第47話 伊緒と生駒
理桜が席を立って美香を追うと、そこでやっと伊緒の視線は理桜を追った。
生駒はそんな自身の姉にフレンチクルーラーを一つ差し出した。
伊緒も、何も言わずに受け取って、それを口に運んだ。
年子の姉妹というより双子に見える様な二人は、しばらくの間、ぼんやりとドーナツを食べ進めた。
そうしていると、不意に生駒がぽつりと口を開いた。
「……伊緒」
「ん」
「男の子を好きになる、ってどんな気持ち?」
生駒の質問に、伊緒は静かに答えた。
「なって見れば、分かる」
「理桜といればそうなれるかな」
「それは止めて。これ以上増えるのは本当に困る」
「そう」
伊緒は当初、彼がどちらかと言うと一匹狼の様な気質の男の子だと思っていたら、ライバルなんて居ないだろうと油断していた。
今でも同性からは避けられているから、それはきっと間違いじゃない。
「伊緒は……」
「何?」
「美香の気持ちを聞いて、どう思ったの?」
生駒が今度は質問を変えると、伊緒は少し顔を背けた。
躊躇うように、口を開いては閉じて。
しばらくすると、小さく呟いた。
「痛いくらい、気持ちは分かる」
見てないようで見られている、意識してないようで意識されている。些細な一言すら覚えている。
誰にも見せてないはずの一面すら、見透かされているような気分になる。
心の内側を覗かれている様な感覚は、少し怖くて、不気味に思えていた筈なのに、気付いた時には妙に心地良い。
分かってくれている、理解してくれる、こんな自分でも受け入れてくれる。
伊緒にとっても心当たりしかないその感情。美香が彼を好きになったその気持ちは、十二分に理解できた。
けれど、いや……。
だからこそ、一つ感じることがあった。
──赤瀬くんにとって、私はそこまで特別じゃないんだ。
よく知らない不特定多数の相手にそう思われる事はあっても、最も振り向いて欲しい相手にそう思われることは無い。
それは美香にとっても同じ事。
いや寧ろ、二人いる想い人のどちらにも振り向いてもらえない事は、伊緒よりも辛いかも知らない。
それならば、それだったら……
「赤瀬くんは、どんな人が良いんだろう……」
伊緒のそんな呟きを聞いて、生駒は数時間前の理桜の発言を思い出した。
軽い冗談の雰囲気で「うん。こういう彼女欲しいなって思った」なんて口に出した彼だが、実際に自分へ好意を向ける相手と対峙すると一歩引いていた。
彼女は欲しいけど自分を好きな相手は遠ざけてしまうなんて、まるですぐに蛙化現象を起こすメンヘラ女子だな、と内心で思っていると、ついでに一緒に入浴した時のことも頭に浮かんで来た。
これだけ女性に好意を向けられる事があって、美形で非の打ち所がないスタイルもしていて、知的な面も垣間見える。
それなのに、着替えを見られたり一緒にお風呂に入ったりする程度の事で普段の気丈に振る舞っている姿とは打って変わって、激しく動揺して取り乱す。
思えば彼の寝室を見た時、男子高校生らし性の垣間見える物が何一つ見当たらなかった上に、露出が増える半袖等の服も一切確認出来なかった。
露出を嫌い、性に関心がなく、好意を向けられるのが苦手。
あれだけハイスペックなのに妙なところで自己肯定感の低い。
過去に何かあった訳でも無いだろう、不思議なことに素の性格であの有様だ。
本当に女性の好みを知りたいのであれば、大人しく本人に真正面から効くしか無い。
その上で自分がそう成れなさそうであればスパッと諦めてしまったほうが健全だ。
生駒は、私は友達のままでいいや、と一人頷いて、再度伊緒に目を向けた。
「それで、美香のことはどうするの?」
「どう、しよう」
美香のフォローは理桜がどうにでも出来るだろう、せいぜいこれが原因でまた彼への気持ちが大きくなるだけだ。
と、考えていたのに。
「?」
生駒は不意に電話がかかってきたのでスマホを取り出した。
画面に映る名前は、美香を追いかけていった筈の理桜。
「理桜、どうかした?」
『あのさ、花ヶ崎のこと完全に見失ったんだけど、行きそうな場所に心当たり無い?』
「モールの外には出たの?」
質問しながら、生駒は瞳だけを伊緒に向けた。
彼女は少し心配そうか顔で生駒のスマホを見ている。
『遠目で出ていくとこは見たけど、外出たら全く分からなくなった。そもそも人多すぎて追い掛けられなかったんだけど……これどうすりゃ良いかな』
「……美香に連絡は?」
『通話掛けたけど出ない、既読も付かないよ。ったく……』
「はぁ……」
話を聞いていると、生駒は少し憂鬱な気持ちになった。思わず溜息を吐いて、呟く。
『「面倒臭い」奴だよ……って、被せんなビックリした。とにかく、どうすれば良い?』
「私が悠岐に連絡しておく。冷静に考えて、眼の前であれだけ言った後にまた理桜と顔合わせるのは恥ずかしいだろうから」
『なんでそういう所は常識的なんだ……』
寧ろ何故理桜は考えなしに美香を追いかけたのか、その部分を少し問うてやりたいと思ったが、生駒はそっちよりも気になることを問いかけた。
最初は、彼が答えを出す為に追いかけたのだと思ったが、通話をしている理桜の様子から、そうは思えなかったのだ。
「……理桜は」
『ん?』
「追い掛けたあと、理桜は美香のことどうするつもりだったの?」
『どうって?』
「言葉の通り」
『いや……別にどうもしないと思うけど』
「残酷だね」
『えっ、何のはな──』
理桜の言葉を最後まで聞かずに通話を切って、生駒は目の前の姉に目を向ける。
「伊緒もそう思うでしょ」
「……そう思うのは自分勝手。一方的に好意を向けてるのはこっちなんだから。答えを出してくれない相手が嫌なら、他の人のところに行けば良い」
実際、美香が惚れている相手である悠岐は、自分は伊緒に一筋だと結論を出している訳だから。
それでも好意を抱いたままなのは美香が勝手にやっている事であり、その上で理桜にも惚れて好意が宙ぶらりんになってしまったのはも自業自得。
暗にそう言った自分の姉に対して「親友相手にドライだな」と少し感心した。
「それなら一つ質問」
「……なに?」
「伊緒は、悠岐が伊緒に対して向けてる態度を、美香にとっていたらどう思う?」
伊緒は、生駒の言った状況を素直に想像した。
最近はあまり見なくなったな、と思いながら……幼馴染みとして、一人の惚れた相手として特別な感情を向けてくるいつもの悠岐を思い描く。
その悠岐が自分ではなく美香に対して特別な感情を向けて、三人で居るのに自分一人が取り残され、話しかける事も出来ずに二人の少し後ろを歩く、そんな光景が思い浮かんだ。
伊緒はそうなったら、きっと二人から離れるだろう。だから。
──だから……
「…………別に、「なんとも」っ」
伊緒の言葉に、生駒は全く同じ単語を重ねた。
伊緒は逸らしてしまっていた視線を、思わず生駒へと向ける
生駒は微かに笑みを浮かべていた。
「なんとも、思ってない顔には見えない」
「……そんなことない」
モヤモヤした、漠然とだが。でもそれを認めるのは何となく嫌だった。
「だから、私はさっき言ったの。美香が理桜を好きになった事に嫉妬するのは醜いって」
生駒の言わんとしていることは嫌でも分かった。
ただ伊緒はそれ以上にこの数時間で、自分の身内が美香を毛嫌いする理由を理解出来てしまった気がして、それでどうしようも無く気分が悪くなった。
「あ、私先に帰るから。それじゃ」
生駒は時間を確認してから、そう言って席を立った。
「……美香は別に彼氏とか居ないんだし、誰好きになったって良いと思うんだけど」
努力すればちゃんと実る程度には優秀で、好きな人に一途な姉にはあまり理解出来ない感情なのだろう。共感は出来ないが、納得している。
生駒は手に持っていたドーナツの入った袋を理桜へ届ける為に、彼の居る場所へ向った。
花ヶ崎さんって年相応で等身大な子だと思います。ちょっとネガティブで内気な女の子が明るく振る舞ってたら、そりゃ空回りもするし、優しくしてくれた人を好きになるのも普通ですよね。
って書いたは良いが、誰目線の感想なんだよこれ……。




