかった時間は約一時間……いや、休憩の時間などを考えれば、それよりももっと少ないだろう。
最初に降り立った場所が第五階層であり、そこから入り口までを往復したことも合わせれば、さらに時間は短くなる。
これがまず有り得ない。
そもそも未踏破の階層を踏破する場合、普通は最短でも一日はかかるものなのだ。
準備を含めれば大体その倍は必要であり、しかもその時間の大半は情報を得るためのものである。
そう、あくまでもそれは自分達にとっては未踏破な階層を踏破する場合の話であって、完全に未知の階層の踏破となると、それはまた別の話となるのだ。
ただし当然のようにそれで時間が短くなるということだけはなく……しかし既にそれを六つ。
おそらくは誰に話したところで、嘘だとしか思われないだろう。
だが正直なところ、それはまだ許容範囲内であった。
普通に考えれば有り得ないけれど、まあ状況を考えれば有り得なくもないかな……? 程度。
迷宮の攻略難度――出現する魔物の強さや、迷宮そのものの複雑さを加味した上で、自分達の戦力を考えてみれば、まだ受け入れられなくはないのだ。
その自分達の戦力が有り得ないほどに整っているということに目をつむれば、の話ではあるが。
まあそれにしたって、他のことを考えれば可愛いものだ。
特に――
「んー……右が三に左が二。右は曲がり角を曲がってすぐのとこだし、右から行った方が無難かな?」
そこに居る非常識の塊と比べれば。
「ふむ……ではそれでいこうかと思うが、何か意見のある者はいるかね?」
「異論ないっす」
ベアトリスの言葉に、皆を代表するかのようにラウルがそう口にするが、実際誰からも反論はなかった。
エステルも別に反対する理由はないので、黙って頷く。
これまでのことから、それが本当だということは理解しているのだ。
もっとも、だからこそ尚のこと非常識だと思うのではあるが。
とはいえ、エステルは今更そのことに関して口に出すことはない。
今更……そう、今更なのだ。
索敵の魔法などという、見たことも聞いたこともないようなものを彼――アランが当たり前のような顔をして使っているのも、それを他の皆が当たり前のような顔をして受け入れているのも、今更の話なのである。
正直なところ、同じ上級冒険者として、せめてラウルには抗っていて欲しかったところではあるのだが……まあ、言っても詮無きことであろう。
ともあれ。
「それにしても、もう第八階層ですか……これ結局何処まで行くつもりです?」
「……調査的には、行けるとこまで?」
「そう言ってここまで来たわけだけれど、帰りの時間も考えればそろそろ限界じゃないかしら?」
「……残念」
「色々とここが興味深いのは同感ですけれど、調査の続きは次の機会に……とは、いかないのでしたか」
「……ん。これまでの調査結果から、ここを封印処理するという判断は妥当」
「まあとはいえ、ここまでのものだ。どうにか出来る目処が立ち次第、解放されることになるとは思うが……何分上は腰が重いからな。次調査出来るようになるのは、十年単位の時間が必要だろう」
「十年かぁ……さすがにその頃には僕はもう冒険者はやってないだろうなぁ。僕としても、ここは結構興味深いんだけど」
「……ん、なら、私と一緒に調査に来ればいい」
「いやいや、私と一緒に護衛として来るというのはどうだ?」
「アランさんを勧誘するのはいいっすけど、せめてここを出てからにして欲しいっす」
そんないつも通りとも呼べる会話を続けながら、一行は先へと進んでいく。
ただ、そこでエステルが溜息を吐き出したのは、それが既にいつも通りと呼べるようなものになってしまっているからである。
そう、迷宮の、しかも周囲が未知だらけの場所で、まるで何事もないかのように会話を続けているのだ。
おそらく、色々とある有り得ないことのうち、冒険者として最も有り得ないことは、それであった。
そもそも通常であれば、迷宮内部での会話は厳禁だ。
よっぽど不規則な事態が発生するか、絶対安全だと確信出来る状況、或いは戦闘中などを除けば、それは魔物に自分達の位置を教えるだけだからである。
普通は斥候がその姿を捉えられなければ何処に魔物が居るのかなんて分からないことを考えれば、一方的に不利になるだけなのだ。
そんなこと、許されるはずがないだろう。
だが彼らがそういったことを気にせず会話をしているのは、それを知らないからではなく、また既に魔物の位置が分かっているからでもない。
その理由は、単純にして明快。
会話をしていたところで、その音が周囲に漏れ聞こえることはないからだ。
……その事実に関して、エステルが特に言うことはない。
そういった結界が存在していることは、一応知っていたからだ。
音だけではなく、移動の際の震動、さらには匂いまで遮断するというのも……まあいいだろう。
しかし。
それを移動しながら張り続けているとなると、話は別である。
何故ならば……本来結界というのは、空間に設置し、固定するものだからだ。
つまり簡単に言ってしまえば、結界を張りながら移動するなど、有り得ないのである。
まあそれを聞いてみたら、結界の基点を空間じゃなくて自分にしたら出来た、とか意味不明なことを言われたが。
別に言っている意味が分からないわけではない。
そんなことをしたという事実そのものの意味が分からないのだ。
だってそうだろう。
アランが言ったことは、つまり魔法式を弄ったということだ。
最初にそれを聞いた時、エステルは率直に言ってアランの正気を疑った。
それは魔法式を弄るのが魔導士にとって禁忌とされているから、ではない。
どちらかと言えばそれは、魔導士ではなく、冒険者としての思考である。
魔物と戦ってる最中――否、今この時ですら、この魔法が突然暴発したらどうするのかとか、そういう問題だ。
アランはそれを有り得ないと言ったが、どうしてその言葉を素直に信じられるというのか。
これは今日が初対面だからとか、そういったこととは無関係である。
多分これは、ラウルでも、他の魔導士でも分からない感覚だろう。
冒険者であり、魔導士でもあるエステルにしか、分かりづらいものだ。
まあとはいえ、実際のところそれは難しい話ではない。
要するに、アランの使っている魔法には保証がないのだ。
普段皆が使っている魔法というものは、いわば皆で散々実験した後の魔法である。
比較的安全であり、暴発の心配はほぼない。
だが魔法式を弄ってしまえば、その保証はなくなるのだ。
なるほど弄っても問題はなかったのかもしれない。
思った通りの効果が発揮できたのかもしれない。
今も暴発はしていないのかもしれない。
しかし、それは今回は、の話だ。
前回は、の話だ。
では、次回は?
そういう話である。
だってエステルは、魔導士は、魔導式がどういうものなのかは、結局のところは知らないのだ。
それを弄った魔法がずっと安全だと、誰が保証してくれるというのか。
勿論それは弄っていない魔法も同様だ。
だが冒険者として過ごしていくためには、それに頼らざるを得ない。
だから比較的安全だと思われる魔法を使うのであって……多分その思考は、冒険者をやっている魔導士には共通しているものだ。
良く言えば警戒心が強く、用心深い。
悪く言えば何事も信用しておらず、自信がない。
まあ、冒険者になる魔導士がどういう人物なのかを考えれば、当然のことかもしれないが。
と。
「――さて、それじゃあお喋りはここまでにして、やるっすか」
ラウルの言葉と共に皆が一斉に口を閉じたのは、ちょうど曲がり角に差し掛かったからだ。
アランの言葉が正しければこの向こう側には魔物がいるはずであり、今更そのことを疑う者は誰一人としていない。
皆戦闘のための意識に切り替え……それでもラウルがひっそりと向こう側を覗き込んだのは、正確な位置を自分でも掴むためと、あとはただの習慣故だろう。
そのことにエステルが僅かに安堵したのは、ラウルが完全に向こう側に染まってしまったわけではないのだと、認識できたからか。
ともあれ、ここから先は数少ない普段通りのことが通用する場面であり――
「あ、ごめん、その前にちょっといいかな?」
瞬間嫌な予感がしたのは、きっと本能からの警告だったのだろう。
しかしそれが分かったところで、どうにか出来るかは別の話である。
「む、どうかしたのか? 何か気になることでも?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……実は試したいことがあってさ。ちょっと今までの戦い方とは違うことになるだろうから、一応知らせとこうと思ってね」
「違うことって……アランの本来の役目は後方支援ですよね? また何かやるつもりです?」
「またって何か人聞きが悪いなぁ……別に大したことじゃないよ? 多分実際には言う必要もないだろうことだけど、いつもと違うことには変わらないからね。そういう意味での一応だよ」
そんなことを言うアランに、皆は本当かとでも問いたげな視線を向けていたが……まあ、今までのことを考えれば、そうなるのが当然だろう。
実際エステルも同感であったし、同じような目で見ていたのだから。
だがアランはそれに肩をすくめるだけであり、皆もそれ以上問い詰めるようなことはしない。
諦めたような溜息を吐き出すと、前方に視線を向け、さらに息を一つ。
「じゃ、今度こそ本当に行くっす」
そう言ったラウルがサラと視線を合わせ、頷き合った直後、二人の姿が角の向こう側へと消えた。
長くなってしまったので一旦切ります
続きは明日の予定




