CCCXXXVII 宿屋の娘スザンナ・チューリング
ヘンリー王子と枢機卿の秘密のコミュニケーションが、姫様に無断でインターセプトされていたことにショックを受けた私。うろたえた私を見たドナ・エルヴィラ達は、アーサー王太子の治療をした後で気疲れしているのだろうと受け取ったらしくて、無理矢理にお土産のロゼワインを持たされると、帰ってゆっくり休むようにと言われた。
でも、あの驚きの発見を前にして、私のリアクションは自然だったと思う。もちろん女嫌いのヘンリー王子と私に接点があるなんて思っていないし、手紙に登場した美少年レヴィスが私のことだなんて想像もしていないだろうけど、姫様が勝手に王子の手紙を恥ずかしい手紙を読んでいることは、みんな気にしていないのかしら。
そんなことを考えながら南棟を通って東棟三階に歩いていく。やっぱり私のマリー・アントワネット風髪型は目立ったみたいで、すれ違う人が驚いて振り返る。本当は髪粉だけでも落としてほしかったけど、せっかくだから男爵を驚かせてみなさいとマリアさんに言われて、私もちょっと男爵のリアクションが見たくなった。たぶんからかわれるけど。
「ゴードンさん!」
東棟に入るところを警備していたのは、おなじみの黒ひげゴードンさんだったから、私は少しホッとした。紳士なゴードンさんなら悪意のあるリアクションも来ないだろうし。
「・・・ルイーズ様、ですか?どうされたのです?そのような・・・独特なご格好で、付き人もなく・・・」
ゴードンさんの驚き方は、ちょっと心配するような感じで、私のボリューミーな銀髪ルックにはあまり高評価をくれなかったみたいだった。
「さっきまでキャサリン王太子妃殿下のところにいたの。この格好はドナ・エルヴィラのコーディネートで、王太子の侍従が私に気づかないための変装です。帰り道はマリアさんが付き添ってくれるはずだったけど、女人禁制の東棟に入っていくのも不自然だろうから、遠慮して一人で来ようと思って。」
姫様達はとてもウェルカムだけど、私の素性をあまり気にしないし、私が嫌がることはあまりしてこない、鷹揚な感じがいいと思う。昨日のタコ料理は強引に食べさせられちゃったけど。
「ルイーズ様、今朝の一件があったばかりですから、途中まででもどうか護送を頼んでください。そのご格好は・・・その・・・目立ちますし・・・」
私を先導しながら、ゴードンさんは慎重に言葉を選んだ。そういえば私が王太子の侍従に斬られそうになって謎のラドクリフ様に助けてもらったとき、近くにいたのはゴードンさんだった。
「そうね、ちょっと軽率だったかもしれないです、今日は変装していたから油断していて。ごめんなさいゴードンさん。」
南棟はいろいろな人が出入りするから、もし私の正体が発覚していたらまずかったと思う。
やっぱり日々、襲撃を警戒しながら暮らすなんて私の性格に合わない。王子がどう駄々をこねたって私は辞任しないといけなかった。
ゴードンさんが鍵を使って私の部屋のドアを開けると、肘掛け椅子で居眠りしているスザンナが見えた。今朝は早起きして私の第一次レディ・ルックを手伝ってくれたから、あまり責められないわね。今日の格好はいつもより慎ましい、胸の隠れた赤茶色のワンピースだし。
「スザンナ、疲れているところ邪魔して申し訳ないけど、起きてくれる?お化粧を落とさないといけなくて・・・」
「・・・むう・・・んえ?・・・わわっ!!妖怪ばばああ!!」
目を開けたスザンナは肘掛け椅子から飛び上がった。
妖怪ばばあ?!?
「ちょっと!!妖怪ばばあって何!?特にばばあって何!?ばばあはないでしょ!?」
「はえっ、ルイス様なのっ!?ダメ、あたいに手え出さないで!!あたいのハジメテは王子様で決まってんのっ!!」
相応の制裁を与えようと近づいた私に、寝起きのスザンナは寝ぼけたことをいい始めた。
「右手を出してはいるけどスザンナに手を出すはずないでしょう?乙女チックな表現で王子を襲う宣言されても困るし、そもそも私を老婆扱いするなんて許しません。」
「ルイス様、ばばあが嫌なら胸の詰め物直してから言って。」
スザンナに指摘された胸元をみると、胸に入れた布が朝の位置よりもちょっと下にずれていた。
「そっか、コルセットをきつく縛るのが嫌で緩くしちゃったから、布が思った位置にとどまってくれなかったのね。」
「普通気づくんじゃない?あっ、ルイス様本物がないから本来の位置がわからな・・・ダメダメッ!!!あたいのカラダ襲っちゃダメッ!!」
スザンナは私の部屋で昨日ブランドンを脱がせておいて、今ごろ乙女っぽく振る舞われても困るけど。
「あのねスザンナ。この部屋には私とスザンナとゴードンさんしかいないのよ?あなたの冗談は私を苛立たせて紳士なゴードンさんを困らせるだけで、完全に自己満足だわ。誰も楽しくないのよ?それに本物がないってどういうことよ!?あるに決まっているでしょう!?」
「それはいいけどさルイス様、お化粧はあたいのが残ったままだけど、その髪粉は流すの大変だよ?」
スザンナは全く反省の色を見せなかったけど、辞任が決まっている私としてはスザンナの人間性よりも私の髪の方が心配なのは確かだった。
「そうよね、あんまり髪にも良くないだろうし、早く落としたいんだけど・・・」
「あっ、そうだ、ルイス様!!北棟に使える浴室があるよ!!・・・いつもの入浴だと、髪粉を落とすのにお湯が足りないかも・・・うん、きっと足りないよ!・・・うん、やっぱり北棟いかなきゃ!」
なんだか自分を納得させるようにスザンナはつぶやくと、リネンやストッキングをバスケットに集め始めた。
「お湯の事情は分かったけど、浴室って、湯船に男性が入ってきたりしないの?順番があったとしても、あんまり公共浴場は気がすすまないわ。」
現世の水回りは衛生面に不安のある場合が多いのよね。この宮殿はだいぶ整っているけど。
「タイル張りの部屋だけあって、隣の部屋で炊いたお湯を桶で持ってくるんだよ。一度に一人しか使わないし、鍵をかけられるよ。」
「うーん・・・」
この宮殿に来てから、こういう誘いを受けて何事もなかったことがない気がするんだけど。
「ほら、急がないと!早くしないと髪傷んじゃうよ!髪傷んだら治らないかもよ!早く!早く!」
「・・・そうね、髪が傷んだらマージも怒るし、浴室は本当にプライバシーがあるのよね?」
私は諦めて入浴用のワンピースを手にとった。本当は男爵を驚かせてから元に戻りたかったけど、妖怪はともかくばばあって言われたらきっとしばらく落ち込む。
「そう来なくちゃ、ルイス様!ロアノークさん、ルイス様が例の浴室を使うよって、男爵様に伝えちゃってください。」
「分かった。」
「えっ、スザンナ、話そうと思えばしっかり話せるの!?」
スザンナは男爵と私と話しているところしか見なかったから、部屋を出ていくゴードンさんにお願いする姿を見て私は驚いた。
「まーね、あたい実家が客商売だったからさ。」
そういえばスザンナはコービーの宿場の娘だった気がする。
「なぜそのサービス精神が主人の私に発揮されないの?」
「そんなことよりほら、行くよルイス様。そのお化粧も放っておくと肌が荒れちゃうから!」
「荒れちゃうの!?それはまずいわ。ゴードンさんが戻ってくるのを待ってから行くわ。」
入浴は心配ではあるけど、前回みたいに私の部屋に桶を持ってくるスタイルだと、たしかに髪粉を落とすにはお湯が足りない気もした。いつもよりだいぶお化粧が濃いし。
「ルイス様、妖怪ばばあになってるから誰か分かんないし、早くしないといけないよ。ロアノークさんは向こうで待ってるし。」
「だからその呼び名はやめなさい!!色々いいたいけど、念には念をよ。命は大事なんだから。」
ゴードンさんにさっき反省するっていったばかりで、いきなり言いつけを破るのは気が進まなかった。
「でもルイス様、お肌荒れちゃうよ?髪傷んじゃうよ?このままじゃ本当に妖怪ばばあになっちゃうよ?」
「うう・・・そうね・・・それは避けたいわ。」
命も大事だけど、原材料の怪しい現世の化粧品のせいでボロボロになりたくはなかった。これが嫌だから今までオリジナルの化粧品を使っていたのに、今日一日で今までの努力を無駄にするなんて無理。
「この髪粉は早く落とさないとダメなやつだから、急ごうよルイス様。」
「・・・分かったわ、行きましょう。」
私は観念した。なんとなくスザンナは危険な状況でもしぶとく生き残りそうな気がしたし。
「あと、ルイス様ジロジロ見られてかえってバレるかもしれないから、髪は隠して。」
「え、せっかく変装しているのに?でもスカーフを被っても銀髪なのはわかるわね。」
私はお気に入りのスカーフを髪に巻く。ボンネットのせいで少しいつもより頭が大きく見えるけど、そこまで変でもないと思う。
「それで大丈夫!さあ行こ、ルイス様!」
スザンナは妙なクッションみたいな肩掛けを身につけると、その上からガウンを羽織った。肩が出っ張ったせいか胸が目立たなくなって、あの怖かったくまさんのお母さんみたいに、恰幅のいい婦人、って感じの見た目になる。
「・・・ちょっとスザンナ、そうやって目立たないような格好もできるのに、あえていつも強調していたの?」
「ルイス様だっていつも綿いれてないじゃないのさ。面倒でしょ?それより早く行かないと、ルイス様!」
いつもより勢いがいいスザンナに連れられて、私は部屋を出た。




