LXXXI 要注意人物アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
モーリス君とヒューさんと一緒に食堂で『聖ジャックの貝のクリームスープ』を食べていたら、相変わらず黒服の男爵が入ってきた。
「ルイス、なんでここにいるんだい。王子はもう着く頃だろう。ちなみにその格好はよく似合っているよ。」
いつもの微笑だけど、少し慌てているみたいな言い方。
「ありがとう男爵、モーリス君の服なの。トマスとの挨拶に思ったより時間がかかってしまって、ヒューさんはお昼を抜くようにっておっしゃったけど、王子様に謁見する際にお腹がなってしまっても失礼でしょう?今朝は早く起きたからお腹が空いてしまって。」
着替えに時間がかかったとは言わないようにしておく。
「お腹も心配かもしれないが、ひょっとしたら遅刻する方がより失礼かもしれないよ。初対面の印象はなるべくよくしておかないといけないね。」
笑顔のままやんわりと叱る口調の男爵だけど、やっぱりレディとしては見た目もお腹も優先したくなるものでしょう?
「ええ。だから食べるのはスープだけです。でも室内の謁見だったら余裕があったのに、なんで外まで出迎えることになったのかしら。」
ヒューさんの急ぎたがっている様子からして、時間的に私はスープを食べきれないみたい。
「王子の部屋で会見するとなると宮廷の作法があるけど、屋外では簡略化されるからね。私が掛け合ってわざわざ外にしてもらったんだよ。しかしセントジョン、君がついていながら、なんで遅延しているのかな。」
表情は変わらないけど、文言からちょっとだけ慌てているのが分かる男爵。多分外で会見するという自分のアイデアが逆効果だったのが残念なんだと思うけど、そういう説明は先にしておいてほしい。
着替えに時間がかかったし、結局遅れたかもしれないけど。
「王子の都合よりも聖女様の準備が優先されるのは、当然ですから。」
平然としたモーリス君は私を甘やかしにかかっている。考えてみれば、彼はあんまりヘンリー王子について敬意がないように感じる。はとこだからかしら。
「そうですよ男爵、私は王子様に気に入られる前に、女だとバレないように気を遣わないといけないんです。モーリス君のいう通り、細心の注意を払って着飾らないといけないんですよ?」
男爵は頭を掻く動作をした。
「つまりニーヴェットのせいではなく、着替えにもたついていて遅れてしまった、ということかな、モードリン。」
「その通りです。」
裏切ったわね、ヒューさん。強く頷いている感じからして、ヒューさんは奥さんの着替えをじっと待てないタイプみたい。
反論タイム。
「自分が服装に納得していないと挙動不審になっちゃうでしょう?第一印象で怪しまれないという意味で、その方が遅刻よりも深刻だと思うのよ。」
男爵は苦笑いが止まらないみたい。
「わかったから、どうかスープを食べ終えてくれ、ルイス。」
会話しながら食べていたけど、気がついたらスープはだいぶ減っていた。
「男爵がここにいるってことは、国王陛下のところの準備はひと段落したのよね?だったらついてきてもらえないかしら?遅れた言い訳をしてもらえると助かるんだけど。」
男爵は首を振って、モーリス君の肩を叩いた。
「セントジョン、どうやったらルイスが聖女に見えるのか不思議でならないよ。」
レディに失礼ね。
「聖女様が言っていることは理にかなっていますよ。後見人で推薦人である男爵が聖女様を紹介するのが自然です。」
スープを飲み干していたモーリス君は、ヒヤヒヤしている男爵やヒューさんと違って落ち着いて見える。
確かにそうよね。
「そうだね、セントジョンがルイスを礼讃するのも心配になってきたね。しょうがない、私も昼食を諦めて同行しよう。」
言われてみれば、モーリス君に盛った紹介をされるよりは、男爵の公平な紹介の方が安心できそう。
「ありがとう、男爵。ごちそうさま。モーリス君、歯磨きにいきましょう。」
「ルイス、頼むから外に行ってくれ。お願いだよ。」
男爵が微笑のまま懇願してくる。確かに部屋に戻っている時間はないみたい。
「帆立とバターの匂いに気づかれちゃうと困るわ。レモンをもらってくるわね。」
「帆立?」
「・・・古代では聖ジャックの貝をそう呼んでいたそうよ。」
私が立ち上がって厨房に向かうと、合わせてみんなも廊下にぞろぞろ集まった。
「では行こうか、ルイス、セントジョン。モードリンは数歩後を着いてきてほしい。」
もらったレモンの欠片で口を酸っぱくしている私を男爵が先導して外に出る。相変わらずいい天気。
宮殿付きの教会を迂回するようにして、私たちが一昨日の晩に降り立った広場みたいなスペースに歩いていく。
後ろにいたヒューさんが歩きながら耳打ちしてきた。
「ルイーズ様、言い遅れましたが、ウィロビー閣下にはくれぐれもお気をつけください。」
「なんでかしら?」
アンソニーはある意味危険人物だけど、秘密の相談が必要になるような脅威ではないと思う。
「従者仲間とジェラルド・フィッツジェラルドと肉体関係にあるとの噂が今朝から広がっております。」
そうだったのね。偏見に満ちたこの国で、アンソニーも大変ね。
ジェラルド・フィッツジェラルドって、私を捕まえに来た二人組のもう一人だったはず。そういえば「逃げろ!」「アンソニー!」って宝塚のミュージカルみたいな掛け合いがあったけど、二人の間に友情以上のものがあったなら、そういう趣味がない私にとっても少しだけジューシーな気がする。昨日襲われると思った私が「実は男なの!」って言っても「どっちだっていい」って言っていたし、振り返ればそういう側面を見せていたのかもしれない。
それにしてもアンソニー、私を逮捕しようとしたり、急に部屋に押し入って脱ぎ出したり、今のところ迷惑しかかけられていないけど、なんとなく嫌いになれないのよね。なんだかんだ言いつつマッサージを喜んでくれるのは嬉しいし、追い詰められると割と素直だし。
アンソニーが行儀良くしてくれるなら、できれば悪意のある人たちから守ってあげたいと思う。逆にアンソニーが堂々とカミングアウトできるようになれば、それはそれでヘンリー王子も気が楽かもしれない。
「ありがとう、ヒューさん。でもアンソニーはウィッグをしている私としていない私が同一人物だとわかっているから、男として襲われることはないと思うわ。」
「いえ、ルイーズ様の手にかかればウィロビー閣下は敵ではありませんが、閣下を部屋に受け入れていると、不必要な噂が立ちます。」
アンソニーが敵ではないって、私なんか魔王みたいになっているけど。
アンソニーが二股って誰も信じない気がする。
「気をつけるようにするわ。」
「二人とも、おしゃべりは終わりにしよう、ルイス、あそこに見えるのがヘンリー王子だよ。どうやら着いたばかりのようだね。」
男爵が遠くで馬から降りている一団を指さした。どれが王子かわからないけど、まだ荷物を下ろしたりしているところだし、問題なく間に合ったみたい。




