LXI 指導者スザンナ・チューリング
男爵はハーバート男爵と交渉して、私たちをヘンリー王子の部屋に入れてくれることになった。従者の仕事の実践練習をするみたい。
女子禁制だと思っていたけど、王子がいないのをいいことになぜかスザンナまでやってきた。
「すごく豪華な部屋!あたいここに住んでみたいな!」
「スザンナ、王子に気に入られれば三日に一晩くらいここで過ごせるよ?」
「男爵!」
私は住んでみたいとは思わないけど、王子の部屋はとにかく豪奢だった。壁には赤と金の壁掛けが掛かっていて、派手な王子の趣味を体現しているみたい。天井は目が回るような寄木細工になっている。豪華な真鍮の燭台がいろいろなところに置いてあって、あと花瓶用だと思うけど壺が色々なところに設置されていて、気をつけてないと物を壊してしまいそう。トナカイの頭の剥製みたいなのが私たちを見下ろしている。
あんまり女の子が夢見る王子の部屋ではないわね。
赤と黒の模様が入った天蓋付きベッドは、巨人向けに作られたみたいに巨大だった。王子は12歳から女を近づけなくなったっていうけど、このベッドサイズは何を物語っているのか気になる。国王陛下の期待かしら。それとも美少年を侍らせているのかしら。
「では、シーツを敷き直すところからやってみよう。」
そこからは男爵がスザンナが暴走をしないように監督して、スザンナは私が失敗しないように監修して、私は男爵がスザンナをけしかけないように監視して、色々と家事をすることになった。
「ルイス様、シーツの折り目が真ん中になるように張っていってね。」
自分でベッドにシーツを張るのなんてなんて前世ぶりだし、シングルベッド以上のものはいじったこともなかったけど、スザンナは器用な上に案外教えるのも上手で、私は程なくしてあまりシワのないベッドメイキングができるようになった。
「流石は聖女様、あっぱれな手際の良さです。」
でしょう?私も頑張ったし、モーリス君のお世辞が心地いい。
男爵は王子の机を勝手に使って仕事をしていたけど、私の進歩には驚いたようだった。
「いいんじゃないかな。ベッドメイキングは寝室係のノリスが担当するが、いつも誰かが手伝っているから覚えておくといいだろう。次は着付けを練習してみようか。誰の担当にもなっていないから、一番人手が足りていない分野だよ。」
男爵は意地悪そうにモーリス君の方を向いて笑った。モーリス君は憤慨している。
「僕はもう十分貢献しました!これ以上辱めないでください!」
「セントジョン、君はもう生の肩を晒しているし、皆に蕩けた表情を見せてしまっている。恥ずかしがる段階はすぎていると思うけどね。」
男爵はあえてひどい言葉を選ぶ。アンソニーに比べればモーリス君は終始紳士を維持していたと思うけど?
「僕でいいなら魂を捧げたという男爵でも同様にいいはずでしょう。さあ、聖女様の前で裸になったらどうです!?」
「ムキになってはいけないよ、セントジョン。ヘンリー王子はシャツくらいは自分で着る。従者の仕事は、靴紐を結んだり、マントやダブレットを着せたり、ホースを取り付けたり、とりあえず手間のかかることを担当するんだ。」
靴紐を結ぶのは私もできるし、マントやジャケットを着せるのも簡単だと思う。問題はタイツを履かせて上着と繋げることだけど、それは他の従者にやってもらうしかなさそう。
男装をしていてもレディのプライドは捨てないでいたいよね。
「女性の身支度よりも簡単そうだし、口頭の説明だけでいいと思うわ。これ以上モーリス君をいじめないで。」
「聖女様!僕は幸せです!」
実際に、スカートの中に支えを設置したり、コルセットを縛ったりと、レディの身支度は手間がかかるから男の服装の方が楽だと思う。モーリス君はさっき散々いじめちゃったし。
「給仕も練習しておくかい?フィッツウィリアムの担当だけど、当然一人では間に合わない場合も多い。」
「トレイを運ぶだけでしょう。簡単だわ。王子の好き嫌いはキッチンの時点で把握しているのよね。」
レミントン家でも給仕担当のパーラーメイドがいたけど、最も専門技能のない人たちだったと思う。レストランと違ってオーダーをとるわけでもないから、ただ運搬するだけ。
「それはそうだが、ワインをカップに注げるかい?」
「バカにしないで。」
言われてみれば現世では自分で注いだことはないけど、失敗する気はしない。
「残るは水回りか。コンプトンが担当するが・・・」
「お風呂はお断りすると言ってありますからね。」
釘を刺しておかないと男爵はいつでも風呂の世話を蒸し返してきそう。
「もったいないな。」
男爵は残念そうにしているけど、「もったいない」の意味はあえて聞かない。
「剃刀は使えるかい?」
「使ったことがありません。手元が狂ったら怖いから、担当から外して。」
安全剃刀なんてない世界だから、王子の顔を傷つけるリスクは回避したい。
「分かったよ。あとは難しい仕事はないかな。部屋の掃除は王子がいない間に専門の掃除夫が入るから、監督するだけでいいんだ。衣類の洗濯や靴磨きも、所定の場所に持っていくだけで構わないよ。蝋燭の点火や消火は手伝ってもらうかもしれない。」
結局、そこそこ簡単な仕事みたい。
「手紙とか文書の管理はどうするの?」
「普段のメッセンジャーはフランシスが務めてくれているよ。王子の領地との連絡や財政の出納は、ここにいるセントジョンの担当になる。」
ちょっと私も興味のある仕事はフランシス君とモーリス君の二人が担当しているみたい。いい経験になりそうだし、少しは分けてもらえないかしら。
「前任者が酷かったので、王子の財政は火の車ですけどね。」
モーリス君はため息をついた。
「あとは外出に同行する従者四人だが、ブランドンが馬や馬車の管理と狩猟、ギルドフォードが銃・火薬の管理や催し物全般、ゲイジが弓・石弓の管理と物資の調達や貯蔵、ニーヴェットが剣・槍の管理と船や水上交通を担当する。」
なんだか外の従者四人は華やかな役回りを担当しているみたい。トマスはずっと海軍志望だったけど、槍試合に夢中だったし船とか水上交通は素人だと思う。大丈夫かな。
「王子の領地経営とか武器がらみは大変そうだけど、普段の従者の仕事は付け焼き刃の私でも務まりそうね。」
「安心するのは早いよ、ルイス、王子がわがままを言うだけで新しい仕事が生まれるわけだから、柔軟かつ俊敏でいることが必要になってくるんだ。」
そういえば王子は派手好きで気難しいんだっけ。
「それで、王子がボードゲームで勝負を望んできたらわざと負けた方がいいの?」
「王子は賢いからバレてしまうし、流石のルイスでも王子を倒すのは難しいはずだから、心配せず全力で相手をしてくれていいよ。」
なるほどね、変な気を遣うよりもその方が気が楽かもしれない。
「じゃあ、研修もひと段落したことだし、蜂蜜酒でも飲みましょうか。」
「いいですね、よろしければご一緒させてください、聖女様。」
お茶もコーヒーもやたらと高価で薬扱いされるこの世界で、日中にアルコールを飲むのは珍しくない。前世の基準で言えば私は4年ほど未成年だけど、井戸水のクオリティには難があるし、集まって飲む飲み物はジュースか弱いお酒が基本。
「スザンナ、セラーから蜂蜜酒をもらってきて。」
「ルイス、給仕の練習をしなくていいのかな。」
「明日から、明日から実地練習するから。」
宿題を先延ばしにする小学生みたいなセリフを言ってしまったけど、今日は頑張ったしこれくらいのご褒美はあっていいと思う。




