CXXXV 客人ダグラス・キンカーディン=グラハム大使
私たち一向 ―きらびやかな美女三人と片眼鏡の博士、それに私と子猫― は薄暗い侍従の部屋を出て、もっと明るいこじんまりとした部屋を通過した。何人かの侍女がいるから、多分侍女の控え室だと思う。みんな興味深そうに私をみている。
王太子妃様が白と銀、侍女の方が黄色とオレンジ、何者かはっきりしないドナ・エルヴィラがクリーム色と黄色と、みんな明るい色のドレスを着ているから、ネイビーがベースの私のドレスは逆に目立って見えると思う。三人とも私よりも髪の色が明るいからなおさらね。
際立って見えるといえば、グレーのちょっとみすぼらしいローブを着た博士の方が目立つけど、多分ここの人は慣れているんだろうし。
なんとなく沈黙が辛かったから、王太子妃様に声をかける。
「王太子妃殿下、つまるところ私は何を期待されているのでしょうか。」
王太子妃様が振り返ってニッコリとする。侍女の方もドナ・エルヴィラもアイシャドウのせいかキリッとした感じの美人だけど、王太子妃様は童顔もあってもっとふんわりした雰囲気があって可愛らしい。顔と体型がマッチしてないのは少しだけ不自然だけど。
「何もけざけざといつはることを要ず。ただ大使に誤りを思し召させむとする。」
けざけざって何のことか分からないけど、どうやらはっきりと嘘はつかずに誤解を招くシチュエーションを作る、という計画みたい。弁護士の娘として偽証はしたくないけど、さっき衛兵のところでなし崩し的に偽名名乗っちゃったし、逃げられそうにない。
とりあえず、真っ赤になって顔を抑えて『失礼しましたっ!』とか言って部屋から駆け出てくればいいのよね?北の大使に捕まって問い詰められたらどうしようかしら。
そんなことを考えながら侍女の部屋を通過すると、もっと広々とした部屋に出た。衛兵の部屋から数えて四部屋目。
従者や侍女の控え室よりも大きな窓があって、部屋の中は明るかった。壁には黄色と赤をあしらった壁掛けがあって派手な感じがする。絨毯も赤と黄色のちょっとオリエンタルな柄で、暖炉の上には家族の肖像画がかかっている。テーブルと皮張りの椅子がいくつかあって、私たちを見た初老の男性が椅子から立ち上がった。
前世で見たリンカーンの肖像画みたいなもじゃもじゃした髭を生やしていて、太ってはいないけど首が太いせいか、なんだか猪みたいな野性味のある人だった。群青色の地味なジャケットとタイツを着ていて、生地は上等そう。顔や服の装飾の感じが軍人さんらしい雰囲気を出している。
「プエブラ博士、王太子妃殿下、この度の茶番、ご説明願おうか。」
見た目通り、猪みたいな低い声で話した。猪の鳴き声なんて聞いたことないけど。
「決めつけは、よくありませぬな、キンカーディン大使。何か証でも?」
どこかおかしそうに聞き返すプエブラ博士。この人も口語は話せるのね。
「逃げた偽の間者には川で船が待っていた。宮殿沿いの停泊には王族の許可が必要なのだから、あなたがた以外考えられぬ。」
「王族内のまつりごと、複雑怪奇、であります。大使殿、あなたの預かり知らぬところにて、王族に連なる何者かが、北の国と結んだ、などといふことも、あり得るのでは、ありませぬかな。それとも、王太子妃様のサインでも確認されたので?」
素知らぬ顔で虚弁を続ける片眼鏡の博士。口語は途切れ途切れみたいで少し不慣れな感じもする。北の国の大使は憎々しい目で私たちを見ている。
ドナ・エルヴィラが私と王太子妃様に耳打ちした。
「此処はプエブラ博士に打ち任し、われらは居間へと御家へと参らん。」
プエブラ博士が嘘八百を並べている間に、私が王太子様と王太子妃様の密会を「目撃」するみたい。でも初対面の大使に「家政婦は見た」アピールをするにはどうしたらいいのかしら。
「その青い服の侍女は、南の国の者ではありませんな。今度は何を企んでいるのか・・・」
そろそろと移動しようとしていた私たちを、北の大使が呼び止めた。
そうだよね、そもそも見るからに部外者の私がこんな四重のセキュリティを通過して部屋に入るのが不自然よね。
「この者はルーテシア・ラフォンテーヌ。南の国、ルシヨンの出なり。」
侍女の方が答えた。
あれ、その設定続くの?私が呼ばれたのは古典語がわかる現地の侍女だからだと思っていたけど、設定さえあやふやな南の国の人が証言したところであんまり信憑性ない気がする。
周りを見るとドナ・エルヴィラが少し狼狽えているのが見えた。みんなが思いつきで行動しているから調整ができていないのね。
なんでみんな、こんなに行き当たりばったりなのかしら。
私が王太子妃様の身内だとわかったら北の大使が私を信用する理由なんてなさそうだけど、私はなんのためにここにいるのか分からなくなってきた。
呆れて大使の方を見ると、テーブルに美味しそうなフルーツタルトが置いてあった。北の大使は手をつけていないみたい。
食べたい!
今朝からビスケットしか食べていないから、お腹がすいてしょうがないわ。とりあえずこのお遊戯会が終わったら残っているタルトを分けてもらおうと思う。毒が入っていないか心配だから、侍女の方が一緒に食べてくれたらだけど。
タルトに気を取られていると、いつの間にか北の大使が私に近づいてきていた。思ったより背が高くて、立派な髭を見上げる感じになる。怖いのか、今まで私の胸で大人しくしていた子猫がジタバタしている。
「御気色、いかにぞ。」
私を見下ろしながら、ちょっと不慣れな感じの古典語で話しかける大使。多分私が古典語を話せるかチェックしているんだと思う。
「たひらけく、ひちちかなり。」
ちょっと難しい単語を使ってみる。記憶もあやふやだけど、この大使もあまり上手そうじゃないからごまかせるはず。
案の定、大使は少し不満そうな顔をしてテーブルに戻ってしまった。プエブラ博士がにやりとしていて、ドナ・エルヴィラがほっと息をつく。
でも私が南の国の人間だとして、この後の「密会シーン」で何をすればいいのかしら。多分博士もドナ・エルヴィラも何も考えていないんだと思うけど。
プエブラ博士が北の大使の向かいの席に座って、フルーツタルトにナイフを入れるのを見ながら、私たち女四人と猫一匹は奥の部屋に通された。
博士が食べているしタルトに毒は入っていなさそうだけど、全部終わった後に私の分、残っているかしら。




