CXCII 公女マルグレーテ
気難しい顔をして、派手な革張りの椅子に腰掛けている王子様。その前でドーセット侯爵は、いつも通り少しわざとらしい笑顔をして、目の前に掲げられた肖像画を解説していた。王子様のお側には俺とノリス、侯爵にはセントジョンとその従兄弟が無表情で後ろに控えている。
「こちらが低地諸国のマルグレーテ様のご肖像画です。亡きマリー女公譲りの美貌に加えて、聡明で体も丈夫とのこと。最初は南の国のフアン王子に嫁がれましたが、病弱な王子が亡くなるまで献身的に介護をした心優しい女性です。南の国の宮廷の評判もすばらしいものです。兄君にあたるフィリップ大公が夏にこの国を訪問するのに合わせて、お互いをよく知るための予備交渉を始めることを提案させていただきたいと思っております。」
「ドーセットの立場を考えると悪いとは思うが、婚姻の提案は断ってほしいと前にもいったはずだ。」
いつもは多弁な王子様は、こういう話題になると返事が短くなる。横に控えたノリスは眠そうにしていて、とくに王子様の機嫌をとる様子はない。
王子様がぶっきらぼうな応対をすることは滅多にないけど、この部屋で応対をするときは長椅子の上の鹿の剥製がまるで王子様の守護霊みたいに見えて、機嫌が良くないときは特に迫力が増す。でも侯爵は慣れっこなようだった。
「殿下、メアリー王女殿下のご婚姻についての交渉で、私が東の国に向かう日が近づいております。未婚の王族が殿下だけとなると、この機に先方から様々な提案がなされること、想像に難くありません。少なくとも交渉中の案件があれば、双方の角が立たないまま断ることもできましょう。また東の国と我が国は多少緊張関係にありますが、マルグレーテ様との一件が進めば変な噂もたてられずに済むでしょうし、先方が根も葉もない噂を騒ぎ立てたとしてもこの件を妨害しているようにしか見えず、信ぴょう性に欠くことになりましょう。」
「コンプトン、どう思う?」
王子様がいきなり俺を指名した。なんで?
「えっ、俺ですか?えっと、美人だとおもいますけど?」
正直あんまりドーセット侯爵の話を聞いていなかったから反応に困った。肖像画の中の人は美人だと思う。
侯爵が咳払いする。
「殿下、いつまでものらりくらりと避けることはできません。諸外国も我が国の国民も納得しかつ安心できる理由がありませんと。もちろん、王位継承が不安定な中、神の道に入らずにいてくださること、私達臣下一同とても感謝しております。しかしながら、殿下の隣の席が空席のままであるということは、様々な憶測を呼び、ひいては数々の陰謀を招きかねません。」
「噂は放っておけばいい。私の結婚は誰も幸福にしない。」
王子様は少し顔が青くなっていた。ドーセット侯爵は笑顔でえぐってくるから、王子様もあんまり得意じゃないはずだ。もちろん気高い王子様は侯爵の悪口を一切言わない。
「王子様、お具合はいかがですか。」
「大丈夫だ、コンプトン、ありがとう。」
殿下はいつもより弱々しい笑顔で、近づこうとする俺を制した、ドーセット侯爵は一瞬間を置いたけど、話を終わらせる様子はなかった。
「殿下、ご存知のように私も母の再婚で大変な目にあいましたので、結婚の素晴らしさについて講釈する資格はございません。しかし、貴族の結婚は家と家との結婚として妻だけでなく義父や義兄、ひいては属するコミュニティを選ぶものであるように、王族の結婚は国と国との結婚です。殿下がマルグレーテ様と、愛情とまではいかずとも信頼関係を構築していただけたなら、臣下一同も低地諸国と交流を深め、この国の安全、そして安心を醸成していくことができましょう。またマクシミリアン様もフィリップ様も、それぞれ岳父、義兄として申し分ない方々です。」
ドーセット侯爵はたぶん王子様が幸せにならないという前提で話しているんだと思う。犠牲を迫っているみたいで、なんだか気の毒になる。
「私に嫁いだとして、義姉上のようになるだけだとしたら、むしろ逆効果ではないのか。王族を幸せにできなかったこの国を、低地諸国はよく思わないのではないか。」
「殿下、王太子殿下とキャサリン様のご関係はご存知の通りですが、南の国と我が国は硬い信頼関係で結ばれておりますし、そこにはこの宮廷におけるキャサリン様の存在が大きいことは疑いがありません。またマルグレーテ様は最初の夫が病気で他界され、次の夫が不幸な事故で亡くなっております。いずれの短い結婚でもお子様を授からなかったことからも、彼女の身分を考えますと、キャサリン様のような待遇はむしろ他の申し出よりも好ましい可能性もあります。」
侯爵は王子様との結婚がマルグレーテ様にとって『まし』でしかなさそうなことを、隠そうともしなかった。
「二度の不幸な政略結婚があったからこそ、次は愛する相手と結ばれてほしいものだが。」
「マルグレーテ様はフアン様との間には愛を育まれていたご様子だったと伺っております。愛情は素晴らしいものですが、それは幸福を招く必要条件でも、十分条件でもございません、殿下。」
王子様は天を仰いでふうと息を吐いた。
「ありがとうドーセット、この話は預って引き続き検討する。東の国にはチャールズが同行することになっているはずだから、もし向こうが私についてなにか言ってきた場合の対処については、私の意向を彼に知らせておく。」
王子様はこの手の話題は表立って反論せずに先送りする。侯爵もこれ以上の追及は諦めているように見えた。
「恐れながら、」
今まで黙っていたセントジョンが口を挟んだ。
「殿下の婚約相手についてブランドンに大きな権限を与えると、それを口実に向こうで令嬢の『味見』をし始めかねません。」
それは俺も思った。
「モーリス、チャールズもその当たりはわきまえているはずだ、心配はない。さて、私は枢機卿に手紙を書きたいので、そろそろこの話は終わりにしてもらえるか。」
「枢機卿ですか?ドン・ペドロは大陸に渡られ、しばらくこの国に不在のはずですが。」
結局は王子様を説得できなかったドーセット侯爵は、不満げにすこし首をかしげた。
あれ?
枢機卿と殿下は最近頻繁に交流があったけど、てっきり西棟に住んでいるんだと思っていた。
「ドーセット、善は急げだ。日々思ったことや感じたことは、その場で書き留めることで一番新鮮な状態を保てる。ちょうど起きたときには鮮明に覚えていた夢を、昼間に語ろうとすると思い出せなくなっているように。感受性豊かな枢機卿には、私が今喜び、怒り、哀しみ、楽しんでいることを書き連ねたいと思っている。それは受け手である枢機卿がこの世のどこにいようと、変わることはない。」
王子様は少しいつもの調子を取り戻したようだった。
「ご立派な心構えでいらっしゃいます。しかし、宛先はどちらへ・・・」
「ハル王子!!大変だ!」
ドーセット侯爵の柔らかい声を遮るように、ドアを乱暴に開けたブランドンの大声が響いた。女の人達には甘い声として人気らしいけど、どなったときの恐ろしさをみんな分かっていないのだ。
苦笑いをするドーセット侯爵や呆れたようなセントジョン、ウトウトしていたところを起こされたノリスも含めて、部屋のみんながブランドンの巨体に注目した。




