第39話 シリアスブレイカー
普段の四倍ほどの値段のラーメンに舌鼓を打って、ついでにそんな値段が当たり前のラーメン屋に入っても問題ない自分の財布事情に若干の戦慄を覚えた昼過ぎ。
それはともかくとして、俺はさっきまで通話で話していた花ヶ崎の提案で、仕事終わりの春宮を出待ちする事にした。
夕方頃までかかるだろうと覚悟していたのだが、春宮が店の裏から出てきたのは15時頃だった。
「……や、お疲れ様」
「え…………えっ?あかっち、なんで?」
私服姿でも見れるのかと思っていたが、春宮は私物であろう黒地のジャージに身を包んでいた。
「あれ、さっきまで普通に『赤瀬』って呼んでたのに」
「それは仕事中だし……ってそうじゃなくて、もしかしたウチのこと待ってた?」
「ん、大して待ってないよ」
「つまり待ってたって事じゃんか」
二時間弱ほどの時間で出て来てしまったので、近くの公園で見覚えのある白猫と戯れていたらすぐだった。コイツなんでどこにでも来るんだろう。
「バイト終わり待ってるとか、彼氏みたいな事するじゃん」
「ん?春宮って彼氏居たんだ」
「違うそうじゃない、紛らわしい言い方してごめん」
「いやまあ分かってるけど」
「…………な、ならそれは置いといて。一個聞いて良い?」
「何?」
「……なんで梓まで居るの?」
少し表情が暗いというか、怪訝な顔をしている様に見えてたから疲れているのかと思ったが、冗談を言う余裕はあるようだ。
「ん、いや──」
「私?」
「──うわぁっ!!?」
突然耳元で聞こえた声と耳にかかった微かな息の感触に背筋が凍った。
「たまたま猫と戯れてる可愛い同級生を見つけたから観察してたの」
「えっ、気付いてなかった感じ?」
「うん。理桜くんずっと猫と遊んでたから全然気付いてくれなかったよ」
まさかすぐ横のベンチに座ってる人がクラスメイトで、それも俺のことをずっと観察してるとか思う訳が無いだろうに。
「理桜くんってあんな顔もできるんだね、猫好きなの?」
「いや……そんな事はない、けど」
「そこ別に否定しなくて良いんじゃないかな」
猫が好きというより、この白猫と戯れてる時は何も考えなくて良いから気が緩んでいただけというか……。
「そ、それより桐谷さん、いつから見てたんだよ?」
「んー……一時間半くらい前から」
「……声かけるとかしてくれよ……」
ボヤキながら、俺はベンチに腰を下ろした。
すると、春宮と桐谷さんが何故か俺を挟み込む形で隣に座って来た。
「君が気付くか、公園から出ていく時には少しお話するつもりだったよ?」
「見つけてすぐに話しかけてくれ、桐谷さんに観察されてたと思うと、何かやらかしてないか心配になるから」
春宮にバイトの話を聞くか、それが出来なくても他の顔ぶれと比べて関わりが少ないから、少しでも仲を深められたら良いかもな……くらいに考えていたのに、桐谷さんの登場で俺の心はそれどころじゃない。
ふと、そう言えば桐谷さんが出て来てから春宮が一言も口を開いてない様な気がして、俺はそっちに目を向けた。
「……春宮、何でそんなびっくりしてんの?ツチノコでも見つけた?」
「梓が……男の子を名前で呼んでるの初めて見た」
珍獣を見つけたような表情の春宮に言われてから気が付いた。
あまりにもナチュラルだったから分からなかったが、桐谷さんが当然の様に人前で名前呼びし始めていた。というか、秋村のときの反応でも気になったんだけど……。
「……桐谷さんって、そんなに男子と話さない様なタイプだったのか?分け隔てない印象なんだけど」
「んーどうだろ。こう見えてあんまり他人に興味ないから、どっちとも言えるかも。海外でも殆ど関わらなかったし、今だって理桜くんくらいだよ?」
「……なんで俺は良いんだよ」
「ふふっ、なんでだろうね」
どうやら理由を言葉にするつもりは無いらしい。
そんな話をしていると春宮が何故か俺達からゆっくりと距離を取り始めた。
「いつの間にそんな関係に……」
「どんな関係だよ。普通にクラスメイトだろ」
「私はクラスメイトじゃ物足りないかな」
「赤瀬、一体何をやったの?ウチの知ってる梓はこんな子じゃないんだけど!梓はもっとお淑やかで慎ましい女の子なの!」
春宮は取り敢えず、自分の理想を人に押し付けるのは止めたほうが良いかも知れない。
俺の知ってる桐谷さんは割と押しが強くて大胆であざとい女の子だ。
まだ裏であざといだけだと思ってたら、全然そんな事無かったんだけど。
「春宮、人は三年あれば多少変わるよ」
「私が変わったのは、君と出会ってからだよ?」
「火に油を注ぐのは止めてもらえないかな。そもそも俺は桐谷さんに興味を持たれる様な事をした記憶はない」
「ふーん、どうかな?」
どうかな、なんて言われても桐谷さんとほぼずっと一緒に居る秋村と春宮が普通なんだから、心当たりがある訳が無い。
「ま、その話はまた今度にしよっか。ところで、理桜くんはどうしてここで飛鳥の事を待ってたの?」
「……そうだよ、その話がしたかったんだった……」
「あれ、私の事で頭いっぱいになっちゃったんだ?」
言い方はともかくその通りだ。
桐谷さんが登場してから、全然春宮の話が出来てない。
「ふふっ、ごめんね、今日はちょっとはしゃいじゃってるかも。休日に偶然好きな人とバッタリ出会うのって、こんなに嬉しいんだね」
「……ねぇ、赤瀬やっぱり惚れ薬でも使った?」
「だとしたらストレートに受け入れるだろ、こんなに困惑してない」
「困惑なんだ……。嬉しくないわけ?」
「ん……」
四ノ宮の時は手紙の段階で嬉しいまで感じたよ。
でも直接来られると、思わず引いてしまうんです。まさしく今みたいに。
「お邪魔し過ぎるのも良くないかな。嫌われたくはないし、今日はお暇させてもらうよ。じゃあね理桜くん。飛鳥もね」
「あ…………」
「ウチはついでなんだ」
何故だろう。
……桐谷さんの嵐みたいに去っていくあの感じは、雪さんと同じ気配を感じる。
ふと、俺は自分の手元にピンク色の布が落ちてる事に気づいた。
どうやら桐谷さんがハンカチを落として行った様だ。
今度連絡しておこうと思い、それをそのまま自分の膝に置いておく。
「なあ春宮」
「なに?」
「……君さ、なんでバイトやってんの?」
「今の流れでその話するんだ……」
そう言いながら春宮は、俺の膝に置かれたハンカチに目を向けて、気にした様子もなくすぐに顔を背けた。
「本当は最初からこの話するつもりだったんだよ……。君、あの店一年目じゃないだろ、多分」
そう、この話をするつもりだったんだよ。なのになんで桐谷さんに全部持って行かれたんだか。
「……目が良いのか耳が良いのか察しが良いのか、分かんないけど、よく分かるね」
「何となくだよ。四月から始めたとしてもまだ一ヶ月と少ししか経ってないのに慣れ過ぎだし……」
「三年やってる。ウチ、昔から見た目だけは大人っぽいから」
つまりは中学生の頃から年齢を偽っていたということ。ワケありじゃない訳が無い。
「赤瀬は、それ知ってどうすんの?」
「別にどうもしないよ。確認したかっただけだから」
「……そっか」
「……借金とかが原因?」
「そんなとこ」
桐谷さんが色々掻き乱していったせいで、俺の方があまり話に集中できてない。
一旦、ゆっくりと深呼吸をしてから話を続けた。
「……正直さ」
「なに?」
「今ってさ、援交とか結構問題になってるじゃん」
「……そだね」
呟き、春宮は何故かまたハンカチに目を向けた。
取り敢えず気にせず、俺は話を継続する。
「身売りに比べたら年齢詐称してでも真っ当……では無いかもだけど、真面目に働いてるだけマシだなって思ったよ。俺の価値観が変なのかも知れないけど」
「多分、店長たちもそう思ってくれてるっぽくてさ。三年もやってると…………。お店の人も色々察する筈なのに、何も言われないんだ」
「……あ、うん」
春宮、君さっきからなんでずっとハンカチをチラチラ見てるの?
「ダメだわ、真面目に話そうと思ったけどいい加減に聞いて良い?」
「……なんだよ?」
「梓が置いていったそれ……」
「……え……何──」
春宮は畳んであったハンカチを手に取り、広げる。するとそれはハンカチではなく……。
ピンク色のレースが入った、少し派手なショーツだった。
「……赤瀬、梓は本当にこんな子じゃ無かったんだよ?」
「見せんな馬鹿!!いいからそれ仕舞え!?そして返して来い!」
顔を背けて叫ぶ俺に対して、春宮は何故か冷静だった。
「いや、童貞でもそんな過剰反応しないっしょ」
「どうでも良いから仕舞えって!」
誰か頼むよ、桐谷さんの考えてる事を教えてくれ。なんでこんなテロみたいなことして行くんだよ……。
ライバルが増えない様にシリアスを破壊してフラグをへし折る。
うーむこれは策士ですね桐谷さん。




