第3話 ラブレター
四ノ宮からこっそり渡された手紙。1枚目には端的に言うと「二年の時にお世話になりました」という感謝が綴られていた。
同級生に宛てたものなんだから、もう少しラフな文章でも良いんじゃないかと思うけど……。
真剣さは伝わるし、互いをあまり知っている訳でもないけど、なんとなく四ノ宮らしいなとも思う。
そんな手紙を読んで、二年生の時の事を思い出しながら、もう一枚の便箋に視線を落とした。
さっきまでとは違って、声に出す事はせずに黙読で文章を目で追った。
『赤瀬君が私と一緒に居てくれたのは、たったの一年間、正確な時間を言うと、その半分もなかったかも知れません。
三年生になってからは、君とは別のクラスになってしまって毎日に小さな違和感がありました。
初めて同じクラスになった人達は沢山話しかけてくれたし、仲良くなろうとしてくれる人もいるけど、口下手な私にできる事は少なかったと思います。
それになにより、話しかけてくれる声の中には、私が求めている声は無くて、やっぱり違和感がありました。
この一年間ずっと、心の何処かで君の事を探していた様に思います。こうしている今だって、君の声や笑顔を求めています。
私の人生の中で一番幸せだったのは、赤瀬君が近くに居てくれた時だったんだと気が付きました』
明らかに話の流れが変わりだしたところで、二枚目の文章は区切られていた。
小さく息を吐いて、三枚目に入れ替える。
『私は、赤瀬理久君の事が好きです。君の声が、君の笑顔が、君の香りが、君と一緒に居る時間が大好きです。喋るのが下手で無愛想で魅力的とは言えない私だけど、どうか君の彼女にして下さい。
重い女だと思われるかも知れないけど、ありのままの気持ちを書いて、この手紙を君に贈ります。
私は君に沢山の物を貰いました。でも、私が君にしてあげられた事は全然ありません。それでも君の中に、ほんの少しでも私と同じ気持ちがあるのなら、良い返事を待っています』
「…………」
読んでいるこっちが羞恥で悶えそうになる、そんなガッチガチのラブレター。
羞恥心で目を逸らしそうになるくらいに気持ちが込められていた二枚の便箋から、ゆっくりと視線を外してベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
なるほど、母さんの言う通りだ……。
例え思っていたとしても、ここまでしっかりと気持ちを伝えようと思うと、思春期真っ盛りの中高生には口に出すのは恥ずかしいこと、この上ないだろう。いや、大人でも言わない。
だからと言って、チャットアプリでこんな長々とした文章を送られて来ても読む気になるとは思えないし、手紙に書いてある通り「重い女」だと思われてしまうかも知れない。
……かも知れないというか、多分俺ならそう思うもんな。
もう一度読み直すには、ちょっとカロリーが高いなと思いながら再度手紙を見ると、三枚目の下の方に、追記のように何かが書かれている事に今更ながら気が付いた。
「えっと…PS、『第一志望校だった瀬川高校で君の姿を見かけました。話しかけようと思ったけど、私が幼馴染み二人と一緒だった事と、話しかけてしまったら君ばかりを見て受験に集中出来ない気がしたので、ここに追記しておきます。
卒業式の三日後に合格発表があるので、もし出来るなら、少しでも良いからそこでお話がしたいです。一緒の高校に入れる事を心から願っています』」
そのまた下に、小さく『裏を見て欲しいです』と書いてあったので、裏を確認する。
「『差し出がましいお願いかも知れないけど、この手紙の事は私の幼馴染み二人には内緒にして欲しいです。理由は色々あるけど、誤解した二人が赤瀬君を嫌な気持ちにさせるかも知れないので』……か」
こんな注意書きをするのは勿論、星野からの好意を知っているからだろう。
それにしても妙に徹底しているな、とは思う。
それにしても……そうか。本当にラブレターだったのか。
改めて全体の文章を軽く眺めていく。
そして不意に気が付いた。
これもしかして、本当は今日手渡すつもりだったんじゃないのか?
だってこの手紙、追伸が無かったらいつ返事をすれば良いか分からないし。
本当は、「この日にここで二人だけで会えないか」みたいな事を直接言うつもりだったのでは無いだろうか。
その場合は、正門周辺で集まっているあのタイミングしか渡す事が出来なさそうだ。
彼女の性格的に大々的には無理だろうから、こっそりと。
でも、そうする前に俺が帰る可能性は大いにあるはず。実際は、四ノ宮の方が星野達に拘束されていたが……。
それが、早ければ合格発表の日に、遅くとも高校が始まってから会えるタイミングが有ると分かって、人前で渡す事を止めたのだろう。
その方が寧ろ正確に渡せるから。
今日、偶然目が合った時は何を考えているのかと思った。
どうもこの様子だと、偶然目が合ったのではなくて、彼女が俺のことを意図的に見ていたから、そっちを見た時に目が合ったのか。
それで、見ていた理由はここに書いてあると。
「……」
実感が湧いて来ると、少しの嬉しさと同時に妙な恥ずかしさに顔が熱くなってきた。
かと言って、ベッドの上で暴れ回る様な事はしない。
小さく息を吐いて起き上がり、便箋を封筒に入れ直した。
封筒は小さい頃から大切な物を保管する為に使っている小箱に入れて、机の中に仕舞い込む。
「……これでいいか」
そうしてから、少し冷静になろうと自分の部屋を出た。暗くなっている一階に降りて照明を点け、キッチンに入って冷蔵庫を開ける。
真冬のとても寒い時期を除けば、ほとんどの期間は常備してある麦茶を取り出して、コップに注いだ。
麦茶を冷蔵庫にしまって、コップに口を付けながらリビングのソファに腰を下ろした。
「理久、詩織は帰って来た?」
丁度お風呂から出て来た母さんが、そんな事を聞いて来た。
「いや、さっきまで部屋に居たから知らない。けど、とりあえず音は聞こえなかったと思う」
実際、ほぼ手紙に集中していたから帰宅して来たのかどうかを判断できる材料は持ってない。
「そう……流石に遅いわよね」
言われて、部屋の壁にかけられている時計に目を向ける。時刻は9時半を過ぎた頃、普通の高校生の門限がどの程度なのか分からないけど……。
「こんなもんじゃない?」
「はっ! まさか詩織にも遂に春が?」
「まあ、今は春だけど……」
どうだろう。高校に入ってからの姉さんは、夜は案外遅くに帰る事が増えている様に思う。
他の家なら、親にグチグチと門限についてとか、交友関係について何か口出しされるのかも知れない。
けど家の母さんはあまり気にした様子はなく、寧ろ「きゃ〜!私の娘が最高に青春しちゃってる〜!」と楽しそうで仕方ない。
ていうか、あれ?
母さんシラフだよね?
お風呂上がりだから、顔赤いんだよね?
「まさか、進級と一緒に彼氏とも一皮剥けちゃって…彼氏のモノも一皮剥かせちゃって、なんて。きゃ〜…!」
……酔ってんなこの人、風呂はいる前に酒飲むなよ……。
頬を赤らめてクネクネしている母さんに思わずため息を吐いた。
人前では真面目で優しい、割と普通の母親なんだけど…。家の中だと突然こんなテンションになるのが、我が母の奏恵だ。
何を妄想しているんだ、息子の目の前で盛大に娘の下ネタ繰り広げるんじゃない。
「はっ! そのまま彼氏と上手く行かなくて、傷心した所に話しかけてきた名前も知らないおじさんと一晩の過ちとか? 自分の父親と同じ位の歳の男の人に気持ち良くされちゃって、お金まで貰っちゃって、もはや、ハメるのにハマってるのね……!」
何言ってんだこの人、馬鹿なのか。
自分の娘でそんな妄想をするんじゃない、本当にやってたら流石にとめるよな?
というか「娘に春が来た……」から、「個人売春してるのでは?」という妄想にまで派生するって、この人は俺の姉さんを何だと思ってるんだ。
あと、もし仮にそう思ったのだとしても、それは絶対に息子の前でクネクネしながら言うものじゃない。
「……普通に考えて、友達と会ってるんでしょ」
「ま、まさかっ……お友達って、セッ◯スフレンドってこと?」
やっぱりお酒飲んでるよね?
母さん絶対にアルコール入ってるでしょ。
流石に下ネタに頭が支配され過ぎてる。
「ひどいわよねぇ、私なんて、彼とは随分ご無沙汰だって言うのに……娘はハッスルしてるなんて」
「父さんのことを“彼”って言い方は止めない? 自分の父親が言われてるって考えるとちょっとキモいよ。あと、息子の前でそんな話すんなって」
「ああ、まさか! このまま娘が連れて来たおじさんに母娘丼されてしまうの!?」
ダメだこの人、妄想がとんでもないとこまで飛んでいった。
ほっといて俺はもう寝よう。
いつもより早いけどいいや、なんか疲れた。
俺の卒業式から帰って来て、ラブレター云々の話をして、随分と機嫌は良かったけど……。
俺が思っていたよりも大分ご機嫌だったのかも知れない。
お酒が入っているにしても、あまりにもテンションが高い。
というか、そもそも風呂前に酒飲むのは止めてくれ、ちょっと危ないから。
……まあ、偶には良いのかな。普段は仕事で疲れてるだろうし。
酔っている母さんの事を見ていたら、びっくりするくらい頭が冷えた。
四ノ宮からの手紙に関しては素直に嬉しい。
まあ……あの気分の高ぶりを一瞬にして台無しにされたのだけは、正直に言うと怒りたかったけど。
当初はもっと重めの手紙の予定だったんですけどね、四ノ宮のキャラじゃなかったから大分軽くなりましたとさ。
代わりに赤瀬母がお姉ちゃんで妄想する変な人になった。
このお話が面白かったら、応援やコメント、フォロー、レビュー等をよろしくお願いします。




