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見学室を出ると、外科の受付に男性と女の子がいた。エリスもそれに気付いて彼らに走り寄っていく。どうやら彼らがナタリーたちらしい。
「ナタリーのお父さんですか?」
「はい。リチャード・パークスです。あの、ニコールは……」
「今オペ中です。たぶん、もう終わるかと……」
そう言った矢先、私の後方にあでたオペ室へと続く関係者以外立ち入り禁止のドアが開いた。振り返ると、デイヴィスたちがそこから出てくるところだった。後ろからナースにストレッチャーを押されて、まだ眠っているラードナーさんも出てくる。
「ママ!」
エリスが叫んで、ラードナーさんに駆け寄る。パークスさんたちも急いでその後を追った。
私はそっちには行かず、その場に突っ立ったままエリスたちん見ていた。エリスがラードナーさんに駆け寄る様子を見て、一瞬エリスが昔の自分に重なって見えた。
何年も前に、私もエリスと同じようにオペ室から出てきた母さんに駆け寄ったことがある。酒に溺れて私たちを殴る父親に耐えきれず、父親を殺そうとした私は失敗した。そして私をナイフを向けた父親から庇おうとして、母さんが怪我をしたのだ。何もかも、今回のエリスの件と被る。
移動するラードナーさんの横にぴったりと張り付いて動くエリス。その横には、パークスさんたちがいる。
私は彼らがデイヴィスと話しながら移動するのを横目に、その場を離れた。
***
「クレオ?」
当直室のベッドに座ってボーッとしていた時だった。いきなり当直室のドアが開いて、誰かと顔を横に向けると、そこに立っていたのはデイヴィスだった。
デイヴィスは当直室のドアを閉めて、ゆっくりと私の方に歩いてくる。そして、私の斜め前まで来ると私が座っているベッドの横に腰を下ろした。
「……ラードナーさんは?」
何か言われる前に、私から話をふった。
「安定してる」
「そう、よかった」
「ああ」
デイヴィスは私の質問に答えるだけで、他は何も言ってこない。ラードナーを治療していた時に隣の外傷室にいたから、何があったのか知ってるはずなのに。私が外傷室から出ていきなり走り出したのも知ってるはずなのに。デイヴィスは何も言わない。ただ、私の隣に座っているだけ。
「……私が10歳の時、今日のエリスみたいな体験をしたの」
沈黙に耐えきれなくなって、私は何年か前のクリスマスのことについて話し出した。
「クリスマスの日だった。父親から逃げて、母さんと初めてのクリスマスを祝おうって時に父親に隠れ場所が見つかった。それで今日のエリスみたいなことが起こったの」
そこで話を止めて、左腕の白衣を捲って二の腕を見せた。そこには、何針か縫われた痕がある。
「この縫い痕もその時できたやつ」
「そうだったのか」
デイヴィスが少し驚いたような声を出した。私はそれに頷いて、白衣を戻す。
デイヴィスは傷があることは知っていたけど、できた理由までは知らないはず。私が話してないから 。
「私、父親が逮捕されるまでクリスマスなんか祝ったことなかった。父親はいつも酔っ払ってたから。クリスマスになるといつも他の家にライトが光るのが羨ましかった。10歳のクリスマスには、母さんが目の前で父親に刺されたしね」
投げやりな口調の私を、デイヴィスは抱き寄せた。優しく腕をさすってくれる。
「クリスマスが怖いのよ。10歳の頃から、家でクリスマスは祝わなかった。私だけね。学生の頃は友達同士で朝までパーティーやって、シカゴにいた時は毎年連続勤務入れてた。去年も。……クリスマスに家にはいたくない」
「それならそうと言ってくれれば……」
デイヴィスの声に、私はデイヴィスから身体を離してデイヴィスを見る。デイヴィスは不思議そうな顔をしている。
「クリスマスが怖いなんて、言えるわけない」
「なんで、」
デイヴィスが食い下がる。私はベッドから立ち上がって、ドアへと向かった。
「クレオ、」
後ろからデイヴィスが声を掛けてくる。振り返ると、デイヴィスはベッドに座ったまま、じっとこっちを見ていた。
「アンタが信用できないからとか、嫌いだからとかじゃない。クリスマスも嫌いじゃない。理由を言わなかったのは、これが簡単に言えるようなことじゃないから。私は自分のこと全部話すような人間じゃない。そういう人がアンタの好みなら、私と付き合うのはやめた方がいい」
言いたいこと全部言ってしまうと、デイヴィスが何か言う前に当直室のドアを開けて廊下に出た。後ろ手にドアを閉めて、外科の廊下を歩き出した。
ラードナーさんのオペから落ち着いて、懲りもせず私はERを手伝いにきていた。といっても、もう時間は遅くなってきて今のところは急患が入っていない。ホームレスが宿代わりにERの待合室に溜まってるくらい。ERパーティーはついさっき始まった。ERスタッフもそうじゃない人も一緒になってふざけてる。
「大丈夫?」
受付のすぐ近くにあるベッドに座っていると、横からジョーイが声を掛けてきた。手には二つケーキを持っていて、その内の一つを私に渡す。
「ありがと。いつまでいるの?」
ジョーイにはこの後でテスたちとパーティーがあるはず。
ジョーイは私の前にある椅子に座って、腕時計を見る。そして悪戯に笑って言った。
「あとちょっとでシフトが終わる。それまでに食べれるものは食べとこうと思って」
「そう。それがいいわ。ERに長居は禁物よ」
「説得力ありすぎて怖いね」
ジョーイが苦笑するのを見て、私も笑ってしまう。ジョーイから受け取ったケーキを食べようと、フォークを持ったところでポケベルが鳴った。
「急患?」
ジョーイが不思議そうな声を出す。私も分からなくて、首を傾げる。
ポケベルを見てみると、何のことはない、デイヴィスからだった。ERのすぐ近くにある非常口で待ってるとのこと。
「デイヴィスから?」
私の表情で分かったのか、ジョーイが答えは分かってるというように尋ねる。私はそれに頷いて、立ち上がった。ケーキをジョーイに返して非常口の方に行こうとすると、ジョーイがまた声を掛けた。
「メリークリスマス、クレオ」
「メリークリスマス、ジョーイ」
ジョーイの言葉に笑って答え、その場を後にした。
非常口まで来ると、さすがに暖房が入っていなくて寒い。吐く息まで白い。窓の外を見てみると、外は朝からの雪が止む様子がなくて、降り続けている。
「で、何で非常口?」
非常口に並べて置いてあったストレッチャーに寝転がるデイヴィスに嫌みたらしく尋ねた。デイヴィスはその声でようやく私が来たことに気付き、身体を起こしてこっちを見る。デイヴィスの手には何かあって、ストレッチャーの上には二本のジュース。
「アンタって、本当クレイジーよね」
「君にお似合いだろ?」
言いながらデイヴィスは立ち上がって、手に持っていたものを私に渡した。
「何これ」
「カードだ」
デイヴィスが渡したのは一枚のポストカード。デイヴィスは私にそれを渡すと、自分はジュースを取って蓋を開け始めた。
「それは分かるわよ。何でこれを渡したのか聞いてんの」
「貰ったんだ。エリスに。君に渡してくれって」
「あ、そうなの」
エリスと聞いて、ラードナーさんの周りに集まるエリスとパークスさんたちを思い浮かべた。今頃病室で些細なパーティーを開いてるんだろう。
「さっき君に言われたことだが……」
デイヴィスがジュースを持って私に近付きながら言った。私の前まで来て、一本を私に渡し、自分はグイッと一口ジュースを飲む。
「さっきのこと?」
「そう。あの『自分のこと全部話すような』ってやつ」
「ああ、あれ」
デイヴィスは「そう、それ」と答えて、私の前に立ってじっと私を見下ろした。
「残念だが、俺は他の人と付き合いたいとは思わない。たとえ君が人に話せないようなことを持ってる人間だとしても、君が好きだ。少しずつでいい。俺に君の中の嫌なことを消させてくれ」
真面目な顔をして言うデイヴィスに、本気なんだと分かる。
デイヴィスは私が何か言うまで、ここを動かないだろう。
「アンタだけじゃ消せないことかも」
「消せるよう努力する」
「途中で逃げたくなったら?」
「逃げない」
何を根拠にそう断言出来るのかっていうくらい、デイヴィスははっきりと告げる。あまりにもはっきりし過ぎて笑ってしまう。
「アンタって、クレイジーよ」
「それはもう聞いた。クレイジーになるのは、君だからだ」
まったく。この男は本当にクレイジーだ。
でも、嫌な気はしない。
私はジュースを持っていない左手でデイヴィスのスクラブの胸元を掴み、グッと引き寄せた。急なことで抵抗できないでいるデイヴィスの唇に唇を押し付ける。驚いてたデイヴィスも、すぐに合わせてキスをする。
「これは仲直りと取っていいのか?」
「さあ?」
キスの合間にデイヴィスが尋ねてきたけど、曖昧に答えるだけにした。初めデイヴィスは納得のいかない顔をしたものの、すぐにそれを気にしなくなって私の腰に腕を回してきた。私は空いた手をデイヴィスの首に掛ける。
「やっぱりアンタはクレイジーよ」
「君ほどじゃない」
またキスの合間に言い合って、もう一度キスをする。
外の雪が止むころには、ケンカも終わっているかもしれない。




