XCIV 被害者チャールズ・ブランドン
トマスの投げ入れたボールは、軒に当たった後程よい位置に落ちて、私はボールの後ろから相手コートを見渡せた。
ブランドンの後ろの壁、右の壁と連続して当たるようにボールを打ち込む。大柄なブランドンは王子よりも位置どりに手間取って鈍重な印象だけど、ボールを打てる位置に回り込んだ。
「食らえっ!」
品のない掛け声とともに、ゴルフみたいにボールを叩き上げるブランドン。はねたボールは私の後ろの壁に大きな音を当てて当たると、私のコートの前方まで落ちてきた。
前に踏み込むと、あまり力を入れずに素麺流しみたいにボールを前に運ぶ。ブランドンの反応はいいけど、下半身男の下半身は王子よりも俊敏さにかけるみたいで、2バウンドに間に合わなかった。
「リディントンのポイント。チェース、2ヤード。」
トマスが淡々とアナウンスする。
「くっ、そんな小手先の技に私は屈しない。」
「食らえ」と言った手前引っ込みがつかない様子のブランドン。ちなみにリアルテニスって小手先かなり重要だと思うけど。
ヒューさんが投げ込んだボールを相手コート奥2ヤード以内に打ち込む。
「リディントンのポイント、15対0。」
「異議あり!」
いきなり法廷みたいな発言をして、ブランドンがトマスに食ってかかった。
「今のサーブは優しかった。これは贔屓じゃないのか。」
ヒューさんは確かにトマスよりもやんわりとボールを投げる。軒にあたるから元々のボールの勢いはあんまり関係ないと思うけど。
「ヒューさんがあなたのために投げているのは、元はと言えばあなたの人望がないせいでしょう?サーブに不満で棄権するなら今のうちだけど?」
悔しそうな表情をするブランドン。
「見ていろ、私の実力を見せて、お前を平伏させて見せる。」
目を情熱で燃やしているブランドン。これに負ける気はしない。
「ヒューさん、強めにお願い。ブランドンはハンディがあってちょうどいいと思います。」
「何をっ!」
ブランドンの抗議は無視してプレイに集中する。
ヒューさんのボールはギャラリーの軒と後ろの軒の継ぎ目あたりに当たって、少し不思議な方向に弾んだ。私としては打ちづらい角度。
相手のコートの様子が見えないから、とりあえず深く返す。
「ふはは。みるがいいリディントン!」
奥に当たったボールは、ブランドンがあんまり動かなくていい位置に落下した。ブランドンは準備万端で例のゴルフ打ちの構えをする。目線から察して、私のコートの赤いボックスを狙っているはず。
予想通りボックス方向に強いボールがきた。意外にもコントロールはいいみたい。しょうがないからノーバウンドでラケットに当てる。
「なにっ!」
驚いた顔のブランドン。何が「なにっ!」なんだか。ブランドンの作戦通り私は甘い球を返さざるを得なかったけど。
高く上がったボールはブランドンがスマッシュできそうな位置に落ちてきたけど、ブランドンは安全にボレーで返してきた。前世のテニスよりもボールが重いから、振り下ろしてネットを越すのは意外と難しい。
チャンスボールが平凡な球で返ってきたので、私は前に踏み込んで相手コートの角を狙って打つ。
ボールは角からは少しずれたけど、低い位置で右の壁に当たってバウンドした。ブランドンはなんとかゴルフ打ちを間に合わせたけど、ボールはそのままネットにかかった。
「リディントン、30対0」
ギャラリーから拍手が起こる。王子も拍手してくれているみたいなので一礼する。
「なぜボックスに打とうとしているとわかったのだ。」
地団駄を踏んでいるブランドン。
「目線がはっきりとボックスを向いていたでしょう。そもそも左右の鋭い角度が使えないあなたの戦略なんて限られているしね。」
ブランドンは腰を落としていた王子と違って下から上へとボールを打つから、打てる方向はなし崩し的に単調になる。
「くっ・・・こんな邪道な輩にリードを許すわけには。」
「邪道はあなたでしょう、ブランドン。本来は膝を曲げて、腰を落としてボールを打つものなのに、あなたのゴルフ打ちではせっかくの腕の長さを無駄になってる。」
「ゴルフ・・・北の国のスポーツだったか?」
現世にあったんだ、ゴルフ。知らなかった。
「・・・そうよ、多分。それより、リアルテニスで力任せに上に打ち上げたっていいことないでしょう。せっかくコントロールがいいのに、その打ち方では左右への打ち分けもできないはずよ。」
「うるさい、私はこの打ち方で王子と対等に渡り合ってきたのだ。王子が間違っているとでもいうのか。」
王子を巻き込むブランドン。先生に言いつける悪ガキみたいな感じだけど。
「親切な忠告を聞かなかいなんて・・・いいでしょう。ヒューさん、ボールを入れて。」
ヒューさんに投げ入れて軒に当たったボールを、今度は弱々しくブランドンのコートの前方に落とす。
前に走るブランドン。なんとかラケットは届いたみたいだけど、当然返球はネットにかかった。
「リディントンのポイント、40対0」
「くっ、卑怯者!」
少し息が上がっているブランドン。興奮のせいかもしれないけど。
「今のは腰を落として構えていれば間に合ったはず。ぼうっと直立しているから初めの一歩が遅れるの。ほらっ、腰を落として構えて。ヒューさんお願い。」
屈辱に満ちた顔をしながら腰を落として構えるブランドン。
さっきと同じようなボールを打つと、今度は間に合った。でもぎこちない動作で救い上げたボールは弱々しくて、私はあっさりブランドンの体の後ろにボールを送り込むことができた。壁際で2バウンド。
「チェース、最終ギャラリー」
「くっ、私を弄ぶとは、今に見ていろ。」
リアクションにあまりバリエーションがないブランドン。
「あのね、前屈みで打ったら弱いボールになるに決まっているでしょ。膝を曲げて、腰を落としなさいって言っているのに。次は最終ギャラリー狙わないであげるから、練習しましょう。」
この人の我流をなんとか治してあげないと、フォームが綺麗な王子にも悪影響があるかもしれない。
「私を馬鹿にしていると痛い目に合うぞ。」
「はいはい、それじゃあヒューさんお願い。」
「私を無視してもやはり痛い目に合うぞ。」
ブランドンをスルーして、今度は壁を擦るようなボールを打つ。ブランドンには打ちやすいボールになった。
「とりゃあ!」
思い切り打ち上げるブランドン。
「だから姿勢が悪いって言っているでしょ!」
後ろの壁に当たったパワーショットは、私に打ちやすい高さまでバウンドした。
「足元でバウンドさせるからね。」
ブランドンの足元を狙って打つ。
ちょっとずれて、ブランドンの太腿に当たった。
「なっ、なにをするっ。」
「足元のバウンドで、腰を落として打つことを覚えさせたかったんだけど・・・大体あなたが鈍重なのが悪いんでしょう!さっさと避けて打つくらいできないの?ほら、コート変えますよ。」
「えっと、ゲーム、レミントン。」
呆気にとられていたトマスがアナウンスする。ここではリディントンなのに時々忘れていてヒヤヒヤする。そのまま私とブランドンはコートを交代した。
「ははっ、見るがいい、私の華麗なレシーブを。」
得意顔のブランドン。ヒューさんが投げたボールから、軒に当たった後の落下位置は特定できるから、打つ準備時間に難があるブランドンでもゴルフ打ちを構えられる。
「食らえっ。」
デジャビュ。
後ろを見るまでもなく、思い切り壁に当たって打ちごろの位置に弾んだボールを、ブランドンの足元を目掛けて打ち込む。
「痛っ!」
今度は腕に当たった。ネットが高いから足元を狙うのは意外と難しい。
「ごめんなさい、わざとじゃないのだけど。」
「くっ、やり返してやるっ!衛兵、さっさとボールを入れないか!」
本当にブランドンは身分を弁えてほしい。
「ブランドン、ヒューさんは身寄りのないあなたへの慈悲の心でボールを入れてあげているのに、なんなのその態度は。」
「うるさい。これでも食らえっ!」
さっきと同じようなボールがきた。そんなに頑張っても打っても威力の大半は壁が吸収しちゃうのにね。
またブランドンの方角に打ち込む。
「ぎゃあっ!」
今度は脹脛に当たった。ブランドンは大柄だし動きが鈍いから的になりそう。
「ヒューさんに失礼なことを言うからこうなるのよ。あと相変わらず膝が真っ直ぐで全然腰が落ちてないわ!」
「なにを出たら目をいうんだ。ええい、衛兵、もう一球!・・・それっ!・・・痛っ!」
今度は腹部に当たった。もぐらたたきみたいになってきて、ちょっとだけ楽しい。
「今のはハーシュマンさんの仇!それにちゃんと腰を落としていたら体の前でラケットを当てられたはず!」
「く・・・なぜ壁を使わないのだ!」
多分、王子とブランドンは壁に思い切りバンバン当ててラリーを楽しんでいるんだと思う。私みたいに壁際で低くバウンドさせようとするのは邪道に見えるのかもしれない。
ブランドンの反応が遅いのは、多分ボールが壁に当たるのを待つのが習慣になっているせいだと思う。
「あなたの打ち方だと奥の壁を使うかボックスを狙うかしかないでしょう?ちゃんと腰を落とせば色々な点の取り方ができるのに。ほら、ヒューさんがボールを入れたから、早く動いて。」
「くっ、今度はお前に当ててやるっ!」
ブランドンの打ち方では背の低い私にボールが当たることはまずない。さっきと同じ塩梅で打ち返す。
「痛っ!脛に当たったっ!」
しゃがみ込むブランドン。
「今のは正当防衛!当ててやるって宣言するほうが悪いのよ?それと、何回も言ってるけど、前屈みにならないで、ちゃんと腰を落として姿勢を良くしなさい!さあ次行きましょう!」
「このっ・・・食らえっ!・・・ぐわっ!」
「だから前屈み禁止って言ってるでしょ!」
しばらく一方的なドッジボールが続いた。




