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第5話 すれ違い

 あまり馴染みのない朝の電車内。人が多いだけあって絶え間なく聞こえてくる耳障りな喧騒に、伊緒は嫌気を感じていた。

 彼女の前には、高校受験の合格発表に同行してくる母や幼馴染み達がおり、彼らもまたその喧騒の一部として伊緒を不機嫌にさせていた。


 朝が苦手なのは自分の体質なので仕方ない。騒がしいのが苦手なのも、結局は自分の気質なので致し方無し。

 だが身内まで電車の中で騒がしいのは看過しがたい、その反面自分だけ席に座っているので文句を言うのも忍びない。


 そんな思考がぐるぐると巡り結局黙ったまま伊緒は、ふと視線だけで周囲を見渡していた。


 同じ街に住む彼が同じ高校へ向かうのだから、同じ鉄道を利用しているのが自然だろう。

 時間さえ噛み合えば今日、会うことが出来る筈だと意気込んで迎えた合格発表の日なのだ。


 いつの間にか喧騒は耳に入らなくなり、辺りを観察する意識に集中していた。だが、どれだけ探しても自分の心が求めている姿を見つける事ができない。


 まだ来てないんだろうか。

 それとも、もう帰ってしまったのか。


 もしかすると自分に気付くこと無く去ってしまったのか。いや、気付いた上で立ち去った可能性だってある。

 もっと根本的に、そもそもあの手紙を読むこと無く今日になってしまったかも知れない。


 考えれば考えるほど、ひどく不安になっていく。


 そんな伊緒の様子に気付き、彼女の肩を揺らす存在が居た。


 いつの間にか俯いていた伊緒は不意の感覚に思わずビクりと肩を震わせて顔を上げた


「ね、大丈夫?いっちゃん、そんなに不安?」


 伊緒の直ぐ側に立って彼女の事を見ていたのは、伊緒が唯一胸を張って「親友」だと口に出す……ことは出来ないが、勝手にそう思っている相手である花ヶ崎美香だった。


 膝を曲げ少し腰を落として視線を合わせてくる美香。クリクリとした大きな瞳をこちらに向けて、ニコリと無邪気に微笑む彼女に対して、伊緒は何も言わずに首を横に振る。


「だよね、アタシが自信持ってるんだし、アタシより頭良いいっちゃんなら大丈夫だもんね」

「伊緒はここ二、三日ずっとそんな感じだろ。ほんと、そのあがり症は昔っから治んねえよな」


 ま、そんな所が可愛いんだけど…なんて、追加でキザっぽい事を呟いたのは、こちらも幼馴染みの星野悠岐だった。


 伊緒はあがり症を否定する事は出来ないが、今回は不安を抱えている理由が違う。なので彼の言葉に反応する事はしなかった。伊緒にとって、悠岐が微妙に的外れな事を口にするのはいつものことだ。

 ただ、彼は伊緒が緊張している一番の原因であり、根本的な元凶でもある男だったので、伊緒は睨み付けてやりたい気持ちを必死に抑えた。


「なら、もしかして体調悪いとか?人多いの苦手だもんね」


 逆に美香は大体合ってる様な事を言ってくれる事が多い。

 朝から人が多くて若干気持ちが悪いとか、騒がしい場所でストレスだとか、想い人に会えるか分からない不安とか、逆に近くに居るかも知れない緊張とか。


 全部ひっ括めて体調が悪くなっている状況。ある意味、美香の言う通りだ。

 伊緒が彼女の言葉に頷こうとしたその時、悠岐が口を開いた。


「あ、着いたぞ」

「ほんとだ。じゃ、行こっか、ほらいっちゃん、手貸そっか?」


 美香の言葉に伊緒は首を横に振り、席を立った。

 人混みに紛れて皆で電車を降り、駅を出た。


 その後に伊緒たちが徒歩で向かったのは瀬川高校。

 しばらく歩いてから到着する頃、伊緒の緊張は最高潮に達していた。

 そんな様子に気付くこともなく幼馴染み二人と母親達は、すぐに昇降口へと足を進めた。

 二人の一歩を後ろを歩く伊緒は、周囲の一人一人の姿を見ながら少し遅れて歩く。


 それに気付いて、悠岐はふと足を止めた。


「伊緒、あんまりオレ達から離れんなよ。お前可愛いんだから、変な奴に話しかけられたりするかも知れないだろ」


 好きな人に言われでもしたら思わずときめいてしまいそうな台詞だが、十年来の幼馴染みに言われた所で伊緒の心には響きそうもなかった。それどころか、伊緒の内心は「あんたさえ居なければ……」と口を衝いて出そうになったくらいだ。

 言える訳もないのだが。


 伊緒は彼、星野悠岐が自分をこの上なく好いている事を承知している。その上で、自分はあまり彼に興味がないどころか若干、嫌いという気持ちに寄っていることを自覚していた。

 あれだけ周囲に好意を持っていると宣っていれば嫌でも伊緒の耳にも入ってくる。

 彼女自身は元々、彼に大した感情を抱いていなかった。


 小さい頃から家族ぐるみの付き合いで一緒にいるからか、優秀な兄くらいに思うことも昔はあった。


 思春期の女の子が過干渉の兄を嫌うなんて話はこの世の中に幾らでもあるだろう。

 伊緒の感情は元々、その程度の物である。


 ただその気持ちは伊緒がとある同級生に恋をした頃に根本から覆された。


 伊緒が悠岐の後ろ姿に不穏な熱視線を向けている時、ふと美香が伊緒の元へ駆け寄った。


「いっちゃ〜んアタシたち合格してたよぉ!よかった、これからも一緒に登校できるね!」


 そう言って無邪気に笑う美香に伊緒が小さく微笑みかけると、彼女は一層嬉しそうに伊緒へ抱きつき、その後に親の方へ報告に向かって走り去った。


「まったく、あいつはしゃぎ過ぎなんだよな。このくらいの高校、受かって当然だっていうのに」


 呟きながら呆れたように笑う悠岐は、伊緒の目にはどこか嬉しそうに映った。

 こうして何気ない笑顔を見せる時の彼は、彼に興味が無い伊緒から見てもとても魅力的だった。

 もし伊緒が饒舌な人間だったら「普段ならそうしてれば良いのに」とからかっていた事だろう。


 少なくとも美香はこういう表情をしている悠岐に惚れてしまったのだろうな、と伊緒は一人納得しながら踵を返した。


「美香たちは先に会議室行ったかもな」


 悠岐はそう言って、それが当然であるかのように伊緒の手を握り、本校舎へと足を進めた。

 伊緒は一瞬だけ手を振り解こうとしたが、すぐに諦めて彼について行く。急に触れられて驚いただけだと内心で自分に言い聞かせ、伊緒はこっそりとため息を零した。


 美香たちとは校舎内で合流した。

 その後に向かった会議室では十数人の同級生になるであろう生徒達からの視線を浴びつつ、四月から使う教科書や連絡書類等を受け取った。


 会議室の中に伊緒の想い人は居らず、これまたひっそりとため息を零していたのだが、それに気付いたのは美香だけだった。


 会議室を出たあと、悠岐の母親が電話でその場を離れたので悠岐達が雑談を始めた。

 廊下の端に寄ったので通る人達の邪魔にはならない物の、横を通る度に皆が自分たちを見てくるので伊緒は酷く居心地が悪かった。


「あ、てかこの後どこに……」


 美香と話していた悠岐が不意にポケットからスマホを取り出し、面倒くさそうに眉を顰め──


「悪い、オレも電話来た」


 ──と言って離れて行った。

 それを機にして美香がこっそりと伊緒の直ぐ側に歩み寄り、顔を近づけた。


「……どうかな、好きな人居た?」


 美香は伊緒の気持ちを知っていた。

 具体的に誰を想っているのかは知らないが、伊緒は美香に手紙のことを相談していたのだった。


 伊緒が首を横に振ると、美香は目を細めた苦笑を零す。


「そっか。仕方ないよ、これだけ居ると見つけらんないよね」


 呟き、美香は一度周囲を見回した。


「あ……」


 彼女が小さく声を漏らしたので、美香と逆方向を見ていた伊緒は美香の顔に視線を戻した。


「あ、ごめん何でもない。中学の同級生だけど、アレは無いだろうから」


 美香はそう言ったものの、伊緒は一応美香が見ていた方に目を向けた。

 だが、見覚えのある顔は誰も居なかったのでもう去ってしまったのだろう、と伊緒はすぐに視線を戻す。


「……あの一匹狼くんは無いよね」


 美香は小さくぽつりと何か呟いたが、その言葉が伊緒の耳に入ることは無かった。


「二人とも、うちのお父さんが迎えに来たって。帰りにお寿司でも寄って行きましょ」


 電話から戻って来た悠岐の母が伊緒たちにそう言って、美香の言葉を掻き消したからだ。


 その後は少し遅めのお昼ご飯を食べたり、浮かれている悠岐と美香に振り回されながら少しの買い物をして家に帰った。

無口キャラの伊緒が本当に一言も喋ってない事に気付いてビックリする作者がいましたとさ。一応この子の視点の筈なのに……。

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