幕間 ギルド受付嬢のいつもとは違う一日
意外に思うかもしれないが、冒険者の朝というのはそれなりに早い。
それこそ、日の出と共に動き出すような人達も珍しくはなく、一般的に言われているような怠惰な雰囲気は皆無である。
まあもっともそれは、迷宮都市独特のことなのかもしれないが、配属されたからずっとここに居るミレーヌには知りえぬことだ。
ともあれ、日の出前からギルドが動き出しているのは、そういった理由からであった。
最初の頃は朝早いということで眠く、色々といっぱいいっぱいなミレーヌではあったが、さすがに五年も勤めていれば慣れる。
入り口の扉が開き、本日最初の冒険者の姿を認めた瞬間、その顔には自然な笑みが浮かんでいた。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ」
それからすることは大抵いつもと変わらない、慣れた行動ではあるのだが、ここ最近少し手間取ることが多いのは、新しい冒険者が増えてきたからだろう。
基本的に冒険者にはいつでもなることが出来るし、実際年中そういう人は存在しているのだが、それでもやはり最もそれが多いのは春と秋口だ。
それぞれ落伍者と口減らしのために故郷から出てくる者が多い時期であり、向こうが慣れていないため、予想外に手間取ってしまうのである。
例えば、文字が書けないためにこちらが代筆するということは珍しくもないし――
「ぬ? これをあそこから引っぺがせば、その時点で依頼を受けたことになるのではないのか?」
「いえ、申し訳ありませんが、それから一度こちらに持ってきていただけませんと、依頼を受諾したということにはなりません」
「むむぅ、そうだったのか……」
こういったこともよくあることだ。
おそらくこの目の前で唸っている少女は、周囲の冒険者がそうしているのを見て、それでいいのだと勘違いしてしまったのだろう。
確かに採集依頼であったり、討伐対象の特定部位を持ち帰ることが出来るのならばそれで問題はない。
だがそれは要するに、達成したことを示す物を即座に提出出来るから可能なことなのだ。
特に討伐依頼の場合は、初見の場合、何処の部位が提出に必要なのかは依頼書を見ても分からないため、一度受付に持ってきてもらう必要がある。
それを怠った場合は、こうして二度手間となってしまう、ということだ。
「ですから、私は言ったじゃないですか。登録の時にそう説明されたんですから、先に持っていった方がいい、と」
「ぬぅ……だがあの時は混んでたのだぞ? あそこで並んでいたら、出発するのは何時になっていたか……」
「その結果がこれです」
「むむむ……確かにその通りだ。しかし、妾はこうして学習した。次はないぞ!」
「何の宣言なんですか、それは……って、ちょっと待ってくださいよ、ひ――レティさん!」
慌しい様子で二人の少女は去って行ったが、ミレーヌはそれを温かい目で見送る。
まあ、一度や二度の失敗などよくあることだし、むしろそれを早期に知ることが出来たのは、後々のことを考えるとよかったとすら言えるだろう。
冒険者というのは、些細な失敗で命を落としてしまうようなことが、よくあるのだ。
依頼前の確認は最も重要なことであり、それを怠った間抜けから死んでいく、などという言葉もあるぐらいに、それは有り触れている。
だから痛い目に遭う前にそれを知ることが出来たのは、きっと幸運だ。
あとは無理をしなければ、彼女達も順当に冒険者を続けることが出来るだろう。
もっともその頃になると、次の罠が待っているだろうが。
慣れによって生じた油断が、確認の怠りに繋がってしまうのだ。
そして――と、それが冒険者の死因の中で二番目に多い理由なのである。
一応登録の時にその辺の注意勧告はしているのだが、先ほどのように守られないことの方が多い。
何か他の方法も考えた方がいいのかもしれない……と、そんなことを考えていると、入り口の扉が開いた。
半ば反射的に笑顔が浮かび、言葉が口から出る。
これも慣れも一つだろう。
五年前は違和感すら覚えていたものが、今では考えるよりも先に行動に移すようになっている。
ギルドがこういうことをやり始めたのは、冒険者という荒くれ者をどうやった大人しくさせることが出来るか、ということを考えた結果だという話だ。
笑顔を向けられ、温かい言葉をかけられれば、悪い気のする者はいない。
稀にそれで勘違いして調子に乗る者も居るが……まあ、割合から考えれば、十分効果が出ていると言えるだろう。
ともあれ、そういった理由によりこんなことをしているわけだが……それをする方に違和感があるのならば、向けられる方に違和感があるのも当然だ。
そのため、ギルドに入るや否や驚いた表情を浮かべるのが初めてギルドを訪れる者、戸惑った顔をするのがギルドに訪れ慣れていない者、平然としているのは慣れた者、などといった分類のされ方が存在していたりする。
まあ、そんなもので見分けなくても、大抵顔を見れば分かるものだが……しかしそこでミレーヌが迷ったのは、今入ってきた人達の反応が、少し奇妙だったからだ。
三人組の、少年少女であった。
その中で二人の少女は、初見なのだと一目で分かるような驚きを浮かべており……だが少年だけは、戸惑ったような顔をしていたのだ。
まるで、こんな場所でそんな言葉を聞くとは思わなかった、とでも言いたげなものであり、この時間は冒険者の往来が少ないこともあって、その様子ははっきり見ることが出来た。
とはいえだからどうしたのかといえば、別にどうもしないのだが。
そんなこともあると言われてしまえばそれまでであるし、例えば、そういったことを言われ慣れている貴族の人であれば、そんな反応を示す人も中にはいるかもしれない。
まあ、貴族がわざわざ冒険者になることが有り得るかと言うと、それはまた別の話だが。
「……ギルドに入ったら、多分最初は驚く、とは言われていたけれど……こういうことだったのね」
「確かに驚きましたわね……何故わざわざあのようなことを? 何かの牽制……いえ、逆でしょうか?」
「まあ、多分冒険者の態度を柔和にするのが目的ってところだろうね。……ところで、本当にいいの?」
「いい加減しつこいわよ? ここに来るまでの間に、何度もいいと言ったでしょうに。親の許可も貰ったし、何の問題もないはずだけれど?」
「何で出しちゃうかなぁ……」
「そもそも危険なんて言い出したら、わたくし達は常に紙一重ですもの。いい経験になると、そう思っているのでしょう」
「いい経験で済む保証なんて欠片もないんだけど……?」
「そんなこと承知の上に決まっているわ。そもそも、私達が冒険者になることを決めたのは、私達自身の判断よ? 例え何かあったとしても、その責任は自分達にのみあるわ」
「いや、さすがにパーティーを組む以上は、そんなことも言ってられないでしょ」
「あら、ということは、傷物になってしまった場合、何らかの責任を取ってくださるのかしら?」
「……はぁ。分かりましたよ。まったく、うちの女性陣は強情なんだから」
そんな話をした後で、少年達は周囲を伺いながらも真っ直ぐにこっちへと向かってきた。
どうやらギルドに関して、多少なりとも誰かから話を聞いたことがあるらしい。
本当に何も知らない人がギルドに来た場合、まずどうしたいいのかが分からず、右往左往することがほとんどなのだ。
ギルドの受付は複数存在しているが、ちょうど今空いているのはミレーヌのところだけであった。
当然のように、少年達はミレーヌの前へとやってくることとなり、ミレーヌはそれを、笑顔で迎える。
「いらっしゃいませ。本日のご用件は、冒険者登録のため、ということでよろしいでしょうか?」
「あ、はい、そうですけど……えっと、もしかして、僕達の話聞こえてましたか?」
「……ご覧の通り、今の時刻ですと、ギルドの雰囲気は大分穏やかなものになっていますから」
遠回しに肯定の意を告げると、話しかけてきた少年が、若干気まずそうに視線を逸らした。
後ろに居る少女達も、同じように僅かに顔を背け、ミレーヌはそんな三人を微笑ましそうに眺める。
何だかんだいって、冒険者になる者はすれていることが多い。
こんな反応をされることは珍しく、かなり新鮮な気分であった。
だがまあ、仕事は仕事だ。
少年は気分を切り替えるように咳払いを一つすると、よろしくお願いしますと頭を下げてきたので、こちらも頭を下げ、まずは冒険者になるにあたっての諸注意を述べていく。
他の国のように底辺であったり市民権がなかったりするようなことはないが、決してその立場が高いということもなく、基本全ての事は自己責任。
依頼書の張り出される場所、時間、その他諸々。
冒険者にはランクというものが存在しており、基本皆一から。
ランクを上げるには貢献度が必要だが、要するに依頼の数をこなすしかなく、一つ上げるのに年単位が必要なことも珍しくない。
ランクが上がることによって依頼の制限が少しずつ取り払われていくようになり、何よりも迷宮に入るのに必須。
二つあるうちの一つは無制限だが、もう一つはランク五以上が必要。
「と、こんなところでしょうか……何か分からないことがありましたら、聞いていただけましたら適時答えますので」
「分かりました。ありがとうございます」
「それでは、最後にギルド証を発行しますので、こちらに手をかざしてください」
そう言ってミレーヌが取り出したのは、一つの魔導具だ。
ギルド証の発行及びその認証をするためのものであり、どんな魔導士であっても複製が不可能と言われている非常に希少な品である。
ギルドを利用する冒険者の数に比べ受付の数が少ないのは、これの数が限られているせいもであるのだ。
ともあれそれに手をかざしてもらい、しばらくすれば、ギルド証は出来上がる。
片手に収まる程度の長方形のものであり、その表面には描かれているのは、所持者の名前だ。
ただし古代神聖文字であるため、本当にそうなのかは分からないのだが……何故かそれを目にした瞬間、少年は目を見開いていた。
もしかしたら見たことがあるのだろうか、などと思うも、まあ、受付嬢が気にすることではない。
二人の少女達の分も同様に作り出した後で、安堵の息を吐き出した。
希少品ということもあり、どうしてもこの瞬間は毎回緊張してしまうのである。
ちなみにギルド証は主に依頼の受諾と、その達成時に報酬を受け取る時に使用するものだ。
あとは迷宮に入る時と出る時にも使うが、本当にその程度の価値しかない。
昔はもっと色々なことにも使えたらしいが、冒険者の地位が地に堕ちた時に、それも不可能になったのだという。
まあそれでも冒険者にとっては必要なものではあるし、再発行には相応の値段を要求することになるので、失くさないよう伝えることも忘れない。
「さて、それではこれを以って、あなた方は無事冒険者となりました。おめでとうございます。それで依頼の方ですが……もしよろしければ、初回はこちらからお勧めのものをお渡しすることも出来ますが、如何いたしましょう?」
これは文字通りの意味で、お勧めのものだ。
冒険者に成りたての人達で最も多い失敗は自分達の力を過信することであり、自分達だけで依頼を見つける場合、何らかの痛い目をみるか失敗することが多い。
そういったことを想定した上での、お勧めということである。
尚、先ほどの少女二人組の場合は、これを断って自分で依頼書を見つけに行き、先ほどの通りと相成った。
もっとも先ほどの少女達の場合は、朝早い時間であったために依頼書が豊富に残っており、自分達好みの依頼を探しやすかった状態にあったというのも理由の一つではあるのだろうが。
今の時間帯ともなれば、残っている依頼書は基本不人気なものばかりとなり、あまり初心者向きとは言えない。
そういったこともきちんと伝え――
「……どうする?」
「いいんじゃないかしら、お願いして。明日出直してもいいけれど、確かにどんな依頼がいいのかなんて、私達には分からないもの」
「そうですわね。それでいいと思いますわ」
「じゃあ、お願いします」
「かしこまりました」
頷くと、ミレーヌは三人の姿を順に眺めた。
そのパーティーにどんな依頼が適しているかを見極めるということは、そのパーティーの力量を見極めるということと同義である。
勿論ミレーヌは冒険者ではないため、正確なところまでは無理だが、これでも五年も冒険者を見続けてきたのだ。
大雑把でいいのであれば、分類ぐらいは可能である。
その結果分かったことは、おそらく遠距離三人のみという、非常にバランスが悪いパーティーだということだ。
とはいえそれはミレーヌが口出しすることではないし、おそらく本人達は承知の上だろう。
何故ならば、それぞれ相応の力量を持っていると思われたからだ。
ランクというのは、別に冒険者の実力に直結するものではないのだが……それでも敢えて分類するならば、最低でも彼らはランク三に相当するだろう。
まあ先に述べたように、基本一から始まることに代わりはないのだが、それでも依頼を選別する基準とすれば十分だ。
そういったことを踏まえた上で、ミレーヌは一枚の依頼書を取り出した。
この周辺に生息している魔物の中では、中の下といった魔物である。
難しすぎず、簡単すぎず。
初めての依頼だということを考えれば、この辺が妥当だろう。
「それでは、こちらで如何でしょうか? 場所はこの街を出て南東に少し進んだところ。似たような外見の魔物はいませんから、分かりやすいと思いますが」
「まあお願いしたのはこっちですし、じゃあそれでお願いします」
「はい、それではギルド証の提示をお願いします。尚、今回の依頼はご覧のように討伐数に応じた報酬となっていますが、先ほども言いましたように討伐を証明するための部位が必要です。素材も含めもしも解体出来ないようでしたら、こちらで行うことも可能ですので、その際にはご検討ください。ただしその際その部位が欠損している場合は討伐数には含まれませんので、ご注意ください」
そして預かったギルド証を返せば、後は依頼に向かうのを見送るだけだ。
礼を告げ頭を下げる姿に笑みを返し、見送りの言葉と共にこちらも頭を下げる。
無用な心配だとは思うが、礼儀正しい人達であったし、無事に戻ってきて欲しいものだ。
「……あ」
と、そこで一つだけ伝え忘れていたことがあったのを思い出したが、別に問題ないかとすぐに思い直す。
冒険者のランクに関してだが、実は魔導士だけは例外であり、最初から最低でも三から始まるのだ。
実力次第ではさらに上からになることもあり……だがまあ、必要ない情報だろう。
何せ迷宮都市全体を見渡しても、魔導士の冒険者の数など片手で数えられる程度しかいないのだ。
そこに一人加わったのがつい昨日のことであるし、幾らこの時期とはいえ、まさか連日魔導士が冒険者になりに来るなど、有り得ない話である。
……ふと何かが一瞬頭に引っかかったような気がするが、まあ気のせいだろう。
ただ、失敗してしまったことは事実なので、そこは反省し気を引き締め直した。
まったくこんな有様では、冒険者のことを言えたものではない。
慣れてきたからこそ一層の注意が必要なのだと、自らに言い聞かせる。
そして。
――数時間後、ミレーヌはこの時の自分の言動を激しく後悔することになるのだが……今の彼女には知る由もないことであった。




